あなたの声で 何度救われたかわからない

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ。」
深いため息。暗い闇に響く。
「お疲れですか。」
京訛りの老婆の声が後ろから掛かる。
「いえ・・・・。平気です。」
芳河が振り向いて答える。
「せやけれど、魂つめすぎかと思いますけど。」
「いいえ。大したことはありません。」
「ほんまですか?」
頷く。
「せやったらええですけど。お身体には気を付けてくださいね。」
「ありがとうございます。」
芳河は礼をしてまた歩きだした。
芳河はひどく疲れていた。目を閉じて今すぐに眠ってしまえそうだった。
随分たった気がする。あの屋敷を出てここに来てから。空を見上げると半月が浮んでいた。
葉月の終わり。残暑がひどい。夜もうわっとする湿気。だが秋の虫が泣き出した。
すっと音華の顔が思い浮かんだ。随分あいつのうるささに慣れていたらしく、此処の生活が怖いほど静かだった。
きちんと朝瀧行をして、身を清めているだろうか。ちゃんと本を読んでいるか。その驚異的な口寄せ体質でやっかいなものに憑かれてやしないか。まったく、こう離れていても頭を悩ます。
「・・・・・・・・・・はぁ。」

「なんか、莫迦にされた夢見た。」
「えぇ?」
音華が不機嫌そうに朝ごはんを食べながらいった。
「なにそれ?」
「いや、なんか、そんなムカツク感じだった。」
「芳ちゃんの夢―?」
「そうかどうかはわかんないけど。朝起きたらひどく不愉快だった。あいつかもしんねぇ。」
「あっはは。じゃあ、芳ちゃん音華ちゃんに会いたいんだっ。」
「はぁ!?」
あら、怖い。
「だって夢に出てきたんでしょう?」
「・・・そういうんなら逆だろ?普通、こっちが会いたい人間が夢に出てくるはずだろ。」
「ちがうちがうー。逆だよ。向こうが逢いたいから夢をわたってくるんだよ。」
エリカが大真面目に言った。
「源氏物語読んだんでしょー?」
「ちょっとだけ。」
「そういう歌があったはずだよー。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ごめんなさい。わかんなかったです。
「しかし芳ちゃん出ていってから結構たったねぇ。」
「一ヶ月超えたぞ。」
鬼、退散。
「淋しいね。」
「全然。」
「でも音華ちゃん、ちゃんと芳ちゃんのいいつけ守って朝身清めもしてるし本も読んでるね。」
「・・・・・・・暇だからな。」
にこっとエリカが笑った。
「いいこいいこ。」
「どーも・・・。」

そうだった。数えてみると一ヶ月超えている。甲子園は長崎が優勝して、夏休みはもう終わる。
また学校が始まる。出席日数は、もう、ちょっと難しくなるだろうな。
でもきっと、此処からはまだ出れないんだろうな。
でも、今更学校に戻っても、もとのまま生きていけるだろうか?此処に来てから色んな物を見た。色んなことを聞いた。
色んな人に会ったし。色んな目にもあった。此処に来る前の目で世界を見る事ができるのだろうか?否。
此処には今、死呪を毎日口に出して練習している自分がいる。言霊が言える自分がいる。霊の見える自分がいる。
母親のいた場所に、いる自分が居る。


「どうしたの?」
優しい声。透き通った綺麗な声。
「あぁ、鼻緒が切れたのね。」
下駄の鼻緒が切れて立ち往生していた。
「いらっしゃい。直してあげる。」
動かない。
「大丈夫よ。」
微笑んだ。その綺麗な女性。長い黒い豊かな髪の毛。綺麗な目をしている。澄んでいる。昔のお姫様のようだった。
「はい。できた。」
下駄を直して、彼女は履かせる。
「丁度いい?」
頷く。彼女は微笑んだ。やわらかく。
「お名前は?」
躊躇。
「紫苑・・・・・芳河。」
「・・・・・・・・・・・・紫苑?」
頷く。彼女は少し間を置いてから微笑んだ。
「紫苑様のご子息ね。」
頷く。
「私は、若草。いらっしゃい。お菓子をあげるから。」
くれたのは、京の和菓子。
「此処には、修行で?」
頷く。口は開かない。
「そう・・・。」
彼女は微笑んだが、どこか淋しそうだった。
「辛かったらいつでもおいでなさいね。私の娘もあなたと同い年くらいなの。」
躊躇。だって、この人の名前は知っていた。
若草。純血の霊血をもった女。霊力は測り知れない。強い力を持った陰陽師。霊山から出られない姫。
そんな人に、こんなに簡単に近づいていいものか。
「大丈夫よ。」
その心を読んだかのようにいった。そして頭を撫でた。
微笑んだ顔は穏やかで、心がなぜか落ち着いた。

紫苑。代々、裏陰陽寮として続いている陰陽家。
その跡目。小さな頃から、つんできた修行は、半端なものではなかった。
陰陽家とはいえ、継ぐのはたったの一人だからだ。


「ああああああああああああああああ。」
音華が叫んだ。一人。
「暇だ!!!」
限界が来たらしい。残暑のせいもある。
「ばっか芳河!くそったれ!」
罵声を投げつけて見る。壁に。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
むなしくなったらしい。
ため息。
「早く帰ってきやがれってんだ鬼!」
鬼でもなんでもいいから。

長月。
芳河はまだ帰ってこなかった。学校も始まった。実力テストって所だろう。
自分の箪笥の中に入っている、制服をおもむろに取り出して畳に広げた。
「・・・・・・・・・・・・なつかし。」
洋服。
ところどころ汚れている。血のしみだ。高校に入ってからも近くの不良に一度絡まれてひどい喧嘩をした。
毎朝登校中にからんでくるあのあほどもだ。殴られたし殴った。1対5だったな。警察が止めに入った。
喧嘩は強いほうだった。どうみても女一人に男五人なので、被害者であるはずなのだが、病院にいったのは男ども二人だった。同時に煙草の所持で、補導された。
日常生活で、女の子と話すことはほぼ皆無だった。おそれられていたし、群れるのは好きではなかった。ただ。一人だけ、他の高校に通っていた女とは、時々言葉を交わした。言葉、といっても、まぁいいものではなかったが。お互いが、きっと似ていたんだとおもう。チュッパチャップスを煙草のようにいつもくわえた女だった。同い年で、なかなか度胸のあるやつで、今時の女の子、って感じではない。どこかで他人を拒絶しているというか、目に鋭さがあった。この女との会話はちょっと芳河とのやり取りに似てた。もちろん、こっちに来てから一度も会ってないが、どうしているのだろうか。まぁあっても、口喧嘩ってところだ。それでも彼女のことは嫌いではなかった。口が悪い同士。
「はー・・・・・・。」
ため息をついて、また夜が超えていくのを待った。

「どうみますか、エリカ。」
「どうって?」
「音華ちゃんですよ!」
「音華ちゃんが何?」
エリカの部屋で峰寿がまた休憩していた。
「ほら、芳河シック!って感じ?芳河が居なくなって早一ヶ月!音華ちゃんの胸の内で芳河の大きさに気がつく頃!?」
「あはは、峰寿、超楽しそーう。」
エリカが笑った。
「やー。野暮な話、芳河に女の子ができたらあいつも変わるんじゃねぇかなぁって思うわけですよ。」
「野暮天ね。」
峰寿は笑った。
「まぁ、冗談はさておき。音華ちゃん。大丈夫?」
「問題あるように見える?」
「見えないけどさ。や、此処に居るだけって・・・なんかかわいそうだよね。」
「・・・・・・・・・あぁ・・・。うん。そうだね。」
同意。
「そろそろ暇に限界が来るのでは、と思うのですが。」
もう来ています。
「ね、どっか連れてってあげない?」
「どっか、って何処。」
「安全な場所。でも、此処じゃない場所。」
峰寿が抽象的にいった。
「・・・他の、お社とか?」
「あぁ、うん・・・。んー・・・まぁそんなところしかないか。」
「北は?」
「・・・・・・・・・・東北?」
「違うよ。近いほう。」
「・・・・・・・・・・あぁ・・・。うん。いいかもっ。でも、芳ちゃん、怒るよー?勝手に連れ出したら。」
「子鬼くらいなら耐える!」
「あははっ。って峰寿どうせ行けないくせにー。」
峰寿は複雑な表情で笑った。
「うん。でも、その峰寿の素敵な紳士的アイデアにのっとって。ちょっと音華ちゃんさらって行こうかなぁ?」
「お、おっとこまえー。」
「私も今は暇だしねっ。責任は全部峰寿が取ってくれるしっ!」
「えぇ!?」
にこっと笑った。


優しい声がする。髪をとかしてくれる。
「直毛ね。」
さらさらと指で髪に触れながら言った。
「式神、出せたんでしょう?」
頷く。
「頑張ったわね。」
「・・・いえ。」
「式神は、家族みたいなものだから。大切にしてあげてね。」
「家族?」
「いつも側に居てくれるから。離れ離れになることはないから。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
その言葉に、何かが含まれて居ると気付いたのは、随分後。
「名前は?」
「『嘉馳馬』。」
「いい名前。」
目を閉じた。随分長いまつげだと思った。
「エリカちゃんとは仲よくやってくれてる?」
「はい。」
「ありがとう。」
心の奥に響く声。
「あの子も、きっと沢山辛い事があるから。優しくしてあげてね。」
頷く。その頃すでにエリカとは、なんでも話す間柄になっていた。
彼女は、いつでも穏やかに笑っていた。
だけど、何度か、見た事があった。一人で泣いているのを。
なんにも言えなくて、話掛ける事が出来なくて、拳を握ったことを覚えてる。
エリカと一緒に縁側に座って彼女が泣き止むまで誰も部屋に入れないように見張ったりした。
彼女が何故泣いているのかは、その頃、知らなかった。
ただ、悲しんでいる彼女を見るのは胸が痛んで仕方なかった。


「えぇ?」
「京都の北にね、私たちの一門のお社があるの。行かない?」
「・・・でも、芳河が出るなって・・・。」
「私も行くから平気だよ。」
エリカが、行こう行こうとせがむので、結局首は縦にふった。
車で向かう。念のために、香を持たされて、車に乗り込んだ。
車で向かうこと一時間弱、ようやくその場所についた。そこは結構古い建物で、あの屋敷とまではいかないが、そこそこ大きかった。エリカに導かれて中に入る。
「ここのお水、すごく美味しいんだよ。」
そういって、柄杓を手わたす。水を救って飲んでみる。確かに美味しいと思った。
「エリカ殿。」
「!風間さんっ。」
エリカが振り向いていった。音華はまたどぎまぎした。知らない人の前に立つのは苦手だ。
「こんにちは。どうですか?調子は。」
「えぇ。悪くないですよ。エリカ殿は?」
「ばっちりです。」
にっこり微笑んだ。
「・・・そちらは?」
「紫 音華ちゃんです。若草様の。」
「あぁ・・・・。はじめまして。私は宮 風間です。ここを一応、管理していますものです。」
お辞儀をした。
「あ・・・・俺は・・・紫 音華です。・・・はじめまして。」
音華もぎこちなくお辞儀をした。彼はニッコリと微笑んだ。
「今日はどうして?」
「あ、たいした用はないんですけど・・・お邪魔でしたか?」
「いいえ。ようこそいらっしゃいました。今お茶を入れましょう。」
「ありがとうございます。」
エリカは微笑んでから音華を見た。
「すっごくいい人だから安心してっ。」
といった。
「あ・・・うん。」頷く。
出されたお茶はすごく美味しかった。同時に出された和菓子はもはや芸術的な形をしていた。
エリカは笑いながらたわいない世間話をした。彼も微笑んで、何てことない話をした。
時々質問がふられて音華もその会話に入ったが、やっぱり初対面の人とはそこまでなじむ事ができない。
トイレと偽って、席を立ち、建物の中を散策することにした。
大きな社だ。それから、神聖な感じがする。あの山とまでは行かないけれど、ここに悪い物はめったに近寄れない気がした。ゆっくりと歩いて、建物を見てまわる。すると、やっぱり此処にも中庭があって、小さな池があった。音華は近づいてのぞき込み、そこに座った。そして静かなこの中庭を見つめた。音がしない。そこまで暑くない。音華は目をつむった。
風の音が聞こえる。世界の音が聞こえる。でもそれは穏やかな部分だけ。声は聞こえない。
ぎし・・・ッ
はっと目を覚ました。どこかで床が軋んだ音がした。まずいかな、此処にいたら。頭によぎる考え。だけどその音は空耳だったかのように、もう聞こえなかった。大丈夫だ。悪い感じはしない。霊ではない。香を持ってる。
再び池の中に居る金魚に目を向け、それから、目を閉じた。水の音がする。生きる音がする。
ぎし・・・・っ・・・・ぎっ・・・。
軋みが、近くで聞こえて、それは近くでとまった。音華は目を開けてその音のするほうへ顔を向けた。
心臓が止まるかと思った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・っ芳河!」
芳河だった。びっくりして大きな声を出してしまった。そこに立っていたのは紛れもなく芳河で、少しやつれたように見える芳河で、音華を少し驚いたようすで見下ろしていた。
「・・・何をしている。」
「・・・あ・・・っお前だろそれは!」
久しぶりに聞いた声。
「あそこに居ろと言っただろう。」
「・・・え・・・エリカも一緒だっ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
考え込む。
「おおかた峰寿だろ。」
呟いて。再び音華を見下ろす。
「・・・・お前・・・何してるんだ此処で。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
答えない。
「修行か?」
「・・・・そんなところだ。今日はたまたま此処に来ただけだ・・・・。」
「あ・・・・・・・・・・・・・ひ・・・久しぶりだな。」
一応言ってみる。
「あぁ。変わりないか。」
「・・・おう。」
なんとなく、ぎこちない。
「・・・まだあそこににかえらねぇのか?」
「もう少しだ。」
「そか。」
「なんだ、俺がいなくて寂しかったか。」
「んなわけねぇだろ。」
「俺もだ。」
殺す!
「・・・・・・・・・・でも、あそこで・・・。・・・・・・・・・何もないのに・・・・・あそこにいるのは、嫌だ。」
音華は、本音をぶつけた。芳河は黙った。
「・・・・・・・・・・・・・・そうか。」
それだけ呟いた。
沈黙。音華は、目をそむけて金魚を見下ろした。そのまつげは、長かった。
若草とは違う髪の色だが、その豊かさは音華に確かに受け継がれてる。芳河は黙ったままその横顔を見ていた。
「・・・・・・・・・・・・あ。俺。さぁ。」
「なんだ。」
「多分、陰陽術・・・使った。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どこでだ。」
「・・・・・・・ば・・・・化け物・・・・相手に。部屋で。」
芳河は眉をひそめた。
「部屋?」
「俺の部屋。」
「なんでそこに化け物が来るんだ。」
「しらねぇよ!おれが知りたい。」
「・・・・・・・・・・で、術を使った。と。」
「多分。意識が無くなったから・・・わかんねぇ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢か?」
どいつもこいつも。
「はいはい、そうかもしれません。夢見ました。夢!夢見る夢子ちゃんなんで!どーも!」
もうそれでいいことにした。
「・・・なんにしても、無茶はするな。」
「・・・へい。」
「直に戻る。」
「・・・おう。」
「それまで待ってろ。」
「・・・・・・・・・・・・一ヶ月すぎたぞ。」
「あぁ、もう、すぐに終わらせる。」
じっと芳河を見つめた。少しやつれたな、やっぱり。修行のせいだろうか。
「お前もな。」
無茶すんなよ。
とは言わないが。
「・・・・じゃあ、俺は行く。」
「あー、いけいけ。」
「音華。」
「なんだよ。」
ふっと芳河が音華の横に膝をついて座った。
「なっんだよ・・・・―――」
言った瞬間に芳河の大きな手が左の耳に触れた。
「付けておけ。」
その手はすぐはがれて、代わりにピアスが耳についていた。
「外すなよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう。」
そのまま芳河はいってしまった。
びびった。耳がぞわっとした。左耳についているピアスは、触ってみたら小さな小さな石のようなものだった。

「音華ちゃん、何処行ってたの?」
「便所。」
嘘。
「聞いてー、今芳ちゃん此処に来てるんだってすごい偶然だねっ!」
エリカが興奮していった。あ、知らなかったんだ。知ってて連れてきたのかと思った。
「あれ、音華ちゃん。ピアス付けてたっけ?」
「・・・・あ、いや。」
「あ、すごい。破魔だ。珊瑚の。」
「・・・・・珊瑚?」
「うん。峰寿が付けてる奴。」
あれか。
「あ、そろそろ、お暇しようかな。」
エリカが時計を見ていった。
「もうお帰りですか?」
「芳ちゃん来てるんじゃぁ、中に無作法に入ってはいけないでしょう。また来ます。音華ちゃん連れて。」
入っちゃいましたけど。
風間は頷いた。穏やかな笑顔で。
「またいらっしゃい。」
「・・・・・・・・・・・・はい。」
音華は頷いた。エリカは立ち上がって礼をした。音華も一礼してその部屋を去った。
車に再び乗り込み、国道を通り帰宅。そのあいだ、音華は芳河に会ったことはエリカに話さなかった。
ただ通り過ぎて行く窓の景色を見つめていた。


「このピアス。」
彼女は優しい指先で掌に乗せた。
「破魔の力があるの。よかったら貰って頂戴。」
「・・・・貰えません。」
「貰って頂戴。あなたが使うことはなくても、いつか守ってあげたいと思う人ができたら、あげてあげて。」
微笑んだ。
掌の中に大事にしまったピアス。どこかひんやりしていた。
一つは、峰寿にあげてしまった。一度彼の霊力がひどい物の怪を寄せ付けた事があって、それをきっかけに口が聞けなくなってしまった時に。
もう一つは大事に持っていたのだが。
それは、今、音華の耳に光る。


On*** 22 終わり



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