叫んで目を覚ます。

「音華!?」
がらっと障子が開けられた。芳河が飛び込んできた。
「・・・・・・・あああぁぁぁー・・・・・・。あ?」
ぐるっと顔を回して芳河の顔を見る。
「どうした?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・や、なんでもね。」
自分でも何があったかわかんないので。

結局昨晩は御飯も頂かずに眠りについてしまったらしい。そして悪夢を見たらしい。
「うわ。背中汗びっしょり。どうやったらこんな寒い日に汗かいて起きれるんだ。いっそすごいな。」
独り言を言いながら着替える。
「・・・・おい。」
声を掛ける。
「なんだ。」
「なんで部屋の前でスタンバって待ってもらわないといけないんですか。」
「なんでもいいだろう。」
「・・・なんか、久しぶりで、やだ。」
これから身清めにいかされそうで。
あぁ、つくづく、つくづく此処に連れてこられたのが初夏で良かった。
初めの頃は身清めが義務付けられていたからな。
こんな時期に連れてこられたんじゃたまったもんじゃない。
「終わったぞ、飯だ。飯。」
「何言ってる。行くぞ。」
「あ?」
ちょっと。待て。
バシャーン!
「ざざざざけんなだあほがぁぁぁぁぁぁぁああああ!」
「言ってないで、行け。」
「鬼!悪鬼!牛魔王!」
「牛じゃない。」
天国のお母さん、俺はこの男が死ぬほど憎いです。

「・・・・さささささささむいんんんんですけどぉおおおお。」
箸がカタカタなります。
「しっかり喰え。」
「鬼!」
御飯をつまむ。
「・・・あれ、エリカは?」
「エリカは多分まだ寝てる。」
「・・・、やっぱり・・・昨日の」
「なんでもない。ただ疲れただけだ。お前も経験あるだろう。陰陽術はものすごく人の力を喰う。」
「・・・あぁ、だいたい陰陽術使った後ものすごい眠気が来るな。」
「おんなじことだ。」
だけど、エリカだぞ?俺なんかとは違うだろ。
そうは言えなかった。
「あ、そういやお前、なんか昨日依頼が来てたんだろ?なんだったの?」
「なんだ、興味があるのか。」
「別に、一応、聞いとこっかなって。」
「・・・お払いだ。唯の。」
「へー。また物の化?」
「そうだな。」
「なに、壺?」
「あぁ、今回も、壺だ。」
「へぇー・・・霊視すんのか?」
「した。」
「早。」
ま、そりゃそうか。自分とは違う。天下の芳河様だ。
「どんなの?」
「今日はやけに訊いてくるな。」
「・・・別に、いいじゃん。訊いたって。不愉快?」
「いや。あの壺は、魔窟の入り口になりかかっている代物だ。」
「・・・魔窟って、魔界とかそういう系?」
「虚の更に奥にある空間だ。」
「へー。で、なんでその壺がそこへの入り口になりかけてんだ?間違えたか?」
「しらん。だが魔窟の入り口は突如ぽっかりと口を開く。過去にも何度か開いた。百鬼夜行などの怪奇現象はその前触れだ。その都度陰陽寮が動き、その入り口を塞いできた。」
「・・・そんなすごいもんが、なんで壺?」
「媒体はいたる物がなりうる。驚くことじゃない。」
「でもなんで今普通に此処に届けられたんだ?入り口です、閉じてくださいって誰か言いに来たのか?」
「入り口になりかけているものは腐るほどある。それが育つか育たないかは誰にも分からん。ほぼ全ての入り口の前兆は、入り口が開く前にその機能を失ってしまう。」
「じゃ、普通のもんなんだ。」
「あぁ、だが、その入り口の前傾はひどく霊響を放つ。ゆえに霊が集まりやすくなる。実際依頼人もこれが入り口だと知って持ってきたんじゃない。」
「じゃ、何があったんだその壺に。」
「家に奇怪な事が起こり始めたらしい。この壺を持って帰ってきたその日の夜から。」
「ふーん。ま、頑張れ。」
「あぁ。」

エリカは本当にただ陰陽術を使ったから眠りについているだけなんだろうか。
ふと、墨をすりながら考えた。
本当は、何かがエリカの身に起こったんじゃないのか?
昨日のあの暗闇の体験は、奇妙に身体に感覚の痕だけ残してる。その瞬間のエリカを知らない。
気がつけばエリカはボロボロになっていた。その空白の間に、何かあったんじゃないのか。
ごくん。唾を飲み込んだ。
落ち着け、でも芳河は平気だと言っていた。
でも、もしかして、自分を守るためにエリカが傷ついたんだとしたら。
やばい。いてもたってもいられなくなった。
芳河が命じてきた墨磨りなんてどうでもいい。そんなもんは午後、札の書き方を習いながらだって出来る。
「エリカ!」
エリカの部屋へと走った。そしてそっと、音をたてないように障子を開ける。
「・・・あれ。」
いなかった。
起きたのか?
でも定かじゃない。安心したい。
音華はそのまま向きを変えて走り出した。
芳河の部屋へ。
「芳河!」
スパーン!と障子を開けた。いい音がした。手加減無しに思いっきり開けたからだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。て。」
あぁ。あれ?
―――・・・廊下。
「・・・音華?何してる、墨は磨れたのか?昼からたくさん・・・使う・・・・って、なにする。」
胸倉を掴まれていた。それもものすごくゆっくりと掴まれた。
「お前、エリカとやったの?」
真剣な目で聞かれた。真剣に頭からネジが外れそうになった。
「は?」
「うわー・・・!駄目だ、どんな顔してエリカに会おう・・・・。」
「何の話だ。」
「え、やったんだろ?」
やったとかやらないとか、下品だからその口を閉じろ。
「なんでそうなる。」
「だって、お前の部屋に行ったらエリカが寝てた。半裸で。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あいつ、またか。」
「また?!え、なんだ!またって何!」
芳河は音華の手を剥がそうとするが、真剣に、胸倉を掴んでる。
「なんで?!」
「なんでって、なんだ。」
「や、だって、エリカ。芳河とは幼い時から一緒に育ってるからそういう風には見れないって言ってた。・・・っていうか。あー・・・気まずい!見なきゃ良かった。」
音華は真剣に、後悔してた。
「悪いが何もしてない。あいつが俺の部屋で倒れたから寝かせてただけだ。」
「じゃあなんで半裸?」
「あいつの癖だ。寝てたらどんどん脱ぐ。」
「・・・破廉恥。」
真剣に軽蔑の目。
「俺のせいじゃないだろう。」
音華は手を離した。芳河は乱れた襟元を直す。
「・・・気まずい!」
「気にするな。あいつは何も気にしない。」
「・・・でもやってなくってよかったー!やってたらまじで更に気まずかった!」
「お前、その下品さ、何処で手に入れたんだ。」
呆れた。

「ここは、こうだ。ちゃんと書けよ。間違えたら意味が全くない。」
「分かってる。」
音華は筆をゆっくりと半紙に滑らせる。
札って中にこんなにたくさん字が書いてあったんだ。
一回しか使えないくせに作るのにものすごく手間がかかる。
っていうか。
「集中できません。」
すぐ後ろでエリカが寝てるから。
なんとか服を上手い事着せなおしたが、気になってうまく集中できない。
「・・・・・・・・・じゃあ、お前の部屋でやるぞ。」
「え、俺の部屋ぁ?いいけど、狭いだろ、此処より。」
「関係ない。死呪を放ったりするわけじゃない。」
「うえー・・・。お前墨持てよ。」
「分かったからさっさと動け。」
というわけで、音華の部屋で講義は続くことになりました。
がらっと、戸を開けて芳河が一歩音華の部屋に入ったところで、急に立ち止まった。
「っておい!止まるなよ!ぶつかるだろ!」
「音華。」
「なんだよ。」
「お前、いつからこの壺がここにあるか知ってるか。」
「へ?」
芳河の後ろから自分の部屋の中をのぞいた。
ぞくっとした。
あるはずのない壺が、そこにある。
黒い、漆が塗られた壺だ。上品で、そんなに大きくないけど、威厳がある。
「俺、しらねぇ!」
「だろうな。俺も知らない。いつからあの部屋にないのか。」
「・・・なんで俺の部屋に・・・。」
「お前に用があったんだろう。」
「約束なんざしてねぇよ!」
壺に知り合いなんていません。
芳河はため息をついた。
「・・・封印するしかないか。」
「してなかったのか?」
「あぁ。警戒が甘かった。」
芳河は壺に近寄って指で空を切る。
「封・・・!」
ビシっと何かがひび割れる音がして、空気が一瞬裂けた。
「・・・。」
芳河はそのまま壺を抱えあげた。
「ちょっと待ってろ。」
「・・・あ、あぁ。」
そしてどこかへ行ってしまった。
だけど見た。その背中。その足元。影がまた薄い。
「音華。」
「うわ!」
後ろから滅多と聞かない声を聞いて飛び上がった。
「ばばば、婆!」
「なんじゃ鬼でも見たような顔して。」
「なんでもねぇよ!てめぇが滅多なことするからだ!」
「お前に話しかけて問題があるか?」
ないけど。
「で、なに。」
「これ、お前に届いてたぞ。」
「また不幸の手紙か?」
婆が音華に手渡したのは、木の箱だった。
「・・・?なんだこれ。」
「香やて。香屋の店主からや。」
「・・・あ、ありがとう。」
木のふたを開けて見る。その中に浅葱色の小さな袋が入ってた。破魔だ。
「それから。」
「まだあんのか。」
「お前、3週間後、単身調伏せい。」
「・・・あ?」
「段取りはそろえたるから、ええな。しっかり鍛え上げや。手を抜くな。」
「ちょ、ちょっと待て婆!つまり何だ!俺、一人で、言霊衆無しで調伏しろってことか?」
「他意があるか?」
「おかしいだろ!なんで急に!俺、一回しか調伏したことないんだぞ!」
「なんや、できんて言うんか?」
「で・・・・!・・・やるけどさ!」
ずるい。
「ほっほ。その意気やで。」
婆は楽しそうに笑った。だけどすぐに目を細める。
「音華。お前、それ何や?」
「は?どれだよ。」
「・・・オン。」
ボッ!
耳元で何かが瞬間蒸発した。
「なっ!なにしやがった!」
「・・・なんでもあらへん。音華、お前、なんかあったんか?昨日。」
「・・・あ・・・ったといやぁあった。」
「なんや。」
「なんか、悪鬼に飲み込まれたらしい。」
「・・・飲み込まれた?」
「エリカが助けてくれたけど・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。そうか。」
婆は眼を背けた。鋭い目をした。
「芳河はなんも言わんかったけどな・・・。いい。ほんなら、ちゃんと修行するんやで。」
「わかってら。」
「ええこや。」
婆はひょいっと音華に背をむけて、すすすと歩きいってしまった。
「・・・ええこ・・・か。」
耳を抑えてみる。本当に何が蒸発したのか。
「音華。」
入れ替わり立ち代り・・・。
「続けるぞ。」
「おう。」
頷いた。
「今、珍しく婆が来たぞ。」
「婆やが?」
「おう。なんか。俺に3週間後、一人で調伏させてくれやがるらしい。」
「・・・・・・・・・・3週間後。」
「そ。それから、香が届いてさ。良かった。昨日多分原で失くしたんだ自分が作った香。なんかそれ察知したみたいに届いたよ。すげぇな、あの人。あれかな、そういうのわかるのかな。」
「・・・あぁ。」
芳河が昨日の夜電話して頼んだんですけどね。
「なぁ、婆って、俺の母さんの育ての親なんだよな。」
「そうだな。」
「・・・俺の母さんの生い立ちとか・・・全部知ってるんだよな。」
「そりゃあな。」
「・・・そっか。」
婆の去っていったほうを見つめる。
「訊きたいのか。」
「おう・・・。って・・・いや、別に。」
隠してみる。無駄ですけどね。
「若草様の生まれは北の霊山だ。」
芳河が座りながら言った。
「そこで両親とは死に別れたらしい。」
「・・・聞いたことある。」
「それで当時姫様の側で仕えていた婆やが若草様の面倒を見ることになったそうだ。」
「・・・仕えてた・・・って。今の・・・」
言いかけて止めた。峰寿のことは言わないほうがいい気がしたからだ。
「じゃあ姫様って、母さんのこと生まれた時から知ってたんだ。」
「あぁ。共に育ったようなものだろう。」
「・・・へー・・・。で、此処に引っ越してきたんだ。北の霊山には住み続けなかったんだな。」
「・・・北の霊山は・・・霊山としての機能を失いつつあった。」
「は?」
「一度あの山で入り口が開きかけた事があったんだ。それをきっかけに清められていた空気と水が汚れはじめた。」
「・・・じゃあ・・・。」
「そのために両親は亡くなったようだ。さらに若草様自身も弱ってきた。」
こくんと飲み込んでみる。想像がつかない。清められた場所でしか生きられない人間のこと。
「それで、この霊山にやってきたというわけだ。北に比べるとそこまでの霊山でもないらしいがな。」
「・・・そうなんだ・・。」
「続けるぞ。」
「おう。」
頷いた。
母親の子どもの頃を想像して見る。なんだか容易に想像できた。
きっといつもみる母親の姿が本当に若いからだ。
「集中しろ。」
「してる。」
「・・・ちゃんと憶えろ。俺が側で教えなくてもいいように。」
筆を止めた。そしてゆっくりと顔を上げる。
「・・・なんだ?」
「・・・なんでもない。」
もう一度手元に目線を戻して書きはじめる。
だって。今の言い方。なんだか、もうすぐ芳河がいなくなるような、そんな感じがしたんだ。

「うー・・・・・ん。」
エリカが手足を伸ばして唸った。
「うわ!?」
そしてがばっと起き上がる。辺りを見渡す。状況把握に時間が掛かる。
「起きたか。」
「あ、此処、芳ちゃんの部屋かー・・・。・・・・・・・どれくらい寝てた?」
「丸一日だな。」
「あ、ホントに。まずったなー。明日出るんだ。用意しなきゃ。」
「峰寿が代わりに行ってくれる。だから休んでろ。」
「峰寿が?あれ、姫様は?」
「今日から籠ってる。」
「そっか・・・。そりゃありがたい。じゃ、ご好意は頂きましょう。」
エリカは起き上がった。
「・・・芳ちゃん服着せてくれた?」
「俺じゃない音華だ。」
「そっか。」
気にしません。
「音華ちゃんが来て、もう結構たつねぇ。」
帯を直しながらエリカは言った。
「あぁ。3週間後には単身調伏だ。」
「た・・・!?」
驚く。
「本当に!?」
「あぁ、婆やが段取りを始めた。」
「・・・ほ・・・えー・・・。すっごいスピードだねぇ。」
「あぁ、それで俺も任を降りる。」
エリカは固まった。
「・・・つまり、音華ちゃんのお目付け役、降りるってこと・・・?」
「あぁ。」
「・・・・・・・・・・そっか。随分早かったね。一年だっけ、言われてたの。」
「あぁ。」
「寂しいね。」
芳河は頷かなかった。
「で?例の依頼。いつ片付けるの?」
「来週か再来週には準備ができる。」
「準備?」
「穴埋めだ。」
「あぁー。穴埋めって結構大変らしいね、準備。」
「あぁ。」
「・・・芳ちゃん。また影薄くなってる。」
「気にするな。」
「・・・無理しないでね。芳ちゃん。」
「あぁ。」
エリカは微笑んで戸を開いて廊下へ出た。
「おやすみ芳ちゃんっ!布団ありがとう!」
「あぁ。」
エリカは戸を閉めてその場を去った。
空を見る。深い色だ。白い星が輝いてる。空気が張りつめている。
こんな夜だった。
こんな夜だった。芳河がエリカに言ったのは。
『俺も、若草様の子どもに生まれたかった。』
芳河がこぼした最初で最後の弱音だ。
「・・・・・・なんでこんなに上手くいかないんだろ。」


「札、使ってみろ。」
「う、おう。」
バシッと指ではさんでみる。昨日書いた自分の札。
「行くぞ。」
「おう。」
芳河がかまえて術を唱える。瞬間飛び出してくる子鬼殿。
「オン!」
バション!
当たるには当たった。だが。
「・・・・・・・・・・何だ今の。」
音華は首をかしげた。安っぽいレーザービームみたいなのが出た。
子鬼殿はひっくり返って目を回していただけだ。消えちゃいない。
「・・・使えただけ花まるだ。」
おい。
「分かったか。集中して念を送らないと意味ない。」
「・・・・・・・・ワカリマシタ・・・。」
くそう。
「それから。」
「ん。」
「今日から神語を憶えろ。」
「また暗記?!ってなに、シンゴって。」
「神相手に使う言葉だ。普通に話すよりも効果がある。」
「・・・あ?」
「禍神を憶えてるか?」
「う・・うん。」
忘れられるか。
「あの時に少し使った。人の言葉よりも直接に届く。安心しろ。簡単だ。真言を憶えていたら。」
「・・・あ、そう。」
その言葉が嘘であると気付くのはその2時間後。

「鬼!」
「やかましい。」

芳河がすっかり日常の顔になってしまっていた。2月。寒い、冬。


On*** 44 終わり



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