道は死ぬ運命に在った。

「姫ちゃん。」
何故か、私のことを姫と呼んだ。
「若草様。」
榊が彼女に気がつき微笑んで迎えた。
「姫様、若草様ですよ。」
「榊まで姫と呼ぶことはないだろうに。」
「姫ちゃん。ねぇ、お手玉しよう。お母様が、くれたの。」
若草は、消え入りそうなほど儚い、しかし何処か強い笑顔をしていた。
まるで一人きりの自分に、実の妹が出来たような気がして、くすぐったい日々だった。

北の霊山に住んでいた。
寒さは厳しかったが、浄化された空気と水に満たされていた。
純血の若草の親と子は、この霊山から出ることなく暮らしていた。
若草とは、もう若草が生まれた時から一緒にいた。
美しい少女だった。
聡明で、思慮深く。そして霊力は恐ろしいくらい澄んでいた。
私は修行という名目で一人、この霊山に榊と二人で暮らしていた。
実際には、あまりに強大な力を持って生まれてしまったので下界で暮らすには、影響を及ぼしすぎるということで、霊山に住まわされたというほうが正しい。
ただそんな生活は悲しくはなかった。榊はよくしてくれたし、若草が居た。
日に日に膨れ上がっていく自分の力に少し不安があるくらいだった。

「ごほ・・・っ。」
「・・・風邪か、若草。」
「・・・うーん。」
眼をこすり、若草は言った。
「だけどお父様もお母様も・・・ずっと苦しそうにしていらっしゃるの。」
「・・・身体には気を付けておけ・・・。ここは酷く冷える。」
「うん。」
にこっと笑った。
だけど数日後、若草の母が倒れた。
すぐに、彼女の元へと向かった。一つの仮定が胸に在ったからだ。
「・・・一夕様。・・・これは・・・。」
「えぇ・・・。」
彼女は憂って、頷いた。
「この霊山は、そう長くは持ちません。」
「・・・・・・・・・やはり・・・・。」
「私たちが此処に移り住んできた時、この霊山の空気の純度は今の数倍でした。」
「・・・毒・・・ですね。」
「えぇ。この山の霊力は落ちています。何かに汚染されてしまっている。」
「・・・・それは・・・。」
「入り口です。」
「え?」
一夕は強い目をしている。若草似ていた。
「入り口が、近くの集落で開きかけたのがきっかけでした。」
「・・・魔窟か・・・。」
頷く。
「それ以降、どんどん空気が・・・穢れていった。その穢れは・・・――」
「人。」
「下界の毒。」
彼女は儚く頷いた。
「毒と呼ぶべきかは分かりません。ですが、私達にとっては紛れもなく害を及ぼします。」
彼女は苦く笑った。
それは止めようにも食い止めることのできない大きな黒い波だった。
じわじわと迫りくる黒い影に、私は何もする事ができなかった。
こんなにも力があるのに。無力だ。虚しい。

若草の悲しそうな後姿を見るのがとても辛かったのを覚えてる。

「姫ちゃん・・・。」
「なんだ。」
「お母様・・・死んでしまうのかな・・・・。」
「・・・死なない。」
「本当に?」
「死なせない。」
そう言うことでしか、彼女を励ます事ができなかった。そしてそれは嘘になる。
「姫ちゃんは凄いものね。」
にっこり笑った。
「姫ちゃんは、誰よりも強いもの。姫ちゃんがいれば誰も悲しい想いをしなくてもいいのよねっ。」
「・・・あぁ。」
若草は純粋に、私の手を取って大喜びした。
「ありがとう姫ちゃん。」

一つの冬を越え、春が来たとき、一夕様は亡くなった。

私は一つ。約束を破った。
約束は契約だ。契約を破った式神や、万物は、滅びの罰を与えられる。
私は?私は、若草の涙をふいてあげるしかできなかった。
彼女の涙で袖が濡れるほど、私の心は痛んだ。

一夕様が亡くなって、数ヶ月たった頃、今度は若草の父である義正様が倒れられた。
若草が随分取り乱していたのを覚えてる。
「姫ちゃんっ・・・姫ちゃん・・・っ姫ちゃん助けて・・・!」
泣いては私にそう請うた。
そんな時、私は義正様に呼び出される。
「姫様。」
笑って彼は私を部屋へ招いた。
「・・・義正様まで、姫、ですか。」
「はは。いいじゃあないですか。若草がいつも姫ちゃん姫ちゃん言うものだから、もう姫という名がしっくり来ますよ。」
「・・・まぁ・・・構いませんが・・・。」
私はなんだかくすぐったくて下を向いた。
「若草を。」
「え?」
突然笑顔を消し、彼はそう言った。
「若草を、頼んでもよろしいですか。」
「・・・・・・・・・・・・義正様・・・・・・・・。」
「私はもう長くは持ちません。でも・・・おそらくは、若草も・・・・もうそんなには長くありません。」
心臓を貫いた。言葉。
「私はもう十分に生きた。」
「そんな・・・まだ・・・。」
「いや、生きたよ。」
微笑んで彼は首を振った。
「一夕と若草にであえた。私は十分幸せだった。」
何も言えない。そんなことない、まだまだ生きてください、そう言いたいのに、そんなことできない。
「だが・・・若草は未だだ。」
彼は手をさすって言った。随分細い指だった。
「まだ、何も知らない。愛する人に添う喜びも、子が生まれる喜びも・・・何も知らない。」
「・・・・・・・・義正様。」
「無理を承知で言うのです。」
「はい。」
「この霊山に代わる、霊山を探してください。」
「・・・・・霊山を・・・?」
「えぇ。私たちの身体は、霊山の中でしか生きられない身体です。それは変えようがない。だが、生きる場所ならば変えられる。新しい住みかを探してもらいたいのです。」
「・・・そんな・・・・。」
「榊殿をお遣いなさい。彼女には実は話は通してある。貴方の許可があればすぐにでもこの山を降り、探しに行こうと言ってくれた。」
榊、そういえば何か話があるような顔をしていた。
「お願いします。どうか・・・若草を・・・・・。」
「・・・・・・・。」
私は手を握り絞め、そして頷いた。
「絶対に。」
私が若草を助けよう。そう心に決めた。
今度こそ、約束は破らない。そう決めた。
たとえ修羅になろうとも。

榊は直ぐに山を降りた。榊のいない家は寂しかろう、と正義様は私を家に招いてくれた。
「婆や、どこにいったの?」
「・・・なに、すぐに戻る。」
私はそう言って若草の頭を撫でた。
「姫ちゃん。」
「ん。」
「道頼様のような人が、私を此処から連れ出してくれるかしら。」
若草が真剣に私に尋ねるものだから、私は一瞬答えに詰まった。
この間読んでいた落窪の話だ。左近少将道頼。落窪の姫を暗い落窪の間から外へと連れ出した。
西洋で言うところの王子様。
「・・・私が、連れ出してやろう。」
「えっ?」
「今に外に連れ出してやろう。」
若草の眼が輝いた。
「ホントっ?姫ちゃん、道頼様になってくれるの?!」
「あぁ。」
短い声で彼女は笑って、私に抱きついた。
「大好き、姫ちゃんっ。」
「・・・・・・・・・どういたしまして。」
私は優しく抱き返した。
姫と呼ばれる王子に、彼女のためになろう。これが義正様との約束を守るためにできること。
もう二度と誰の約束も破らない。
約束は契り、契約。私は、それを破る秩序の破壊者にはならない。
私には力がある。この力が私を助けてくれる。
そう信じていた。
幼心に。

「京都。」
榊が帰ってきた。
「京都は・・・また、遠いな。」
「えぇ。」
「でも・・・生まれ故郷か・・・・榊にとっては。
「そうです。」
京なまりの榊の言葉。いつも耳にやさしく響く。
「で・・・その山は、間違いなく霊山なのか。」
「間違いないかと思います。恐ろしく澄んだ霊気でした。あそこは、まだ人が住むには恐ろしい山です。」
「・・・そうか。主は・・・?」
「それが・・・。」
榊はためらって言った。
「人間?そのような霊山の主が、人間だと言うのか?」
「えぇ。陰陽道の人間でした。」
「陰陽・・・聞いた事があるな。」
「えぇ、京都は古から鬼の住む魔の都。陰陽師たちはその悪鬼達を陰陽道で静めておりましたから。」
「京都にそのような人間がいるのは、当然か・・・。この辺りではとんと聞かぬがな・・・。」
榊は頷いた。
「あそこに移り住むには、あの一門に入るしかありますまい。」
「陰陽道に?」
驚いた。
「えぇ。あの屋敷があったのは主床の地。山の中でもより神聖で主達が休むための土地です。山の中はその場所以外まだ人間が立ちいるには非常に危険。」
「つまり・・・私たちは、その、一門とやらに、頭を下げてそこに住まわせて貰う・・・ということだな。」
「ええ。」
「・・・他になかったのか。適した場所は。」
「・・・残念ながら、他の土地はこの山とさして変わらぬ様子でした。」
「・・・そうか・・・・。やむを得ないな・・・。」
私は立ち上がった。
「今すぐ義正殿の所にいって相談してくる。」
「お待ちを姫様。」
すっかり姫が定着したものだった。
「問題があるのです。」
「なんだ。」
「その陰陽一門は、男しか入門を許可しておらぬのです。」
「・・・?何故だ。」
「男は女よりも基礎霊力が一般的に高い。女は男に劣るから、一門には必要ないというのでしょう。」
「・・・時代錯誤な・・・。」
嫌悪した。
「・・・・・・・・・では、どいてもらうしかあるまい。」
力づくでも。修羅になろうとも。

京都までは長い道のりだった。
姫と病の相当進行した義正様をおいて、榊と山を下り京都の霊山を登った。
侮られては困る。
私はだいぶ背伸びをした格好をした。
もともと背の高い私は実年齢よりだいぶ上に見えたと思う。
外見はいくらでも繕える。
今は背伸びするしかない。
しかし心はこのままでいい。そう自負していた。
霊力で私に勝てる人間が、この世に何人いるだろうか、峰寿の当主も相当の霊力の保持者だった。
私が見た霊力者の中でもずばぬけていた。
だが、見ただけで私より劣ると感じた。
「いざ。」
花札は圧勝だった。
峰寿は私に服従せざるを得なくなった。
しきたりだ。そうやって主は継承される。
そうやって峰寿は麒麟を服従させて、式神にしていたし、当然の成り行きだった。
私はこの山の主になった。
そうして、一度、北の山に帰った。
私にしてみれば、なんの味気もない出来事だった。
京の御山を、のっとったことなど。
悪気なんてない。当然のことだ。
ルールに従い、自分の力で道を切り開いた。
間違っていたことなんかあっただろうか?
山に帰った時、涙でぐちゃぐちゃになった顔の若草が私を迎えた。
「・・・姫ちゃ・・・ん!姫ちゃん!」
わんわん泣きじゃくる若草を見て、全てを察した。
ああ。
どうして。どうして。どうして現実は、いつも胸に突き刺さる。

義正様の葬儀は、北で済ませた。
一夕様と同じ場所でせめて、眠ってもらいたかった。
若草はすっかり塞ぎ込んでしまった。榊がいくらあやしても泣きやまなかった。
私は再び自分の非力さを呪った。
どうしたって、死んだ人間は生き返らない。
その理だけは決して覆せない。
どれだけの力を持っていても。
「若草。」
「姫ちゃん・・・!」
「行くぞ。」
若草は出発の朝も泣いていた。
二人の墓から離れようとせず、一人で泣いていた。
「うん。」
素直に頷き、私の手を掴む。
「お前だけは、絶対に、守るからな。」
「・・・・・・・・・・・・うん。」
若草は悲しい笑顔で笑った。
きっと、その時にはもう、自分は両親と同じ道をたどることを知っていたし、受け入れていたんだと思う。

京都についてから、鬼のような忙しさだった。
私は山の主であり、同時にこの大きな陰陽一門の当主だった。
様々なことを取り決めた。結婚のこと。陰陽師たちをまとめるために必要なきまり。
そのほとんどは峰寿の時代から受け継いだものだった。
「鬼のように美しい姫」
そう呼ばれていた。陰口だ。
反発する者も多かった。
しかし、私はそれらを圧倒する力でねじふせ、規律を作っていった。
すべては、若草のためだった。
本当に、それだけは本当だった。
いくら鬼の面をかぶっていても。


「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「若草様が・・・・・・。」
榊の言葉に耳を疑う。
「懐妊・・・・だと・・・・?」
「はい・・・・。」
私は立ち上がった。
まさか。そんな馬鹿な。結婚はまだ先だったはずだ。
若草の体のこと、血筋のことを考えた上で、純潔すぎないが霊血を持った者との婚約が決まっていた。
全ては生まれてくる子供が、若草のような運命をたどらないようにするためだった。
その婚約者を選ぶのに相当骨を折った。
また、その結婚相手と結ばせるために、結婚に関しては陰陽一門のすべてに厳しいしきたりを布いていた。
「お呼びいたしましょう。」
榊が私を座らせてそう言った。
ああ。そうだった。こういう時も、私は此処から出られない。
走って若草のもとに行き、問い詰めることも、抱きしめることもできない。
そう決めたのも私だった。
すぐに若草が私の部屋にやってきた。本当に美しい女性に成長していた。思えばずいぶん顔を見ていなかった。
そして馬鹿みたいに丁寧に頭を下げて私のことを姫様と呼んだ。
「若草・・・・。」
「はい。」
「懐妊とは、本当のことなのか。」
「・・・はい。」
「誰の子だ。西院音か。」
「違います。」
毅然とした態度で若草は言った。
「では誰だ。この屋敷の者か。」
「言えません。」
「若草。」
「姫様。」
じっとこちらを見る若草の目は恐ろしいほど澄んでいた。ドキッとする。
「私はこの子を産みます。」
「馬鹿を言うな。お前の相手は・・・・!」
「殺しますか。」
「・・・・!」
若草の腹はよくみれば大きくなっていた。
6か月かそこらだろう。どうして今まで誰も気づかなかったのか。
それは簡単だった。若草に近づけるのは本当に少しの人間だった。
若草は部屋からほとんど出ないし、調伏も決められた部屋でしか行われなかった。
だからこそ、若草に近づいた男などすぐに見つかる。そう思った。
「・・・・産みます。」
沈黙。こんなにも反抗的な若草は初めてだった。
「・・・掟は知っているな。」
「・・・知っています。」
「霊血保持、また、陰陽師の秘密保持のため、身元の分からぬ赤子は、捨てる。」
若草は黙った。泣いているのか。下を向いたままだった。
「・・・・・いいな。」
若草は頭を下げてから立ち上がり黙ったまま部屋を出て行った。

ああ。
一体。なんだというのだろう。
どうしてこうなった?若草の子は誰の子だ?
それよりも、若草の子を捨てる?なぜ?一体なぜ?

「あなたがお作りになったんですよ。掟を。」
峰寿の声が後ろから心臓に刺さった。
悲しい顔をしていた。いや、憐れんでいた。私を。
「・・・・黙れ・・・・。」
「申し訳ありません。」
峰寿は頭を下げた。

そうか。そうだ。私だ。
私が作ったんだ。あの掟。あの破れない契約。
目の前が暗くなった。


女の子供が生まれたと聞いた。
一度だけ若草が私のもとにきて赤子を見せた。
「・・・・名前も、つけることは許されない。」
「はい。」
若草は愛おしそうに赤子の頬を撫でて言った。
「期日は3カ月後だ。」
「・・・分かっております。」
「相手を言う気になったか。」
「いいえ。」
微笑んで私を見た。
ああ。やつれた。一瞬でそう感じた。
「体は・・・平気か。」
「はい。」
嘘だと分かった。
出産後、体を一度壊した。その影響はかなり大きいはずだった。
「姫様・・・・。」
「ん?」
「抱いてみてくれませんか。」

赤子は嘘みたいに柔らかく、小さく。しかし、強さがあった。
涙が出たのは、きっとうまく隠せていたと思う。
榊以外には。

若草は私を責めなかった。
若草はただ赤子を抱いた。
若草は本当に幸せそうに見えた。
誰のせいにすれば、楽になれるだろうなど、考えなかったはずだ。
相手の男のせいには決してしなかった。
頑なに隠して、そして名もない子供を愛した。
私にできることが、なかった。
できなかった。
そして、子供は捨てられ。
若草は死に際、あの子供は紫苑の子だと言った。
そして、若草は一夕様や、義正様と同じように死んだ。
結局。守れやしなかった。
力を得ても、誰かを踏みつけ、此処に居ても。厳しい掟を作っても。
結局。守れやしなかった。
せめて、あの赤子を、守りたかった。
子供は、あのまま、そっとしておいてもよかった。
施設で暮らし、此処を知ることがなくてもよかった。
ただ、紫苑の子供とわかった今、我々はあの時の子供を引き戻すことができる。
掟にも引っかからず。
この場所に、母のいた場所に、若草の近くに引き戻すことができる。
遅すぎると知っていた。憎まれていると知っていた。
それでも、せめて、あの赤子だけは。
若草が愛した子供だけは。
守りたいと思った。

「じゃあ、感情は・・・・!?」
あの言葉には、心臓を貫かれた。
「俺は・・・此処を否定します・・・!誰かが泣かなくちゃいけない契約なんて、そんな摂理なんて俺は認めない!」
否定。
知っていた。
私が一番していた行為だった。

私が一番、私を、憎んでいる。


「姫様。」
榊の声がした。
「榊か。」
峰寿が音華の後を追い、しんとしている暗い部屋にいつの間にか榊はいたらしい。
「音華とは話せましたか?」
「・・・話・・・だったか、わからぬが。」
「ほっほ。あいつは言葉っちゅうものがうまく使える方ではないですから。」
榊は笑った。
「・・・姫様。」
「なんだ。」
「榊がおりますえ。」
震えた。
「たんと泣き。一夕様の分も、義正様の分も、それから若草様の分も。今全部泣いてしもて構いませんから。」
一体、いつから涙というものを見ていなかっただろう。


一体、いつから、私は道を違えたんだろう。


On***49 終わり



■ホーム■□□   拍手   意見箱   投票
index:         10
index: 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

index: 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
index: 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
index: 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50
 

 

ひとりごとupしてます

inserted by FC2 system