猪鹿蝶に月見酒。

「はぇ?」
「なに寝てる。」
「・・・・・・・・・・・うおぁああ!」
峰寿が大きい声を出してのけぞった。
「びびびびびびびっくりしたぁぁぁ!?え、何!ここ何処!」
「俺に部屋だ。」
「あー・・・びくったー。そっか。休憩してたら寝ちゃったんだ・・・・。って今何時?」
「3時。」
「あ、よかった。15分も寝てない。」
「・・・何の用だ。勝手に入るなよ。」
「なんだよ、別につかえそうな本も持ってねぇくせに。」
「・・・。」
ガラっ。急に障子が開いた。
「芳河っ。」
音華だ。
「次から次へと・・・。」
「なんだよ。なぁお前花札持ってねぇ?」
「・・・花札?」
「エリカがやろうって言うんだけど、なんか見つかんなくってさ。持ってねぇ?」
「ちょっと待て。」
芳河は立ち上がって棚の引き出しを開き、小さな箱を取り出した。
「これでいいか。」
「うん。十分。欠けてなければ。」
頷く。
「ありがとう。あ、峰寿。峰寿もやるか?花札。」
「・・・・・・・・・・・・音――」
芳河が何かを言いかけた。
「ううん。いい。」
峰寿はにこっと笑ってそう言った。だけど。
「嫌いなんだ。俺。花札。」
「・・・・・・・・・あ・・・・・・そっか。」
だけど、どこかに、鋭い感情が、見えた。
「じゃあな。」
音華は部屋を去る。沈黙が残る。
「・・・・・・・・・やっぱり。」
芳河が呟く。
「やっぱり、まだ嫌いなんだな。」
「まだっていうか、きっと永久、とわに嫌いだよ。あんなもん。」
「・・・・・・・・・・そうか。」
「大ッ嫌いだ。」
目をつむる。

「お腹、大丈夫―?」
エリカが訊く。猪が取られた。
「・・・まぁ、ちょっと伸びとかしたら痛むかな。慣れてる慣れてる。」
慣れてる?エリカは疑問で首をかしげる。
「月見!」
「あ!ずるー!ちょっとねばって、こいこいとかしてよー!」
「俺、チャンスは逃さない。」
「ひっ卑怯!」
エリカはばたっと倒れた。今回、勝ち越した。
「音華ちゃん。」
「ん?」
札を拾いながら音華はエリカを見る。
「・・・・・・・・・なんでもない。」
にこっとエリカは笑った。
「・・・?」
音華はあの日以来、少しも落ち込んだ様子を見せない。
芳河の事も、あやの事も、きっとまだ整理できていないはずなのに。
芳河にはいつもどおり接するし、笑顔だって見せる。
それとも思い過ごしで、本当はもう整理できてるのかな。
エリカは起き上がって札をまとめるのを手伝った。
「峰寿って、花札嫌いらしいぞ。」
「え?」
「変わってるよな。百人一首が嫌いって言うんなら分かるけどさ。ルールしらねぇのかな。」
「・・・あー。や、知ってると思うよ。でも多分・・・。」
「多分?」
「弱いんじゃない?」
「あはは。ガキだ。」
音華は笑った。
「芳河は?」
「芳ちゃん?芳ちゃん・・・つっよいよー・・・・。」
「・・・あ、そうなんだ。」


「聞いたで。音華、見事に調伏したんやってな。」
「えぇ。」
婆やはキセルを手に笑った。
「お前は手を出さなかったらしいやないか。」
「えぇ。」
「必要がなかったからか?」
「はい。」
「・・・ふむ。」
満足そうに笑った。
「思ったより、使えるようやな音華も。」
「・・・えぇ。ですが、怪我をしました。」
「きいた。言霊衆をかばってやろ。大したタマや。女子なんかほんまに。」
「多分。」
「風間が言霊衆の連中が驚愕しとったと言っとった。そんなに凄かったんか。音華は。」
「・・・えぇ。術の威力は、威力だけなら。俺やエリカにも匹敵するでしょう。もちろん、荒いですけど。制御できてないと言ったほうが正しいです。」
「調整の問題やな。・・・芳河。」
「はい。」
「あと半年も面倒を見なくて済むかもしらんぞ。」
「・・・そうかもしれませんね。」
「そしたらお前は向こうの修行に専念せい。」
「えぇ。」
芳河は立ち上がった。
「峰寿はどうだ?」
「峰寿?」
「なんでも、蔓が峰寿と婚約したくないと言ったらしいじゃないか。」
「特に傷心しているようには見えませんけど。」
「そうか。いや、いい。峰寿の事は姫様に任していた。」
婆やは煙をはき出した。
「・・・何か、あったんですか?」
「たった今、蟲が飛んできた。」
「・・・蟲。」
「峰寿 幸正が死んだ。」


「・・・・・・・・・・・・・まだいたのか。」
「んー・・・・・っ。」
鼻に抜けない声で峰寿は言った。畳の上にうつ伏せで倒れている。
「休憩は、そんなに長いのか。」
「・・・今日から一週間。お休み。」
「・・・。そうか。」
起き上がらない。
「・・・ご愁傷様。」
「・・・どうも。」
沈黙。外はもう真っ暗だ。伸びてきた日も、やはり6時には落ちる。
机の上、峰寿の頭の横に、花札が置かれていた。きっと音華が置いていったんだろう。
「大ッ嫌いだ。こんなもん。」
峰寿が呟いた。芳河はその花札を手に取って、引き出しに戻した。
「俺も明日行く。」
「来るな。」
「・・・峰寿。」
「来るな。お前が来ると音華ちゃんも来る。」
「・・・音華に知られたくないのか?」
「知ってると思うよ。俺が、姫様の従者やってるって。」
「そうじゃない。」
「知られたくないよ。」
「・・・音華は、此処の人間とは違う。そんなこと、関係ないと言うだろう。」
「分かってるよ。」
顔をピクリとも上げない。
「姫様は、来ないんだぜ。」
「・・・行けないんだろう。」
「はっ。そうだよな。知ってるよ。でもさ・・・。」
「峰寿。」
「ごめん、芳河。」
謝った。
「俺、ちょっと今、何言うか分からない。」
「・・・構わない。」
「絶対、音華ちゃんには、エリカにも、何も言わないでくれな。」
「あぁ。」
「俺・・・・っ・・・姫様の事・・・殺してやりてぇ・・・・!」

月が啼いた。耳鳴りがするんだ。これはきっと、この白い月の泣き声だ。


絶え間ない、雨音。
「帰れ!此処はそこらとは違う!女は入れぬ掟なのだ!」
「女と男では霊力の質が違うのだ!我等のような洗練されたほどになってくるとな・・・!!!」
男達はいう。口々に言う。24年前の、この社。雨の中の、この、社。陰陽一門の屋敷。
門の前に立つ女性は恐ろしいまでの綺麗な目で、彼らを見据えて言い放つ。
「核人を出しなさい。男女を比べるというのなら、その差。見せてもらおうではないか。」
男衆は、声を荒立てたその時。
「待ち。」
「核人!!!」
後ろから静かにやってきたのは男だ。落ち着いた姿はそこらにいる男とは違う風格を放っている。
「お引き取りくださいな・・・。ここは古くから男のみ・・・」
静かに女に言いきかす。
「では―――」
女が口を開いて、パシっと取り出した。
「花札で決めよう。本当に男の方が、強いのか。」
「花札。」
「手っ取り早いだろう。一度でも私がまければ、此処をすぐに去ろう。」

バチンっ
札がはじかれる。周りはしんとしていた。耳鳴りがするほど、しんとしていた。
「・・・・・・私の勝ちだな。」
「・・・・・・・・・。」
勝てない。
一度たりとも、勝てない。
男は女を見据えた。
落ち着きを払っている。
底が見えない。底無しの霊力。そして、圧倒的な、この威圧感。
誰だ、この女は。
何度やっても、勝てない。
「・・・名前を訊いていなかった。」
口を開く。
「名前は。」
「もう一度。」
男は無視して札を並べだした。
「・・・・・・・・・・・・・・。分かった。ならば、賭けをしよう。」
「賭け?」
「私が勝てば、お前の名前をもらう。」
「・・・・何を・・・・。」
「お前が勝てば、私のこの魂をやろう。」
「・・・お前。」
「最後の一番だ。いささか、花札にはあきた。これで、終わりにしよう。・・・怖気づいたか?男なんだろう?女とは、違うんだよな?」
この女は、怖い。

そうして、名前は奪われた。

「峰寿 幸正。」
彼女はその名前を口にした。
「花札の契約だ。100代まで、効力を持つぞ。」
周りのものはもう、息を飲むしかなかった。
「私はお前の場所に座る。お前の名前はもらった。その証として、側に仕えろ。」
「・・・・・お前・・・・、もとから・・・このつもりで・・・。」
彼は睨もうとするが、彼女の前で顔を上げる事が出来ない。
「此処は、私がもらう。此処は、今日から、私の一門だ。」

全てが目まぐるしく変わるのは、そのすぐ後。


「蟲・・・・・・。」
エリカが呟いた。
「・・・・・・・・・・・そう。」
立ち上がる。
蟲の音だったんだ。この耳鳴り。
「峰寿・・・っ。」
峰寿の部屋御訪れた。だけど、そこは空っぽだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・芳ちゃんのとこか・・・・。」
芳河の部屋へと、走り出す。
「峰寿・・・っ!」
障子をあげた。ノックなし。だけど、そこにも、誰もいなかった。
「・・・・・・・・・・水くさい・・・・。」
エリカは俯いた。
耳鳴りはまだ続いてる。

「俺も・・・結婚なんかしたくない。」
車の後部座席で、峰寿は呟いた。
「・・・蔓とか。」
「蔓ちゃんと、じゃないよ。誰とも。」
俯いて、顔がよく見えない。
「子どもなんか、絶対作らない。」
拳が見える。
「こんな呪い。俺がこの手で消してやる。」
夜の闇に白い月が美しく光る。芳河はそれを見つめながら、峰寿の言葉を聞く。
町の光が見えてきて、その光が窓に筋を作る。沈黙が、車に充満する。
小さい頃から、陰陽師になることは決まっていた。
学校に行かないことも、決まっていた。
それから、敗者と、周りに言われ続ける父親の、あの場所に座るということも、決まっていた。
最初から。全部決まっていた。
誰も、何も、言わなかった。だけどなんとなく分かっていた。
自分は、負け犬だ。と、周りの眼がそう言っているのを。
拒んだ時もあった。
陰陽師になる事を嫌だと思った事もあった。
父親の役目を継ぐ時に全て話された。
それで初めて、自分に向けられていた目の意味と、それから、この場所の異常さに気がついた。
逃げられないものが自分に覆いかぶさって外れない。
苦しい。
もがく。
だけど、どうにもならない。
溺れてしまう。
姫様を憎もうとした。だけど、うまくいかなかった。
憎んだって、自分は彼女の言う通りにしか動けなかった。
此処は、この一門は今、彼女のものなんだという証として、印として、傍にいなければならなかった。
彼女に食事を運ぶ。そして、自分はその後、深い夜、一人で食事を食べる。冷えた飯をもう一度自分で温めなおして。
時には自分で作らないといけない時もある。
下の者は、自分で作って喰えと。そういう考えを持ったやつの意図らしい。
蔓ちゃんが生まれた時に、自分の結婚相手が決められた。
他の誰でもなく、姫様に決められた。次の呪いを受け継ぐ人間をこいつと作れと、言われた気がした。
それすら、拒めなかった。
呪いでなのかなんなのか。拒めなかった。
いつか。命令で、感情すら失われるが怖かった。
そうして愚かな行為を、自分はしてしまうのかと思うと、かき消したくなった。
「芳河?」
声をかけた。随分長い事沈黙していた。顔をあげて芳河を見る。芳河は外を見て黙っていた。
「芳河。」
「なんだ。」
「・・・俺さぁ。死のうと思った事も、あったんだ。」
芳河は答えない。こちらも見ない。
「そしたら終わるんじゃないかって。いつだったかな。そうだ。正月だ。俺が家継いだすぐ後の。」
「・・・3年前か。」
「かな。多分。笑う?」
「笑わない。」
「笑えねぇもんな。」
「あぁ。笑えない。」
ははっと峰寿は笑った。やっと芳河が峰寿を見た。
「3年だぜ。」
「・・・・・・あぁ。」
「・・・3年、あったんだぜ。」
「・・・知ってる。」
「姫様は、親父の見舞い、一回だって行かなかったんだ。」
「あぁ。」
「・・・俺だって・・・。・・・・・・・・たった・・・・―――」
そこで言葉が途切れた。
峰寿は右手でまぶたを抑えて、あわてて下を向いた。


「あれ?芳河は?」
朝、朝食、芳河がいない事に気付く。
「いない。」
「・・・・・・・・・・あ・・・、そう。」
あれ?なんで、機嫌が悪いんだ?
エリカが険悪なムードを出していた。
「エリカ?」
「何?」
「花札、負けた事、まだ根に持ってるのか?」
「・・・・はな・・・・―――」
エリカが怪訝な顔をした直後、吹き出した。
「あははっ、違うよっ!おっかしー音華ちゃん!」
「だ、だって。」
ですよね。恥ずかしいからそんなに笑わないで下さい。
「だって、エリカ、なんか、怒ってるからさ。」
「・・・・・・・・・・・・怒ってた?」
うん。間違いなく。
「・・・・うーん。」
笑って頭をかいた。
「結局さ。」
「うん。」
「結局、男の友情の中に、女は入っていけないんだなって、思っただけ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「やだやだ!むっさいの!ばーか!」
「???」
なんなんだ一体。


「ありがとうな。芳河。」
線香の煙ですこし靄がかった部屋で、峰寿が呟いた。
「いいや。」
「送ってくれて・・・ありがとう。」
峰寿は目を閉じて、暫らく沈黙した。
「・・・はー・・・。」
ため息。
「やだなぁ。これから葬式だぜ。俺、喪主やんなきゃなんねぇよ、この歳で。」
頭をかいた。そして目の前に横たわる父親を見つめた。
「・・・・・なぁ、芳河。」
「ん。」
「お前、俺より先に死ぬなよ。」
「・・・なんでだ。」
「お前が俺、送ってくれ。」
「・・・お前、ちょっと感傷的になりすぎだ。」
「あははっ。かもね。でもさ。」
芳河をみる。
「俺も、あの曲がりなりにあの一門の陰陽師なんだ。だから、・・・一門の誰かに送られたい。死神じゃなくて。」
「・・・・分かった。」
「ありがとう。お前、まじで、愛してる。」
「気持ち悪い。」
「あははっ!」
背をむけて部屋から出る。


「ただいまぁ・・・・・・・・・・・・って・・・・・・・・・・。」
エリカは思いっきり睨んだ。
「・・・やっぱ、怒ってる。どどどどどどうする芳河。」
「どうするもこうするもないだろう。」
ひどい殺気が突きつけられてますが。
「エリカ。」
「なによ。触んないで、むさいのがうつる!」
なんだそれは。
「エリカ。ごめん。本当に。まじで、謝るよ。ごめん。」
峰寿が必死にいった。
「・・・・・・、莫迦。」
呟いてエリカは俯いた。
「行っちゃう前に、一言ぐらい・・・何か言わせてよ。せめて。」
「うん・・・本当にごめん。ごめんな。」
エリカは峰寿をぎゅっと抱きしめた。
「・・・心配したんだからね。」
「うん。」
峰寿は抱きしめ返すことなく、ただエリカの背中を二度優しく叩いた。
「ありがと。エリカ。」
腕を放してエリカは、息をつき笑ってみせた。
峰寿も、笑ってみせた。それは、とても乾いてしまった笑顔で。
「エリカ。」
芳河が手を差し出す。
「謝れ!」
怖い。
「悪かった。」
「・・・・。いいよ。」
もう一度笑顔をして、エリカはその手を取って握手をした。
「ねぇ峰寿、今日、一緒にご飯食べない?」
「え?」
「一週間、自由なんでしょ?だったらあと4日あるじゃない。だったらさ、一緒にご飯食べよう。」
「・・・・・・・・・・・・・あ・・・。でも。」
「大丈夫、頼んどくよ。いい?」
「・・・うん。嬉しい。」
エリカはニコっと笑った。
「よし。じゃあ、あとでねっ。芳ちゃん!音華ちゃんのところにちゃんと行くこと。分かった?」
「音華がどうした。」
「お腹。」
「・・・・また痛んだのか?」
「傷、消してあげて。霊の付けた傷だから治り早いけど、まだちょっと痣が残ってたよ。私、治癒の術上手く使えたことないから、変なことになったら嫌だし、芳ちゃんがやってあげて。」
「・・・・・・・・・・・・・・。わかった。」
「じゃ、またねっ。」
エリカは走り去った。
「・・・一緒に風呂入ったのかな?いいなぁ、うらやましー。俺も一緒に入りてぇ。」
「・・・・・・お前、その発言、エリカの前でして来い。」
「やだ。殴られる。」
ふっと芳河は笑って歩きだした。
「ね、俺も行っていい?一緒に。」
「セクハラで訴えられるぞ。」
あはは、と峰寿は笑った。


On*** 41 終わり




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