長月が終わった

「出雲?」
音華が目を丸くした。
「どこだそれ。」
「知らんのか。阿呆が。」
「知りませんすいませんねどうも。」
「島根県にある町だ。明日発つぞ。」
「それって俺も?」
「当たり前だ。」
味噌汁をかきこんだ。濡れた髪のおかげで寒い。そろそろ朝の身清めもやめてしまいたい。
「なんで?」
「出雲の神に挨拶に行く。」
「・・・・・・・・・・・・は?」
「知らんのか。今日から神無月だ。」
「・・・なんて?」
「今日から、旧暦の十月だ。」
ゆっくり、はっきり言い直した。ため息をつく。
「八百万の神が出雲大社に集まる月だ。俺達は神の声や力を借りたりもするからな。これを機に挨拶に行く。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・神様?」
さっぱりなんですけど。
「・・・・・明日。朝10時、島根県簸川郡にある出雲大社に向かう。それだけ分かってればいい。阿呆。」
ぶっ殺す。

「そうそう、10月は神様が出雲に集まる月なんだよ。だから10月を神無月っていうの。」
エリカの解説。
「へー・・・。で、それで俺らも行くってことか。」
「そうそう。私も一緒に行くよ。」
「そっか。」
「でも、気を付けないとね。明日は芳ちゃん気を張り詰めるだろうなぁ。」
「なんで?」
エリカがくすっと笑った。
「音華ちゃんの事が心配だから。」
「・・・・・・・・・・なんであいつに心配されなきゃならない。」
腹が立ちます。不愉快です。
「いやいや、心配だよ。なんせ色んな神様の前に初のお目見えだからね。」
「・・・危ないことなのか?」
「なかにはね。神様の中には、負の力をつかさどるものもいる。覚えてるでしょ?」
頷く。あれはそう簡単に忘れられるものではない。
「音華ちゃんはとっても美味しそうな人間だからね。粗相のないように。神様を怒らせたら食べられちゃうかもしれない。」
「お・・・脅かすなよ!」
「脅しじゃないよーっ。」
笑いながらエリカは言った。
「でも、ほんと。出雲に着いたら。絶対芳ちゃんから離れないこと。それからはただ黙ってればいいから。」
「・・・・・・・うん。」
「言うことをちゃんときいて、それでばっち。」
言うことをきいて?
「むかつきます。」
「あははっ!」

早朝の身清めはとても寒かった。
朝十時に車に乗り込んだ。
「峰寿は行かないのか?」
助手席のエリカが振り向く。隣に座る芳河が音華を見ることもなく答えた。
「別行動だ。」
「ふーん・・・。」
いつもだ。いつも峰寿は別行動だった。特に気に掛ける事でもないのかもしれない。
「あのさ・・・。峰寿って・・・。」
「音華。」
遮られた。
「なんだよ。」
「出雲に着いたらしなくてはいけない作法がいくつかある。今から言うから全部頭に詰め込め。」
「あ?」
そこから始まる、車の中での御講義。酔いそうだった。

出雲に着いたのは、昼の3時ごろになった。
「はー・・・・・・・・。」
感嘆の言葉しか出てこない。
「すげぇな。」
「これが出雲大社だ。」
「神社?」
「あぁ。神聖な場所だ。」
芳河が歩き出したので音華はすかさず後について歩いた。
「でけぇ・・・・・・。」
感想。以上。
鳥居をくぐった。敷き地に入った瞬間鳥肌がたった。
何かとても清められた場所に来たような。別世界に来たような。厳かで、はりつめられた空気を肌に感じた。
他人と顔を合わせるたびに挨拶をした。それはなぜか自然に出来た。いつもならば、挨拶なんてものは苦手なのに。
挨拶以外、音華は黙っていた。何かを喋ろうと言う気にさせないこの空気。音華は芳河の背中を見つめた。
広い場所に出た。音華は息を呑む。
「座れ。粗相するなよ。」
ぼそっと芳河が音華に向かっていった。何歳児の取り扱い方ですか。
音華はだまって座った。大きな、お堂だろうか。芳河の横に座った。渡された線香一つ。火をつける。
そして何度も礼をし、立ち上がって前にすすむ。線香を刺し、そしてまたお辞儀をする。一歩下がる。頭を下げる。
まるでお葬式のようだ。出た事はないけれど。音華は思った。
だけど、前に出ていった時、確かに神聖で、かなわない大きな何かが、自分の目の前にいると思った。
それが神なのだろうか。目にかなうだけでお礼を言わないといけないような、そんな相手のような気がした。
沢山の人間がいた。みんな袴を着ていた。陰陽師なのだろうか。そうではない気がする。
「音華。」
「え?」
「いくぞ。」
ぼうっとしていた。立ち上がった。芳河はさきさきに歩きだし、この場所から出て行く。音華もそれを追いかける。
「今のが神様なのか。」
「・・・・・・・言い表せるものではないが、そうだな。」
「今ので挨拶した事になるのか?」
「あぁ。」
なんだか。簡単な気がした。
「今から何処に行くんだ?」
「贄を送りに行く。」
「贄?」
「お供えものっ。」
エリカがにこっと微笑んで答えた。
大きな岩の前で立ち止まり、芳河が持っていた袋を広げ、中の物をその前に置いた。そこには他の人間が供えたであろう物が沢山あった。
「それは?」
「界酒だ。」
へぇ。としかいいようのない。全てが初めての経験だから。ちょっと浮かれた。きょろきょろと色んなものを見ていた。
芳河たちが、さきさきに行くのにも気がつかないほどだった。
ぐん!いきなり手を引っ張られてよろめいた。
「!わ・・・!」
びっくりして、その手のほうを見る。知らない女達が立っていた。
「あの・・・・。」
「あんた、若草様の娘?」
「・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・。」
またこれだ。これだから。これだから。これだから此処は。
向けられる目に生易しいものなんてひとつもない。くそ。芳河達は周りにいなかった。行ってしまったんだろう。
言いつけを守らなかった自分が悪い。離れるなと言われたのに、浮ついた自分が悪い。
此処で、暴れる事はできないと思った。
慣れている。慣れてる。こんなもの。
「離せよ。」
呟いた。
「なんて?」
「離せ。痛い。」
「生意気な。まだ言霊をやってる程度の癖にあの山に住んどるなんて、とんだ棚ボタね。」
「若草様の血なんて、殆んど継いでないと同じの癖に。」
なんて?今度はこっちが訊きたくなった。
「若草様ももういないのに、今更でてきて。」
俺だって、今更なんだよ。今更・・・・。
「なんね、その目は。」
鬱陶しい。鬱陶しい。今すぐ此処で振り払ってやりたい。触るな。そう言ってやりたい。
「来ぃね!」
「!」
連れて行かれる。くそ。なんなんだ此処は。今時小学生でもこんな風にいじめない。
力でねじ伏せるのは簡単だった。女の子相手に負けるわけがない。男5人だって勝ったんだ。
だけど、この神聖な場所で暴力は振るいたくなかった。
胸の中に溢れる研ぎ澄まされた刃のような感情。剥きだすな。耐えろ。自分に言った。
「あんた調子に乗らんことよ。そのうち見限られて、また捨てられるのがおちやで。」
「間違わんことよ。」
「あんたは特別なんかじゃないんや。」
「みんながあんたのこと、疎ましく思ってるんだからね。」
「エリカ様だって。」
ズクン。
「芳河様だって。」
痛い。
「あんたさえおらんかったら、もっと楽やったんやで。」
痛い。
「離せ。」
「え?」
「離せ。聞こえねぇのかよ。」
低い声で唸る。
「・・・・・ちょ。」
「うるせぇんだよ!離せ!」
ばっ!
思いっきり手を引きぬいた。その瞬間、何かに手が当たった。
カシャン!
空気が凍りついた。彼女たちの顔から血の気が引いた。
「あんた・・・!なにしとるん!それは・・・・!」
零れ落ちた小さなビンのような陶器はジャリに転がった。
「知らんで・・・!あほ!」
彼女たちは後ずさった。
「・・・・あ?」
ぼぅ!その瞬間に何かが湧き出す音がした。音華の背中に突如として沸き出す汗。
「・・・・・!」
声にならない声が出る。後ろに大きな黒い煙が涌いていた。そこに浮ぶ大きな目。それは光る。
「御主か?」
問いかけられた。
「え?」
「御主が落としたのか?」
彼女たちはもう走り出していなかった。
「御主、名は。」
音華は言わなかった。これは、物の怪じゃない。鬼でもない。神だ。
芳河が言っていた。神に名前を知られる事は、魂を渡すのと同じ事。
「無礼者め・・・・・その御身で償うか?」
ぞっとした。逃げ出せない。逃げたって同じだ。ずずっとその煙はどんどん形を成していく。
だめだ。どうしようもない。
ずわっと、その塊が音華に向かってきた時だった。
ボン!
目の前で閃光が散った。
「!お・・・」
声が出た。出さずにいられなかった。
「お前!」
「久しぶりじゃのう。倅。」
「雷艶!!」
雷艶だった。小さな石の塊のようなソイツが目の前に浮んで、黒い影と音華の中間をふわんと浮遊していた。
「久しぶりじゃのう、黒子斎条神。」
「・・・・・・・・・・・・雷艶か。」
黒いそれは、雷艶を知っていた。
「そこをどけ。」
「どかぬな。悪いがこの倅は仮にもわしの主なんじゃ。まだまだちんまいがの。」
「・・・・また人についたのか。雷艶。」
「おう。面白いぞ。この倅は。」
「しかし、そいつはわしの壺を落としたんぞ。対価を払わせなければ済まされぬ。」
「なにケツの穴の小さいことをぬかすか。黒子。倅がうまそうで味見をしたいだけじゃろう。見ておらなんだか。無様に逃げさった女子たちのほうがよっぽど対価を払いたがっていたぞ。」
「・・・・・・・・・・・・ふ・・・・っ。お前はいつでも饒舌じゃな。」
「なに。お前がちいと無口なだけじゃ。」
雷艶は笑っていた。
「・・・・・・・・よい。お前が見込んだ小娘ならば、誰も手は出せぬ。」
「そいつは穏やかで良いの。ならば、あの女子たちにはわしから対価を払わせておこう。」
「はっは。以前と同じに惚れた小娘がかわいくて仕方がないようじゃ。」
「かわいいってもんじゃないぞ。」
にっと黒い影が笑った。
「久しぶりに会えて、なかなか面白かった。・・・小娘」
「い・・・?」
音華は背筋を伸ばした。
「これも縁じゃ。わしの名は黒子斎条神。つぼは戻しておけ。」
「は・・・はい。」
音華は壺をひろって元会った場所にちょこんともどした。そして顔を上げたときには黒い煙は消えていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・・・。」
汗が落ちた。
「音華。」
「!」
雷艶は、まだいた。
「爺・・・!」
「わしのおかげで命拾いしたのぅ。」
「・・・・どっから涌いたんだよ!呼んでねぇだろ!」
「なんじゃその口の聞き方は、黒子にやっぱり食べてもええと言ってやろうか。」
「・・・っあ・・・ありがとうございました!」
くそう。
雷艶は笑った。
「容姿も霊質もまったく若草には似ちゃおらんが・・・。」
やかましい。なんだかそう言われる事が多くて気に障る。
「魂の色は、よう似とる。」
にっと雷艶は笑った。その笑顔で、雷艶が本当に若草の事を、母の事を好いていたんだと思った。
「・・・・・・・・・・・もてるんだ。」
芳河も好きだと言っていた。エリカも好きだと言っていた。
「わしか?」
「爺じゃねえよ!っていうか、爺。お前どうやって呼んだらいいんだ?それ以前に俺あの後の記憶がないんだけど。周りのやつらが調伏しただしてないだ、って訊いてくるんだけど、全然覚えてないんだ。どうなんだそこらへん!?」
「おお、ここも似ちゃおらん。べらべらとよく喋る倅だ。」
「やかまし。答えろ。」
「わしはお前の式神として力を貸してやると言った。どうやって呼ぶかは、おぬしで探し当てろ。」
「あぁ?!取扱説明書無しの爺なんて扱いづらくて仕方ねぇだろが!」
「ほっほ!初めてじゃ。人間にそんな口を利かれたのは。」
「申し訳ございませんね。口は生まれつき悪いんです。」
「直に分かる。」
「直に?」
またあいまいな。
「直にわしを呼ぶための言並びがわかる。それは自然と。それは真から。一度呼ぶ事が出来たら次からは名前だけでいい。詠唱略で十分だ。」
「今日は何で出てきたんだよ。」
「わしはこう見えて神じゃぞ倅。出雲に大神と酒を飲みに来たにきまっとろう。たまたま居合わせただけじゃ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、そう。」
はははと雷艶は笑う。この間の巨大化した時の怖さはない。
「気にするな、倅。」
「あ?何をだよ。」
「さっきの女子たちの言葉だ。」
ずくん。また痛んだ。
「真実がどうであるかは、お前の目で見て、解らぬものではないじゃろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」黙る。
そうなのか?そうなんだろうか。
「倅は、なかなか面白い。分かる者にだけ分かる面白さじゃが。」
「それ、微妙じゃないか?」
褒めてるのかけなしてるのか。
「ほれ、探しておるぞ。」
「へ?」
振り向く。
芳河とエリカが、きょろきょろとしているのが見える。こっちには気付いていないが。そりゃそうだ。ここは影になっている。
「さっきの女子たちにお灸を吸えて、わしはちと羽を伸ばす。」
「いつも伸ばしてるような顔してるくせにまだ伸ばすか。」
「顔の事は倅に言われたくないな。」
「埋めるぞ。」
ほほっと笑う。
「じゃあの。」
「・・・・・・・・おう。ありがとう。」
音華はじっと雷艶を見て言った。雷艶はにっと笑う。
「そう。その素直さは、若草にそっくりじゃ。」
しゅるんと、雷艶は消えた。
音華は、ふっと息をついてから、振り向き、芳河とエリカのほうへ向かった。
「音華!」
「音華ちゃん!」
芳河の顔は怒っていた。エリカの顔は心底安心したような顔をしていた。
「どこほっつき歩いていた!言っただろうしっかりついて来いと!」
「・・・・・・ご・・・ごめん。」
「・・・・・・・・・・・・・・。はぁ。」
芳河はため息をついた。そして音華の手を引っ張った。
「来い。絶対はぐれるな。」
「はっ離せよ。」
不愉快なんですけど。
「やかましい。迷子を探すのはもう沢山だ。」
「あははっ。よかったよかった。」
エリカは笑ってついてきた。
「ものすごく心配したんだよ。芳ちゃんも私も。」
「・・・ごめん。」
「芳ちゃんだけズルイなぁ。私も音華ちゃんと手ぇつないじゃおっと。」
ぱしっと、反対側の手を繋がれる。エリカはえへへと笑ってた。その笑顔をみて、音華も照れくさそうに笑った。
―――真実がどうであるかは、お前の目で見て、解らぬものではないじゃろう。
あぁ。そうだな。
二人に手を繋がれて音華はそう呟いた。


On*** 25 終わり



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