汗が吹き出す熱気が今年も。

「・・・・・・・・鬼帰還。」
音華はゲンナリした顔をした。
「なにを、阿呆なことを言ってる。しっかり修行してたんだろうな。」
「へーい。」
「・・・・・・・・ま。峰寿のことだ。」
ため息をついた。
「あとで、とりあえず子鬼殿でも送っておこう。」
鬼ッ!怖すぎますけど!
音華は心で叫んだ。かわいそうに峰寿。
絶対もてませんよ。絶対もてませんよコイツ。
「あ、そうだ。芳河。」
「なんだ?」
「本。一冊読み終わったから。返す。」
本を手渡す。
「・・・もう読んだのか。」
「おう。面白かったし。」
芳河は受け取って大事そうに懐に入れた。
「よし。清めにいくぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・へーい。」
容赦はシマセン。知ってました。

「式神?」
講義。また始まります。
「・・・って、あれだよな。婆が一番初めに会ったとき俺を追わせた。・・・ってしらねぇか。」
「あぁきっと、『壱の字』だろう。大きかったか?」
「おう。おっかなかったです。」
あれは大分トラウマティックに恐怖です。
「式神は、識神・職神とも書き、陰陽道の一種だ。己に仕わせる、精霊のようなものだ。」
「・・・・・あのおっかないのが仕えてるから、婆もあんなにこえぇのか。」
納得だ。
「式神までとは言わん。今日から方術、つまり陰陽術を覚えて貰う。」
「・・・・・・・・・・・また一週間ですか。」
「できるだけ早くだ。」
それ以下でも可能と言うわけですね。
「そのためにはお前の得意な勉強が必要だ。お前、祖父のこの本の2巻へ行く前にこれを読め。」
「・・・・・?なんだこれ。」
緑の表紙の古い本を渡される。
「陰陽道を説く本だ。陰陽五行説、天文、暦数などについてが書かれている。」
「・・・つまんなさそう。」
正直な意見が飛び出しました。
「読め。」
問答無用。

「木・火・土・金・水の・・・五元素。世界を循環する、五元素。万物を構成する五元素。」
どうでもいいんですけど!
「五行中、木・火は陽。金・水は陰。じゃあ土はなんだよ!・・・中間か。」
ぶつぶつ。頭が割れそうな、わけのわからない中国古来の哲理を読まされる。
一人。また机に向かってブツブツ。死呪だけで十分だと思いませんか。
「木から火、火から土。・・・・どう土なんだよ。土から金。・・・・採れるってことか。金から水。・・・だからどう水!?水から木を生ずる。相生・・・・。」
助けてください。ばたっと倒れた。思いっきり額をぶつけた。机。まだ10ページも進んでいません。
だめだ。今回ばかりは、難しすぎる。鬼は、か弱い民をいじめすぎて絶滅させる。これは真理。
中国と日本の陰陽師何が関係あるんですか。いっこうに解かりません。

「・・・・・・・・音華。」
「・・・・・・・・・・・・・・・あ?」
目を覚ました。
また芳河がいる。
「何をしてる。」
「・・・てっめぇこそ・・・・いっつもいっつも・・・・勝手に部屋に入ってくんな!」
体を起こした。
「何もないだろ。入っても減らん。」
デリカシーの問題だ。
「なんだ、全然進んでないじゃないか。」
進むわけがないだろう。とは言わない。
「多少梃子摺るとは思ったが、・・・足りなかったか。」
頭が、って言おうとしてますか。
「全くわかんねぇよ。何で今こんなこと勉強しなきゃなんねぇんだ!」
「陰陽術を使うのに基本だからだ。」
「・・・陰陽術・・・、って。どんなだよ。」
「俺の術、見た事があるだろう。」
「・・・オン・・・って奴だろ。」
頷く。
「オンは梵語、神聖な音として術の初め、若しくは終わりに使われる。真言、つまり真理にそった適切な音の並びで術は初めて『言葉』ではなく『術』になる。」
「・・・適当に言ってるみたいなあれか。」
「適当ではない。今言ったように、あれが適切な音の並びだから、力を持つ人間が口にすると術になる。中国から伝わってきた五行に基づいている。その真理を把握していない人間には使えない。」
「・・・じゃあ、もともと、その呪文、中国語なのか?」
「そういうわけでもないが、日本語には根はないな。だが、陰陽寮が置かれてから、多くの陰陽師が陰陽術の言並びを編み出している。その中でいくつか日本語も組みこまれている。言葉には魂がある。もちろん話す人間でその強弱はあるが。この国の物の怪や霊、鬼には、この国の言葉のほうがより強い力を持つこともあるからだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・へー・・・・・・・・・・。」
頭が真っ白くなりそうだ。
「なんにしても、一通り読みきれ。理解できないなら何度でも読め。」
音華は、本を見つめた。まだまだありますが。
「天文の章はまだいい。五行だけはしっかりおさえろ。その後で言並びを教える。」
「・・・・・・・・・・言うだけじゃダメなんだな?死呪みたいに。」
「何度も言わせるな。それでは、ただの『言葉』だ。」
どう違うんだ。
「・・・俺にできるもんなのかよ。」
できる見込がなかった。修行っぽいことなんて、初めてまだ一ヶ月程度だ。
峰寿や、エリカは小さな頃から義務教育である学校にも通わず修行していたと言っていた。
「そのために、俺が毎日ついてるんだろう。やれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鬼。」
「できる見込がなければ、今やらせたりはしない。」
「・・・褒めてんのか。」
「お前は今の所、死呪も難なく使えた。術祖まで使った。言霊もしっかり覚えたし、霊視もできた。上出来だ。できるだろう。それとも、やる前からできないと言ってごねるのか。」
「・・・・・・・っやってやるよ・・・やりゃいいんだろっ!!!」
畜生。ずるい。今のいい方。にらんだ。
一体之の何処がプリンスか。

「あ、お客さんだ。」
エリカが門の鈴の音を聴いて呟いた。そしてひょいと門のほうへ向かいその来客を見つける。
「・・・・・・・・・・・・・・・あー・・・・・・・・。」
言葉を失った感じ。
「あー・・・・上物だねー。」
「!峰寿。」
エリカの後ろに峰寿が立って、同じように来客を見つめていた。
「こりゃ、芳河行きかな?」
「うーん・・・私だったらどうしよ。」
嫌だなぁ、と言ってしかめっ面をする。峰寿も嫌だと言って笑った。
「どうやって、禍神なんて怒らしたんだろうねぇ。」

「死ねる!」
どさっと音華は倒れた。頑張って勉強していたが、ついに力尽きた。
と、廊下に影がよぎる。誰かと思って障子に目を向けて、体をこわばらせた。
「・・・・・・っ。」
声が出ない。それが通り過ぎるのを沈黙で待つのみ。
「・・・・なんだ・・・あれ?!」
あの影からして、引率していたのは婆だろう。
身震いした。影だけでよかった。と思う。きっと、障子越しでみたのでなければ、声を上げてただろう。
禍々しい形のものが、一人の影から生えていた。

「音華。」
「うわ!」
声を上げた。芳河だった。呆れた顔で見下ろしてくる。それにしてもノックの1つくらいそろそろ覚えてください。
「なんだ。人を見て。」
「や、べべべつに。」
どもる。
「来い。」
問答無用で連れて行かれる。

まあ、いい予感はしていませんでした。

芳河について歩いていく。少し後ろを歩いていく。屋敷の中なのに、夏なのに体の芯が微妙に震える。
芳河が足を止めたとき、心臓が一回はねた。一声かけて障子に手を遣る。
この礼儀を音華の部屋の前でも実施して欲しいものです。
でも、そんなことを考える間もなく、もう一度身体に戦慄が走る。汗が吹き出す。
なんとか声は上げなかった。だけど反射的に芳河の後ろに少し隠れた。
さっきの影の正体を、今眼前に控えている。耳鳴りがした。目眩もするし、嫌な匂いもする。
口元を抑える。芳河は、全く動じていなかった。じっとそいつを見据えて黙っていた。
部屋の中には婆が座っていた。そしてこちらをちらりと見た。芳河は一礼してから部屋に入る。
音華も遅れをとらないように、部屋に入る。
実際には今すぐ此処から走って逃げ出したい衝動に駆られたが、そうもいかないのは判るし、芳河についていたほうが安全だと脳が判断したらしい。
吹き出す汗はそのままに、音華は芳河の右に座った。
でもどうしても、眼前に据える、アレだけは見ることができなかった。
「のう、芳河。なかなか大物が飛び込んできたとは思わんか?」
婆は静かに芳河に言った。
「・・・。初めまして。お話を伺う前に、1つだけいいですか。」
「は、はい。」
女の声がした。どうやら、そこに座る人間は女らしい。
音華は相変わらずソレを見る事が出来ない。畳の井草を目で追う。
「決して、自分の名前だけは、名乗らないで下さい。」
「・・・・・へ・・・・?・・・は・・・はい。」
名前を名乗ろうとしていたのか、彼女の声は動揺していた。
「・・・それは、何処で憑けてきたものか、分かりますか。」
「・・・お・・思い当たる節が一つだけあるんですけど。」
ぐらっと世界が揺れかけた。耐えなければならないのは分かっていた。
「何処ですか。」
「3週間ほど前、岡山に出張があって、その時、今岡山に住んでる昔からの友人と会ったんです。」
声が耳に届くたびに、耳鳴りは一層激しいものになった。
「それで、久しぶりだからということで、何か面白い事がしたいと彼女が言い出して、・・・その、K峠にいったんです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・K峠。」
「・・・そこは心霊スポットで有名だから・・・肝だめししようって・・・ことになって。」
あぁ、もうこの件からして何も期待できない。
「夜中にいったんです。車で。で、少し車から降りて歩いてみようってことになって。」
「峠を歩いたんですか。」
「・・・少しだけ、ほんの15分だけです。」
何かを弁解するように必死で言った。
「何か変わった事はありましたか・・・。」
「・・・いえ。本当に少し鬱蒼としたところまで足を運んで、でもすぐ怖くなって帰ったんです。」
芳河が婆のほうを見る。
「どう視ますか。」
「禍神じゃな。」
芳河が頷く。
「だが、わからん。一体何処で恨みを買った。」
「恨み・・・って・・・私、何も恨まれるようなことはしてません!」
やめろ、叫ぶな。音華は目を閉じた。耳鳴りで頭が割れそうだ。目の前にいる物を想像するだけでも背筋が凍る。
「人間にとっては大したことではなくとも、この者にとっては大事やったんやろな。」
「・・・・やっぱり・・・私、何かに憑かれてるんですか・・・。」
女が悲壮な声を出す。やっぱりも何も、明白だろう。見えないのか?汗が袴に落ちた。
「怖いんです・・・っ朝起きたら家の中の鏡が全て割れいたり・・・っ、家の金魚が全て変死していたり・・・身の回りで変なことばかり起こるんです!そのせいで会社もクビになって・・・っ母親が倒れて・・・。」
泣きそうな声だ。
「禍神というものが、あなたに憑いています。」
「・・・まが・・・・?」
「神の一です。負に属す数少ない神で、普通は過去の陰陽師達がそれらを封じるか祀るかして、往来では今は見られない神です。」
「神様・・・・?」
「神の崇りが一番厄介じゃからのぉ。これは、大仕事やで。」
婆が笑った。笑えない。
「でも・・・私、何も・・・。」
「車を出てからの事、詳しく、一から十まで話してください。」
芳河が言う。女は、少し間を置いてから話しだす。
真っ暗闇の峠でライターの明かり1つ燈して山に入ったという。それは本当に15分足らずの肝だめしで、10メートルほど行ったところでもと来た道を引きかえしたらしい。
「あ・・・・・。」
女の声が止まる。
「そういえば、私、一度こけました。」
「・・・何かに躓いたんですか?」
芳河が、目を細めた。
「確かではないんですけど、真っ暗だったから、確か大きな石に思いっきり脚をぶつけました。それで体が前に倒れたんですけど、幸い柔らかい土で怪我はしませんでした。すぐに起き上がって、真っ直ぐ車に戻りました。」
「・・・婆や。」
「大方その石が、封だったんやろな。」
「しかし、妙ですよ。」
「せやな。これは、深すぎる。」
「・・・・・・え?」
女は不安そうな声を出す。当たり前だ。
「その友人は、なんの変化もないんですか?」
「・・・・それが・・・その・・友人は、行方不明なんです。」
女の声が涙交じりになった。
「翌朝、別れて私がこっちに帰ってきてから、もうずっと連絡がつかなくて・・・っ、家に電話しても繋がらないし・・・。彼女の両親は随分前に他界してるので、実家に電話はできないし。彼女の同僚にきいても、あの日以来会社にも顔を出してないって・・・・。」
「他の知人も、まったく彼女の行方は知らない。」
「はい・・・彼女の恋人にも訊いてみたんですけど、同じ返事でした。ただ、私と別れたあと、一度あの子彼に電話したらしくって。でもそれが妙なんです。」
「妙?」
「ただ、ざぁー・・って、何か風の音がするだけで。何も言わなかったそうなんです。」
音華はもう聴いていられない、と思った。倒れていいかな。いいと言うのなら、今すぐに床に倒れたい。
芳河は一寸黙ってから、口を開く。
「・・・分かりました。」
なにがだ。
「しかしすぐに、この神を払うことはできません。」
「でも・・・私・・・これ以上耐えられません・・・っ!」
悲愴な声。
「分かっています。だから、これを差し上げます。」
「・・・なんですか?」
芳河が差し出したのは、人形をした白い半紙だった。
「身代わりです。」
「・・・身代わり?」
「あなたの影代わりをします。これを常に持ち運んでください。それから家や、お母様のいるところにも置いて置いてください。破れたら、新しい物を。30枚ほど差し上げます。幾日かはもつでしょう。これがある間の厄災は身代わりが引き受けます。」
「・・・・・・・・っありがとうございます・・・!」
女は泣きそうな声で言った。
「封神の準備が整い次第、すぐに連絡します。いつでも此処に来れるようにしておいてください。」
「はい・・・っ。」
「その前に我々は一度、そのK峠に向かいます。」
「え?」
女の声が、裏返った。トラウマが体の筋肉を縛ったかのようだ。
「できれば一緒に来て頂いた方がいいと思うのですが。可能ですか。」
「・・・わ、私は。・・・仕事がありますので・・・できれば。・・・行きたくありません。」
「分かりました。また連絡します。・・・それともう1つ。」
芳河が立ち上がった。
「身代わりを持っている間、決して自分の名前を口にしないで下さい。」

爪が掌に食い込んでいたことを、後で知った。
婆に引率されアレが通り過ぎ、沈黙に蝉の声が戻ってきた気がした。汗びっしょりだった。
「音華。」
芳河の声で上を向く。
「・・・気分が悪いか。」
「あ・・・たりまえだろ・・・っ。お前・・・あれ、見えなかったのかよ・・・っ。」
怒鳴りたいのに、怒鳴れない。力が出ない。
「見えていた。・・・お前、アレをどう見た。」
「・・・見てねぇ・・・っ。」
あ、もう倒れていいかな。
立ち上がれない。掌を畳につく。
「一度もか。」
「一度視た。・・・何だアレ・・・っ。」
「言っただろう。禍神だ。」
「神に祟られたら、あんな風になるのかよ・・・っ。」
だめだ、頭が重い。うなだれる。
「だって・・・あの・・・人、人の顔してなかっただろ・・・っ。」
思い出しても、ぞっとする。
彼女の肩にぼこッと生えた異常なものは、本来首があり、頭がある部分を飲み込んでいた。
そしてその気持ちの悪い肌色の肉の歪で大きな塊は、まるで彼女の頭になりかわっており、直径10センチ程の目玉が1つぎょろっとついていて、片目は肉でつぶれていた。
それが、こっちを見た瞬間に走る戦慄は、この世で感じることのできる最大限の物だろう。
口だけはきっと彼女のものだったが、ソレももはや、飲み込まれかけていた。
異常な大きさの頭は、時折ボコンと動いた。
ソレが影で映って見えた時、目の部分だけは空白に見えた。光っていたのかもしれない。
ソレが放つ異様な空気は、違う世界からのもののようで、ソレが響かせる声は、変声期を使った挙句、マイクが割れたようなひどい音で、女の声ではあるけれども、同時に耳鳴りを引き起こした。
「なんのために連れてきたと思ってる。霊視しろ。」
「・・・っ・・・・お前・・・なんで平然としてるんだよ・・・っ気持ち悪くなったりしないのか?」
だめだ。もう。前かがみに床に倒れた。息が苦しかった。
「・・・・まだ少し、早すぎたか。中てられたな。」
芳河が座って音華の額に触れた。振り払いたかったが、それもままならない。
「オン・・・っ。」
またバシンという閃光が、瞼の裏に映った。すると、少し体が楽になる。どんどん楽になる。
「どうだ・・・・。」
音華は無言で頷いた。
芳河はため息をついた。ついたと思ったら、音華は体が宙に浮いたのを感じた。
意識が無くなって俯瞰に打ち上がったわけじゃない。完全に自分の身体が持ち上げられてる。
「降ろせっ・・・!」
抵抗。
「やかましい。此処で倒れられたら迷惑だ。」
「立てる・・・・っ!」
自信はないが。
芳河は無視してそのまま廊下へ出た。あぁド畜生。絶対誰にも見られたくない。かたく目をつむった。
「・・・・・・・・重い。」
「死ね・・・!」
デリカシーって。言葉と概念、知ってるんだろうか。

エリカの部屋に運ばれた。エリカの部屋が一番近かったんだろう。
障子を開けるや否やエリカは驚いて、すぐに芳河を中に入れ、布団を敷き、音華をそこに寝かせた。
「どうしたの・・っ?」
エリカが尋ねる。
「瘴気にあてられた。」
「・・・・もしかして、あのお客さんに、会わせたの?」
頷く。
「芳ちゃん・・・っアレが何だかわかってるんでしょう?危険だよ・・・っ音華ちゃんの体質で!」
エリカの顔は怒っていた。
「・・・早かったか。」
「早いよっ!いくら音華ちゃんが優秀でも、いきなり禍神の祟りの前に出されたんじゃ中てられちゃうよ。」
芳河は黙った。音華はなくなりかけの意識の中でそれを聞いていた。
芳河が近づいて、かがんで音華の目の前に来た。
「悪かったな。」
謝った。
謝れたんだ。こいつ。
そう思った後、意識はなくなった。
「・・・あれ、芳ちゃんが、払うの?」
「あぁ。俺がする。」
立ち上がってエリカのほうを向く。
「・・・厄介だよ。」
「分かってる。」
芳河は頷いた。
「・・・また、少し此処をあける。その間、音華は頼む。」
「それは、構わないけど・・・・・。・・・・・気を付けてね。芳ちゃん。」
エリカが真剣な眼をして言った。
「神剥しは・・・危険なんだからね。」
「分かってる。」
「・・・ま、芳ちゃんなら大丈夫なのは、分かってるけどっ。」
エリカが微笑んだ。芳河の表情は見えなかった。
「あ、ダメだ。・・・・芳ちゃん、ダメだ!」
いきなりエリカが言った。
「なにがだ。」
「私、明日から、出雲にいくんだ。」
「・・・そうか。」
「音華ちゃんの事、見てたいけど・・・明日から3日いないや。芳ちゃん、いつ行くの?」
「・・・依頼主に渡した身代わりは、もって3日だろう。・・・この三日で行って帰ってこなければいけない。」
芳河は、少し考えた。
「峰寿は、今、手は離せないだろうな。」
「ちょっとね。」
エリカがうーん、と唸った。
「・・・・・誰も居なくなっちゃうよ。此処。」
芳河は黙った。だまって音華を見つめた。汗だくでまだ少し苦しそうだ。眉間にしわ。
「・・・・・・・仕方あるまい。」


眼を覚ましたら、朝だった。
妙にすっきりしていた。エリカが横に布団をひいて寝ていたんだろう。もぬけの殻になった白い布団が横にあった。
枕元に何かいい香のするものがあると思った。音華が入れた匂い袋だった。芳河が部屋から持ってきたのだろう。
「・・・・・・・・・あー・・・・・・・・。」
ため息と共に情けない声を出して、腕を眼に当てた。
体を起こし、戸を開け、キラキラする初夏の朝の空を見上げた。何時だろうか。この日の高さ、10時はまわってるだろう。
とりあえず、廊下を渡って自分の部屋に戻る。さわやかな朝だ。息を大きく吸い込む。
昨日のことは思い出したくないものとして脳がきちんと処理したのか、なんだか遠い事のように感じる。
自分の部屋の前つき、障子を開けようとした時だった。
「音華。」
芳河の声が右からした。振り向いて、芳河を見る。
「起きたのか。」
「おう。」
ぶっきらぼうに頷く。
「気分は。」
「朝一でお前の顔を見たおかげで、優れない。」
「そうか。そいつはよかった。」
こん畜生。
「よし、今すぐ身を清めて、準備しろ。」
「・・・・・は?」
「朝食は、行きながらでいいだろう。」
「・・・なんの話をしてる?」
「お前も岡山へ行くぞ。」
身体が固まった。うまいこと言葉が出ない。
あの、待ってください。の一言すら。意味を成さないとわかっているので出てこない。
「俺も、なんて?」
「岡山だ。兵庫県の西、広島県の東に位置する。中国地方の1つの都市だ。しらんのか。」
「知ってるにきまってんだろ、そんなことは!」
莫迦にしてますか。
「待て待て待て・・・!俺は、此処から出れないんじゃなかったのかよ!」
「俺がいれば問題ない。行くぞ。」
芳河が歩きだす。裏の瀧行の場所のほうへ。
「問答無用かよ!」
切れる。


「何かいいことでもあったの?」
峰寿が尋ねて、エリカが微笑んだ。出雲に行く前に挨拶しにエリカが峰寿を訪ねた時だった。
「ん?」
「なんか、笑ってるから。」
「あぁ。うん。聞いてないのー?」
「なに?紫の上、ついに食われちゃった?」
「あっは、超下品。」
ばしーっと、エリカの一発が峰寿に入る。
「芳ちゃんがあの神様払うんだよ。」
「あー・・・聞いた聞いた。」
「でねっ、岡山まで一度行かないといけないの。」
「らしいねぇ。」
エリカはにこっと微笑んだ。
「音華ちゃんも連れて行くんだってっ。」
峰寿が一瞬言葉を失った。
「ま、っじでー?」
「マジマジ。」
「うおーっ!明石に流される時、光源氏すら紫の上置いて行ったのにっ。やっるー!って、音華ちゃん大丈夫なの?」
「うん。初めは此処に音華ちゃんが残るはずだったんだけどね。私も居ないし、峰寿も暇じゃないでしょ?」
「・・・あー・・・うん。今はちょっと忙しいかな。」
「だから。」
「だから?」
「音華ちゃんを此処に一人出置いて行くのが忍びないから、連れて行くんだよっ。」
「・・・・・・・・・はー。」
峰寿は感心した。
「芳河、こんなに優しい奴だったっけー?」
友達の台詞とは思えませんが。エリカは少し淋しい顔で笑った。
「ここは、音華ちゃんにとって居心地のいい場所じゃないから。それ、芳ちゃんは痛いほどわかってるからさ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか。」
「芳ちゃんにとって、音華ちゃんはやっぱり特別なんだよ。」
「そうだねぇ。」
峰寿が笑って頷く。
「音華ちゃんに優しいよねぇ。芳河殿は。」
「あれ、芳ちゃんは基本的に優しいよ?」
「時たま鬼だけどねっ。」
「ははっ!」

車は発車した。
朝食は、此処にきて初めてのパン。

On*** 16 終わり



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