月影に溶けてしまいそう

「・・・・・・・・溶けますわね。」
蔓が夜空を見上げて呟いた。空には雲間に月影が浮んでいる。

暗闇だ。
完全なる暗闇だった。あれから何日たっただろう?音華には分からなかった。
いくらか時間はたったと分かるが、全く腹はすかない。
不思議なことに、自分のまわりだけ、自分の身体だけ時間とは関係のないところにいる気がした。
音華は目を閉じる。眼が重くなって眠りにつくまで、くりかえし、くりかえし、幾度この紙人形を溶かしただろう。一度も成功した事がない。
だけど不思議と紙人形はなくならなかった。
音華は開けていても意味のない目を閉じていた。ふっと息をついた。
「・・・・・・・・・オン・・・・・・・・・。」
呟いてみた。陰陽術。大分長いことあの本から離れている。覚えているか分からない。
「シュカ・・・・サンショ・・・・カンシンスウシ・・・・・・。」
思い出しながら、ゆっくりと、ゆっくりと、呟いた。
目を開ける。
「オン・・・・・・・・・。」
当たり前ながら、何も起こらない。集中も出来ちゃいないし、ただ言っただけだ。芳河が何度も言った。ただ言うだけではだめだ、と。
音華はコロンと床に転がった。手を伸ばし紙人形の束を掴む。
「・・・・・・・・・・・・・染まれよ。畜生。」
目をもう一度閉じる。
深い闇が、脳を襲う。
芳河は、今何をしてるんだろう。
依頼の調伏に追われてるんだろうか。それとも、あの例の修行の続きでもしているんだろうか。
まぁ、どうでもいいか。だけど、俺をしごきあげていないときの芳河なんて、ほぼ知らなかった。
っていうか、俺、何で此処にいるんだろう。
修行?修行だっけ。あ、やべぇ。なんか頭が朦朧としてる。全部の事がものすごく遠くの事に思える。
俺は?なんだっけ。俺って、なんだ?どんどん分解されていく。
生まれてすぐ、捨てられて、道で園長先生に拾われて・・・。それで?
どんな人間だっけ?どんな容?
あれ?
おかしいな。名前が思い出せない。俺。俺。俺。俺?誰だそれ。
此処、どこだっけ。なんだっけ。これ。

溶けた。


「・・・・・・・・・・溶けましたね。」
眼鏡の奥の、優しい眼が光る蔵を見つめた。
それはぼんやりと、白く、時に青く。
「おや、こんばんは。蔓様。」
「こんばんは、芭丈様。」
蔓は微笑んで御辞儀をした。
「こんな時間に?」
「えぇ。ちょっと、眠れなくて。」
蔓はそういって蔵を見た。
「・・・お食事、蔓様がはこんでくれたんですって?」
「えぇ。運びましたわ。一度しか窓は開きませんでしたけど。・・・・・・・・溶けましたわね。」
「えぇ。」
頷く。
「どうしてあの蔵にあの人を入れたんですの?」
鬘は芭丈を見つめて言った。
「ん?」
「特に口を出す気はありませんわ。だけど、少し不思議に思ったんですの。」
「・・・・・・・・・・・・そうですね。他から見れば、早いと言われるかもしれませんね。」
「あの人がどれほどの力の持ち主かなんて知りませんわ。だけどあの人はこの一門に帰ってきてから、まだ半年もたっていない陰陽師ですわ。陰陽師と呼べるかもわかりません。」
「そうですね。だけど、今やらないと、意味がないと思ったんです。」
「意味・・・?」
「あの子が、次に進むにはこれしかないですから。・・・もし戻ってこれないなら・・・。」
「戻ってこれないなら?」
「それまでのことです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうですわね。」
蔓は礼をしてその場を離れた。横目で蔵を見つめた。
「邪魔な物は、できるだけ早く、摘んでおくものですものね。」


魂がむき出しだと分かった。俯瞰にいる?違う。自分は闇そのものだ。溶けたんだ。
そっか。俺、世界の一部になったんだ。
「煙たいのよ、あんた。」
はっとする。目の前に、一人の少女が立っている。懐かしい女だった。
「煙い。私の目の前で煙草吸わないでくれない?」
髪の毛はボブのちょっと伸びたくらいで栗色。眼は大きいがきつい感じだ。緑のセーラー服すがたで立つ。
「なんだよ。るっせぇな。だったら俺の前に出てこなきゃいいだろ。」
「そっちに用があるの。」
舌打ちする。そして歩きだす。よく歩いた学校からの帰り道だ。
「てめぇのその飴もうっとおしいんだよ。」
「あんたに何の迷惑もかけてないでしょ。」
クールに言い返される。
「おい。いつまでついてくるんだよ。」
振り向いた。
「あんたは、なんで此処にいるのよ。」
「は?」
「あんた、何してるの?此処で。」
音華は黙る。
「なにって、家に帰るんだよ。」
「家?家なんてあんたにあるの?」
「・・・・・・・・・・・。」
きつい眼がこちらを見る。
「此処、どこだか分かってんの?」
心地いいくらいの、特徴のある声だ。
はっとする。また。此処はあの帰り道じゃない。
彼女は足を組んですわる。一体何処に座ってるのか分からない。ただ暗闇に浮ぶように座っていた。
ころころとチュッパチャップスを口の中で回す。
「――――。」
名前が呼ばれた。それは自分の名前だとはっきり分かったのに、名前は聞き取れなかった。
振り向いた。そこには男が立っていた。懐かしい男だった。
懐かしいのかどうかも分からないが、なんだかとても遠くのことのように思えた。
「なんで此処にいるの?」
しらねぇよ。俺が知りたい。
「あぁ・・・そっか。捨てられたんだ。」
捨てられた?
「あいつにも、捨てられちゃったんだ。――――。」
また名前。聞き取れない。
「母親だけじゃなくて。あいつにも捨てられるなんて。一体何をしてるの?」
どこだ此処。
その男はにこやかだった。穏やかで、長めの髪の毛。手によくわからない布を巻いている。
「俺の知り合いも、親に捨てられたけど、ちゃんと紙飛行機を受け取ってくれた人には捨てられちゃいないよ。」
「・・・・・紙飛行機?」
「心の声だよ。」
一体、何を言っているのか、分からなかった。
「君が飛ばそうと思ったけれど、引き出しに入れっぱなしにしていた紙切れだ。」
彼は微笑んだ。
「ちゃんと投げれば、空を飛ぶんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
彼が突然指を刺した。ゆっくりとその指のさす方に振り向いた。
そこにも男が立っていた。彼はひょうきんな顔つきで笑う。
「なに、もうなくしたの?」
え?
「折角手に入れたものも、簡単になくしてしまうんだね。」
なんのことを言ってるんだ?
「甘えてるんじゃないの?」
「甘えてる?」
思わずきき返す。
「そう。ずいぶん、甘える癖がついたように見えるよ。」
彼は頷いて言った。
「なくした物を、自分で取り返すことすらしないんだね。」
「なくした物・・・・・?」
「長い事手に入らなくったもので、最近手に入ったものだよ。それは―――――自身、実感してたはずだ。」
名前。名前。
「でもそれは、俺のせいでなくしたんじゃない。」
呟いていた。無意識に。
「でも、昔の――――なら、きっと、抗って抗って、乱暴な方法ででも失わない努力はしたはずだ。」
俺の昔?なんだそれ。知らない。なんでお前が知っている。
ふっと、彼のとなりに女の子が現われた。懐かしい女だ。
「失って、自分がかわいそうだと、そう思ってるの?」
かわいい声だった。
「かわいそう?」
「悲劇の主人公?」
首を振る。
「しょげかえって、いらついて、それで?それで、何?」
「俺は・・・。」
「なんで此処にいるの?」
俺が。
「なんで、こんなところにいるの?」
俺が訊きたいんだ。
「理由もなく、此処にいるの?」
「集中も出来ないまま。」
「意味もないまま。」
「水に溶かして遊ぶばかりのまま。」
交互に、声がする。耳がおかしくなりそうで、耳をふさいだ。
目を硬くつむった。黙ってくれ、消えてくれ!
「目を閉じるな。」
はっとする。また違う声だ。
「名前を言うな。」
しらねぇよ。
「お前は、本当に――――の娘なのか?」
誰だって?
「呆れる。」
知らない。しらねぇよ。
「お前は、ただのブランドの霊血だ。」
「馬みたいなこと言うな。」
だけど、この暴言は、自分が言ったことのある物だ。確信した。覚えてはいないけれど。
「お前はなんで此処にいる。」
「・・・っ此処にいるから・・・!此処にいるんだ!」
叫んだ。
「意味なんかねぇよ!此処にいる。溶けてる!俺は此処なんだ。俺が此処なんだ!」
彼は黙った。
「・・・・・・・・・それじゃあ、だめだ。」
「なにが、だめなんだ。」
睨んだ。涙が出そうだった。もう全部、消えてくれ。闇の中に戻してくれ。
「ただ言うだけじゃだめだと、何度言ったら分かるんだ。」
塞いでいた耳を、手から開放させた。この言葉。誰だっけ。こいつ。誰だ?
「全てに意味がある。お前がすることには、お前が意味を与えた何かがある。流されるな。知れ。」
「知る・・・?」
「お前がなんなのか。お前が此処にいるのは、何故なのか。お前が欲しい物は。お前のなくしたくないものは。」
こくん。飲み込む。何かが喉を通って落ちていく。
「声にしろ。理解した上で声にするんだ。ただ言うだけじゃだめなんだ。」
拳を握った。
「手間ばかり掛けさせるな、阿呆。」
心臓が、すごい勢いで打った。心臓?心臓が在る。この、このあたりに。身体が在る。喉が在る。拳が在る。
何故?俺は?誰?欲しい物は?なくしたくないものは・・・?
俺は、なんで此処にいて、陰陽師になる?
「ほっほ。」
「!」
声だけがした。もう誰もいない。
「倅。何をしておる。」
「・・・爺。」
無意識に呟いた。
「分かっていることだけでも、しっかり捕まえて自分のものにせんかい。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「お前はわしが見込んだ女子じゃぞ。がっかりさせるな。」
眼が開く。眼がある。此処に。
「何をしてる。」
他の声。あいつだ。
「来い。見えてるんだろ。お前には眼があるんだ。阿呆。」
足がある。手がある。俺が、いる。いるんだ。此処に。


「・・・・・・・・・?誰かしら。」
蔓が顔を上げた。自分の部屋から夜中中月を眺めていた。
誰か来た。車の音がした。まだ夜は明けていない。すっかり短くなった1日の始まりは、まだ訪れていないのだ。
立ち上がる。
同時に、蔵も異様な空気を放ち出した。
「!」
蔓は驚いた。光だした。見た事もない光だった。
それはまるで、蔵の中に今まで届かなかった全ての光が、今になって蔵の中から外にはじき出されたようだった。
蔓はすぐに下駄をはいて蔵のほうへ走り出した。
「何・・・・?」
こんな事は初めてだ。篭りの蔵と呼ばれる特殊な修行の場であるこの蔵は、危険も伴う修行のため使われることは滅多になかった。
だが、それにしてもこんな光は見た事がない。異変が起きているとしか考えようがない。
夜明け前だと言うのに、すでに何人かの陰陽師達が目を覚ましこの異変に気がついていた。
ざわざわと声がする。蔓は走る。途中で芭丈に出会う。
「何事ですのっ?」
「わかりません。なんせこんな事は・・・・。」
蔓の近くまできて、二人は驚き足を止める。
「芳河様!」
蔓が叫んだ。いるはずのない芳河が平然と蔵の前に立っていた。芭丈は駆け寄った。
「芳河殿・・・っ!どうして此処に・・・?一体これは?」
芳河は答えなかった。ただ、睨むように蔵を見つめている。光は次第におさまってきた。日の出が始まった。光は薄れ、放たれる異様な空気も薄れていく。
「芳河殿・・・っ・・・これは・・・。」
芳河は無視して一歩蔵に近づいた。
「芳河様!」
蔓も駆け寄ろうとしたが、身体が止まった。これ以上今、芳河には近寄れないと直感した。
「・・・・・・・・・っほう・・・。」
ガコン!
「!」
音がした。その方向へ、全員の視線が注がれた。芭丈の頬から汗が落ちる。
ず・・・ずっ・・・・・。脚をすって、彼女は出てきた。下を向いているので表情は見えないが、やつれているように見える。その袴はすっかり埃にまみれで、髪の毛はぼさぼさだった。全員が息を呑む。
音華が芳河の所までくると、音華は立ち止まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
二人は無言で固まった。周りのものも、固唾を飲んでその光景を見守っていた。
「・・・・・・・・・・・・行くぞ。」
ぽつりと芳河が呟いた。音華はゆっくりと頷いた。すると芳河の右手が音華の左手を掴んだ。
「!芳河様・・・っ。」
蔓は呼んだが芳河は無視したまま音華の手を引いて歩き出した。
「芳河殿・・・っちょっと待ってください。どこへ・・・・。」
「連れて帰ります。お世話になりました。」
芳河は低い声でそう言った。音華はうつむいたまま芳河に引かれて歩いた。
「ちょっと待ってください、何も聞いていません・・・・っ。」
「関係ありません。音華の身を隠すなら、あの山で俺が結界を張って全力をもって完璧に隠します。」
言い切った。
「失礼します。早朝から失礼しました。」
芳河は足を速めて、車のもとまで行き音華を車に乗せて、車を発進させた。
残された人間の間ではいつまでたってもざわめきは消えなかった。蔓は声が出ないまま佇んでいた。

唸る。エンジン音。道路が車を揺らす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫か。」
芳河が小さい声で呟いた。音華は無言で頷いて返した。音華は日の光の中でみると、随分やつれていた。
唇は乾ききっていたし、頬もこけたような気がする。
「・・・・・・・・・・・・・・悪かったな。」
音華はそう芳河が謝った意味がわからなくて、ゆっくりと目線を向けた。
芳河はこちらを見ていない。真っ直ぐと前を向いたままだった。
音華はゆっくりと視線を落とした。芳河の手が、まだ自分の掌と繋がっている。
音華は呟いた。
「え?」
芳河がこちらを見る。
「腹・・・・・減った。」
「・・・あぁ。次のサービスエリアで何か買ってやる。」
音華は、目を閉じた。そのまま落ちるように眠りについた。
芳河はその寝息をきいて、ため息をついた。

温かい掌。なくしたくないものは、簡単だ。
音華は涙をこぼした。それは無意識に、それは眠ったまま。

サービスエリアについて、芳河は車を止めてもらいそっと指を解こうとした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おい。」
声を掛けたが、起きない。真剣に深い眠りについている。
ほどけない。硬く握られたまま。芳河はため息をついた。
「すみません。これで食べ物を買ってきてもらえませんか。」
運転手にお金を渡して、硬い車のシートに体を沈めた。
「・・・・・・・・・・阿呆。」


on*** 32 終わり



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