「やめんなよ。アサヒ。」
芳樹が真剣に、こっちを見て、半ば睨み付けてきた。
「やめんな。アサヒ。」
私はゆっくり、頷いた。
「俺のピッチャーは、お前なんだよ。」
やめたくなんかなかった。
だから、私は、嘘をつく。

中学に入って、野球同好会に入った。
ユニフォームのない野球。好都合だった。
母親には、野球同好会のマネージャーをしていると嘘をついていた。
だけどそんなことは長くは続かなかった。
「アサヒ。」
お母さんが私の部屋にやってきて、ぎゅっと腕を掴んだ。
あの熱さだけは、忘れられそうにない。
「・・・おか・・・」
「まだ野球、やってたのね?」
体が凍る。心底凍りついた。嘘がばれる瞬間のあの気持ち悪い緊張だ。
「なんで・・・?」
「連絡網。」
「・・・っそれはマネージャーの・・・!」
「アサヒ・・・!」
ぎゅっと握られた手が、痛かった。
「アサヒ、お願いだから。」
どう、振り払えただろう。この手を。
「女の子なんだから・・・。」
「女なのは、関係ない。」
「知ってるでしょ・・・?どうしてお母さんのお母さんが死んじゃったのか・・・。」
知ってた。昔、ある事故で腰を痛めていたため、出産の時に、亡くなったと、知っていた。
「お願いだから・・・親不幸なことだけはしないでちょうだい・・。」
お母さんが、もう、今にも泣きそうな顔をする。
どうして、その手を振り払えただろう。
「お願いだから・・・アサヒ・・・。」
抱きしめられた。
その胸はとても温かくて。鼓動が聞こえて、だから、目を閉じるしかなかった。
「姉ちゃんは?」
夕餉にも、出れなかった。
「ちょっと、寝てるみたい。」
「・・・・・・・・。」
こんなに呪いたいことはない。自分が女に生まれてきたことを。
どうして私なんだろう。どうして女なんだろう。どうして女が子を産むんだろう。
どうして、私は、こんなに投げるのが好きなのに。
世界ごと、呪ってしまいたくなった。
そんな日が、随分続いた気がする。
慎之介がユニフォーム姿で家に帰ってくることすら、見たくなくて、ずっと部屋に閉じこもっていた。
こんなに、涙を流したことは、後にも先にも、これっきり。
ベッドに寝転がって天井を見ていた。
「・・・・・・姉ちゃん。」
ガチャンと戸が開き、慎之介が顔をのぞかせた。
「姉ちゃん。」
「慎之介。ごめん今・・・」
「姉ちゃん、来て。」
「今無理。」
「来て。」
ぐっと手を掴まれた。この手もまた温くて、びくっとして、起き上がった。
「何・・・?」
「来てほしいんだ。」
慎之介が真剣な顔をして言うから、起きあがるしかなく。階段を下って、玄関を出て、近くの公園へ、導かれるままについてった。
「何?」
「ねぇちゃん。」
じっと真剣なまなざしが向けられる。
「ねぇちゃん。ねぇちゃんの変化球、教えて。」
「・・・え?」
「ねぇちゃんの分まで投げるから!俺!」
絶句した。何を言ってるのか分からない。
「俺が・・・!ねえちゃんの球放るよ!」
「・・・何いってんの・・・不器用なくせに。」
「できるよ!!!!」
「!」
こんなに大きな声であらぶる弟を初めて見た。
「・・・慎之介・・・。」
「できるよ!俺!やる!!絶対すぐに投げれるようになって、それで・・・姉ちゃんの球ナベちゃんに投げるよ!姉ちゃんの代わりに!!」
「・・・・・・・・・・・。」
がしっと、もう一度手を握られた。
「お願い!教えて!」
手を握られて、乞われることは、二度目だった。
涙があふれてきて、手で目を抑えたかったけれど慎之介が放してくれなかったおかげで、泣き顔を弟に見られてしまった。
慎之介は、その間もずっと、真剣に私の顔を見上げていた。



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