この世とあの世は壁一枚

「音華ちゃんっ。」
エリカが後ろから声を掛けたので振り向く。縁側で一人死呪の暗記をしていたところだ。
エリカは横にちょこんと座った。桃色の髪の毛は相変わらず鮮やかだ。
「何してるの?」
「死呪。」
「昨日芳ちゃんと香、取りに行ってきたんだって?」
頷く。
「それから。依頼の下見も一緒に行ったんでしょ?」
思い出してぞっとした。
「・・・大丈夫?」
エリカはそれを悟ったように言った。
「最初はね。ほんっとに怖いのよね。霊。」
「・・・・エリカも最初は怖かったのか?」
「あったりまえ。私はもう物心着いたときから全部見えてたから・・・・・・。小さい時なんて生きて居ることが恐怖だった。」
「・・・・生きている事が・・・・?」
「ちっさい頃なんて暗闇だって怖いものじゃない?なのに、全部見える。この世界が異界に見えて仕方がなかった。見わけもつかない時だってあったしね。」
笑う。
「見えるって、結構目を付けられるのよ。だから、何度も危ない目に遭ったし。」
「危ない目。」
「超怖かった!思い出したら眠れないもの!」
「・・・陰陽師でも怖いって思うんだ。」
「少なくとも私はね。でも、最近は、あんまり。でないとやってけないから。怖気づいたら調伏なんてできないから。」
音華はふーん、と言ってまた死呪に眼をやる。
「今日さ、芳ちゃん依頼人の人に会うんだって。」
「・・・・・・あの家の?」
頷く。
「音華ちゃんも、一緒に会う?」
黙った。正直なところ、関わりたくなかった。だけど。知りたいとも思った。
アレは、なんだ。
「会うんだったら、多分3時だったと思うよ。菖蒲の間で。」
「・・・・分かった。」
「多分芳ちゃん、喜ぶよっ。」
喜ばせたいとは、特に思わないが。

「で、なんだお前は。」
エリカ、嘘ついたろ。
「や、俺も、話一緒に訊こうかなとか。」
「いらん。」
エリカ、俺はこいつを殴りたいんだけど。
「あっそ。ならいいよ。別に。」
音華はため息をついて引き返そうとした。
「お前。」
「・・・・・・・・・・・なんだよ。」
「怖くないのか?その体質で。危険なのは分かってて一緒に聞きたいと思ってるのか?」
「・・・・・・・話聞くだけだろ。何が危険なんだよ。」
「・・・それもそうか。いいぞ。来い。」
なんなんですか。音華は言った手前引けなくなり、芳河について菖蒲の間に入った。
中年の夫婦が行儀よく座っていた。
「こんにちは。」
芳河もその前に正座して座る。音華は胡坐をかこうとしたが芳河にこづかれたので正座する。
畜生。
夫婦は見た目、とてもやつれてるようだった。
この夫婦があの部屋を?疑問だった。
「来ていただいて、お手数かけました。」
芳河がいつもに増してかしこまった声で切り出した。
「一度、あの家に行きました。ひとつふたつ、訊きたい事があります。出来るだけ、答えてください。」
夫婦は頷く。どこか悲しそうな顔だ。
「その前にもう一度お話いただきたい。あの家で起こったこと。」
音華は耳を傾ける。彼らの話に。
曰く、それはまるでテレビに出てくるような幽霊屋敷で、鳴り止まない奇怪な音や、夜中の何ものかの気配や、実際に見たと言うこの世の物とは思えないもの。
「・・・それは白い化け物だったのか?」
音華はふと声を出してしまった。芳河がこづく。
「あ、いえ、私が・・・私たちが見たのは・・・・・・・・。」
声が消える。
「?」
「特に気になる点は、ありましたか?」
芳河がフォローするように言った。
「例えば、その奇怪な出来事はいつも、同じ場所で起こった、だとか。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
夫婦はうろたえるような眼を見せた。
「2階、からじゃありませんでしたか?その物音は。」
「は・・・初めのうちは・・・でも、最近は。」
「えぇ。家全体が憑かれていました。」
芳河は一息おいて告げた。
「2階に上がりました。」
「!」
夫婦はどきっとしたようだった。
「左奥の部屋を見ました。」
「・・・そんな・・・あの部屋には鍵が・・・・っ。」
かけてあったのだろうか。かかってはいなかった。少なくとも音華が入った時は。
「かかってはいませんでした。家を拝見する許可を得ていたので、入りました。」
夫婦は明らかにうろたえていた。
「・・・あの部屋に、住んでいます。」
その瞬間。うっ・・・といきなり女性が嗚咽で苦しそうな声をだした。夫はそれを支える。
「あなた方に、お子さんはいらっしゃいませんか。」
芳河はそれでも問いただす。女性は苦しそうに何かを堪えていた。
「正確には、いらっしゃいませんでしたか?」
「うぅ・・・!」
堪えきれなくなったように彼女は泣きだした。大きな声で。
音華はどう対処していいか全く分からずに、芳河を見た。芳河は驚くほど冷静だった。まるで見越していたようだ。
「あれは彼の部屋ですね。」
泣き声を無視するかのように芳河が言った。
女性は何度も叫んだ。泣いた。音華には何があったか全く検討もつかない。
「ほ、芳河。」
「あそこに住んでいるのは紛れもなくあなた方の息子さんです。ひどく苦しんでる。」
苦しんでる?
あんな風ににぃっと笑うあの、化け物が?
「一刻を争います。一つ訊きます。あなた方はあの家をどうしたいですか。」
「・・・どうって・・・それは・・・・。出て行くわけにはいかない・・・。」
夫のほうが答える。
「なんとかしてくれ・・・お願いします・・・!」
頭を下げた。それはもうひれ伏すほど。
一体何があったんだ。音華は怖くなった。
「なんとかはします。ただ、おそらくあなた方の協力が必要です。」
「協力?」
「えぇ、明後日もう一度私があの家に向かいます。早く行かなければ、間に合わなくなります。あなた方も一緒に来ていただけますか。」
「・・・・俺達は・・・・っ。」
「そちらの都合に合わせます。ただ、できるだけ早いほうがいい。あいている日を教えてください。」
「・・・・・・・・・・絶対に、俺たちも行かなくては駄目か。」
「絶対です。一度は。」
「・・・・・分かった。」
男はひどく辛そうに頷いて、妻を抱き起こし、立ち上がった。
「ありがとうございます。」
一礼して、彼らは間を出た。
音華は、彼らが居なくなるのを確認して、芳河をもう一度見た。
「・・・・・なんでそんなことまで分かってたんだよ。」
「霊視だ。あの時見てわかった。」
「・・・霊視って、できるもんなんだ。」
「鍛えればな。訓練がいる。お前もそのうちやるんだぞ。」
いやだ、とは言わしていただけそうにない。
「で、その霊視によって、あの部屋はあの人たちの子どもだとわかったわけだ。」
「あぁ。」
「冗談だろ。あの部屋が子どもの部屋?」
莫迦だ。
「だってあの部屋見ただろ。あの釘の数。見ただろ。」

釘だらけの部屋。無数に壁に撃ちこまれた釘。
窓のない世界。引っかかれてビリビリになっている畳。
壁にも無数にある引っかき傷。多々ある綱。これもブチブチ千切れている。
黒いゴミ袋がたくさん散らばってた。

「頭おかしかったんじゃねぇか?」
芳河は立ち上がった。音華も立ち上がる。痛い。足がしびれてる。
「なぁなんでそんなに急ぐんだ?」
「何がだ。」
「さっきから一刻を争うって言ってたろ。」
「あぁ。・・・息子の霊が完全に悪霊になる。早くしないと、取り返しのつかない化け物になる。」
十分化け物だったけど。
「そうなったら、危険度は増す。言葉が通じるうちに調伏しないと。・・・・なんだ?」
じっと見てくる音華に芳河は気付く。
「それ、俺も行くべきなのか?」
「お前は来るな。危なすぎる。」
「・・・・・・・・・そっか。じゃあお前ひとりで行くのか?」
「おそらくな。今週末には他の奴らも帰ってくるが、待ってる間はない。」
「・・・・・・ふーん。なぁやっぱ、俺も行っていいか?」
芳河は驚いてた。
「どういう風の吹き回しだ。来るな。足手まといだ。」
「や、だって、あの女の人。泣いてた。」
「誰でも泣くだろう女なら。」
「むかつく言い方するなお前。もてねぇだろ。」
「お前に言われたくないな。」
殴ろうかしら。
「なんでもいいけどさ。此処まで関わって最後まで関われないのって、なんか嫌な感じがするんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・下手に真面目だな。お前。」
芳河が感心したように見た。喧嘩売ってる。
「俺は基本真面目なんだよ。」
「・・・・・・・・・婆やに訊いておく。だが、駄目だと言われたら、絶対についてくるなよ。」
「わかったよ。俺もそこまでどっぷり関わりたいわけじゃねぇから。」
ただ、あの夫婦に何があったのか知りたかった。
息子が居なくなって、あんな風に親は泣くんだと思った。
自分の母親は、やっぱりあんな風に声を上げて泣いたんだろうか。

「行きたいて?」
婆は驚きと感心が混ざった笑い顔で言った。
「えぇ。」
芳河が頷く。緑茶を冷ます。
「またいきなり。何が起きたんや?」
「分かりません。ただ依頼人が泣いたこと、気にしていたようです。」
「えらい正義感やね。」
「そんな風には見えませんけどね。」
ひどい言われようです。
「ふむ。」
婆は考え込んだ。
「ただ、どう見る芳河。今回のこと。」
「簡単にはいかないでしょうね。アレだけの霊響、なかなか市井で見る事は出来ませんよ。」
「・・・なるほどな。音華もそのうち立会いはしてもらうつもりやった。」
「では?」
「あの子が興味を持ってるんなら、それもええやろ思う。」
「・・・・・危険ですよ。」
芳河が呟く。
「危険はいつだって隣合わせや。」
「・・・確かに。」
「条件や。」
「条件。」
「芳河、お前が音華に結界を張り。」
「・・・結界。」
「勿論それはお主には重荷になりかねん。だが、こうせい。」
婆はにっと笑った。


「行っていいことになったぞ。」
音華は振り向いた。死呪の本を片手に縁側で涼んでいたところだった。
「マジでか。」
「なんだ、今更怖気づいたか。」
「・・・別に。」
本に再び目を向ける。芳河もそれに目を向ける。
気付いた。
本は既に貸した時よりも随分ボロボロになっている。
「・・・読み込んでいるんだな。」
「ん・・・?あぁ。悪いな。結構ぼろっちくなっちまった。癖なんだ。」
「癖?」
「勉強すると、いつも教科書がボロボロになる。」
「ほぉ。」
「で?」
「なんだ?」
「いつ行くんだ?それ。」
「明後日だ。夕方5時に。」
五時。まだ明るい時間だ。なんとなくほっとする。
「分かった。」
「音華。」
「なんだよ。」
もう一度振り向く。
「お前は俺の近くから離れるな。それが条件だ。」
「おぅ。」
「それから、邪魔だけはするなよ。」
「しねぇよ、ムカツクな!」


明後日は今日になった。

五時。また黒い変な物体に運ばれて、山を下り、車に乗り込んだ。
あの家に着いたとき、すでにあの夫婦はいて、妻の方は苦しそうにしていた。
「こんばんは。」
芳河が挨拶をすると夫婦も丁寧に挨拶をした。
音華も半無理矢理に挨拶させられた。挨拶くらいできますけど。とは反論せず。
「二階に一度一緒に上がっていただきたい。」
「・・・・しかし。」
「我々は陰陽師です。言いたくない事ならば言わなくても構いません。ただ、一緒に来ていただきたいだけです。」
「・・・・はい。」
夫婦は歩いて門開ける。
「・・・音華。」
「おう。」
芳河は音華の方に振り向いて、一歩近寄った。
「んだよ。」
「ビン・カ・ラ」
「!」
パチン!
何かがはじけた音がした。
「な・・・何したんだよ。」
「結界だ。お前が変なことをしない限り解けないだろう。ただ、離れるなよ。」
「・・・・お、おう。」
音華は芳河の後ろを小走りで追った。
音をたてて開いた扉は、見ただけで背中を何かが撫でる。鳥はだが立つ。
薄暗い家、4人は上がる。音華の頭の中がぐらりとした。なんだこの異臭は。
なんで全員が涼しい顔をしているんだ。鼻がもげそうなのに。
音華は持ってきた香を握り締めた。
階段の前で夫婦が立ち止まった、戸惑っているように見えた。だけど芳河が促す。
二人はゆっくりと階段を上り始めた。芳河について音華も一歩ずつ階段を上る。
夫婦は2階に上がると足を止めた。
「あの部屋です。」
芳河が指をさす。廊下はごちゃごちゃしたままだ。
妻のほうは震えだしていた。
「いつものように、あのドアを開けてください。」
「・・・いつもの・・・・。」
「名前を呼んで、二度ドアをノックして、そしてノブを回す。」
「・・・どうして。」
霊視ってやつですか。
女性は恐る恐る廊下を通って、物をどけ、そしてドアの前に立つ。
「・・・・た・・・。」
声が震えてる。夫のほうが拳を握ってるのが見えた。
「・・・たけるちゃん・・・。」
震える手で、ドアをノックする。ドン、ドン。重たい響き。
ノブに手をやって、彼女はゆっくりとノブを回す。がちゃん、と音がする。扉が開く音がする。
「開けてください。」
彼女は泣いてた。目をつぶってドアを開けた。そして開けた瞬間に顔を伏せ、逃げるように夫の元に戻ってきた。彼女は夫の胸で泣いた。
「・・・音華。」
芳河が小声で音華を呼んだ。
「見えるか。」
「・・・・見えるよ。」
ごくんと、喉を鳴らす。確かに、確かに、ドアに、開いたドアに、指が掛かっているのが見える。白い指。
「でも・・・多分俺が前見たのとは違う。」
声が震えた。
「・・・だろうな。」
そのドアの向こうから、ゆっくりと、ゆっくりと、肩が、頬が、そして顔が覗いた。音華はいっそうきつく香を握った。
男の子だった。中学生くらいかな。大人しそうな、男の子だった。
表情は何故かよく見えない。だけどそう思った。
「お母さん・・・。」
そいつが呟くように話した。その声は嫌な響きを持っていて、音華は耳を引っかきたい衝動に駆られる。
夫婦にはそれは一切見えていないし、聞こえていないようだった。
「お母さん。」
また呼んだ。
あ、眼が。
「やっと開けてくれた。」
にぃっと笑った。その瞬間に音華の全てが凍りついた。
「芳河・・・っ!」
そういった瞬間だった。
シャン・ガ・ラ!
芳河はそう云って、指で空を切った。バチン!と何かがはじける音がした。
音華は何か自分の体の周りに異変が起こったと即座に感じ取った。
瞬きの瞬間に、あの白い男の子が、目の前に居た。
まるで引き寄せられたように。異常なまでの引力で、引き寄せられたかのように。
「うわあああああああああああああああああああ!」
音華は叫んだけど、何かがもう遅かったんだろう。見えなくなった。
ドサ・・・!音華は倒れた。それに夫婦は怯えた。
「・・・なっ・・・!何が起きたんですか・・・!?」
「動かないで下さい。」
そして懐から一瞬にして札を幾枚か取り出し、尖ったクナイを袖から取り出した。
オン・アビラテイケンウンカカカオノガコエオノガシンナンジサスハカミ・・・!
そう叫んで、天上に向かってその札と、クナイを投げた。ストン・ストンという音がして、それらは天上に刺さった。
グガガウガウグアウアウグウグアウウガウアウ・・・・・・・・・―――!
悶え苦しむ声がする。白い異形の化け物が天上に張り付いて苦しんでいる。
芳河はその化け物を睨みつける。目の前でうろたえる夫婦なんてもう見えてない。
「・・・お前が、音華が見たやつだな。」
「グウウウウウ!」
蜘蛛のように何本も手足がある。それは、体から生えている。不規則に。ただ面のような白い顔は笑っていた。
霊気がすごい。寒い。芳河は自分から吐き出される白い息に気付く。
すごい霊圧だ。
「何が、起こってるんだ・・・・!」
夫が叫んだ。
「鬼ですよ。」
「鬼!?」
「たけるくんの霊に便乗して、集まった鬼たちの塊です。・・・・よくこれだけ育ったものだ。」
彼の霊の念の力強さがいかなるものかを語るようだ。
メキ・・・クナイが音を立てた。このままでは抜けてしまう。強い。
ウン!
芳河がそう叫ぶとクナイはより強く白い体を突き刺した。唸る。
サンガカワオノガコエオノガシンコレカミノウデカカカシャンズン・ウン・・・ッ!!!!!!
バチン!といって、より一層強くそいつを縛る術を放つ。そいつは唸るが、身動きはとれないようだった。
ひとまずは、動きを封じた。
その瞬間。
がっ!
「・・・っ!」
芳河の後ろから掴みかかった。
「・・・の・・・阿呆!」
芳河は振り払おうとする。音華を。音華はすごい形相をして芳河に掴みかかる。
夫婦はうろたえているが、逃げ出すことができないようだった。
「何が起こってるんですか!?」
叫ぶ。
「うろたえないで下さい・・・っ!音華!」
振り払おうとする。だが、すごい力で掴まれている。女ではないだろうこれは。
「・・・とに、大した口寄せ体質だ。」
舌打ちをして芳河は懐から一枚札を出した。
「オン!」
バシィ!何か閃光が走ったように見えた。その瞬間に音華の手は芳河から離れた。
「・・・・選択を間違えたな。」
思った以上の憑依だ。
この体質を利用してたけるくんの魂と鬼を引き離すことには成功したが、音華の中に入った彼の怨念が音華の力を借りて、増長した。
婆やもここまでは想像してなかったか、音華の性質の強さを。
音華の身体はよろめいた、だがまだ立っている。
「・・・お前は、あの部屋の人間だな。」
夫婦はびくっとして、音華を恐る恐る見た。
「答えろ。さもなくば、今より苦しい想いをすることになるぞ。」
音華は芳河を睨んでいた。だが、ゆっくりと頷いた。
夫婦は肩を寄せ合い震えた。
「何が望みだ、何が欲しい。何故死して尚此処に残る。」
「・・・・・・ううう。」
唸る。音華の声ではない。泣き声のようだ。深い井戸の底から聞こえてくるような声だった。
「泣くな。今楽にしてやる。」
「・・・・て。」
低い声が響く。
「・・・お母さん・・・・・・タスケテ。」
ガクンと音華の頭が夫婦のほうを向いた。それは不自然で、それは、震えてて。
「ひ・・・っ。」
妻の方は顔面蒼白で今にも階段まで走り出していきそうだった。
「お母さん・・・・て・・・・。お母さん・・・・・。」
「惑わされないで下さい。」
芳河が冷たく言った。
「聞け。」
音華は芳河の方は見ないが、喋らなくなった。
「お前の名は。」
「・・・・・・・・・・・・おか・あ・・」
「オン!」
バシ!!!!
「ぐああううううううううっ・・・・!」
「答えろ。」
芳河は殺気を放ちながら言った。時間がない。
「うううう・・・・・・・・・た・・・・・げ・・・・・・る・・・・・ううううううううううう。」
「さっきの質問だ。何故、死して尚ここに残る。」
「ううううううううううううううううう・・・・・・・・っぐううううう・・・・」
「答えろ。」
芳河の頬にも一滴の汗が流れた。
「・・・・こ・・・・。」
「こ?」
メキ。
「こ・・・・・・・こ・・・・・・―――」
芳河はじっと、音華の目を見つめる。睨むように。
「邪魔・・・・・・スルナ・・・・・・。」
メキ!!!カーン!
「!」
クナイが天上から落ちた。金属音が響いた。
「っ・・・く!」
芳河がばっと天上に目を遣るその瞬間に「オン!」と叫んで指で空を切る。
バチィ!!!!!!!!
間一髪のところで、そいつの白く、伸びてきた腕は芳河に届くことはなく弾かれた。
だが、ガクガクとそいつの身体は、他のクナイも揺らし、あと少しで自由になろうとしている。
芳河は床に落ちたクナイをすばやく掴んで投げようとした。
がし・・!
「!」
「うううううううううううう・・・・・・・・」
音華の手が芳河をまた掴んだ。邪魔をする。
「・・・・・ちっ・・・・!」
舌打ちをするが、このままではうまくクナイを投げることは出来ない。
芳河は肘で音華を突き飛ばそうとした。が、躊躇した。一瞬。
「・・・・・・・っ阿呆が・・・!」
「阿呆はそっちだろうが・・・・・っ!」
「!」
突然手が緩んだ。
ずるりと音華の体が、芳河から離れる。
「・・・・ば・・・・か・・・野郎・・・・!」
ぐらり、ぐらりと一歩二歩、離れる。苦しそうに悶える。
芳河は、一瞬驚いた顔を見せたがすぐに正気に戻り、クナイを投げて術を唱えた。
バリバリ・・・!と天上の板が裂けかねない音がして、白い化け物は再び不自由の身になった。
「・・・音華・・?」
芳河がすぐに音華のほうを見た。音華は真っ青な顔をしている。だが、まだ憑依は続いている。
押さえつけているというのか?なんの術もなしに?
「・・・・・ここから・・・!・・・・だせって・・・・!出せって言ってるぞ・・・・・!」
「・・・・・?」
芳河は何が何だか分からなかった。この声は、この意思は音華のものだ。
「・・・ッばっか野郎・・・!」
ぼろっと音華の目から涙が出た。
「出してくれよ・・・!出してやれよ・・・・!
ぼろぼろ泣いている。芳河には訳が分からなかった。こんなケースは見た事がない。
憑依しているが、外に出ている意思は確実に音華だ。じゃあ、この言葉は?
「なんで親がそんなことできるんだ・・・・っ!」
叫んで、ガクンと倒れかけて持ち直した。
「・・・・音華?!」
「・・・・ううう。」
元に戻った。また、あの男の子だ。
「此処から出せ、と言ったな。」
頷く。
「・・・そこは、何処だ。」
ぶるぶる震える腕を持ち上げて、奥の左の部屋を指差した。
「・・・そこに居るんだな。」
頷く。
「・・・他に、望むものがあるか。」
「ううう・・・・。」
また腕を持ち上げて、夫婦を指差した。
「・・・安心しろ。同等の対価を払うことになる。」
「・・・・ううううう・・・。」
またボロボロと涙を落とした。
「去ね・・・。」
バシ!指を組んだ。
オン・アンビツウシャンカカカオノガコエオノガシンワカミノコエサスガツイハカミノツイ!サンシャン・ビカラウン・オン!
ぼっ!
「ガウウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
彼は叫んだ。
同時に天上に貼り付けられた白い化け物も醜い声で叫び出した。もがくもがく。ガタガタガタと天上が揺れる。
夫婦はこの異様な現象に怯え縮こまる。
「オン!」
バシッ!!!!!!
一瞬眩い光が射したと思ったら、其処に残ったのは沈黙だけだった。
夫婦は目を丸くしていた。音華はガクンと膝をついて倒れた。
「・・・音華・・・。」
芳河が手を伸ばした。その瞬間にバシン!という音がしてその手ははじかれた。
「!」
「・・・・・・・・ぶっ殺す・・・・!」
「音華・・・!」
ガバっと立ち上がったが、思ったように足が動かない。
だが行かなくては。
音華はズカズカとよろめきながら奥の扉へと向かった。其処らへんに置いてある物は足で蹴飛ばしながらすすむ。
「き・・・君!」
男が止めようとした。だが、止まるわけがない。
ガターン!と乱暴に扉を開けて部屋に入る。相変わらず、異常な部屋だ。
床に転がっている金槌をみつけ手に取る。音華はそのまま助走を付けて壁に向かい、思いっきり、力いっぱい壁をぶん殴った。
ひどい音がする。そして馬鹿力だ。あながちあの音華の腕の力は音華の身体能力にすぎなかったのかもしれない、と芳河は思った。
その馬鹿力で壁は見る見る崩れた。夫婦はうろたえて何も出来なかった。
「・・・・・・・・・苦しかったろ・・・・・。」
音華は呟いた。そこから顔を出したのは、言うまでもなく、彼だった。
「・・・・・・・・苦しかったよな。」
音華はゴトンと金槌を床に投げ捨て、くるりと振り向いて、ゆっくりとこちらに向かってきた。
そして。
ガッ!
夫の方の胸倉を鷲づかみにした。
「!」
「てめぇら・・・・!」
すごい剣幕だった。
「止めろ。音華。」
芳河が腕を引っ張って止めた。
「!・・・・・芳河・・・!」
「俺達は陰陽師です。初めに言ったようにここからは管轄外です。」
「てめぇ何言って・・・・・・―――!」
「もうこの家に、彼の霊は現われないでしょう。お礼の方は、こちらにお願いします。」
白い紙を渡して礼をした。
そして音華の腕を引っ張ったまま部屋を出て床に転がったいくつかのクナイをひらって、階段を降りた。
音華は離せ、ともがいたが、芳河は完全にシカトして家をさっさと出た。そして目の前に止めてあった車の音華を少し乱暴に押し込んだ。

車は不規則に、揺れた。
沈黙だった。
芳河は真っ直ぐと前を見て一言も話さなかった。
「・・・・・・・・・・・なんで止めた。」
「・・・・言っただろう。俺たちの管轄外だ。」
「ふざけんな・・・っ・・・・!」
音華はばっと振り向き、芳河を睨んだ。
「あいつらが・・・っあの息子に何したか解ってんのか!?」
「・・・知らん。」
「長い事閉じ込めて・・・釘で動けないようにして・・・何度も・・・!」
言葉に詰まった。
「・・・・・・虐待の挙句、殺してしまった、というところだろう。」
「・・・・・・・・・・・・っ・・・・・!」
音華はそう、さらりと言ってのける芳河に嫌悪した。
「だが、俺たちの仕事はそれを裁くことじゃない。悪霊を消すことだ。それが陰陽師の使命だ。」
「それだけかよ!」
「それだけだ。それ以外のことは俺たちの知るところではない。」
ボクッ!
ひゅっという音の後、右手が芳河の頬を殴っていた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
芳河は黙った。
「・・・・・・・・っそうだよな。」
音華は震える声で言った。
「そうだ。お前らはそういう奴らだ。」
子どもすら勝手に捨てる奴らだ。
「俺を連れてきたのだって、こうやって使うためだけだったんだろ。」
腕の袖をまくりあげた。そこには、きっと彼についていたんだろう縛られた跡が浮かび上がっていた。
芳河はそれを見て心の奥で驚いた。
こんな短期間の憑依でここまで影響を受ける人間。異常なまでの口寄せの体質。
しかし、それよりも。それほどまでに深く憑依されていたのに彼女の意識は一度確実に表に出てきたということ。精神力。
「・・・・・・大ッ嫌いだ。」
ごつん。車に頭をぶつけた。そして外を見て、顔を伏せた。
「お前らなんか、大ッ嫌いだ・・・・・・・・っ!」
音華は、きっと泣いていた。
あの時の涙は、彼のものなんかじゃない。音華自身の涙だった。

on*** 8 終わり



 

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