落ちていく涙が 手の甲をぬらす まるで水のように

「音華ちゃん・・・っ見なかった?!」
エリカが本気の目をして蔓に尋ねた。掴みかからん勢いで。
「し・・知りませんわ。」
「・・・そう。ありがとう・・・っ、あ!あけましておめでとう!蔓ちゃん!」
「・・・お、めでとうございます。」
エリカは走って行ってしまった。
「・・・・あの人がどうしたんですの?」
夜も随分更けてきた。蔓は芳河を探して、ひょいっと庭に出た。芳河はきっと人気のない所に一人でいるだろう。
そう思ってやってきた庭の裏。
「あ・・・・・・・。」
蔓が思わず声を上げる。煙草の煙。その男は振り向く。そして、あ、と言ってニッコリ笑う。
「蔓ちゃん。おめでとう。」
峰寿だった。
「・・・おめでとうございます・・・・。」
「久しぶりだね。」
ぎゅっと井戸で煙草の火を消す。そして灰皿にそのくずを突っ込む。
「お久しぶりですわ。」
「元気だった?」
「えぇ、泰樹様は?」
「ん。普通―。」
沈黙。
「・・・・・・・・・・芳河ならいないよ?」
峰寿が悟ったように言う。蔓は頬を染めた。
「別に、芳河様を探してるわけじゃありませんわ。」
「あはは、そっか。ごめんごめん。」
峰寿はひょうきんに笑った。
蔓は井戸の縁に置いてあるお酒に眼をやる。
「・・・・・・こんな所に置いたら、危ないですわよ。」
「ん?いや。俺じゃないよ。これ置いたの。・・・多分芳河だろ。」
「・・・・・芳河様・・・お帰りになられたんですか?」
「いや、多分・・・・・・・。」
「え?」
「なんでもないよ。」
峰寿は笑って煙草に火をつけた。
「あ、ごめん。煙かった?」
「・・・・・・・・・・・構いませんわ。」
「お父様、元気?」
「元気ですわ。」
「そっか。」
「峰寿様は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・さぁ。多分、まだ起き上がれるんじゃないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・そうですか。」
「あはは。」
突然峰寿が笑った。乾いた笑いで。
「・・・なんですか?」
「いや。男って、弱いよね。って。」
「・・・・・・・・・女のほうが・・・無力ですわ。」
「そんなことないよ。それは、証明されてるだろ?」
蔓は黙った。
「・・・っと。そろそろ、姫様が寝るかな・・・・。」
峰寿は身を起こして言った。
「じゃ、またね、蔓ちゃん。」
ニッコリ微笑んで峰寿はさっそうと去った。
「泰樹様っ。」
蔓は呼び止める。
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・前から言いたかったんです。」
「なに?」
「・・・・私は。泰樹様の妻には、なりたくありません。」
「うん。」
峰寿は笑った。
「知ってるよ。じゃあね。おやすみ。早く寝るんだよ。」
そして峰寿は消えていった。


峰寿なら、きっとこんな時、すぐに抱きしめただろう。
涙も嗚咽も全部その胸にしまい込んでしまうだろう。
音華が泣いている。今まで見せたどの涙よりも、絶望的に見えた。
それをどうにかする術を自分は知らない。
陰陽術なら、誰よりも、誰にも引けを取らないくらい、どんな技でもだいたい使う事が出来る。
「音華ちゃん!」
そこに飛び込んできたのは、エリカだった。
エリカは部屋に入って二人を見つけるなり体をこわばらせて止まった。
芳河はエリカを見つめて立ち上がった。エリカはすぐに悟った。
「・・・・・・・・・・・・・・芳ちゃん・・・・。」
芳河はエリカと向きあった。
「悪い・・・・。」
一言言うと、その場を去った。
「芳ちゃん!」
止めようとした。だけど、芳河は立ち止まらなかった。
エリカは息を吸い込んで音華のほうを見た。
「音華ちゃんっ。」
肩に触れて驚く。ものすごく冷えている。
「・・・っ。」
エリカは泣きたくなった。強く、音華を抱きしめた。
「ごめんね・・・っ。」
エリカは謝った。
なんで謝ったかは、音華には分からなかった。だけど、涙が溢れて止まらなかった。


帰りの車に、朝、押し込まれ、長い道を通り京都のあの山に帰る。
終始無言だった。エリカが時々何かを言うけれど、会話になるほどの物ではなかった。
そんななか、芳河と音華は一度も目を合わさなかった。


「あれ?音華ちゃんは?」
峰寿が寺に着くなり、そう言った。
エリカは、峰寿の裾を引っ張った。エリカのすぐ後ろに芳河がいるのだ。峰寿はすぐに察知した。
「・・・芳河。」
芳河は顔を上げた。
「・・・言ったんだな。」
芳河は頷いた。
「あぁ。」
「そっか。」
峰寿は笑ってみせた。でもそれは無理のある、笑顔だった。
「お前・・・本気で・・・、損。」
「・・・・・・・・かもな。初めてお前になりたいと思った。」
「あはは。やめとけ。中学生にもふられるようなんだぞ。」
エリカが峰寿の裾を放さないまま振り向いて、芳河を見た。
「芳ちゃん。」
「なんだ。」
「ううん。・・・・・・・・・・無理には言わない。でも・・・行ってあげてよ。」
芳河は黙った。
「・・・・・・あいつは俺には今会いたくないだろう。」
「でも、今会わないと・・・・。全部、・・・だめになっちゃいそう。」
エリカは真剣な目で訴えた。
「芳ちゃんのこと怒ってるわけじゃないよ。音華ちゃんは・・・・芳ちゃんが感じた同じ様な苦しさに、つぶされそうなんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・ごめん。解かってる。ごめん・・・・。」
芳河も、今、同じように苦しいこと。解かってた。


エリカも、峰寿も、誰も音華の部屋には来なかった。
音華は布団の中で丸まってただ黙していた。
だけど、朝が来て、芳河が障子の影に映った。
「音華。」
でも、いつものように勝手に戸を開いたりしない。
「音華、朝だ。起きろ。」
音華は返事をしなかった。
芳河は暫らく沈黙してそこにいた。音華はずっと硬く目をつむっていた。
「朝食を部屋に運ばせる。ちゃんと食べろよ。」
そういって、芳河はその場を去った。
音華は体を丸めた。
頭の中で、芳河と初めて会った日のことを思い出す。必死に思い出してみる。
あの時、あいつ、どんな顔をしていた?なんて言った?
―――お前が、若草様の娘か。
その時の顔は、無表情に近く、自分を見下ろしていた。
―――今更なんだよ!
自分が芳河に向かって叫んだ言葉だ。そう言いたかったのは、芳河も同じだった。
―――視えるから。
エリカが悲しい顔で言った。そして選ばれて此処へやってきたのだと、彼女は言った。
エリカだけじゃなかった。芳河だって、生まれた家から此処へ連れてこられた人間だった。
無情の世界に振り回された人間だった。
莫迦だ。音華は呟いた。
自分だけが、かわいそうだと、思わなかったと言えば嘘になる。
気付かないうちに、芳河に甘えていた。今、自覚した。
どれだけ無恥で、浅はかな言葉で芳河を責めただろう。
芳河は何も言い返さなかったし、音華を責めたりしなかった。
静かに流れ落ちる涙が塩辛かった。
悲しいでもない、悔しいでもない、痛いでもない。淋しいでもない。
ただ、流れ落ちた。芳河に、会いたくなかった。

「・・・・・・お茶、お持ちしましたよ、姫様。」
峰寿が静かに部屋に入る。微笑んでいるが、いつもの笑顔ではない。嘘の顔だ。
「・・・・・・あぁ。そこに置いておいてくれ。」
「はい。」
峰寿は頷いて、熱いお茶を机の上に置いた。
「泰樹。」
「はい。」
「芳河はどうした。」
「・・・芳河、ですか?」
「あぁ、正月。やつの影が大分薄まっていた。」
「・・・さぁ・・・?疲れていたんじゃないでしょうか。」
峰寿はうっすら微笑んだままそう言った。
「紫苑に・・・あの娘は会ったのか?」
峰寿は立ち上がって、下がった。
「いいえ。」
そして戸の所でもう一度座り、頭を下げた。
「会ってはいません。失礼いたします。」
「・・・・・・・・・・あぁ。」
戸は閉められた。
「・・・・・・・・若草。」
姫の、長い髪の毛。怖いくらいの澄んだ目。暗闇に浮ぶ。

月が昇って、辺りを照らす。
芳河はもう何度もため息をついていた。
こうなることは、分かってた。自分がこんな気分になることは。
エリカはあれ以上何も言わない。峰寿も何も言わない。
もしかしたら、自分は何かを言って欲しかったのかもしれない。
言わないでいないわけにはいかなかった。隠しとおせる事でもなかった。
何より、音華にこれ以上何も知らせないでいることは、はばかられた。
音華は何を考えているんだろう。
ぼっ!と言う音がして、側に嘉地馬が現われた。
嘉地馬は心配そうな声を出し、芳河に寄り添った。
芳河はその式神を撫でて、ふっと笑った。微かに。
「・・・・すまないな。」
呟いた。そして月を見上げた。

音華は、暗闇で黒い影を見ていた。
草の音が聞こえる。樹の音が聞こえる。空気が通り過ぎる音が聞こえる。
一人、草の上に立っていた。
するりと門を通り抜けて、外に飛び出し、いつかスズルが連れてきてくれた、広くあけた土地の上に立っていた。
もちろん月明かりでしかその場所に息づく草木や、黒ずんだ土は見えない。
息を吸い込む音が聞こえる。
自分の音だ。
風の音でも、なんの声でもない。深く息を吸った。
泣いているわけじゃない。もう泣いたりなんかしていない。苦しいのは変わってないけれど。
「・・・・・・・・・・・・このまま、帰っちまおうかな・・・・・・。」
ふと呟いた。
口寄せの体質を克服したとは思ってない。だけど、死呪を身につけた。
自分の身と、周りの人間の身を自分で守ることは出来るだろう。
音華は急におかしくなって笑った。
本当に、滑稽だった。なんていう馬鹿馬鹿しさだろう。いっそ、面白い。
「なに・・・真剣になってたんだ・・・俺。」
そうだ。もともと、此処から出るために陰陽師になる修行なんかをこなしていたんだ。
ただ、利用して、そしてすぐにおさらばしてやるつもりだった。
なのに、なんだこれ、深く食い込んだ根っこが絡みついて傷がついて千切れた。
それはもう解けることはないだろう。
こんな風に絡みついたりしていなければ、今、こんな風に苦しいこともなかったのに。
「何してんのよ。」
「!」
驚いた。それはもう心臓が飛び出す勢いで。
「な!」
後ろに悠然とたっていたのは、彼女だった。
「今、何時だか知ってる?」
暁だった。相変わらずチュッパチャップスを口にくわえている。
「お前・・・っなんで・・・!」
「・・・なにその顔。」
暁は一歩音華に歩み寄った。
「なんでこんなところにいるんだよ!・・・っ何してる・・・―――。」
「何よ。来ちゃ悪い?」
「悪い!胸糞が!」
「こっちもよ。だけど丁度良かった。」
「・・・なんだよ。」
「あんたに話があったのよ。」
「・・・・・・・・・・話?」
暁は一瞬、言葉を止めてそれからずしりと吐きだした。
「・・・・・・あんたの、施設の、女の子のことで。」
「・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・?」

廊下を板が張り裂けん勢いの音が走る。
そして勢いよく戸が開く。
「芳河!」
音華が突然飛び込んできた。
「・・・っ音華・・・っ?」
芳河は心底驚いていた。
こんなに驚いているこいつを見たことはなかった。
「・・・どうした。」
すぐに表情をいつもの落ち着いているものに戻して立ち上がった。
息を切らす音華に近づく。音華は一歩下がって眉間にしわを寄せたまま芳河を見上げる。
「・・・・・・・・・何かあったのか・・・・?」
「芳河・・・・!」
「・・・なんだ?」
音華の声はかすれて、そして消えていった。
「音華。どうした。・・・泣いてるのか?」
音華は正真正銘泣いていた。
だけどこの間見せた涙ではない。違う色の涙が音華の目から落ちる。
「・・・私が説明しましょうか。」
「!」
暁が音華の後ろに立っていた。
「・・・・・お前は・・・・。」
「憶えてる?死神。」
「・・・・・・・・・此処には・・・入ってきてはいけない。」
「・・・分かってる。私も今すぐに出ていきたい。」
暁は眉間にしわを寄せた。
「出来たら、外で話をしたいんだけど。いい?源氏の君。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あぁ。」
芳河はすぐに草履をはいて庭に出て、門へと向かった。
「音華。」
音華は立ちすくんでついて来なかった。
「・・・お前は早く部屋に戻って、寝ていろ。いいな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
答えなかった。だけど首を振ることもしなかった。

「・・・それで。」
芳河が門を出て、暁に尋ねた。
「・・・悪いんだけど。もう少し此処から離れたいわ。はっきり言って、此処は死せる者にとって大きな罠のようにしか見えない。」
「・・・・・・・・・・あぁ。そうだな。」
芳河は歩きだした。暁は芳河と並んで歩きだした。
「・・・それで。」
「あいつの施設の子供が死んだの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・そうか。」
「だけど問題があってね。」
「問題?」
「・・・魂がない。」
「え?」
「狩りに行けど、魂はなかった。つまり死神がつく前にどこかに逃げてしまっていた。」
「・・・つまり?」
「魂が死後すぐに体を離れて、どこかに行くケースは簡単に絞って2つあるわ。」
暁は指をおった。
「一つは死因が他殺だった時。」
飴がころんと回る。
「もう一つは、死後すぐにゴーストに飲み込まれた時。」
「・・・・・・後者なのか。」
「女の子は交通事故で死んだのよ。それも即死じゃなかった。病院のベッドの上で死んだのよ。」
「・・・・・・・・それじゃあ・・。」
「後者よ。確実に。それであの子に聞きたい事があったの。・・・あの子はあの施設のことすごく好きだったみたいだから、せめて知らせてあげようと思ったついでに。」
「それはなんだ?」
「あの子は別に霊感も何もない子だったのかってこと。さもなくば、あの子を狙うような霊や鬼がいなかったかということ。心当たりがあれば、って。」
暁の大きな眼が芳河を見る。
「・・・・・・・・あなたは?」
「え?」
「心当たり、ない?」
「・・・・・・・・・・・・・・なんでそんな事を聞く?」
「そのゴーストを捕まえるためよ。」
「・・・死神はそんな風に犯人を割り当ててからゴーストを捕まえるのか?」
「そんなはずないでしょ。警察じゃないんだから。」
「では何故?」
「・・・アイツの身内のことだから・・・・・。せめて、アイツに調伏させてやるためよ。」
月が暁の目に映っている。芳河は黙った。
「それで?心当たり、ある?」
「・・・・・・・・そうだな。」
芳河は呟いた。
「その子ども、どんな子どもだ?」
一度だけあの施設の子ども達を見た事がある。憶えているかは不確かだが、聞いてみた。
「あや、っていう女の子よ。4年生だったわね。」
「・・・・・・・・・・・あや。」
思い出した。すぐに。あの気絶した女の子だ。
「・・・・・・・・・・あぁ。」
芳河は顔を上げた。
「・・・あの子は一度、鬼に襲われかけている。」
暁の目に光が灯る。鋭い眼だ。
「それが関係しているかもしれない。だがその時の鬼は俺が消した。・・・もしかしたらその時別の鬼もいたのかも知れない。」
「その時目を付けられたって訳ね。・・・・・・・・・・・どんな鬼?」
「身体の長い、白い、駒犬だ。」
「・・・・・・・・・・・鬼のことは専門外だわ。」
暁はため息をついた。
「・・・いいわ。あいつからも少し話を聞いたし。ちょっと探してみる。」
「・・・死神。」
「暁よ。」
「暁。・・・お前は音華に調伏させるつもりなのか・・・?」
「あいつ、陰陽師なんでしょう?」
芳河は頷きかねた。首も振らなかった。
「だったら、問題があるの?お金の話?」
「違う。」
「私なら。」
暁の声は、嫌に耳に心地よかった。
「私があいつなら、絶対自分で調伏したいわ。」
「・・・・・・・・・・あぁ。そうだな・・・。」
「じゃあ。あの莫迦に、よろしくね。」
「・・・暁。」
「なに?」
「音華には、あの時鬼に襲われかけたから今あの子がこんなことになっている可能性があることを、言わないでくれるか。」
「・・・いいわよ。なるほど、その時の鬼は音華狙いだったって訳?」
芳河は頷いた。
「ま、そんな気はしてたけどね。」
「・・・お前は音華のこと、よく知っているんだな。」
「・・・・・・・別に。」
はっと、暁は笑った。
「私はアイツとは似てる気がするだけ。それだけよ。別にアイツが何考えてるかなんて知らないわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・そうか。」
「あんたもね。」
暁は芳河をじっと見た。
「あんたも、あいつも、今、おんなじ顔してるわよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ひどい顔。」
くすっと笑って、暁は背を向けた。
「多分あんたのほうが、あいつのことよく知ってるんじゃない?じゃあね、源氏の君。」
ひらっと手を振って彼女は空へと浮かび上がった。
そして鎌を胸元の十字架から引きずり出したかと思うと、鎌と一緒にすごいスピードで遠ざかっていった。
芳河はため息をついてから、屋敷へ引き返し自分の部屋へと戻ってきた。
音華はいなかった。
もしかしたら音華がまだそこに立ちすくんでいるんじゃないかと、かすかに期待したいたらしい。
小さな落胆で目を閉じ、芳河は部屋に入り、障子を閉めた。


On*** 38 終わり





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