喉の奥が痛い。苦い痛みだ。

「暇だ。」
呟いて見る。部屋に、この煙たい部屋に一人、読書。性に全くあわない。
「声は出るんだけどな・・・あ、あ゛――――」
ゴロゴロするが、声は枯れていない。どっちかっていうと、肺の奥に痰が溜まってる感じが気持ち悪い。
言霊の冊をバラっとまためくりなおす。何回目だろう。朗読。
「・・・・・・・・・お経みたいで覚えられねぇ・・・・。」
いや、なんとか覚えなければ。と思う辺り真面目だ。不良で真面目。
咳き込む。最近煙草を吸っていないからこんな喉の違和感は久しぶりだ。
煙草を始めたのは何歳の時だったかな。
音華は目線を上げて外の庭を見た。
中学くらいか。なんだったかな、きっかけは。もう覚えちゃいない。
少ない小遣いはその殆んどが煙草に消えてた気がする。
こんな、キツイ匂いのする煙じゃなかった。燃える香をみる。
煙をみると、何かを忘れられた。このままこの煙にまかれて見えなくなってしまうのもいいと思った。
つまらない世界に自分の吐き出した白い息が宙に絵を描くが何故か嬉しかった。
園長先生には秘密にしてたけど、たぶん気がついてたと思う。
「紫 音華。」
はっとした。いつの間にかどこか違う次元を見ていたようだ
廊下に男が立ってた。知らない人間だ。だけど帰ってきた9人の一人だろうと思った。
「・・・若草様の娘か。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
答えない、無意識に睨んでた。
「どんな逸材かと思ったら、まだ言霊を学んでるとは。本当に同じ血が流れているならばありえない話だな。」
それがなんだ。
喧嘩を売られてると気がつく。
「清き力も若草様までだったか。清き血も途絶えたな。」
「・・・っ・・・!」
その男はそのまま流れるように去っていった。中年くらいの男だった。名前も知らない。殆んど顔を合わさないから。
音華は顎元につたう汗に気がついた。体が熱い。
だからなんだっていうんだ。血がなんだって?じゃあ俺の血は汚れてるってか。だから捨てられたってか。
拳をかたく握る。
「・・・・・・・・・・・・・・っ。」
息が苦しくなる。
「音華?」
今度は芳河が顔を出した。
「どうした。お前、すごい汗だぞ。」
「ほっとけ。」
小さい声で拒む。
「・・・・横になれ。後で薬も調合してやる。」
「いらねぇ。」
「・・・・・・・・・・。」芳河はため息をついた。そして、音華の前に座った。
「ザン・ウン・ラバンシャ・・・・・・・解!」
バシッという音がした。閃光が走る。脳の中を突き抜ける。その瞬間体が軽くなる。
「・・・・・・・・・・これで大分楽になっただろう。大人しくしていろ。寝るなよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
音華は何も答えずに彼が去って行くのを見送った。
また一人になる。
風が涼しい。この山の風は、涼しい。
びっくりするほど楽になった。

夕さり。
また、彼女を見た。
「・・・・・・・・・・・・・・・またかよ。」
彼女はまた部屋の隅にあたかも初めから居たかのように座っていた。
いつ現われたのかは分からない。音華はじっと見つめた。
やつれた白い顔。
「何してんだ、お前。」
話しかけてみた。彼女は答えない。
「・・・・・なぁ、どんなこと考えながら死んだんだ。」
辛かったろうな。
さぞ、辛かったろうな。
「自分は、要らない人間なんだって、思ったこと、ねぇか。」
思わずにはいられないよな。
「・・・・・・・・・なんで、俺なんだって思ったこと、ねぇか。」
なんで、俺なんだ。なんで今なんだ。
「・・・・・・・・なんでこんなに不条理なんだよ。」
音華はうなだれた。幽霊相手に弱音をはき散らして、なんになるって言うんだろう。
他人には決して吐いたことのない弱音だった。吐ききれないものだった。
「どいつも、こいつも・・・・・大ッ嫌いだ。」
ますますうなだれた。
夕さりつかた。
気がつけば彼女は消えていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阿呆が。」
芳河は柱にもたれかかって小さく呟いた。

「エリカは。」
「今日はいない。別の寺に行った。しばらくは戻って来ない。」
「・・・・・・・・・・ふーん。」
「よろしくと言ってたぞ。」
「・・・・おう。」
たくあんをかじる。御飯を掻きこむ。
「食欲はあるんだな。」
「風邪ひいても食事だけは抜かねぇ。」
「・・・・・・・・・・・・後で薬も飲め。」
まじで調合したんですか。芳河が袂から白い薬袋を取り出して音華に渡した。
「・・・・・・・・ありがとう。」
「ちゃんと飲めよ。」
薬は死ぬほど苦かった。


「芳ちゃ―ん!」
「オン」
バシィ!
「いで!」
峰寿がつんのめる。
「ちょ!ひどいじゃないっすか!子鬼!子鬼殿飛んで来ましたよ!?」
「やかましい。」
芳河がすたすたと歩き去る。峰寿はそれを追いかける。
「ひっでーなぁ!」
「峰寿。」
「?なんだよ。」
横に並ぶ。
「明日の調伏。」
「あぁ、音華ちゃんが参加するやつっ!師匠としては楽しみですかい?」
「お前、俺と代われ。」
「へ?」
「俺がやる。」
峰寿は驚いた。
「ちょ、ちょ、ちょっ!芳河、一応これ段取り終わってる事なんだぜ?今からお前一人でなんて―――・・・。」
「言霊衆たちはそのままでいい。俺が調伏する。お前が俺と代わってくれればそれでいい。」
「・・・ほ、芳河が誰か背中において調伏するってことかぁっ?何があったんだ芳河君。お前が・・・」
「何もない。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。はぁ。」
ため息。
「分かったよ。じゃ、お前に任すぜ。」
「あぁ、悪いな急に。」
「で?」
峰寿が諦めたように言った。
「俺は?お前の変わりに何しなきゃなんねぇんだ?」
その直後、峰寿は「鬼!」と叫ぶ。

「・・・・・・・・・・音華。」
芳河が再び音華の部屋を訪れた。
「・・・・・・・・・・・・。」
足を止める。障子は開けっぱなし。香は燃え尽きたまま差し替えてない。そんな状態で音華は一人布団の上で布団も被らず倒れたように寝ていた。
「・・・風邪をひくぞ阿呆。」
もうすぐ初夏の風が吹くとはいえ、山の夜は冷える。
人が全くこの廊下を通らないわけではないのに、無防備に寝ている。
芳河はゆっくりと音華の部屋に入って無音のまま羽織っていた薄い木綿の羽織を音華の身体に掛けた。
そして無音のまま、香を差し替え、灯をともす。
世話の焼ける。
芳河は立ち上がり、振り向いて音華を再び見た。安らかに眠っている。
小さなため息をついて芳河は部屋の外に出てゆっくりと障子を閉めた。
この日、夢を見ることはなかった。


「うー・・・緊張する・・・・っ。」
音華は一人呟いた。芳河に朝正装だ、と渡された紅の袴を着て、もう一度、言霊の書かれた冊子を掴んで最終確認をする。
芳河の姿は見えない。朝に全て指定されて3時になったら朝顔の間に行くことになっている。
「・・・・し、行くか。」
音華は部屋を出てまっすぐと朝顔の間へ向かった。エリカの部屋のほうだ。
こう見えて本番には強い人間だったし、あそこまで毎日読んだものならば覚えているだろうという自信もあった。
朝顔の間に行くと、すでに何人もの似たような格好の陰陽師っぽい人がいて、音華は一瞬息を飲む。
知らない人間を前にすると、いつもこうだ。ぎゅっと拳を握って背筋を伸ばし、その中へと入っていく。
座布団がいくつも並んでて、音華は言われた通りにそこに座った。紫の上物の座布団だった。
ごくりとつばを飲んで、待った。もう3時だ。
老人二人が入ってきた。また夫婦のようだった。音華はこの間の一件を思い出して心が暗闇に染まるのを感じた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
ぼんやりとその夫婦の周りの空気が他とは違うことに気付く。
あそこだけ、重力が違うような、あそこだけ、湿度が高いような。その後に入ってきたのは、芳河だった。
「・・・・・・・・・・峰寿は?」
思わず言ってしまう。
「静かに!」
隣の席に座る年配の女性が睨んだ。
「・・・・・・は・・・ぃ・・・・。」
従った。怖い。こういう年上の、それも中年以上の女性が音華は苦手だった。
「始めます。」
芳河が礼をした。そしてブツブツと何かを唱えだした。音華が知るどの呪文にも当てはまらない。
全く知らない言葉が彼の口から滑らかに出てくる。その一節が終わると、言霊衆がシャン!と手に持っていた鈴のついた鉄の棒をならした。
音華は勿論そんなもの持ってない。だが、今が言霊を言うときだと悟った。横に並ぶ連中と口をそろえて音華は流暢に言霊を述べた。
思った以上に完璧に覚えている。歌を歌っているかのような錯覚に陥るほどだ。
夫婦を纏っていた、異常な空気がゆらりとうごめいた。
悟った。あれは、霊だ。霊の形だ。容を縁取らない形だ。言霊はすらすらと口から出てくる。
芳河もずっとぶつぶつ何かを言っている。荘厳で、厳しい表情だ。
霊の形が、不規則にうごめく、まるで苦しんでいるようだ。芳河が白い紙を引き出した。
「・・・・オン!」
ボッ!その形なきものが黒く染まり、その紙に引き寄せられた。
その瞬間に紙は黒い光を変な音と共に放ち、そして燃えるように影を揺らした。
シャン!
また鈴がなる。
言霊衆はシンとなる。音華も黙る。咳が出そうになる。堪える。喉を抑えて息を吸う。
芳河がびっと左手で空を切り、人差し指と薬指をそろえて指刀を作ると黒く染まった白い札にその刀を当てた。
「・・・・・・・名を名乗れ。」
シャン!また、鈴が響く。その音は耳に心地よかったり、耳障りだったりする。不思議な音だ。
黒い影は揺れ動くだけだ。言霊衆は息を吸う。それに合わせて音華も息を吸い込んだ。
そしてまた言霊が始まる。黒い影が一層激しく揺れる。それは苦しそうに。芳河が問う。もう一度。
「名を名乗れ。」
札はぶるぶる震えている。それは怯えているようで。
「・・・・・・・・・・花苗。」
音華は自分で驚いた。口から言霊が滑るように出ていたのに急に自分の口から、勝手に誰かの名前が出てきた。
芳河はゆっくりと音華を見た。汗が出る。咳が出そうだ。言霊衆は音華をちらりと見たまま言霊を言い続けてた。
音華も言霊を言おうとする、だが言えない。言うと苦しくなるのが自分で分かる。
「何故此処に居る。何故留まる。」
黒い影は揺れる。
音華ははっとした。その影の向こうに、芳河の向こう側に、あの子が居る。あの女の子が居る。
それは苦しそうな顔をしていて、恨めしそうにしている。
「・・・・・・・・っ・・・・・・。」
あの子の口が動く。
自分の口が動く。それはオートマティカルに。
「淋しい。」
芳河は、あの子の居場所に気付いているようだ、ちらりとそっちのほうを見て、また音華を見つめた。
「淋しさだけでその姿を留められはせん。」
「苦しい。」
「当たり前だ、その姿を保つことは苦しみを伴う。」
音華は意識が飛んで行かない事だけに集中した。苦しい。咳がでそうででない。
「何が欲しい。」
黙った。音華の喉が絞まる。言霊はその間にも耳に入ってくる。頭の中ではまだ言霊を呟き続けている。
「・・・・おかあ・・・・・。」
「・・・・そちらの女性か。」
「・・・・違う。」
芳河は目を細めた。
「ならばお前は彼女から離れろ。お前の望むものではない。苦しめるな。苦しむな。」
「淋しい・・・淋しい・・・寒い・・・・・・。みんな嫌い・・・だ。」
「憎めど変わらん。」
「皆・・・嫌いだ・・・・・・。」
「戻れなくなるぞ。今すぐに来た道を戻れ。」
「・・・・・・うう・・・・っ。」
彼女が泣きだしたのを、音華は気付いていた。
「憎い・・・・!・・・・・そいつらが憎い・・・!」
「あの人たちはお前を、閉じ込めた人間じゃない。」
「・・・・・憎い・・・・・・っ。殺して遣る・・・殺して遣るから・・・・!」
ないて、いう事を聞かない。爆発寸前の感情。どの霊ももっているものは、そんな爆弾だ。
「間違えるな、お前を苦しめた人間はもうとっくに亡くなっている・・・、子孫にまで手を出すな・・・!」
芳河が指刀をより札に突きつけた。女の子は、苦しんだ。悶える。前屈みにうなだれる。
咳が出た。音華の肺の空気が外に出る。それは血も一緒に。
「・・・っ!」
心が乱れた。自分から出てくる赤い血。
「・・・・・・・・やめろ・・・・やめろ餓鬼め・・・・・・っ。」
音華は、より前屈みになって呻いた。でもそれは、その言葉は彼女のものだ。
芳河は顔色一つ変えずに血をはいて倒れた音華を見つめていた。音華自身は、もう痛みやらなんやらで意識が飛ぶ直前だった。
「手荒いが、お前は此処で消えてもらう。」
バッと芳河は指刀を解き、すばやく数珠を掴んだ。そしてジャランというその玉飾りを左の指に絡ませまた呪文を唱え出した。少女は泣いていた。
「これ以上、魂に手を出すな。いくら喰らえば気がすむ・・・・。」
「・・・・・・・・餓鬼めぇぇぇぇえええ!」
バターン!!!!
音華の手が畳を殴った、馬鹿力で一瞬畳が跳ねた。それはもちろん音華の力ではなくて。
「お前に何がわかる・・・・・!!!!捨てられた花の何がわかる!!!」
芳河は無視して、唱え続けた。じゃらじゃらと数珠がなる。その音に反応して、彼女は苦しんだ。
「・・・・やめろ・・・!」
微かな声がもれた。
「やめろ芳河・・・・っ!」
血の味がした。
その瞬間、彼女の影は膨らんだ。芳河の右手にある黒く染まった札の色が一層濃くなった。
「・・・っ!」
芳河はそこから溢れ返る黒い瘴気に苦い顔をした。言霊衆がうろたえた。シャン!また鈴が鳴らされる。
ズン!
床が揺れた。すごい圧力がこの一帯にだけ掛かったようだった。
「・・・・・っ!!」
芳河は顔を歪めたがすぐに呪の詠唱を続けた。言霊衆はもうきっと機能していない。
「死ニたく・・ナイ・・・!もウ独りノ世界ハ・・・イラなイ・・・・!」
何処から出ているか分からないような声がした。それは確かな彼女の声で。
「大人しく去ね・・・っ!・・・・オン!
芳河が叫んで、彼女の悲鳴がして、空気が張り裂けて、世界は裂けて、鈴が掻きなって、静けさが戻るまで、ひどい風が、黒い風が、吹き付けた。
ざざざ・・・・・・・・・・・。
沈黙が訪れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
黒い札が砂のように崩れて灰になって畳に散っていた。
芳河はため息をついて、夫婦に近寄った。
「・・・大丈夫ですか。」
夫婦は頷いた。
「あなたがたの先祖で、花苗という娘が結核でなくなったという話は聞いた事がありませんか?」
「・・・・・・・・・・わ・・・私の・・・曾祖父にあたる人に・・・昔・・・結核でなくなった妹がいた・・・て、話は聞いた事が・・・・・。」
「あなた方の周りで起こったことは全て、彼女の念によるものです。」
「・・・・・・恨みですか。」
「・・・おそらく、結核で亡くなった彼女を彼女の母親・・・家族が捨てたことを恨んでいたんでしょう。
永い時をかけて、恨みが膨張し、子孫であるあなた方の所に現われて恨みを晴らそうとしていたのだと思います。」
「・・・・・・・・・・で・・・。」
「怨念に時は関係ない。時には錯覚を起こして関係ない子孫にも手を出すものがいます。それほど大きな念だったんでしょう。」
芳河がつらつらと説明した。さらさらの髪の毛は、さっきの風をものともしていなかったように整っている。
「もう、彼女は消えました。魂は二度と現世に現われることはないでしょう。念のため、この塩を持って帰って家に撒いてください。」
夫婦は頷いて、礼を言い、その場で、結構なお金を渡し、席を立った。
静まり返った瞬間。
「あんた!」
音華は倒れたままその劈く声を聞いた。
「言霊を乱したね!何を考えとるん!調伏者が芳河様でなかったらどうなっとったか、わかっとるん!」
「・・・・・・・・・・・・・・っ。」
音華は苦しくて、言い返すこともできずに微かに睨んだ。あの横に座ってたおばさんだ。
「あんた!何処のもんや!見たことない顔やね・・・!」
そんなこと、どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。
ずる・・・音華は、ずるりと体を起こした。口の中はまだ血の味がするが、息は上手く吸いこめる。
「ちょっと・・・!」
起き上がって、ずる、ずると芳河に近寄った。
そして。
ガッ!
胸倉を掴んだ。思いっきり掴んだ。そして思いっきり顔を近づけて、睨んだまま叫んだ。
「なんで消した!」
空気が張り裂けんばかりの声。芳河は黙ったまま無表情で音華を見ていた。二人の目は合ったままだ。
音華は芳河を殴ったあのときと同じ位の剣幕だった。本気で怒っている。言霊衆はうろたえてた、あのおばさんは声を失ってた。
「・・・・・・悪霊だからだ。」
芳河が静かに答えた。
「ちょっと・・・!あんた・・・何してんの!芳河様に・・・・・!」
音華を引き剥がそうと、あのおばさんが音華を引っ張った。
「悪霊だったら!全部消すのかよ!」
「・・・・・・・・・・・・あぁ。」
殴って遣りたかった。だけど、ばっと乱暴に芳河の襟を放した。そして引っ張られている自分の裾も乱暴に引き抜いた。
「・・・・・・・・・・・ちょ・・!」
おばさんは止めようとしたが、既に音華はずかずかと部屋を出て立ち去っていた。
「なんなんあの子!」
憤慨した。他の言霊衆の目も冷たいものになっていた。


うつ伏せで突っ伏したまま、動けなくなった。香も燃え尽きて、真っ暗の部屋。
なんでだ。
彼女は泣いてたんだぞ。
彼女は、一人が寂しかったんだぞ。
彼女は、捨てられたんだぞ。
捨てられた花が、どれだけ惨めか、誰が想像できるだろう。
捨てられた者にしかわからない。
彼女は、苦しんだんだぞ、十分に。二十分に。
これ以上苦しめる意味なんてないじゃないか。
彼女のために出来たことは、他にあったはずじゃないか。
むかつきすぎて体が熱くなるのを感じた。拳はずっと硬く握りつぶされている。
憎むほうが悪いんだろうか、憎まれるほうが悪いんだろうか。


「お前、分かってたんだろ。」
峰寿が、酒を片手に言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「音華ちゃんが、その女の霊のこと知ってるって。」
「・・・・・・・・・夢見だ。」
呟いた。
「・・・・・・・・。」
峰寿はとても驚いた顔をした。
「へー・・・・・。やっぱり・・・血なのかねぇ。夢見までするんだ。」
ふぅとため息をついて酒を飲んだ。
「・・・んで、俺が嫌われ役にならないように、お前は代わってくれたって訳だ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
沈黙。
「やっさしいねぇ、芳河くん。まったく、お前は。」
「代わりに怒鳴られたかったか。」
「いいえー。でも、お前、損だねぇ。」
芳河は黙って酒に映る月を見た。
「お前、難しい道ばっかり選ぶから、見てるこっちがハラハラするぜ。」
「・・・・お前を見ていてもハラハラする。お前くらいだぞ、死呪、基本しかいえないのは。」
「あっはは・・・!いいんだよ。俺は!」
笑った。
「言霊衆からは嫌われるわ、閉じこもっちゃうわ。芳河君は鬼だわ。音華ちゃん。これから大変だねぇ。」
「・・・・・・大変なのは、最初からだ。」
「・・・・まぁね。・・・道の険しさは俺たちにゃ・・・解かんねぇよな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ。」
「お前もな。」
峰寿が目を閉じて酒を飲む。そして注ぎ足す。
カチン。乾杯。


「音華ちゃーん?」
明るい声が部屋に届く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「入っちゃうよーっ。」
無言。
ガラ・・・。障子が開く音がして、閉じる音がした。
エリカだ。帰ってきたらしい。
「・・・・もうすぐお昼だよーっ。」
相変わらず突っ伏したまま微動だにしない音華がいた。
エリカは、悲しく笑ってから音華の横座った。
「調伏立会い、したんだって?」
無言。
「・・・納得いかない?」
頷いた。顔は突っ伏したままだ。
「芳ちゃんが消した女の子、音華ちゃんの所に、夢わたって来てたんだってね。」
沈黙、暫らくたって小さく頷く。
「・・・音華ちゃんに、伝えたい事があったんだろうね。多分、それは音華ちゃんが口寄せ体質だからだけど。」
「・・・・・・・・・・・きっと俺が、俺も捨てられた人間だからだ・・・・・・・・。」
エリカは黙った。低い声で言い放った音華の声。かすれてる。
「・・・それも、あるか・・・。」
エリカがため息混じりに言った。
「音華ちゃんに、同情させて、縋って、助かろうとしたんだろうけどね。」
「・・・・・・・・・。」
ズキンと、心臓が痛んだ。エリカも、そう言うのか?
エリカも、悪霊だから悪い物で、消して当然のものだって、そう言うのか?
憎むほうが悪いって言うのか?捨てられたほうが悪いって言うのか?
「・・・それにしても、すごい口寄せ体質だね。」
エリカが感心して言った。
「芳ちゃんが炊いたあの香、結構上物だったんだけど、それと関係なく、音華ちゃんに深く憑いたなんて。」
「・・・・・・・・・。」
そうなんだ。
「喉、大丈夫?多分芳ちゃんが肺炎にならないような薬作ってくれたんじゃない?」
あのクソ苦いやつのことだろうか。
「あと少し長くつかれてたら、多分音華ちゃん、結核になってたよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・音華ちゃん、悪霊ってね、・・・ゴーストってね。その大半が、望まずとも、こんな風に人に害を成す事が多いんだ。影響が大きすぎるから。放つ瘴気が、負のものだから。」
エリカの声が落ち着いてて、いつもの陽気な感じじゃないのが分かった。
「ゴースト自体が、苦しんでる。自分じゃコントロールできない何かに自分が変わっていってるのを、抑えられないから。悲しいのに、憎んでしまう。苦しいのに、恨んでしまう。淋しいのに、殺してしまう。」
「・・・・・・・・・・・・。」
目を開いて、その声を聞く。
「ゴーストはいつも苦しんでる。自分じゃ、自分を消すことも出来ない。かといって放っといたら消えることのできる存在では既にない。永久に負の感情の心を蝕まれ続ける。壊れていく。」
爆弾は、膨らみ続ける。
「その苦しみを取り除いてあげるために。ゴーストは、消すしかないのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
エリカの声が悲しかった。
「そうすることでしか、報われないのよ。」
「・・・・・・・・・・っ。」
涙が溢れた。今まで出なかった涙だ。
「それが出来る人間が、私たちなんだよ。」
布団が濡れていく。
「助けたいから。」
エリカは微笑む。
「救いたいから。私は陰陽師でいたいんだよ。」
音華の頭に優しく触れた。エリカの手は温かくて。
「芳ちゃんも、おんなじだよ。」
震えて仕方のない体。止まらない涙。
あの子は、報われたんだろうか。救われたんだろうか。悲しみから開放されたんだろうか。
淋しさから開放されたんだろうか。憎しみから、解き放たれたんだろうか。
溶けるように光の中で消えていく瞬間に、一瞬の安らぎを得たんだろうか。
それを、望む。
それを、願う。
それしか出来ないから。


on*** 11 終わり



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