・・・お母さん。

はっと目が覚めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
夢だった。夢で慣れない人のことを呼んだ。
「・・・・・今更・・・・。」
お母さんもねぇよな。
「というか婆。あいっつ、全部教えるとか何とかでかいこと言いやがって、なんにもはなしゃしねぇじゃねぇか!」
気付くのが遅い音華も音華だ。
「・・・。」
だけど、自分から訊くのは、嫌だった。母に対する幼稚な執着心とか、そんなふうに下手に感じ取られるのが嫌だった。嫌だった。

そう言えば、此処の暮らしにも少しは、慣れたものです。もともと朝は早かった音華は、朝きちんと起き、そして超嫌々行水。
後に朝ご飯を芳河と二人で頂きます。そのあと、良くわからない読み物や、実録の物の怪払いの書を読まされる。
そして時に、よくわからない電話に出たり。その電話越しの男にクソ陰陽師ですと名乗ったり。そのあと式神で縛られたり。
慣れたものです。
「つーか。此処。本当に人いねぇんだな。でけぇだけだろ。」
朝ご飯中。マナーはイマイチ慣れぬ様です。
「・・・居るには居る。」
「何処にだよ。」
「今は修行月で、留守にしている。山籠りだ。」
「ほー熱心なこった。」
「お前も後にするんだぞ。」
「お断り。」
ボリボリ、沢庵を食べる。可愛げもイマイチです。
「そういや、お前、あの婆の孫なんだっけ?」
「いや。」
「あ、そうなんだ。お前、1人で此処に住んでんのか?」
「婆やも居るだろう。それから他にも・・・」
「そうじゃなくて。親とか。そういう類のだよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
味噌汁かきこむ。女の子らしさ、ゼロ。
「親は、外の寺住まいだな。」
「ほー。そうなんだ。」
「・・・。」
「・・・そうなんだ。」
ふっと笑った。その表情に影があるのは、芳河は見落とさなかった。
「若草殿はな。」
「!」
ばっと顔を上げて芳河を見た。無意識です。
「澄んだ霊力を持っていた。純血の巫女だった。」
「サラブレッド・・・・ってやつか?」
軽い言い方をします。
「お前とは似ても似つかない感じだった。」
「ケンカ売ってる?それとも褒めてる?」
「前者だ。」
死ね!
「それで?すげー優しくて、お前は大好きでしたって話か?」
音華はからかうように言った。
「あぁ。そうだな。」
「・・・。」
ずくんと、心が一瞬うずいた。
「よくしてくれた。」
「・・・そうかよっ。」
なんだろう。この胸のつっかえは。
「そりゃよかったな!」
ご飯もかき込みます。女の子のかけらは皆無。

「音華。」
「んだよ。」
「乱れてる。集中しろ。」
「してる。」
下手に綺麗な水盆にむかって音華は睨めっこ中だ。
「・・・・・・・・・つーか。俺の母親は、此処にずっと居て、俺みたいなことしてたのか・・・?」
「集中しろ。」
「答えろよ。」
ひかない。
「・・・しない。若草殿は、純血だからな。霊力もすべて、磨かなくとも備わっている。」
「あーそー。」
「あぁ、だが、此処から出ることは、殆んど出来なかった。」
「・・・・なんで。」
「霊山に居なければ、立つことも出来ない体だ。」
「・・・・・・・・・・なんだそれ。」
本当にそれ、自分の母親なんですか。
「じゃあ俺、此処で生まれたのか・・・?」
「そうだな。」
「・・・・・・・・・・ふーん。」
音華は、睨めっこをやめて、改めてこの家をぐるりと見つめた。なんだよ。此処は生まれた土地というやつなのか。
故郷と、呼ぶには相応しくないので、そういう概念は即座に頭から消えたが、音華は暫らく黙って考え込んでいた。
「・・・。集中しろ。」
「してる。」

「声がする。」
音華は、芳河の後ろについて歩いていたが足を止めた。
「声・・・?」
「声がするぞ、誰か帰って来たのか?」
「そんな筈はない。修行月は、月末まで・・・・・・・・・・。」
言いかけて芳河は黙る。
「?なんだよ。」
「お前今日は夜、部屋から出るな。」
「は?」
命令ですか。
「1歩たりともだ。」
「なんでだよ。」
「何故この時期に・・・。」
「は?」
ちょっと答えてください。
「婆や。」
「芳河。」
婆が現われて芳河が歩み寄る。
「これは。」
「うむ。まちがいなかろうな。」
また二人で納得ですか。教えてください。
「なにがだよ。」
声はまだする。ヒソヒソ声にしては良く聞こえる。そう言う声が沢山聞こえる。
「貉の婚礼だ。」
「ムジナ?」
「狸、といえば、わかりやすいか?」
「狐じゃねぇのかよ。」
「狸でもない。」
「どっちだよ。」
婆はふっとため息。すみませんね、どうも。
「得体は知れぬ。だが群れを成しこのような霊山に住みつく、犬のような、狸のような、鼬のような姿のモノどもだ。」
「・・・悪質なものなのか?」
「得体は知れぬ。ただ存在する。善からぬ事をするものもおるようだし、何もしない物もおる。」
婆が言う。
「人間とおんなじじゃねぇか。」
音華が呟いた。二人は一瞬止まった。
「・・・そうだな。そうだ。」
婆は頷いた。
「だが主は部屋から出るな。危険が及ぶおそれがある。」
「婆はいいのかよ。」
「我らもできるだけ外へは出ぬ。こういう日は、じっと彼らが通り過ぎるのを待つんじゃ。」
「・・・婚礼なんだろ?」
「狐火のようなものが飛び交う。蛍のような、黄色や橙の光だ。」
「・・・。」
「それは主にはよくない。目に毒だ。」
「・・・・・・・・・・分かった。」
見たいとも思った。さぞ美しかろうな。と思った。美しさと恐ろしさ。そういったものが一緒にある世界。
此処はドコなんだろう。そう思った。

夜が来る。風が妙にざわめいていた。
部屋のふすまも障子もきちんと閉めて、音華は早めに敷いた布団に寝そべった。
「・・・・・・・・・・。」
じっと天上を見つめ、考えていた。母親のこと。
この部屋に母親は居たのだろうか。どんな姿だったんだろう。
婆のように式神を遣ったり、芳河のように呪文を唱えたりしたんだろうか。
そういえば、芳河と婆の変な呪詛は、いつでも最後は同じ括りだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
なんだっけ。
たしか。
「・・・・・。」
そうだ。
「オン」
ボッ!変な音がした。急に視界が閉ざされる。
「!?」
跳び起きた。急に暗転した部屋に、目が慣れない。
はっとした。
障子のむこう。
「狐火・・・・・・・・・・・・。」
違う。
「ムジナ・・・・・。」
無数の焔。無数の影。無数の囁きと、無数の戦慄。
音華は無意識のうちに障子に近寄っていた。近寄って障子に触れた。魅せられた。
嘘みたいに美しい光が描く点描。息を呑むことも忘れる。
「・・・・・・・。」
ト・・・。と障子に触れた瞬間だった。
トロっと、障子が熔けたように感じて、音華は、障子をすり抜けていた。
そんなことに心は動かない、もう目の前にある焔に心は奪われた。
「嘘だろ。」
此処はドコだ。
音華は、ようやっと息を呑んだ。
「・・・・あれは・・・。」
1人の女が、ぼんやりと浮んでいた。霊なのか、ムジナなのか、なんなのか。そんなのわかんない。
でも、美しい女がひとりうっすらと微笑んで、立っていた。
なんでだろう。心が疼く。心が、揺れる。直感した。
「母さん・・・・・・・。」
眉間にしわが寄って言葉を失った。だって。だってこの女。絶対に母親だと思った。
その女が、ゆっくりと手招きするじゃないか。優しい微笑で。笑いかけるじゃないか。
言葉が出ない。無意識に立ち上がっていた。美しい焔の点模様にももう目もくれない。
包まれるような光に、足が動くんだ。
足の裏が芝生を踏んでいる。そんなこと、ぼんやり理解している頭。
目の前に居る女が、ゆっくりと歩きだす。待って、と心が言った。
「待て・・・っ。」
口が言った。
「母さん。」
何処から来たかわからない確信。どうしようもない心と言葉。美しい異界のような風景。
「母さん!」
往ってしまいそうな女の手を思いっきり引っ張った。瞬間だった。
うわっと、世界が変わった気がした。焔が一気に消えた。暗闇に落とされた気がした。
手を離す。ばっと振り向く。そこに、自分の部屋の障子は無い。
「・・・・・・・・・・・・・・・っ。」
此処にきて、急に頭がさえて、正気になった。
「まずい・・・。」
直感した。
でも、ぼんやりとした光と共に、あの女は微笑んで手を伸ばした。
「・・・・・・お前は・・・誰だよ。」
苦しかった。苦しくて吐いた台詞だ。
「お前・・っ誰なんだよ!」
母さんなら、答えてくれ。そう思って、もう一度、掴んだ。
そしたら、自分がふわん、と浮んだ気がした。

―――――俯瞰だ。
女が1人、女が1人。小さな部屋に。見覚えの或る部屋に。ひとり。
しとりと、座ってただ黙っている。美しい着物を着ている。
なにかに出てきそうな姫のような女だった。
しとりと、座ってただ黙っている。なにかを縫っている。
銀の糸で、なにかを縫っている。
はっとした。
なにかは、文字で、白い小さな衣に縫っている。
『紫音華』
あぁ。
音華は心が疼いて仕方なかった。泣きたいような、叫びたいような心。
「ごめんね・・・・・・・・・・っ。」
急に衣を抱き閉めて泣き出した女の声が、驚くほど綺麗で。
音華は、泣きたい気持ちで心が揺れた。たぷん、たぷんと、揺れた。


「音華!」
大きな声で、はっとした。暗闇から現実くさい世界へ。
右手を、芳河が掴んでいた。
「・・・・・・・・・・芳河・・・。」
「何をしている!」
「え。」
そう言われて初めて気付く。自分の場所に。
「・・・!」
あの祠のある沼への階段。後1歩で落ちるであろうこと必至。
「・・・・・・・・・・・・・・・い・・・。」
「部屋から出ただろう!」
「で・・・出たって言うか・・・!障子が熔けて!」
いいわけだ。障子に近寄ったのは自分。それが良い行動だったっていう自信はない。
「・・・。」
芳河が汗だくだという事に気付いて、音華は反省した。
「あと少しでまた危険な目にあうところだったんだぞ。学習しろ少しは。」
「わ・・・・・・・・っ・・・・・・・・・・・。わるい。」
素直に謝った音華に芳河は少し拍子抜けした。
「・・・まぁいい。帰るぞ。」
「・・・・・・・おう。」
下を向いて、音華は、呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
沈黙の帰り道。虫の声がしないのは、きっとムジナがどうとかそういうことだろう。
「・・・何か見たのか。」
「・・・え・・・?」
「ムジナの婚礼に誘われると、その人間が通るといわれてる道に、なにかが現われるという。」
「・・・・あぁ。あれ、招待状だったんだ・・・。」
音華は少し複雑な顔で笑った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・なにも・・・見てない。」
「・・・・・。そうか。」
「なにも・・・見えなかったよ。」
「分かった。」
そうか。
ムジナがなんなのか、知らないけれど。
わかんないけど。
少しだけ感謝した。
危ない目にあったのも分かってた。でも。感謝した。
芳河にも。一ミリくらい、感謝した。
お母さん、の笑顔に、泣きたいと思った。

On***5話 終わり


 

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