謝ったのは、君が泣くって分かってたから。

その日。俺の最後の日。
音華ちゃんは峰寿とずっと一緒にいたようだ。
峰寿は完全に俺を疑ってる。
疑ってる・・・じゃないな。完全に黒だと分かってた。
抜け目ないからな・・・。昔から頭の切れる男だった。
芳河にはないひょうきんさを持っていて、でも芳河と同じくらい頭が切れた。
陰陽術は無茶な術が多いみたいだけど、それでも力は確実なものだ。
実を言うと、峰寿には少しだけ親近感を持っていたんだ。
峰寿なら少しくらい解ってくれるだろうな、って思ってた。
同じだから。
俺たちは、非道な扱いを受けた親を持つ、子ども。
姫様を恨んだに違いない。殺したいと思ったに違いない。
なのに傍にいなくてはならない。見せしめとして。人質として。
屈辱だ。
此処を、消してしまいたいとは思わなかったんだろうか。
いっそ、姫様ごと。全部。なくなってしまえば、と。
思わなかったんだろうか。
一度・・・話がしてみたかった。
どうして笑っていられるのか、聞きたかった。
聞いたら、もしかしたら、俺も変わってたかな?
うん。
俺。峰寿が、少し羨ましかったんだ。
最後まで、言えなかったけど。


日はもう落ちかかった原。花のつぼみの海を眺めてた。
きっともうすぐ咲くな・・・。微笑んだ。
昔エリカに積んであげた花だ。エリカ、覚えてるかな。
「ひーちゃん。」
エリカのことを考えていたら後ろからエリカの声がした。
「エリカ。今日はどこにも行かなかったの?」
「うん。行かない。ちょっと、断った。」
「へぇ。」
にこっと笑ってみせた。でもエリカは真剣な顔をしていた。
あぁ。これは。きっとエリカも気づいたな。確信した。
「・・・私ね。」
「ん?」
「私。此処が好きで、嫌いだった。」
「・・・此処って。一門のこと?」
「ん。」
頷く。
「若草様が泣いているのを見て、此処を変えるって決めたの。」
「うん。エリカは若草様が大好きだったものね。」
「芳ちゃんも、峰寿も、音華ちゃんも。・・・・ひーちゃんも、大好きだよ。」
「ありがとう。」
胸がしまる。俺、どんな顔してただろう、この時。苦しかった。
裏切り者を好きだと言ったエリカが、微笑んだ。
「私の式神、見せたことあったっけ。」
「や、無いね。」
「ひーちゃんのも見たことない。」
「お互い、様。だね。」
「私は、調伏の時でも本当に自分の術でどうにもならない時にしか、呼ばないことにしてるんだ。」
「いいと思う。式神だって立派な神様だ。他に仕事があったりする。エリカらしいね。」
エリカは笑った。だけどすぐに陰った。
「・・・見せ合いたくないな。」
「そうだね。」
「ひーちゃん。」
「なに?」
「・・・ひーちゃんの・・・お父様。元気?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
黙った。同時にじわりと憎しみが湧く。
元気・・・?そんなわけない。
「・・・知らないんだ。」
「・・・連絡、とってないの。」
「うん。」
「どうして?」
どうして?そんなの決まってる。
「・・・取れないから。」
「・・・取れない・・・か。」
「普通。そうでしょ。」
「・・・そうだね。」
エリカはつらそうな顔をしていた。
優しい彼女は、俺のために胸を痛めてた。
でも、俺の胸は痛んでなかった。
「白い花。」
「え?」
以前、エリカにあげたような大きな花はまだつぼみだけど。
きっと二度と摘んであげることはできないけど。
俺は小さな白い花を摘んでエリカに差し出した。
「・・・やっぱり、似合うね。エリカ。綺麗だ。」
エリカは一瞬泣きそうな顔をして、そして無理やり微笑んだ。
「・・・・・・・・馬鹿。」
「あはは。」
一瞬俯いて、エリカは顔をあげた。真面目な、顔だった。
「・・・ひーちゃん。私、此処が好き。大嫌いで、大好き。」
「・・・矛盾してるよ、エリカ。」
「もとから。・・・もとから、矛盾だらけな世界だよ。」
「・・・そうだね。」
「だから。」
すっと、取りだしたのは、分厚い札だった。
「音華ちゃんを傷つけようとしてるなら、許さないよ。私。」
睨みつけるような。澄んだ目。
それでも心を打った。
綺麗で。
 

生まれてきて、見た世界の中で、彼女が一番きれいだと思う。


その彼女と一緒に作った最も悲しい術がある。
それこそが、あの黄色い半紙の中に込めた術。
音華ちゃんの霊力を吸わせて、今にも発動せんと、火種を待っている。
俺は。
それを発動しないとエリカと誓った。
ひどい術だった。
それは空間をひと飲みにしてしまう。
発動者が周りの物をひっくるめて別の空間を創造してしまう。
その中で悪霊と闘えば、もし悪霊に負けてしまってもその悪霊がその空間から逃げることはできない。
つまり、捨て身。
刺し違えても、という、捨て身。
負けてしまえば自分もその空間から永遠に出ることはできない。そして死界の風になる。
それはすなわち、転生の不可を意味している。
魂が消えるのだ。
風化するのだ。
術の発動主が倒れたら、空間から戻れるのはその場にいる『悪霊』以外の物体、生物、魂。
発動者の死体は残らない。現世には戻らない。
それは、残される側には耐えられない。とエリカが言った。
「私は・・・ちゃんと送ってあげたい。悪霊と闘って敗れた陰陽師を。誇りを持って。」
そう言っていた。
だから約束した。
この術は使わない。と。

その約束を、俺は破った。
西の秘術を混ぜて。
術を発動させた。
詠唱略。ほんの一言。

唇から。
「オン・・・・!」

この術を使った理由はひとつ。
姫をここに戻さないため。
目的を成し遂げるまで。
音華ちゃんの霊孔を埋めるまで。
邪魔させないため。
婆やや、峰寿が俺を止めようとするだろう。
だが、それを食い止める。西の秘術で大量の式神と悪鬼を引きずり出す。
詠唱後、一瞬で空は黒くなり、屋敷全体が別空間として切り取られた。
「・・・さて。急いで音華ちゃんを捜さなくちゃ。」
俺は歩き出す。これで最後だ、と呟きながら。
 

「婆!」
どす!
「!」
音華ちゃんの声がしたと思ったら、ぶつかった。向こうからやってきてくれたらしい。
「しま・・!」
彼女が顔をあげた。
あ。と思う。彼女を覆う薄い結界。峰寿のものだ。相変わらず変わった術を使う。
「緋紗!」
パシン・・・・
総裁呪文でその結界を消した。霊孔を塞ぐのに、邪魔になる。
「音華ちゃん。これ・・・一体。」
知らないふりをして問う。
「た・・・大変なんだ!これ!なんかの術で!」
「音華ちゃん。」
そうとう慌てていた。とりあえず、この機を逃すわけにはいかない。
「そうだ・・・!婆のところに行かなきゃ!悪い緋紗!エリカ探してきてくれるか!見つからないんだ!」
横をすり抜けようとする。
パシ。
「緋紗?」
腕を掴んだ。
「・・・・・。なぁ、緋紗。」
彼女は俺を不思議そうに見上げながら言った。
「なんで、今さっき、俺に触れたとき、峰寿の術・・・解いたんだ?」
おみごと。
すごいな。音華ちゃん。
これで本当に一年ちょっとしか、修行をしてないのか?
詠唱略で結界を解いたのに。ばれている。
「・・・・緋紗・・・・・・。お前・・・・・。」
「急いでも無駄だよ。今は此処からは出られない。誰も。生身の人間がその歪みに耐えられないから・・・・。」
「・・・・緋紗。」
汗が伝ったのが見えた。
「ごめんね音華ちゃん。」
「・・・なんで謝るんだ。」
「俺、音華ちゃんのこと、使い物にならなくさせるために来たんだ。」
「ど・・・っ・・・。ういうことだよ。」
後ずさる。手は放さない。
「若草様が一度塞いだ霊孔って知ってるかな?音華ちゃんの霊力が体から出る時、霊力はその穴を通ってくるんだけど。それを封じると霊力を扱うことはできないんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・それが・・・。」
「一度塞がれたものだけど。此処に戻ってきて、完全に霊力を取り戻しちゃったでしょ。」
「・・・・そう・・・だけど。」
「その穴をもう一度、塞いでしまうことで、陰陽師としては使い物にならなくなる。今度は外れたりしない、強力な封をすることでね。」
音華ちゃんの目がかすかに光る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・緋紗・・・・なぁ・・・お前。」
「俺が、その役目を持って、西から来たって言ったら・・・驚く?」
ずるりと周りの式神が音華ちゃんめがけて近づいてきた。
俺が結界を解いて、音華ちゃんの存在に気づいたからだ。
「ごめんね。ちょっと失礼するよ。」
乱暴な方法ではあるけれど、今無理矢理術をかけるしかない。
失礼とは分かっているが襟元を掴んだ。
「・・・・・・・・やめ!」
「一瞬だ。もう印は打ってある。大丈夫。体に害はないから。」
ぐいっと引っ張る。
その時。
「オン!」
バチィ!
「!」
どこからか、強力な術が飛んできた。
「触るな。阿呆が。」
音華ちゃんが強引に引っ張られ俺の手から放れた。
あぁ。この声の主は。もしかして。
「・・・・ほ・・・芳河・・・・・!」
芳河だ。やっぱり。
「おま・・・!」
「オン!」
ぶわっと広がる白い霧。
なんて鮮やかに術をきめるんだろ。
「・・・・・・・あはは・・・・本当に・・・・お姫様なんだね。音華ちゃん。」
目をこする。顔をあげた時にはもう、そこには誰もいなかった。
逃げられた。

その瞬間、失敗だと悟った。
でも、同時にほっとした。
本音を言うなら、きっと、失敗なら失敗でよかったんだ。

憎いとか、悲しいとか、寂しいとか。
もうがんじがらめで。
俺、此処から逃れたかったんだ。
左足に感じる鎖を断ち切りたかったんだ。
無心で君を愛せたら、どれほど、楽だったかな。


「あー・・・。失敗かぁ。」
ふっと笑った。残念でも、なんでもなかったけれど、虚無感だけは残った。
「芳河が来たんじゃ、仕方ないかな。」
呟いた時だった。
「ひーちゃん。」
「・・・・・・・・・・見つかっちゃった。」
「・・・見つけた。」
エリカが息を切らして後ろにいた。俺は微笑んだまま振り向いた。
「どこ。」
「・・・何が?」
分かっているけど、聞いてみる。彼女はすべて分かっている。
この術の正体も。そのために俺が音華ちゃんの霊力を利用したことも。
「術の、もと。術の塊。どこにあるの。」
「・・・さぁ?」
睨んだ眼すら、透き通ってる。
「言ったよね。許さないよって。」
「言った。」
頷く。
「話して。じゃないと、手加減しない。」
「いいね。エリカと本気で喧嘩。一回してみたかったんだ。」
「茶化さないで。峰寿じゃあるまいし。似合わない。」
笑って見せた。
「俺ね、エリカ。俺の父さんたちが此処を裏切った後、掟で俺だけ此処に残ることになっただろ。」
「・・・・・・・・・・・・・うん。」
「でも、肩身は狭くてさ。俺、北の霊山に飛ばされた。一人で。」
エリカの顔は、辛そうに見えた。
「一人だったよ。エリカ。俺。ずっと。でも、別にそれは苦じゃなかったんだ。違うんだ。そういうことが言いたいんじゃない。」
首を振る。
「ある日俺のところに、西からの使者がきたんだ。といっても、式神がね。・・・そいつ、俺に言ったよ。父さん、霊孔を一つ閉じられてしまったんだって。仕方ないかもしれないよね。此処を裏切って西につくって、そういうの、罪なんだろ?」
「・・・・ひーちゃん。」
エリカが想像以上の話を聞いて、息をのんでた。
きっと彼女は知らなかったに違いない。
「それでねエリカ。そいつ、俺に言ったんだ。復讐しろって。お前が此処の間者になれって。」
「・・・それで・・・スパイになったの。」
「そう。」
「あっさり・・・裏切ったの。」
エリカの顔は、怒ったような、泣きそうな顔だった。
「裏切ったのは、どっちだろ。」
「お父様のこと・・・?」
全てだ。父のことも。俺のことも。
「俺はね、エリカ。此処が嫌いだよ。此処を壊すためなら、なんでもできた。」
「・・・それで音華ちゃんを狙ったって言うの。」
「そうだね。否定はしない。巻き込んでしまった音華ちゃんには、悪いことをした。」
「ふざけないで。」
エリカは睨む。ますます苦しそうに、睨む。
「これは、避けられないなぁ。ねぇ、エリカ。」
「・・・・・・・・・お互いに、式神・・・見せっこだね・・・。」

二人で同時に召還した式神は、驚くほど美しかった。
エリカの式神は大きな大きな鶴のような形で、白い翼が光の粒を放ってた。
俺の式神は、代々五月の家に仕えてくれる鷲のような式神。
対になる鳥が、空を駆けて、ぶつかり合った。
そのたびに、空気は揺れ、光の粒子が散った。

エリカの顔。
あぁ、つらそうだな。いっぱいいっぱいだ。
俺は、エリカのこと、倒そうと思えばいつでも倒せた。
人間同士で争うために術はあるんじゃない。
術なんかより確実に人間は傷つけあうことができる。
術とか式神とか、そういうのは全部死界の住民たちにのみ有効な戦闘手段だ。
わざわざ式神で戦うのは、エリカらしいな。
人、そのものを傷つけたくないからだ。
俺を、傷つけたくないからだ。

「・・・あぁそろそろだな。」
空を見上げてつぶやいた。
これは、婆やが気づいて動いたな、と感じた。
術は、解ける。そして俺は、溶ける。
「何が。」
エリカは汗を落としながら言った。
「終わる。」
俺も汗を流しながら、微笑んだ。
「・・・・・・・・ひーちゃ・・・。」
最後くらい、微笑んでいたかったから。
君の前で、泣いたりできない。
だって、君は人の分まで、泣いてくれるから。
「ごめん。」
「!」
ドッ!
「え・・・ッ・・・・!?」
人間の人体急所の一つを鋭く突いた。式神ではなく、エリカの体を傷つけた。
「ひ・・・っちゃ・・・・」
「ごめん。」
心の底から、謝った。エリカに手をあげるなんて、死ぬほどしたくなかったことだった。
「ひーちゃん・・・ッ・・・だめだから・・・!」
精一杯、声を絞り出して叫んだ。意識はもう、朦朧としているだろう。
「だめだからね・・・・!絶対・・・ッ・・・許さないから!」
俺は、微笑み続けた。
最後まで、最後まで、微笑み続けた。
しだいに、ゆっくりと、エリカの大きな眼は閉じられた。
その瞬間。俺は足元から、この術の暗闇の中に分解していった。
消えるんだ。
消える。
消える。
涙が出た。
「ごめん。」
もう一度、呟くように謝った。
かすんでいくエリカの姿を見ながら。
少しずつ、少しずつ、術は解け、俺は溶ける。
どこかで叫び声が聞こえた。
きっと、召還した悪鬼の声だ。
此処は、きっと変わる。
そう思った。
芳河がいる。峰寿がいる。音華ちゃんがいる。そしてエリカがいる。
きっと、変わる。

見てみたかったな。
見てみたかった。

憎しみにかられた。それだけじゃなかった。
無邪気に、エリカの手を取っていたかった。
全部、忘れて、それでもよかった。
「ごめんね。エリカ。」
呟いた。
瞬間、俺は完全に死界の風に、なった。


謝ったのは、絶対に君を泣かすと思ったから。
目が覚めて、俺がいなくて、優しい君はこんなひどいやつが消えたとしても、きっと泣く。
いつもただ、望んでたのは、笑顔だったのに。
今も。

忘れないでほしい。
俺のことじゃなくて。
笑顔でいることを。

ずっと、笑ってて。
それだけでいいから。


On***西編8 緋紗視点 終わり

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