袴を着ることになれてきた。

数日が過ぎた、早朝。
「よぉ。」
「早いな。どうした。頭でも打ったか。」
芳河が本を閉じて言った。縁側に腰掛けている。
「あのなぁ、清清しい朝から気分悪いんですけど。」
音華の顔が歪む。
「そりゃすまなかったな。」
「何読んでんだ?」
「祖父の本だ。」
「ふーん。」
音華が何気なく芳河の隣に座る。
「なんだ。本当に頭を打ったのか。」
「なんだよ座っちゃいけねぇのかよ。」
「いや、お前から寄ってくると変だ。いつもは呼んでも嫌々しか来ないくせに。」
「あぁ、目が覚めちまったから、気晴らし。」
そういって音華はふーっとため息をついた。
「煙草吸いてぇな。」
「未成年だろ。」
だって、もうずっと吸ってない。此処に来てから。
「お前、今日は俺と来るか。」
「は?」
「今日、俺と町まで降りるかと言っている。」
「・・・此処、出ても大丈夫なのか?」
「俺がいれば問題ないだろう。短時間だ。」
首は縦に振った。
実をいうと。此処を出れば、今日だけでもエリカと会わないですむと思った。
エリカが嫌なわけではない。ただ、彼女を見ると、いろいろ考えてしまう。それがうっとおしかった。
それに、暗記することでパンク寸前な頭を休ませたいとも思った。

行水も何もかもとりあえず一通りはやらされて、ふてくされた音華は支度を終え門の所で芳河を待った。
女を待たすとはいい度胸ですね。
芳河は来るなりため息をついた。なんだそのため息は。
「なんだよ。」
「いや、お前が式神を使えたらな、と思っただけだ。」
なんだ、畜生。とは言い返さない。やりあっても無駄だから。
そう思った瞬間に芳河は指で口笛を吹いた。正確には草笛だった。美しい音が鳴った。甲高く。
音華は何故かそれが懐かしく感じた。
5秒もたたないうちに、絶対にこの世のものではないと確信できる車がやってきた。車と言っても馬のない馬車のようなもので、よく分からない黒い影がその車を担いでいる。脚は長く、手も長いが胴も長い。馬が立ち上がっているような変な形だ。指などの細部の分かれ目は見られない。触れるのかも分からない。柔らかいのか硬いのかも想像がつかなかった。音華はごくんと息を呑む。まさか、ではあるが。
「これに乗れってか。」
「よく分かったな。読心か。」
ため息をついて狭いその車に乗りこんだ。
「お前も乗るのか。一緒に。」
音華が嫌そうに芳河を見る。
「お前が自分で呼べるなら万事順調なんだがな。」
「悪かったな、不調のため、一緒に詰め込まれることになって。」
「まったくだ。」
殴っていいですか。
バタンと車の戸は閉まり、動き出した。速いのか遅いのか分からないスピードだ。
窓がある。すだれで隠れているが。
「外は見るなよ。」
それを察したように芳河が言った。
「何かを持っていかれる。」
「例えば。」
「・・・最悪は心だ。」
「ルパンか。」
芳河は無視した。洒落も通じない男だ。
「何処まで行くんだ。」
「そんなに遠くない。」
正確な場所は言わない。言うつもりがないのが判り音華はそれ以降聞かなかった。
「まさかとは思うけど、霊とか払いに行くんじゃないよな。」
「払いたいのか。」
「いらねぇよ。」
「安心しろ。会うのは人間だ。」
ムカツク言い方ですこと。

ガタン。と床が揺れて車が止まる。芳河が出る。なんだか空気が軽くなったようだ。音華は深く息を吸って芳河に続いて車を降りる。山を下ったところらしい。だが後ろを振り返ると道はなかった。
山を下っただけか。そうだよな。あの変な車で町まで出たら大騒ぎだもんな。音華は考える。
芳河が何かをその黒いものに与える。するとそいつは背をむけて元来た道、そう呼べるかは謎だが、を引き返した。
「こっからは歩きか。」
「まさか。車を使う。」
「じゃあ最初から使えよ。」
「運転手がいない。」
「お前運転できねぇのか?」
「そういう問題じゃない。こっち側の山を下るには自動車では無理だ。」
芳河は目の前におもむろに止まった車に近寄っていく。音華はそれについて行く。
「乗れ。」
「・・・へいへい。」
音華は大人しく車に乗りこんだ。難解なやつらだ。
10分ほどで車は止まった。始終無言だった。芳河の整った顔を見る。芳河は静かに車から降りる。
見た事もない町だった。閑静で、坂道が続いている。
「こっちだ。」
ついて歩く。ちょっとばかり自分の袴姿がこの町に浮くのが恥ずかしかった。芳河はそんなこと気にする様子は微塵もない。サラサラゆれる彼の髪の毛。整っている。一体何を考えているのか全く分からない。
1つの大きな屋敷の前で足は止まる。古びた日本の家って感じだ。黒ずんだ木製の塀の木目がやたら神聖に見える。禍々しい感情で暴れる霊なんかをはねつけそうだ。
芳河は黙ってその家に入る。インターホンとか、鳴らさないんですか。
だけど、門をくぐると玄関の雨戸が開いて中から静かそうな老人が、穏やかな微笑をもってでてきた。まるで来るのが分かっていたようだった。芳河が挨拶をすると彼は挨拶を返しそれから音華を見た。穏やかな顔だ。
「音華ちゃんかね。」
「・・・・はい。」
音華はなんでかかしこまって頷いた。
「はじめましてやね。」
京方言が耳に響く。音華は黙って頷きその老人の微笑みを見た。彼はただ笑ってた。
「さ、そろそろ来るおもてたから、用意はできてるでな。」
「ありがとうございます。」
芳河は頭を下げ彼の後ろについて家の中に入る。音華も遅れをとらずついて入る。家の中は不思議な感じがした。さっき塀を見た時と同じ印象だ。此処の空気はなにものも邪悪なものは寄せ付けそうになかった。良い香、というか、なにか香の香りがした。見た感じ、伝統的な何かを作る大きな老舗の家のようだ。
「どないかな、今度の出来は。」
老人は芳河に何かを見せる。大きめの袋だ。中に何か粉々になった草のようなものが入っていた。
芳河は暫らくそれを見つめ、手に取り匂いを嗅いだ。
「いつもどおり文句なしの上物ですよ。」
「ほんまに。」
えぇ、と芳河が柔らかい表情をして見せる。
「なんだ、それ。」
思わず訊いてしまった。二人が振り返る。
「香だ。」
「・・・こう?」
「それも、唯の香じゃない。退魔の香のひとつだ。」
「・・・たいま?」
訳が分からない。ある種の麻薬だろうか。
「簡単に言うとやね。」
老人が微笑みながら言う。
「魔除けのためのお香みたいなもんやね。」
「魔除け。」
頷く。
「他にも、いろいろあるんやで。ほら。これも。」
他の袋も見せてくれる。香のする葉っぱがたくさん入っている。
「・・・・へ−。」
感心したように音華は見つめる。
「興味あるかね?」
「・・・爺さんが作ったのか?」
「あぁ。せや。なんなら見てみるかいな?」
「作ってるところを?」
「その蔵を。」
「・・・・うん。」
音華は興味深げに頷いた。老人は誰かを呼んだ。すると白い着物を着た男が出てきて、音華を案内すると言った。
「わしはまだ芳河殿と話があるから、音華ちゃんはゆっくり見ておいでぇな。」
老人は笑って手を振る。音華は頷いて男の後ろをついて歩く。じつはこういう伝統工業に興味があるタイプだった。
二人が行ってしまうと老人は微笑んで芳河を見た。
「似てへんなぁ。」
「そうですね。」
「かわいがっとるんやね。」
「俺が?」
頷く。
「じゃなければ、こんなところまで連れて来んやろ。」
「・・・気晴らしが必要だと思っただけです。今、寺にはエリカが来てる。思うところが在り過ぎるでしょう。」
「芳河殿もな。」
芳河は黙る。
「奇妙な縁や。でも、何も音華ちゃんは知らんのんやろね。」
「・・・えぇ。話して、ませんから。」
老人は頷く。分かっていたようだ。
「お父様は元気かね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。おそらくは。」
「変わらんね。その調子では暫らくあっとらんようだ。」
頷く。
「音華ちゃんは、陰陽師になるんかい?」
「えぇ。」
「本人が望まずとも?」
「・・・えぇ。」
老人は微笑みながらも目を閉じた。
「宿命かね?それとも。」
「・・・どうでしょうね。」
一寸の間。
「守ってあげぇね。」
「・・・・・俺が?」
もう一度訊く。老人は頷く。
「若草殿みたいな目には、もう遭わせへんように、したり。」
「・・・・。」芳河は黙る。
「陰陽師になるのが宿命でも、若草殿と同じ目には、宿命が何を示そうと遭わせたらあかんよ。」
「・・・・はい。」
芳河は、頷いた。

「芳河。」
音華は後ろから声を掛けた。芳河は振り向く。
「見ろよ。これ。」
「・・・なんだ。」
音華は自慢げに小さな紫の袋を掌に乗せて芳河に見せた。
「俺が入れた香。」
「・・・お前が?」
「おう。」
芳河が手に乗せてその匂いを嗅いでみた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰かに教わったのか?」
「いいや?」
芳河は何も言わずに匂い袋を返すと、老人のほうを見た。
「破魔やね。」
「ハマ?」
音華が尋ねる。老人が頷く。
「強力な結界になるで。肌身離さず持っとき。」
「おう。ありがとう。」
音華は満足げに笑った。
そして芳河の後に続いて車に乗り、その屋敷を去った。
老人は一人で呟く。
「若草の破魔やね。」


「随分楽しそうだな。」
「ん?んん。俺。結構ああいうの好きなんだ。」
「・・・似合わないがな。」
「殺していいですか。黙ってください。」
ふっと芳河が笑う。
「なんだよ。」
「や、お前なら大丈夫だろ。」
「は?」
「阿呆にゃ、なにも効かん。」
「殺すぞマジデ。」
芳河は笑ってた。
「・・・用って、これだけか?」
質問してみた。芳河が振り向く。
「や、だって、これだけのことのために俺を連れてきたのか?」
「暇つぶしには物足りないか?」
首を振る。
「だって、気色悪い。」
「何がだ。」
「お前がそんなに親切なのが。」
「親切で連れてきた訳でもないがな。」
あぁそうですか。
「でも、なんだったら、このままお前もこい。」
「未だなんかあるんだ。」
「仕事の、下見だ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・下見?」
なんかあんまりいい予感はしません。


車は止まる。
「此処だ。」
「・・・・・・・・・・・。」
音華はあからさまに嫌そうな顔をした。だって、なんか。
「なんか、気持ち悪い。」
「・・・どう気持ち悪い。」
芳河が音華を見た。
「お前気持ち悪くねぇのか?だって・・・此処・・・!」
気分が悪くなってがなる気にもなれなくなった。口を抑える。
「さっきの香を、しっかり持っとけ。」
「・・・・・おう。」
音華はぎゅっと香を握りしめた。いい香がした。
「確かに、ひどい霊圧だな・・・・・よくこれまで放っといたものだ。」
芳河が呟いた。
見渡す。白い家。
閑静な住宅街なのに、薄暗い。
「なんなんだ此処。」
音華が訊いてみる。
「依頼人の家だ。」
「・・・・・・・どんな依頼だよ。」
「そうだな、いわゆる・・・幽霊屋敷、ってやつだ。」
「・・・オバケ屋敷・・・?」
「・・・・・・お前の単語能力にはしばしば驚かされる。」
うるさいんですけど。
「入らないのか?」
家の前で立ちつくしたまま、不審者に見られても仕方がないほど家を凝視しているんですけど。
袴は目立つ。
芳河は何も言わずに歩きだした。そして家の敷地に入っていく。
「おい!インターホンくらい鳴らせよ!」
ガチャン!
「え。」
鍵は開いていた。
「・・・空き家なのか?」
「今はな、実家に避難しているらしい。」
でも、だからって勝手に入っていいものだろうか。
「うわ。」
音華は一歩入るなり、その薄暗さに驚いたというか、汚さに驚いた。
「汚ったね・・・。」
蜘蛛の巣が張っているし、なにか気持ちの悪い匂いがする。
「家を開けてからまだ一週間もたっていない。」
「へぇ?」
それはないだろう。
「お前耳は痛くないか。」
「え?・・・いや、まだなんとも。」
そうか、と芳河が呟いて、じっと玄関で止まったまま中を見つめていた。音華はなんとなく背中に悪寒を感じた。
「霊響がひどすぎる。なんだ・・・?何処から出ている?」
独り言だとわかるので音華は黙って芳河の背中を見つめ続ける。正直言って此処から今すぐ出たかった。
できることなら芳河のその着物をひっぱってつかまっていたいくらいだ。そんなことしないけど。
一言で言うと、恐怖しか感じない。この家。
「入るぞ。」
「えぇ!?」
思わず叫んでしまった。
「なんだ、怖いのか?」
「・・・っんなわけないだろ!入る!」
そんなわけで、この汚い家に入ることになった。入ってすぐに階段下の物置の扉が見える。その横にキッチンの扉。真っ直ぐ進み、左に曲がり階段を見上げる。本物のオバケ屋敷は初めてなんで、勘弁してください。とは、言えず。
芳河は黙ったまま、階段を睨んでいた。
「・・・・居るな。」
何がですか!とは叫べない。
「やっかいなものが住んでいる。音華。」
「え?は・・・っ、おぉ。」
芳河はびびってるだろう、と言っていじってくることはなかったが、音華の挙動不審に小さなため息をつく。
「しっかりさっきの香持っておけよ。」
「・・・おぉ・・・。」
握り絞める。
芳河は階段をきしませながら昇り始めた。上るんですか!とは、言うまでもなく、叫べない。
階段は大分嫌な音を立てる。耳障りで、鳥肌が立つ。足を進めれば進めるほど、なんだか吸い込みにくい空気が濃くなる。息が出来ないわけではないが、吸い込みたくないのだ。
「電気は付かないらしい。気を付けろよ、足元。」
優しいお言葉ありがとう。音華は足元を見ながら昇りきった。
「芳河。」
顔を上げると、芳河は先々左奥の部屋に入るところだった。
「ちょっと待てよ。」
あわてて追いかける。ドアが閉まる前に、ドアノブを引っ張って音華もその扉を開いて中に入ろうとした。
心臓が止まった。
と思う。
ドアの裏側には、ドアノブを左手で握った異形の白いモノが音華を見上げていた。
声を上げることは、できない。息をひゅっ・・・と飲み込んだ。
芳河は何処へ行ったんだ!確かにさっきこの部屋に入っていったのに。
ソイツはにぃっと笑った。気持ちが悪い。なんだこの耳鳴りは。音華は息が出来てない事にやっと気付く。
窒息しそうだった。もはや意識が遠のきそうだ。ソイツはゆっくりと手を伸ばしてきた。
拒むことは、できない。首元に手を遣ってもがくことで精一杯だ。
「・・・・っ芳河・・・・っ!」
叫んだ。だけどその声は何処にも届くことのない程小さいもので。
あと1cmでソイツの白い手が届く。触れる瞬間に終わる、それは確信で。
バチィン!
「!!!」
その手が一瞬にして破裂するように空気に融けた。何が起こったかは解らない。
「!?」
ただ、その瞬間に、息が出来た。
「なんだ!?」
声も出た。ソイツは悲しそうな笑いを見せてうっすらと消えた。
「どうした!」
芳河が後ろから来た。
「!芳河っ・・・お前・・・何処に・・・・っ。」
ばっと開けたドアの向こうの部屋を見た。何も居ない。ただぞっとした。
芳河が後ろからこの部屋を見つめた。人が自分の背中にいることがこんなに安心できるとは思わなかった。
「此処だな。」
「・・・・っ此処に・・・っさっきまで・・・白い化け物が・・・っ!」
振り向いて芳河に訴えた。
「見たのか。」
「見たって話じゃねぇ!あいつ手を伸ばしてきて・・・そんで・・・!」
「触れられたのか?!」
芳河が驚いた。汗が見える。
「・・・・・いや。触れそうな瞬間に・・・破裂して・・・・・。」
「・・・・・・・・・破魔か・・・。」
「ハマ?」
「その香だ。香に救われたんだ。」
「・・・・この、香・・・?」
じっと見つめる。胸元の香。芳河も見つめた。
「・・・・・・・・強力だな・・・・・。」
ここまで、か。
芳河が呟く。音華が芳河を見つめる。
「なんにしても、此処から出るぞ。というか、お前どうやって此処まで来たんだ。」
芳河が引き返しながら言った。
「へぇ!?俺はお前を追いかけて・・・・・・・。」
言いかけてぞっとした。この2回左奥の部屋への廊下は人が容易に通れるものではなかった。
物が散乱し、炬燵の卓で遮られ、此処は立ち入り禁止区域のようになっていた。
「・・・来た時は何も・・・・!」
「俺はこの部屋を見てたんだぞ。」
左手で指差す。階段を上がってすぐ正面にある部屋だ。
「・・・・・・・・っ。」
音華はただぞっとして仕方がなかった。此処は現世か?
「ただ、分かったな。」
「え?」
「この家の、根源。」
「・・・・・・・・・あの部屋か。」
芳河は頷かないが、それはイエスだろう。
音華は思い出してまたぞっとした。
あの部屋は、なんの部屋だったんだろう。
「依頼人にあう必要があるな。」


on7 *** 終わり


 

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