踊り狂うのはまな板の鯉だけでいい

「踊らされている?」
芳河もエリカの顔をじっと見た。
「そう。踊らされてる。」
エリカは頷いた。
「どう言う意味だ。」
「西の連中に、一芝居うたれたんじゃないかなって意味だよ。」
「・・・・・・芝居?」
「芳ちゃん、本当に西の陰陽師が悪霊に殺されたと思ってるの?」
「そう聞いた。」
「誰が?どんな風に?いつ?」
「・・・詳しくは知らない。・・・それが、嘘だと?」
「大体、まず、そのマンションに、陰陽師が本当に行ったって聞いた?」
「・・・だが、それは新聞にも載っていた。峰寿が騒いでただろう。」
エリカは首をふった。
「陰陽師がお払いに来た、だなんて、過去形では書かれていなかったよ。なのに、その死の知らせは芳ちゃんの耳に届いてた。」
「エリカ・・・・つまり、何が言いたいんだ。」
「音華ちゃんをひきずりだすために、西の連中が一芝居うったのよ。」
エリカは眼を鋭くしていった。言い切った。
沈黙が流れた。
「証拠は・・・。」
「ないよ。私は私の想像でしかものは言ってない。だけど不透明な大人のやりくちも、よく知ってるつもり。今回だって、大人たちの気配がする。」
「・・・・・・・エリカ。」
「芳ちゃん。いくら芳ちゃんがここを任されてたって、峰寿が跡を継いだって、まだ何にも変わってないんだよ。」
芳河が黙る。
「まだ私たちは振り回される側に立たされてる。まだ、餓鬼扱いなんだよ。いくら私たちが力をつけたって。」
峰寿の言葉が、かぶった。エリカの真剣なまなざしが刺さるようだった。
「・・・・なんて。芳ちゃんに愚痴ったって、仕方ないんだけどね。」
エリカがふっと笑って目を閉じた。
「今は音華ちゃんの無事だけ願っとこう。」
立ち上がる。
「ごめんね邪魔しちゃって。」
「いや・・・。」
「じゃ、また夕餉で。音華ちゃんのお疲れさま会しなくっちゃ!」
「エリカ。」
行こうとしていたエリカが立ち止まり、振り向く。
「・・・芳ちゃん。」
真っ直ぐ芳河を見る。その目はいつもの明るい彼女ではない。少し鋭く、淋しくもある。
「芳ちゃん。此処は無情だよ。無情の世界だ。」
いつか音華にも言った。
「だから、私は絶対に此処を変えたい。」
そのまま、すっとエリカは行ってしまった。
残された芳河はらしくないことにぼーっとするしかなかった。


「何が見える?」
「・・・・・男。」
「背広着た?」
頷く。
「俺もソイツが見える。それから?」
「女の子。」
「女の子?」
それは見たことのないものだった。
「どんな?」
「男の子と一緒にいる。」
「・・・女は?」
「みえるよ。茶色い服だ。」
峰寿はため息をついた。
「家族みたいだ。」
音華は続けた。そして目を開いた。
「家族・・・?」
「うん。」
「・・・・そうかなぁ?」
「違うのかな。」
だって男はナイフを持っていた。
「なぁ峰寿。此処って7階建てだよな。」
「ん。んん。屋上はあるみたいだけど。」
「・・・11階はないんだよな。」
「・・・?ないけど。なに。どうしたの?」
首を振る。なんとなく、11って数字が浮んだ。
「まぁ、この霊達が一番影響を及ぼしているってのはつかめたけど・・・。」
峰寿が呟く。
気になるのはなんでアレほどまでに魑魅魍魎が湧いていたのか。だ。
自然の現象はあり得ない。マンションの建設によって潰された祠などは無かった。ならば、神の、もしくは稲荷の怒りを買ったということもない。霊視をしても過去そういう場所だった跡を見つける事が出来なかった。
この四人の霊が、呼び寄せた?そうだと思っていた。だけどそれにしてはこいつらは随分個人主義らしい。バラバラだ。気配はある。だけどそれはバラバラに散っている。奇妙だった。
「峰寿?」
「ん?」
「・・・いや。難しい顔してるからさ。」
「あら、そういう顔も男前デショ?」
「・・・・・・・。」
ちゃかす。すぐにこの男はチャカす。音華は呆れてため息をついた。
「なんでもないなんでもない。ちょっと考えてただけ。とりあえず、探しに行こう。」
「探しに?」
「この、4人。」
にこっと笑った。

峰寿は音華のほうを時々振り返りながら、歩いた。その間、マンションの中なのに誰にも会わなかった。
「探して会えるもんなのか?」
「ん。会えるはずだよ。」
初めてだった。こういうアクティブに霊に向かうのは。芳河はいつもやってくるその霊を押さえつけ、そして調伏する。
「気配はあるからね。」
「・・・・・・・うん。」
とと・・・。コンクリートの廊下に響く足音。
「と。こっちかな。」
峰寿がくるっと角を曲がった。そして立ち止まる。急に立ち止まったもんだから、背中にぶつかり鼻をぶつけた。
「だ・・・ッ。」
だけど何故立ち止まったかはすぐに分かった。峰寿の前に立つ、女の子が目に留まったから。
沈黙。彼女は黙ったままじっとこちらを見ている。目はあったかな、暗くてよく見えない。
ごくんと飲み込む。息。いい感じはしない。びりっと感じる殺気。
「おいで。」
峰寿がかがみこんでそう言った時、音華は驚いてなにしてるんだ、と言いそうになった。
「おいで。こわくないよ。」
手を広げて峰寿が言う。
なぜ?悪霊を自ら呼んでいる。手を広げ受け入れようとしている。初めて見る。
彼女は、動かない。じっと警戒したままこちらを見ている。
「・・・峰・・・。」
はっとした。峰寿を見下ろした時に気付く。峰寿の体がうっすらと光っている。それはかすかに、それは妖しく。
その光は渦巻いている。峰寿の体を循環しているようだ。時々黒く浮ぶ文字が見えた。読めやしない字だった。
「何をしてるの?」
優しい声で峰寿が問いかけている。
「大丈夫。こっちにおいで。」
女の子は、じっと峰寿を見た。そして口を開いた。その声は女の子のものなのかと耳を疑うもので。耳鳴りがした。
「お兄ちゃん。黒マント?」
「黒マント?」
「学校の帰りに追いかけてくるの。黒マント?」
峰寿はふっと考えた。
「違うよ。黒マントなんかじゃない。お兄ちゃんは、追いかけたりしないよ。」
「・・・・・・・・・・・ほんと?」
音華は耳を塞いでしまった。
「訊きたい事があるんだ。」
「なぁに?」
「その前に、お名前は?」
「みき。」
「みきちゃん、みきちゃんのお友達。此処に住んでる?」
彼女は頷いた。
「うん。住んでるよ。」
「何階?」
「5階。509号室。たか君。」
峰寿は微笑んだ。
「みきちゃんは此処に住んでるの?」
首を振る。
「みきは別のまんしょん。中村ハイツ。」
あ、知ってる。来る時そばを通った。背の高い古いマンションだ。このマンションのすぐ側にある。音華は思い浮かべた。
「お母さんは?」
「・・・・・・・・・・黒マント。」
「え?」
「黒マント。」
みきは走り出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ふっと息をついて、峰寿は音華のほうへ振り向いた。
「音華ちゃ・・・・・。!」
「?」
音華は急に驚いた峰寿に、驚いた。
ばっ、と半ば乱暴に音華の腕を掴んで引き寄せた。耳をふさいでいた音華の腕はほどけて、体がどすんと峰寿の胸にぶつかった。峰寿はぶつぶつとなにか呪文を唱えていたが、それが何か分からなかった。しばらく沈黙が流れて強く抱きしめられていた体が開放される。
「・・・・・・・・・ふー・・・・・・・。」
深い息をついた。
「あ、ごめんごめん!音華ちゃん。」
音華はゆっくりと峰寿から離れる。
「痛かった?」
「痛くは無かった・・・どうしたんだ?」
若干みだれた髪の毛のまま音華は尋ねた。
「・・・・・・・・・・黒マントがね。」
「へ?」
「男が立っていた。」
「・・・・・・男?」
峰寿は頷いた。
「んもう、音華ちゃん!耳をふさいじゃだめでしょうっ。」
「お・・・。」
いきなりまた声のトーンを上げる。ついていくことのできないテンションの切り替えだ。
「五感はいつも研ぎ澄ましておく事。さっきみたいに後ろに誰か来てたのに気がつかないんじゃ危なすぎるよ!」
「み・・・峰寿も気付かなかったろ・・・!」
「お、反撃かっ!?くっそー。そうですとも!俺は複数相手できないんですーっ!」
やけくそみたいに峰寿が叫んだ。
「な・・・なんでだよ。」
「ん。そういう術を使うから。」
「・・・・・・・・・。ごめん。」
音華は謝った。
「え?なに。なになに。」
「や、耳、塞いだこと。気付かなくって。悪かった。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。いいよ。二人とも無事だったんだし。俺らを狙って現われたんじゃないみたいだったから。」
峰寿が音華を撫でた。
「しかし・・・・・・変な霊だ。」

「黒マント?」
「えぇ。」
管理人の前に二人は立っていた。
「黒・・・マント・・・と言われましても・・・・・・・。」
「俺、知ってるよ。」
ひょいと、いきなり男の子が管理人室から顔を出した。
「これ雄太!」
「この子は?」
「孫です。となりの中村ハイツに先日引っ越してきてからしょっちゅう此処に遊びに来て・・・・。」
「だって、幽霊マンションって面白いじゃん!この人たちが陰陽師?」
「だまって部屋で遊んどきなさいっ。まったく、すみませんね。」
「いいえ。・・・雄太君。黒マントのこと、知ってるって・・・。」
峰寿が雄太を見つめて言った。
「知ってる知ってる。学校中の噂だもん。」
「うわさ?」
「黒マントは登下校中の子どもを狙って道で待ち伏せしているおっさんのこと。黒いコートを夏でも着てるからそう呼ばれてんだって。」
音華はその雄太を見ながら、ふと施設の子どもたちのことを思い出した。
「よくある噂話だな。」
呟いた。
「なんだよおばさん。信じてないんだろ!」
「んだとぅ?おばさんだぁ?」
音華が雄太に近寄る。
「音華ちゃん・・・!」
「おばさんだろ、おーばーさーん!」
「やかまし!こちとらまだ17じゃ!」
「十分おばさんだ!」
「これ雄太!」
管理人が止めに入る。
「おばさん、でもこれは噂だけじゃないんだぜ。」
「え?」
「だって、何人もの人が黒マントを見てるんだ。」
「本当にコート着てるのかよ。」
「それはわかんないけど・・・。でも、追いかけられたってやつが沢山いる。」
「なんかされたのか?」
眉間にしわ。これだから、いつも心配してた。施設の小学生達を。
「ここらへんで、この間とおりま事件があっただろ。それ、黒マントだって言う話だぜ。」
「通り魔事件。」
新聞を思い浮かべる。
「それって・・・女の子が死んだのか?」
「みっちゃんは死んでねぇよ!」
「・・・みっちゃん?みっちゃんて、みきちゃんって名前か?」
「?違う。美佐代って名前。でも死んでねぇよ。怪我しただけだ。」
違った。
「みき?」
今度は管理人が首をかしげた。
「みきって・・・女の子ですか?」
「・・・はい。あ、御存知ですか?」
峰寿が問う。
「えぇ・・たしか、行方不明になった女の子です。そこの村上ハイツに住んでいた。」
「それって、11階に住んでた女の子?」
音華が訊いた。
「あぁ・・・そこまでは分からないんですが、もう4年も前の話ですよ。」
「誘拐ですか?」
「それすら分からないんです。だけど、いきなりいなくなってしまったそうです。」
「・・・・・・・・。」
此処が鍵だ。音華は思った。
「4年前は・・・そうですね。他にも蒸発事件はおきました。此処でも。」
「え?このマンションでも?」
峰寿がじっと管理人を見た。初耳だ。
「えぇ。あれ、言いませんでしたか。509号室の母親と息子が蒸発しました。でも母親は相当な借金を抱えていて、夜逃げだと言う話でした。なんせ女で一つで息子を育てていましたからね。」
「父親は?」
音華は呟くように言った。
「そこまでは知りません・・・。だけど事件性は無さそうでした。」
それは主観だ。峰寿と音華は顔を見合わせた。
「ありがとうございます。もう少し、見て見ます。」
「あ・・・はい。」
二人は歩きだそうとした。
「おい、おばさん!」
「おばさんじゃねぇっつってんだろ!なんだ。」
音華は呼ばれて振り向いた。
「黒マントは昔っからいたんだぞ。何年もここらへんをうろついてるんだ。4年前のそのみきちゃんももしかしたら黒マントのしわざかもしんねぇぞ!」
「・・・・・・・・・どうも。貴重な情報いたみいります。」
音華はふっと笑って峰寿の後を追った。
「これ、雄太!」
管理人の叱る声が聞こえた。
「なんだよ情報提供してやったんだろー!」
ふっと音華は笑った。その声。子どもは好きだった。こういう元気な子どもはいい。施設の彼らを思い出す。

「音華ちゃん、子どもにもてるでしょ。」
峰寿が笑った。
「え?」
「なんかそんな感じ。いいね。」
「・・・峰寿ももてそうだけどな。」
「女の子にもてたいねぇ。」
「・・・源氏?」
峰寿は笑った。屈託無く。
「・・・さて。でも、分かったね。結構。」
「・・・わかったか?」
「うん。繋がってきた。・・・でも、気がかりなんだよね。」
「なにが?」
「音華ちゃんの言う11。」
「数字?」
頷く。
「多分それ、マンションの階とかじゃないきがする。」
「・・・そうか?」
「多分ね。」
峰寿は目を閉じる。
「もっと、もっと濃いところにある。それは。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
音華は、また頭が痛くなってきた。気分が悪くなる。
「・・・平気?」
「おう。ありがとう。」
頷いた。峰寿はぽん、と音華の頭を撫でて歩き出した。
「どうするんだ?今から。」
「ん。とりあえず、みきちゃんと、その親子を呼んでみるよ。」
「呼ぶ?!」
「そう。ちょっと待って。準備がいる。」
「?」

509号室。
嫌な感じがした。頭がきしっと痛い。
もう此処には人は住んでいないらしい。表札は空っぽだった。管理人から貰った鍵でその扉を開く。
音華は卒倒しかけた。息苦しい。窒息しそうだった。だけど進まなくては。峰寿は音華の手を取った。あったかくて大きな手だ。無言で二人は奥へ進む。廊下を通って、水の匂いがする洗面所を横目に居間へ。埃っぽかった。だけど管理人は結構しっかり管理しているらしく、状態は綺麗だと思った。
「誰かつけてきてる。」
呟いて音華は峰寿の手を軽く引っ張った。峰寿はゆっくりと、そしてかすかに振り向いた。
「・・・・・・・玄関。閉めてないよね?」
「おう。」
「・・・分かった。」
峰寿は音華の手を引いて奥へ進んだ。畳の部屋がある。寝間だろう。奥にふすまがある。きっと押入れだ。
峰寿は立ち止まった。
「離れないでね。」
「おう。」
頷く。
にこっと峰寿は笑い、指をくんで術を唱えだした。また、彼の体が光る。青く。ゆるりと風が起こる。部屋の中なのに。それは生ぬるく、そして、髪の毛をふわんと揺らす。
「音華ちゃん。」
「へ?」
「ごめんね。」
そういった瞬間に峰寿は音華を抱きしめた。さっきみたいに強くはない。だけどしっかりと。そしてまた術を唱え続ける。音華の体も青く光始めた。変な感じだった。自分の体が、どんどん変容していく気がした。それはまるで空気に溶けるように。それはまるで、霊になるように。
「オン!」
峰寿がそういった瞬間に風はやんだ。だが体は青く光続ける。
沈黙。そして白い光が浮ぶ。
「!」
峰寿の温かい体が音華をぐっと引き寄せる。
女だ。茶色い服を来た女。顔はよく見えない。こんなにも近くにいるのに。彼女はぼうっとつったったまま動かなかった。
見えた。
音華は体をこわばらせた。見えた。見えた。顔をゆがめた。この女の出現を引き金に、目を開けたまま、まるで脳に流れ込んでくるかのように霊視した。これを、開眼、と峰寿が呼ぶのなら納得できる。そういう感じだった。
音華はぎゅっと峰寿の袖を掴んだ。泣きそうになった。
突然、女の腹部から血が吹き出した。
音華は目をそむけなかった。見えていた。だから知っていた。だが、アイツは何処だ?目を凝らした。見えない。
峰寿がぎゅっと音華の頭を抱えた。音華は首を振る。見る。峰寿。俺は、見る。
女は叫ぶことなく、そのまま立ち続けた。異様だった。此処は現世じゃない。
だめだ、出てくるな。できることなら、そう叫びたかった。
バタン。障子が開いた。中から男の子が出てきた。そして女にすがりつく。なにかを言っていたかもしれないが、それは聞き取れなかった。その時初めて見た。
「・・・っ。」
男だ。男が、すがりつく子どもの後ろに立っている。黒い背広の男だ。手には。ナイフ。突き刺す。ナイフ。
音華は顔を歪めた。よりいっそう。苦しい。なんのせいだ?この霊圧のせい?それとも、峰寿の腕のせい?
どうでもいい。音華はこぼれた一粒の涙を知っていた。
峰寿が小さい声で術の詠唱を始めた。一層体が光った。緩やかな風が峰寿と音華を包む。
男がにやりと笑ったのが見えた。吹き出しそうな感情を音華は抑えた。そして男は、ふすまを見た。
ここからは、霊視では見なかったことだ。男がゆらんゆらんと、ふすまに近づく。そして手を掛ける。その瞬間。
「オン!」
峰寿の声が響いた。穏やかに吹いていた風が、表情を変えて巻き起こった。
「・・・っ!」
女がゆらん、と揺れて峰寿のほうへ流れてきた。音華はその顔をはじめてはっきりと見た。覇気のない、死んだ女の顔だ。汗が滲んだ。峰寿が詠唱を続けている。バッと指を組む。音華はその腕の中で、はっきりと見た。小さな男の子の涙に濡れた頬を。手を伸ばして助けを求めている。その声を。聞いた。
そしてそれらの影は、峰寿に触れようと手を伸ばした。音華は体をちぢこめた。だが、峰寿は動じなかった。その要求に応えるかのように堂々と彼らを見上げていた。彼らの手が、峰寿に触れる。それで光が生まれた。
眩い光が音華の目をふさぐ。目を開けていられない。蒼い、そして白い光。輝く。声が聞こえる。それは叫びのような、歌のような。音華は見た。目を必死に開けた。峰寿に触れた手が、その体が、どんどん光に分解されていく。女の顔は死んだままだった。だが、どこか幸せそうに分解されていく。男の子は目を閉じていた。まるで眠っているかのようだ。彼らの霊体はどんどん分解されていった。
バチィ!
最後には、それは音を立てて消えた。
風も、同時に消えた。
「・・・・・・・・・・・・・っ。」
音華は息をした。ようやっと。息を止めていたらしい。無意識に。
男を見た。男はそこにた。そしてこちらを見ていた。
峰寿の蒼い光はより光を増していた。音華の体もその光に染まっている。向かいあう。
男の顔。はっきりみえた。ゆがんだ笑顔を滲ませた禍々しい表情だった。汗が落ちた。片手にナイフ。
そして、ふすまの中に。暗闇に飲み込まれかけた女の子が見える。かすかに、だけどそれは確実に、みきちゃんだ。
「・・・・・・・・こっちにこいよ。」
峰寿が言った。音華は峰寿を見上げる。
「こっちにこいよ、黒マント。霊になってまで追いかけるな。」
峰寿・・・っ。音華は訳が分からなかった。峰寿はナチュラルに、それはあたかも、霊ではない相手に話し掛けているようだった。ごくんと、息を呑む。
「こいつを・・・・・・・・殺さない・・・・・・・・・・・」
男は呟いた。そして3歩峰寿に近づいた。
「わけにはいかない・・・・・・・・・・。」
聞き取りづらいが、確実にそう言った。
「その子はもう死んでる。」
峰寿が睨んだ。
「お前も死んでるんだ。」
男は無視した。峰寿は小さい声で詠唱をした。音華は、何をすればいいかわからなかった。
ふっと顔を上げた。その瞬間に。それは瞬間的に。
「シュカ!」
叫んでいた。
ドォ!
結構な音がして、それは弾き飛ばされた。
「!」
峰寿が顔を上げた。
上にあったのは、尋常ではない大きな刃だった。音華がそれを弾き飛ばした。
「ナイス、音華ちゃん。」
小声で峰寿が褒めた。音華は汗が吹き出していた。だって、あと一寸でその刃は峰寿を貫くところだったのだ。
いつのまに天上に生えていたのかは分からない。音華は周りをぐるっと見渡した。
そして、ごくりと飲み込む。
「峰寿。」
小さく呟く。呟いた瞬間。音華は峰寿の腕をすり抜けていた。
「!音華ちゃん!」
予想外のことだった。音華はひとり走りだしていた。男の横をすり抜けて、そして押入れへと。
「みき!来い!」
叫んで、そこにうずくまる女の子の腕を引っ張った。
「音華ちゃん!」
声がした。
その瞬間に、背中に鋭い痛みがはしった。
「・・・・・・・・っ!」
刺さった。あの男の肩手に握られていたナイフが刺さった。実体はない。ないが、刺さった。確実に。
「・・・・・・っ・・・ソウ・・・・!ジュ・・・!サイ!」
バチィィイ!
振り向いて、指で空を切り、音華は叫んだ。稲妻が走り、それは男に直撃する。男はよろめいた。
音華はみきの手を引っ張り、押入れの外へと引きずり出す。
それでも向かってくる男の顔を見る。殺気。そして醜い顔だ。人を殺す人間の顔だ。そう直感した。
死呪を叫んで男にぶつける。だが、男には何でも無いようだった。
「・・・・・・・っけぇ!」
どすん!
「音華ちゃん!」
峰寿の声が響いた。その鈍い音と共に、音華は男の胸に飛び込んだのだ。刃物のその切っ先へ、飛び込んだのだ。
だが、同時によろめいた男は、ずるりと3歩動いた。
「・・・・っウン・・・カミ・・・ツイ!サイ!」
どぉ!
すごい音だった。音華は零距離で術を放ったのだ。同時に体は男から吹き飛ばされたように離れた。
「音・・・・ッ!」
「峰寿!」
音華は峰寿を見て叫んだ。峰寿は察知した。悟る。瞬時に指をくむ。そして詠唱を、今度は大きな声で行なった。
「ソ・・・ッルンスンショウサン・カンサンソ!インルンサンショウ・・・カンミン・・・!!!」
バチバチバチ!床にから黒い光の柱が生えた。
「ソ・・・!ショウンソバンロ・・・リミンスイゲンサンゲンソウ!」
それは男を囲い込んだ。男は動けないようだった。もがくが、そこにもう自由は無い。
「リンリ・・・ネンリ・・・ヌイサンショ・・・・!バンカバンカ・・・・チルカリカ!」
指をくみ変える。
「・・・・・・・じゃあな・・・黒マント!」
はっと峰寿が笑った瞬間。その黒い光は八方に飛び散った。そして自由がそこに舞い戻る。男はまるで重力で惹かれるかのように峰寿のほうへと飛んだ。だが、峰寿は笑っていた。
「対価だ・・・。身にしみろ。」
峰寿に触れた瞬間だった。
ボッ!
それは蒸発するように消えてしまった。一瞬の苦い声も、一瞬の断末魔もない。幸せを感じる余裕も、苦しみを味わう余裕も与えなかった。躊躇無く、それは消されてしまった。
蒼い、蒼い深い色。それでそまるこの部屋で。赤い血にまみれた男は消えた。


On***28 終わり




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