三遊間をぬけた、白いボール

甲子園はとっくに始まってた。毎年初めから観てたのに。暇つぶしに。
8月14日。世はお盆シーズンで、どの人も休暇である。
「お盆か。祭だな。」
音華は呟いた。施設の子ども達につきあわされて毎年15日の市民の盆祭には顔を出していた。
たいしておもしろくもないのだが、ただで貰えるコーラがなんとなく嬉しかった。
「祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事。」
広辞苑より。
「・・・・・・・・・・・・祖霊・・・・・。」
呟いてみた。
ずっと無縁だったもの。盂蘭盆。

頭をよぎったもの。
「え?」
「・・・あ、いや、なんでもない。」
口にだそうとして、やめた。
エリカは不思議そうな顔をして言ってしまった。
なんか、このバカンスシーズンにも沈めなければならない恨みがあるらしい。世知辛い世の中だ。ため息。
母親の墓。
頭をよぎったもの。
何処にあるんだろう。
音華は、一人縁側に出てあの五行の本を読みはじめた。この間よりは少し理解できた気がする。気がするだけだけど。
「・・・シャン・・・、なんでこんなに色んな性質持ってるんだよ。」
ブツブツ。
ふと顔を上げた。静かな庭を見る。
母親は、若草は、母さんは、ここから出ることはほとんどできなかったんだよな。
じゃあ、その墓も、ここから遠くに置くのも変だ。はたまた家族の墓、とかいう物があって、遠くにあるなら別として。
自分の親の親?なんだか遠すぎるものなのでなにも頭には浮んでこない。
「・・・・・・・・うーん・・・・。」
立ち上がった。だめだ。あんまり考えるのは、そろそろしんどい。そして脚の赴くままに歩きだす。
いつか、高校で鞄という物語をよまされた。その鞄を持っていると、その鞄が導くほうへ勝手に脚が動き出すとか言う話だ。
今考えれば、その鞄、物の化だったんじゃないだろうか。
廊下をすすみ、以前峰寿と一緒に座って喋った小さな中庭があるところに着いた。
そこで音華は立ち止まって、静かに鳴る嗣子嚇しを見つめた。
カコン、と言う音が、胸にぽっかり穴をあける音に聞こえた。
「・・・・・・・・・。」
その奥の廊下を見る。なんだか、ものすごく置くに繋がっていそうな少し暗い廊下。
カコン。もう一度嗣子嚇しが落ちる。赤い金魚が、泳ぐ池。
音華は、再び、足が赴くまま、進みだした。その奥へ。きっとこの寺の、最奥へつながるだろう、この廊下を。
一歩。入ろうとした時だった。
「音華ちゃん!」
振り向いた。
「峰寿。」
峰寿だった。
「何してるの、音華ちゃん。」
「あ・・・・や。ちょっと考えごとしてたら、此処に・・・。」
「・・・・・・・そか・・・・。でも此処はダメだ。」
「・・・へ?」
峰寿が真剣な顔をして言った。
「此処は、此処から先は入っちゃダメだよ。」
「・・・なんでだ?」
「入れない領域だから。」
音華は黙った。カコン、嗣子嚇し。峰寿の真顔。
「わかった。」
ただ、そう答えた。
そして、脚をもと来た道へ戻す。
「なんの考え事?」
「え・・・や。・・・・・・・・・・・別に。」
「別に、って顔じゃないけど。」
「・・・・・・・・。あ・・・あのさ。峰寿。」
「うん?」
穏やかな峰寿の表情。
「あのさ、俺の、祖父さんとか、祖母さんとか。いないのか?」
「若草様の?」
頷く。
「うーん・・・・。確か・・・―――。」
「おらんぞ。」
別の声が後ろからして音華は驚いて振り向く。
「ば・・っ婆!」
婆が最奥の廊下からやってきた。
「若草殿の親は、おらん。」
「・・・あ、やっぱり。聞いたことないですもんね。」
峰寿が笑った。
「親がいないって、じゃあ・・・・。」
「わしが若草殿の育ての親や。いうたやろ?」
「・・・・って。あぁ。・・・・でも、じゃあ、祖父さんたちは・・・・。」
「若草様が幼少の頃に亡くなった。」
沈黙。どうリアクションできただろう。
「・・・母さんは此処で生まれたのか?」
「いや。別の霊山だ。」
「・・・・・・・・じゃあ、俺の祖父母は、そこで死んだんだ・・・・。」
「あぁ。」
婆は、頷いた。
「今もあの山で、ねむっとるよ。」
「・・・・・そうか。」
墓は、そこにあるのか。
「その山、何処にあるんだ?」
「・・・此処からは遠い。」
「・・・・・・・そうか。」
峰寿はそのやり取りをじっと黙ったまま見ていた。
「峰寿、後で来いと申されておったぞ。」
「あ、はい。」
婆は音華と峰寿をぬかして廊下を渡っていった。しばし、沈黙。嗣子嚇しが鳴る。
「音華ちゃん?」
「あ・・・・?あ、おう。」
振り向く。
「もしかして、若草様のお墓の場所、知りたいの?」
「!」
かっとした。
「や、そういうんじゃない!」
恥ずかしくなった。
「んー、でも俺も・・・知らないなぁ。まったく親戚でもないし・・・・。エリカなら知ってると思うけど、多分今日も明日もこの調子だと手いっぱいだから、・・・ま、会った時に訊いてみなよ。」
「・・・・お。おう。」
「でも確か、この山だった気がするけどなぁ。」
「・・・祖父母の墓がある山?」
「あ、それは違うけど、若草様のお墓。確かね。」
「・・・・・・・・・・・・そうなんだ。」
「確かね。」
峰寿は笑って音華の頭を撫でた。
「まぁ、なんにしても、エリカに聞いてみなよ。」
「うん・・・。ありがとう。」
「いいえっ。」
音華は歩き出して、元来た道を戻った。
「・・・芳河よりよっぽど素直だよなぁ。」
峰寿は、その後姿を見送って微笑んだ。だがすぐに顔を引き締め、くるりと身体の向きを変える。そして沈黙のまま、最奥への廊下のほうへ、進んで消えていった。


脚は進む。別の道を選んで。
「・・・・・・・・・・この山。」
この山なんだ。ふと空を見上げて見る。入道雲が大きい。今日も夕立が来るだろう。
今日が、14日、明日が、お盆。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
音華は立ち止まって考えた。お盆。今まで関係のなかった行事。親のいない子どもには、祖霊なんてものは確かめようがない。
「・・・・・・・・・・・・・・この山、なんだな。」
門からは出れない。音華は、空気を深く吸い込んでから、再び歩きだした。この社の中にあるかもしれない。
こんだけ大きいんだ。お墓があってもおかしくない。
もともと神社とか寺はそういう場所でもあるだろ。
あの最奥の廊下は渡れないが、あそこには、無いという不思議な確信があった。
あそこは別の場所だ。別の何かがある場所だ。
まだ日は高い。この屋敷、全部まわって見ようと思った。
音華は、どたどたと廊下を進んだ。エリカに会えれば早いのだがそれもままならない。
心の奥の方で、明日のお盆までに間に合わなければ、という謎の観念があった
。それまでには、墓参りをしたい。してみたい。
言霊衆の声がした。どきっとする。言霊が聞こえてくる。どこかで、調伏が行なわれている。
エリカ?違う、エリカは一人で調伏をするといっていた。
きっと他の陰陽師が調伏しているのだろう。
お盆シーズンで幽霊の世界も活発化しているのだろうか。音華は更に奥へ進む。
まるで冒険だ。なんでこんなにでかいんだこの寺。建物もそうだが、敷き地がでかい。
足を止める。右手に小さな洞窟の入り口のようなものがある。
「・・・・・・・・この先って、寺の外に換算されるのか?」
だったら行くことはできない。近寄ってみた。嫌な感じはしない。のぞきこむ。奥に続いてる。息を呑む。
「・・・・後回し。」
決定。身体の向きを変えて更に奥へ。ぐるりと、館の周りをまわる形で、進む。
井戸がある。納屋のようなものもある。池がある。随分歩いて、寺の裏側に来た事に気付く。
「なんだこれ。」
不思議な感じがした。
裏なのに、まるで神社の表側のように、白い砂の上に石の道が埋め込まれている。
鳥居が、あるが、その先に山の下へ続く階段があるわけではない。鋭い傾斜にうっそうとした木々の影があるだけだ。
まるで、この寺のこの裏の道はここでブツンとちぎれているようだった。
じゃあ、でももとは何処に繋がっていたのかは、想像もつかない。
不思議だった。この場所。やたら綺麗にそろっているし、空気が静かだ。人が居ない世界に来たみたいな錯覚に陥る。
音華は声を失ったまま、足を進める。裏なのに玄関よりも下手すれば広々見える。変な造りだ。
ずっとすすんでいくと、祠があった。そこは大きな木が生えていてなんだか薄暗かった。
すぐ側に石で囲まれた小さな泉がある。さらにぐるりとまわろうとしたが、この先にはなんだか行けそうにない。
草がぼさぼさ生えていて、蝮が出てきそうだ。音華は、その道を諦めて、来た道をもどることにした。
それにしても静かな場所だ。っていうか、本当になんでこんなに広いんだ。必要なのか?と思うほどだ。
いきなり肌がピリッとした。
「・・・・・・・・・?」
顔を上げて空をみて見る。先ほどよりも大きな入道雲が育っていただけだった。
だけど確かにピリッと、まるで静電気が頬を撫でたような感触があった。
悪いものじゃない、気がする。だけど、無視する事も難しかった。
音華は歩き出す。空を見たまま。思ったより、天上の風は強いらしい、雲がずれていくのがわかる。
音華の足もそれにしたがって速くなった。
なんだろう、言葉では説明できない心の波がゆれている。
ぐるーっと、館の角を曲がり、さっきの洞窟の前までくる。
でも、此処じゃない。どこだ?何が、かはわからない。だけど、それが何処からか来ているのかなんとなくわかった。
それに足がつられるように動く。そんなに遠くないはずだ。洞窟を通り過ぎようとした時に、ふと足を止めた。
「・・・・・・・・上になった。」
その流れが上へつながって行く。見あげる。
洞窟の上は小さな丘のようになっており、どこか森の方へつづいていく感じ。きっと門の外のあの鬱蒼とした森だ。
だけど、それは其処からきている。
音華はふっと辺りを見渡す。言霊衆の声が聞こえる。
さっきの静電気のような感覚はもはや感じないが、何か白い糸が見えるようだ。
音華はゆっくりと袖をまくりあげ、もっていた下緒で固定した。
袴はそのまま。音華はがっと地面をを掴んでそのこんもりと盛っている土をよじ登り始めた。脚がすべる。
音華はずるっと草履を脱ぎ捨て、足袋で地面を蹴り、登りだした。
砂は思いのほか硬く、すべる。
音華は微妙なバランスを保ちながら器用にその小山を登った。
こういう、猿みたいな真似は結構得意である。なんとかよじ登りきったとき、ドキッとした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あ。」
一人の男がそこにかがみこんでいた。
「・・・・・霊か・・・・・・・?」
独り言。
「霊ではない。」
「!」
あ、人間でしたか。失礼なことを言ったと思った。
その男は振り向かないまま、何かに向かって座っていた。
「墓・・・・・・?」
もしかして、と思った。胸がドキドキいっている。
「・・・その墓、もしかして・・・・若草・・・って人のか?」
聞いてみた。
「あぁ。」
やっぱり。なんだかとても気持ちが高まってきた。こんな処にあったのか。
その墓石は、小さく普通の四角い石ではなく、丸みを帯びた石だった。というか、単なる石を突き刺した感じがした。
そこには確かに、若草、とかいてある。没後の名前だから、ちょっとよくわからないが、若草と言う文字だけはわかった。
男は、華を添えるでもなく、ただその墓の前に座っていた。
「・・・・・・・・墓、参りか?」
「あぁ。」
振り向かない。
男の背中は広く、ちょっと芳河に似た雰囲気だった。
髪の毛の色は、濃い茶色で、短い。後姿から見て、多分中年くらいの男だ。
こんな人間いたかな、と思った。だけどその格好は着物だったし、ここの無関係者だとは思えなかった。
沈黙だけがひろがる。
ふいに男は立ち上がった。
「あ・・・・・行くのか?」
「あぁ。そろそろ戻らないとならないからな。」
「・・・あ・・・・・・。」
何を言おうとしてるのか自分でも分からないが、何かを言わなくてはいけないような気がした。
「なんだ?」
「あ・・・ありがとう。」
「・・・・・・・・・・。」
「あ・・・いや・・・っ・・・違うくて。」
何がありがとうだ。言葉が恐ろしいほど上手く練りだせない。何が言いたいのか、自分でも分からない。
「・・・あぁ。」
だが男はただそう呟いた。音華はなにも言えなくなって、黙った。
「ここは淋しい。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・。あぁ。」
「時々、顔をみせてあげなさい。」
「・・・・・・・・・・・・・あぁ。」
頷いた。後ろをみて見た。館が見える。実際上からみるととても大きな館と思った。此処で一人、母は眠るのだ。
「あ・・おっさん!」
振り向いた時には彼は森の奥の方へ進んでいた。何処から帰るのだろう。
「それから。この森には、入るな。」
「・・・・・・・・え?」
「まだ、入ってはいけない。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう。」
頷いた。彼も一度頷いてそしてまた森の奥へと進んで行く。
「や、おっさんもこっちから帰れよ・・・!」
声を掛けたときだった。
彼は消えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
目をこする。
居ない。忽然。空気に溶けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。やっぱ霊じゃねぇか。」
嘘つき。
結局顔は見ることはなかった。もしかしたら、ものすごい顔だったのかもしれない、と思うと、見なくてよかったとも思う。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
改めて、母親の墓石を見る。音華は今度は心音が恐ろしいほど静まってるのを感じた。
母親。本当に、死んでいたんだ。
―――両親なんかない。
そうやって生きてきた。大体、施設にいる子どもは幼い頃からそれを身にしみて、突きつけられているものだ。
でも、俺達は、その両親というものの、顔すら知らない。
顔を知らない人間が、本当にいないのかなんて、存在の有無なんて、はっきりと定義する事はできるわけない。
だからきっと、どこかで生きてる。いるんだって、思ってる節があったこと、認める。
無性に悲しくなってきた。涙は出ない。だけど、胸が痛んできた。悲しい。ものすごい孤独を感じる。
手に何も持っていない。
「・・・・・・華・・・・・。」
森に、雑草だけど、花が咲いていた。
音華は恐る恐るその花に近寄りそっと摘んですぐに墓の前に戻ってきた。そして、竹をわったコップにさした。
「・・・うわ・・・・。ぶさいく。」
不細工にささったものだ。音華はしばしかがんでその華が風で少し揺れるのを見ていた。
「・・・・・・。母さん。」
ゆっくりと手を合わせた。初めてかもしれない。お墓の前で手を合わすという行為自体。目を閉じた。
不思議な火の中で見た女性が目に浮かぶ。
あぁ。
悲しい。淋しい。そういう、表にずっと出して来なかった感情が渦をまき出した。
―――生きてるときに、会いたかった。
合わせた手をそっと解き、そのまま顔を泥だらけの袴に押し付けて、うずくまった。体を小さく小さくして、うずくまった。
一人でよかった。
柔らかく生ぬるい風が、音華の髪を揺らす。
その髪の毛の揺れるのを、なんだか撫でられているような気がして、いつのまにか、そこに座りこんで眠ってしまった。


「何処行ってたの?音華ちゃんっ。」
エリカが、探してたらしくほっとした表情で音華に駆け寄った。
「エリカ。調伏は・・・・?」
「あ、うん。今日はすごく早く終わったの。って、心配したよ!」
「・・・ごめん。」
「・・・?なんかあった?音華ちゃん。」
「え。あ、いや。ない。」
首を振る。
「あ、エリカ。」
「何?」
歩きだす。夕餉の時間だ。
「あのさ、屋敷の中に在る、なんか小さな洞窟みたいなの、あれ。何だ?」
「・・・・・・あぁ。霊鏡堂か。うーん。今は遣われてないんだけど、昔はあの中に篭って占いをしてたんだって。奥に大きな鏡があってね。・・って!音華ちゃんよくみたらすっごい埃まみれじゃん!どうしたの!?」
「あ!いや!ちょっと転んだんだ・・・!」
この格好で小山よじ登ったとは言えない。
「大丈夫―?赤チンあるよ。」
「・・・マキロンないのか?」
笑った。
「ね、音華ちゃん。」
「ん?」
「あとでもう一回花札しない?」
「またっ!?」

むし暑い夜だった。
世の中はお盆の休暇シーズン。
甲子園はもうすぐ準々決勝。
今夜の花札は、2対1で負けた。


On*** 21 終わり



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