月のある世界。

お湯につかった時、自分の体が冷え切っていたことに再度気づいた。
「・・・・・・・・・はー・・・・・・・。」
風呂からあがって、へとへとになった体を引きずり自分の部屋に戻ろうとした時だった。
「!」
芳河が廊下に立っていて、どうやら自分を待っているようだった。
「・・・・・・・。」
音華は立ち止まった。
「・・・・芳河・・・・?」
「音華。」
「・・・なんだよ。」
芳河が近付き、手を伸ばしてきた。
「・・・!」
思わず一歩引いてしまった。
「・・・あ・・・っ。」
しまった。と思う。
芳河は手を引き下げた。
「どうした。」
「・・・や・・・ごめん。ちょっと。」
首を絞められた夢を、一瞬思い出して体が固まってしまった。
「・・・いや。いい。」
「あ・・・。あのさ・・・・。」
「なんだ。」
何も言えなかった。
だって、恰好悪い。
強くなりたい。認めてほしい。
そうやって頑張った結果が、また、これだ。
ふがいない。
「夢を見たか。」
「・・・え?あ・・・うん。・・・いつから、自分が夢にいたのかも分からない。」
苦笑い。
夢の中でも、夢にとらわれていた。
「・・・そうか。」
「・・・カッコ悪いな。」
「格好の問題じゃない。」
首を振る。
「情けない。」
「音華。」
芳河が再び腕を伸ばしてきた。
「・・・!」
身体がこわばったが、一歩引くようなことはしなかった。
芳河は音華の頭を撫でた。
「無事でよかった。」
「・・・うん。辰巳のおかげで助かった・・・。」
苦笑いした。
時だった。芳河の手が頬に触れて、親指で唇に触れられた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
身体が固まる。
「・・・・・ほ・・・。」
「オン」
バシュ・・・!
音がして、音華の周りに光が一瞬走る。
手は離れた。
「・・・生命力を送り込む術をかけておいた。」
「う、お・・・・おう。あ・・・ありがと。」
び、びびった。
「音華。」
「は、はい?」
「近いうちに尋ねてこい。父上がお前に会いたそうにしていた。」
「あ、お、おう。うん。行く。」
「・・・じゃあな。」
芳河はそのまま背を向けていってしまおうとした。
「芳河!」
「なんだ。」
「心配掛けて、ごめん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いい。阿呆。」
行ってしまった。
「はぁ。」
ため息。
そして触れた。唇。
「・・・・うわ。なんかぞわってしたあー。びびったー!」
しかし、それは、嫌悪ではなく。

「目の前で奪われたからって、そっれはないよ。芳ちゃーん。」
エリカは芳河を待っていたようだった。そしてデバガメ。
「何のことだ。」
「さっきの。」
「・・・術をかけただけだ。」
「わざわざ触れて?」
「獏で損なったものは・・・口を媒体にしないと送り込めない。」
「ふーん。」
ふふっと笑っておいた。
「エリカ。」
「ん?」
「・・・・・・・・・・あの山で、見つけたいものは見つけられたか。」
「・・・・。うーん・・・。それは、私達のするべきことでもあるんじゃない?」
「・・・そうか。」
芳河は眼を閉じた。
「・・・行こう。」

「ん?」
音華は空を見上げて、何かに気づいた。
「・・・光?」
夜空を何か光が通った。
「・・・流れ星か?」
「何してんの。早く寝なさいよ。もう丑三つよ。」
後ろから声をかけられた。
「あ。」
「何よ。」
「いや・・・。」
辰巳だった。
「あ、なぁ辰巳。お前の式神ってどんなんだ?」
「はぁ?なにいきなり。私の式神は火焔っていう・・・火の神様よ。」
「・・・日本人形っぽい女の子じゃなくて?」
「なにそれ?人型ってこと?ありえないわよ。そんなの紫苑様と・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・と?」
「・・・・西宰の、ある家くらいにしか・・・・いないわよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
音華はふと視線を左手に落として、それから辰巳を見つめた。
「・・・・・・・・・どの家・・・?」
「・・・・言っても知らないでしょう。」
「聞きたいだけだ。」
「・・・ 英。」
「ハナブサ・・・。」
頷いた。
「・・・西の、裏を統べる家よ・・・。」
「・・・・・・・・裏。」
「・・・って、あんた、人型の式神に会ったの?」
「え。あ、うん。多分。あの消え方は式神だと思う。」
「どこでよ。」
「山で。」
「山っ!?」
辰巳が驚いた。
「うん。俺に、ずっと飯を運んでくれてたんだ。」
「・・・っあんたそれ、食べたの?」
「食べたよ。残しちゃ悪いと思って。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
辰巳が言葉を失っていた。
「なんだよ・・・。」
「・・・なるほどね。」
ため息。
「あんたが、あんな目に会った意味が分かったわ。」
「え?」
「その食べ物を通じて、獏をあんたの中に送り込んだのね。」
「・・・?」
「そして獏は無限に湧き、あんたの夢を食らった。あんたはいつのまにか夢の中ってわけ。」
「・・・・・・・・・・もしかして、あの飯食ったから、俺、あんなに眠かったのか・・・・?」
「眠くなるのはまぁ、意識が分散する山の中だから。当然だけど。そうじゃなくて、あんたはその食べ物と一緒に、夢の中に獏を飲みこんでたってことよ。」
「・・・・・・・。」
ぞっとした。
「自分から飲みこんでた・・・・・?」
「そ。」
辰巳はため息をついた。
「でも。その式神が何事もなくあの山に出たってことが、やっぱり変。・・・。ああ、・・・・だからか・・・。」
「え?」
「・・・エリカが、芳河様を連れて、また山に入ったわけ。」
「・・・・どういうことだ?」
「・・・道を、見つけたいのよ。エリカは。」
「道・・・・?」
「そ・・・。死界の闇を抜ける・・・、人ならざる者の通り道。」
「・・・・・・・・・・・?」


「本当はね。」
エリカが呟いた。
赤い提灯が桃色の髪を赤く染める。
「芳ちゃんが、すると思った。」
「何をだ。」
「音華ちゃんにキス。」
無言。
「・・・ふふ。」
おかしくて笑った。
「多分、辰巳ちゃんもそう思ったんだと思う。だから、芳ちゃんを守るために、辰巳ちゃんがキスしたんだよ。」
「・・・・・・・・・。」
「魂だけの存在の芳ちゃんが、自分の生命力なんか送ったら、芳ちゃんが死んじゃうよ。」
エリカが振り向いて微笑む。
「・・・済んだことだ。」
「うん。そうだね。」
歩く。登る。
「・・・本当は。」
「ん?」
今度は芳河が呟いた。
「・・・本当は、緋紗に会うための術を探していたんだろう。」
無言。
「エリカ。」
「・・・・・・うん。」
エリカは振り向かずに歩いた。
「うん。そうだよ。」
少し俯いた。
「ひーちゃんは、死界の闇に溶けちゃった。その一部になってしまった・・・。だけど、その闇からもう一度、ひーちゃんの魂を引きずり出したかったの。」
「・・・・。」
「魂だけを遠くへ飛ばす術は、そのヒントになると思ったんだ。」
赤い光が少し揺れた。
「魂を具現化する。それが、可能なら、きっとできるって。」
エリカはため息をついた。
「そしたら、・・・そしたら。私が編み出した方法じゃあ・・・ひーちゃんのお父さんみたいになっちゃうだけだった。」
「・・・・・・・。」
緋紗の日記を読んで知った。
緋紗の父のこと。緋紗の術のこと。この山につくられた、道のこと。
「死界の闇を通り抜けるだけで、魂は壊死する。それくらい、もろいんだよ。本当は。」
「・・・あぁ。そうだな。」
「・・・だけどね芳ちゃん。」
エリカが立ち止まった。
「・・・逢いたいんだよ。」
振り向いたエリカの顔が。
「私は・・・逢って、殴ってやりたいんだよ。」
悲しくて。
「だからなの・・・。ごめんなさい。」
悲しくて。
「ごめんなさい・・芳ちゃん・・・。」
「・・・エリカ。」
うずくまってしまった。
「無理だって言って・・・っ。無理だって・・・言って!」
芳河は黙ってエリカの肩を抱いた。
「大丈夫じゃない、私・・・!」
ぐらぐら。ぐらぐら。
「全然、大丈夫じゃないよ・・・・!」
泣き崩れたエリカを、芳河は抱き支えた。
こんなに、わあわあ人前でなくエリカは、見たことがなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
芳河はエリカを支えながら、ふと息をついた。

死界の闇は。
魂が解けて作りだした湖。
永遠に続く暗闇の。
魂は無限に。

「・・・私はね。」
辰巳が音華の方を見ずに話しだした。
ふたりは静かに酒を飲みながら、縁側に腰をかけた。
「あの山にこもって、緋紗のしたことについて、調べさせられてたの。」
「・・・それって、俺が来た時?」
「そう。」
頷く。
「見つけたのは、色々。緋紗がむちゃくちゃな修行していたっていう跡と・・・緋紗の日記。」
「・・・日記。」
「洋風な手帳だから。珍しくって、中を読んじゃったのよね。」
「それ、プライバシー的にどうだよ。」
「悪かったと思ってるわ。」
思ってないな、この言い方。
「でも、緋紗が・・・どんな思いであそこにいたか。此処にいたか。分かった気がした。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あのさ。」
音華が俯く。
「緋紗って・・・やっぱり・・・死んだのか。」
「・・・・・・・知らないの?」
「・・・分からない。誰も、教えてくれないんだ。」
「・・・消えた。というか。闇の一部になったのよ。」
「闇。」
「夜の暗闇よりなお暗し、死界の闇になったの。」
「・・・それって道がどうとかの。」
「そう。」
頷く。
「一生転生もできないし、遊霊にも死神にもなれない。ただ、闇の一部になるのよ。・・・それはつまり、魂の消失。」
「・・・・・。」
「誰もこの闇のことは分からない。実際に魂が溶けているのかも分からない。だけど、そう伝えられてるのよ。」
「・・・それで・・・?」
「何の話してたっけ・・・。ああそうね。その日記の中に、道の存在が書かれていた。」
道の存在。父の必死の思い。父の命がけの懇願。
此処を壊せと、音華を壊せと。恨みを晴らせと。
その声は、もしかしたら、もう人のものではなくなっていたかもしれない。
実父のそんな姿を見て、緋紗の心が傷つかないわけがない。一人孤独で此処にいて、蔑まれて生きてた。
壊れないわけがない。

「死界の闇なんて・・・どこにあるのか、分からない。」
エリカが涙声で言った。
「この山自体、死界みたいなものだけど。純粋な死界の闇か、と訊かれたら違う。だから・・・死界の闇が、絶対に広がってるその道を。見つけたかったんだ・・・。辰巳ちゃんはずいぶん探したけれどなかったし、多分もう埋められちゃったんじゃないかって言ってたけどね。」
「道を見つけるのは至難の業だ。」
「うん。だから、見落としてる可能性もあるって思った。・・・時に・・・。すぐ来ればよかった。」
「音華はそこから攻撃されたんだな。」
「多分・・・。ごめん、芳ちゃん。」
「いや。」
芳河は首を振った。エリカは息をついてから芳河から離れた。
「・・・探さないとね。」
「ああ。・・・だがエリカ。」
「ん。」
「道を見つけて・・・どうしたい。」
「・・・・・・・・・・・・・。本当は、色々、考えてたんだけどさ。」
エリカが微笑んだ。
「・・・こんな機会は、きっと。もう二度と来ないけど・・・。」
苦しくて。
「そんな道は、ふさがないと・・・ね。」
苦しくて。
意味が分からなくなる。
「音華ちゃんみたいな目に会う人が、この御山で出たら・・・危ない。」
意味が分からなくなる。
「また、ひーちゃんみたいに・・・西から・・・動けと言われて・・・そそのかされてしまう人もいるかもしれない。」
分からないんだ。
私は、どうしたいのか。
「だから、手伝って・・・。」
エリカは微笑んでいたけれど、泣いていた。
「・・・・・・・・・分かった。」
芳河は頷いた。

これが、私達が、しなければならないことだ。


「芳坊?」
朱雀が、術を使って抜け殻の体になった芳河の部屋にさぶらうて数時間、異変を感じて声をかけた。
「・・・・・芳坊?大丈夫か?」
朱雀が芳河の側によって顔を見る。
「・・・。」
顔は白い。何食わぬ顔で目を閉じているが。
「術・・・使ってんなこいつは・・・。」
ため息。
魂の姿で軽々しく術を連発するものではない。
魂そのものから術を発するというのは、なかなか危ないのだ。
「こうなるの、分かってたな・・・絶対。」
紫苑め。
ため息。
「しょうがないな、もう。」
朱雀は髪の毛を一本ぬいて、手のひらではさんで合掌した。
目を閉じて、手に力を込めると手のひらから金色の光が溢れた。
ちょっとした風が起こる。
「貸しだぞ芳坊。」
バシュ!
そしてその風が芳河を取り巻き、包んだ。
「・・・・・・・・・こんなに世話の焼ける坊やじゃなかったんだけどな。」
術を終え、芳河の頬に赤みが差してくると朱雀はやれやれといった風に呟いた。

「!」
「ん?」
芳河が自分の手を見る。
「どうしたの・・・?」
「・・・いや・・・。」
突如生命力と呼ぶべき力が身体に湧いた。
おそらく、朱雀か琥珀あたりが自分に送り込んでくれたものだと思う。
父上にはお見通しだったということだ。
「エリカ・・・。」
「何・・・?」
「一つだけ、試せる術がある。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」


「・・・・・・・・遅いな。」
音華が酒を飲みこんで呟いた。
「もうすぐ帰ってくるわよ。」
辰巳がため息交じりに言った。
眠たいらしい。もう朝が来そうだ。白んできた。
エリカと芳河は帰ってきていない。
音華も随分疲れていたが、どうしてもエリカを置いてひとりで眠りにつく気が起きなかった。
「・・・そういや、俺、できたかも。」
「え?」
「炎だよ。あの指の。」
「・・・・・・・やってみなさいよ。」
「うん。」
術を唱える。
「・・・できないじゃない。」
「・・・で、できたんだけどな。」
夢の中で。
「・・・・・ま、すぐにできるとも思ってないわよ。」
辰巳がごそごそと懐をまさぐる。
「はい。」
そして差し出される。
「え?」
「術のこと、まとめたメモ。」
メモ、というには、随分和風だが。
「分かんないことがあれば訊きなさいよ。教えるから。」
「・・・・・おま・・・。や、優しいところも一応人間として備わってるんだな。」
「素直にありがとうと言えないのかしら、この野蛮人。」
「・・・・・・あ、ありがとう。」
音華は素直に礼を言った。
「いいえ。」
「・・・辰巳。」
「ん。」
「ありがとう。」
「何よ二度も。」
「いや・・・キスしてくれて。あの時。」
「・・・いいのよ。ふと、自分が男だってこと・・・思い出しだけ。」
「・・・・・・・・・・。」
あ、そうか。男じゃないとダメだったんだっけ。
「あんまり思い出したくないファーストキスだから、忘れて頂戴。」
「俺もだ。」
「・・・・・・・・・。」
3秒の沈黙の後、二人してふきだした。

その時、光が見えて、消えた。


On*** 北編 第5話 終わり



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