51,
世界中。何もなかった。それ以外は。
「・・・・・・スピカ?」
ロイサが優しく呼んだ。
「・・・・・・。」
返事はない。ロイサは微笑んだ。ゆったりと眠っている。
スピカが眠るまで側に居た。本を読んでいた。
スピカの歳は訊いた事はなかったが、おそらく2、3個年上だろう。
彼の少し頼りないところ、ロイサは好きだった。出来の悪い、兄のような。
ロイサは息をついて立ち上がった。自分もそろそろ寝なくては。
部屋を出て、できるだけ音をたてないように戸を閉めた。
「・・・ロイサ。」
声が掛かって振り向いた。
「お父様。」
ロイサは御辞儀をした。
「どうした。こんな夜中に。」
「スピカが眠れないようだったので付き添っていました。ようやく眠りにつきましたわ。」
「・・・そうか。」
公爵は微笑んだ。
「いつお戻りに?」
「たった今だよ。」
ロイサは父の横に並んで歩いた。
「ねぇお父様。」
ロイサは落ち着いた声で話しだした。
「私、スピカをずっと昔から知っている気がするの。」
「・・・・?」
「会ったことはなかったけれど。ずっと昔から、・・・家族みたいな。そんな気がするんです。おかしいですわよね。」
「・・・いや。」
「でも、スピカは・・・。」
ロイサは微笑んだ。
「・・・きっと、此処を出て行きます。それは突然。そして、何かに向かっていく。」
「つまり?」
「よく分かりませんわ。私にも。でも・・・スピカは、探さないといけないものがあると思うんです。・・・違いますわね。探されないといけない存在なんです。」
ロイサは自分で何を言っているのかだんだん分からなくなっていた。
「誰かの欠けた何かで、スピカは、その・・・・。」
ロイサは首を振る。
「なんでもないですわ。」
公爵は微笑んでロイサの頭を撫でた。
「・・・きっと、それは、時が来れば分かるだろう。」



52,
彼は体を丸めていた。
「セツ・・・。その曲。止めてくれ・・・。」
「・・・どうして?おかしなことを言うな。いつもは弾け弾けと言うだろうに。」
「違う。この曲じゃない。何、この・・・・。」
セツは息をついて立ち上がる。そしていつも通りにピアノをしまう。
「・・・セツ・・・。」
「何?」
「・・・なんで、そんな風に振舞うの?」
「おかしなこと言うな。いつもよりも随分落ち着いていると思うけど。」
「・・・そうじゃないよ。」
彼は泣きそうな顔をした。
何を言ったって、無駄だと、彼は悟る。
セツはふっと笑ってその場を去った。
彼は一人残された。
さっきまでセツが座っていたピアノの黒い椅子に腰掛ける。冷たい椅子。
つい、ついさっきまでセツが此処に居たのにその痕跡は見られない。冷たい。
セツは。それはもう、潔いくらいの覚悟を見せた。清清しいほど。鮮やかなほど。
だけどその中身は、空っぽのまま。だってさっき弾いていた曲は、ひどいものだった。
音の全てに並びがない。むちゃくちゃだ。
セツはその事に気付いてない。ピアノの蓋を開けてみる。そしてグリッサンドで確かめる。
すごい。もはや芸術的にバラバラになっている調律だった。
彼は目を閉じた。そして両手で顔を覆った。
セツは、止まらない。万が一止まったとしたら、それは元から止まる気があった場合のみだ。
今見えていないセツの奥の奥に、その心があった時だ。彼にはそれは分からない。

僕にはそれが分からない。



53,
僕は苦しくて苦しくて真夜中に目を覚ます。
目を覚ました時に窓から月が見えた。そして濡れた頬に気付く。
寝ながら泣いていたのだろうか。僕は目をこする。
部屋を見渡す。しんといている。誰もが寝静まった。深夜だ。
僕はもぞもぞと起き上がって、デカンタに入っている水を飲む。喉が乾いていた。
それはきっと、砂漠のように。だけど僕は砂漠を知らない。
母親の夢を見た。それも断片的に。それは、悲しいほど鮮明に。
何かを言い争っていた。何の話は分からなかった。
母親とあの男が、争っていた。そして母ははっきりとこう言う。
「あの子は、あなたのお子ではありません。この国に後継はおりません。」
つきぬける衝撃。空気が固まった。
母親が殴られた。それでも母親はきっとあいつを睨んでいた。強い、優しい目で。
「私を殺められますか。それもいいでしょう。だけど何も元には戻りません。無くした物は、帰ってはきません。力や、財で、操れないものもございます。そのことを御知りなさいませ。」
王は人を呼び母親を捕らえさせる。
僕はそこに隠れていた。どうしてそこに隠れていたのか憶えてない。
だけど、僕は悟った。逃げなくてはならない。此処に居ちゃいけない。
僕は、此処に、居られない。
拳を握ってそのまま城を出た。出来る限り誰にも見られないようにして。走って逃げた。
母親は、牢屋に入れられた。
僕は、それでも、此処から走り去らないといけないことを知っていた。
だって母親は僕を最後に見てかすかに微笑んだ。そして言った。逃げろ、と。
僕は汗だくのシャツを脱ぎ捨てた。そしてため息をつく。掌を眺める。
セツ。今、何をしてる?
また、一滴涙が落ちる。



54,
セツは一人で森の中にいた。
そして念入りに短剣を磨き上げ、そして研ぎあげていた。ふぅっと息を吐きかける。
そしてじっと短剣を見つめる。そこに写る自分を見つめる。
鋭い眼だな。自分で思う。
昔はこんなんじゃなかった気がする。気がするだけだ。知らない。覚えてない。思い出したくない。
そして短剣を鞘に収める。
「・・・さて。」
セツは立ち上がる。
「やろうか。」
周りを取り囲む、野党達。
「そろそろナイトオリンピアが近いからな。このあたりにもお前らみたいな無法者が集まってるってわけだ。」
セツは構えずに立ったままそう言った。
「掛かれ!」
「一人相手に何人で掛かるんだよ。」
そういった瞬間、セツは飛ぶ。
そして鞘からは決して短剣を抜かずに戦った。脚。腕それから全身のばねを使って戦う。
短剣は使わない。今研ぎ澄ましたこの刃は、抜かない。
この間、丸腰で情けないことになった。ルクが居なかったらどうなっていたか知らない。
だから今試す。どこまで戦えるか。強くなれるか。自分を試す。

一刻ほどたった。セツは息を切らして木にもたれかかりずるっと座りこんだ。
「・・・。」
声にならない。疲れた。すごい疲労感。苦しい。傷を負った。深いものじゃない。舐めれば治る。だけど。
「・・・引き分けって所か・・・。」
セツは呟いた。何人かは倒した、だけど何人かは走って逃げた。
セツは此処で動けなくなった。舌打ちをする。
目を閉じる。そして、そのまま眠りについてしまう。
スピカは、今、きっとロイサの所にいるだろう。
なんだかすこし安心した。だけど、心はざわめいた。



55,
大きな花火が上がった。
人々は活気付いた町を練り歩く。都中に散らばる屋台。日の高いのに酔っ払った男たち。紙吹雪が飛んでいる。
ナイトオリンピアが始まった。予選初日だ。それぞれの腕自慢が剣を取り、槍を取り戦う。
並外れた者もいるし、すぐに負けてしまう奴もいる。人々の掛け金がものすごい勢いで動く。熱狂している。
都は大きな祭の空気に覆われている。

「今日の初日で、50名戦ったらしいわ。」
ロイサが僕を見て言った。
「さっき人に聞いたの。新聞がもう出回っているから。」
「・・・・へぇ・・・。」
僕は微笑む。
「その新聞。何処で手に入るの?」
「見たいの?」
「あ・・・うん。ちょっと。絵つきなんだろ?」
「そうね。ちょっと待ってて。」
ロイサは微笑んで部屋を出る。僕は息をつく。どうしてこんなに心臓がざわめくんだろう。
ロイサが戻ってきて僕に新聞を手渡した。そこに載っていた絵をみただけで人々の熱狂ぶりが分かる。
「・・・ロイサが行くのはいつだっけ?」
「明々後日よ。」
「そっか。気を付けてね。」
ロイサは頷く。
「ロイサ、できれば毎日新聞が見たいんだ。」
「?どうして?そんなにナイトオリンピアに興味があるの?」
僕は頭を降る。
「違うんだ。僕は・・・もっと色んなことを知りたい。僕は無知だから・・・。」
「・・・・・・・・・そう。分かったわ。そう手配しましょう。」
僕はありがとうと言って微笑んだ。だけど、うまく笑えなかった。お世辞にも。
セツは色んなことを知っていた。
きっと、それは、生きていくうちに知ったことなんだろう。
それはきっと、城を追い出され、つらい目に遭いながら、生きるために身に付けたものの一つ一つの塊なんだろう。
比べたってどうしようもないし、無意味だとわかっている。
だけど、どうしても僕は自分とセツを比べないわけにいかなかった。
僕はセツに比べて、何も知らない。何も出来ない。強くもない。逃げているだけの臆病者だ。
ルクに弟子入りして、強くなろうだなんて、逆立ちしても思いつかなかっただろう。
適当にお情けで仕事を貰ってはした金をつくって、父親を追いかけていた。
果たして僕は本気で父親を見つける気があったのだろうか?
あった。間違いなくあった。
だけど、覚悟の問題だ。危険を冒してまでは探さなかったし、心の奥では『いつか見つかればいい』と思っていたんじゃなかったのか?
甘い。
甘いな僕は。
セツ。
だから僕はきっとそのセツの背中に惹かれたし、その目の強さに息を呑んだんだ。
だけど、僕は知っている。セツは、もうずっとボロボロだったこと。
ねぇ、どっちが強い?どっちの生き方が、正しかった?



56,
少女は、周りのもの達をしんとさせた。
あの金髪の少女だ。細い身体。
その身体の何処に?誰もがそう思っただろう。
城の中。闘技場。多くの民もこの時だけは入ることを許されている場所。
観客総勢2000名。全員が息を呑んだ。
「・・・・っ勝者!」
少女は顔色を変えずに足早に舞台から去った。拍手も歓声もうまい事響かない。当然だ。
誰も彼女が勝つとは思っていなかった。だれも、彼女にお金を掛けていなかった。
年端もそこまでいかないだろう。なにかの冗談だと、全員が信じていた。
なのに彼女は華麗に舞い、そして相手を倒した。
それは鮮やかに、踊るように。蝶のように。龍のように。息一つ、髪の毛一つ、乱すことはなかった。
その美しい直毛の髪の毛は彼女が空を飛べばゆらんとゆれ、彼女がくるりとまわればふわんと膨らんだ。
美しい姿だった。
その姿に息を呑む男が一人。
「・・・・すげぇ・・・。」
グルーだった。
「ナイトオリンピア・・・来て見れば・・・すげぇもの、拝めちまったよ。」
彼は感心して言った。
「・・・すごい女もいたもんだ。」
そしてその場を去る。
息を呑んだ男は一人ではない。
「・・・王?」
王は息をつく。
「誰だ今のは。」
「あ・・・えぇと、名前は・・・。」
バラバラと紙をめくる。
「女騎士か何かか?もしくはアルブの武民か?」
「いえ、女騎士は今年は誰もエントリーしていません。アルブの・・・・それも違いましょう。」
ふん、と王は息をつく。
「で?名前は?」
「あ、はい。えぇと。」



57,
新聞は次の日届かなかった。何かの手違いのせいらしい。
諦めるしかない。大丈夫。新聞なんてものは殆んど毎日発行されるものだし、一つくらい欠けたって僕は別の場所で補う事が出来る。
ロイサは身支度を始めていた。
「明後日なんでしょ?」
「そうよ。でもいろいろね。私は旅の用意が遅いの。今からやっておかないと。」
微笑んでロイサは鞄に衣服を詰め込んだ。
「でも、行くのはたった1日なんでしょう?」
「そうね。一泊。明後日発って、その夜都にとまって、その次の日にナイトオリンピアを見に行ってすぐに帰ってくる。・・・言われてみれば短い旅ね。そんなに持って行くものは要らないわ。」
くすっと僕は笑う。女の子ってどうしてこう荷物が多いんだろう。
ふとセツを思い出す。
でもセツは荷物たった一つだった。
いろんな物が入ってはいたがそのほとんどが消耗品で、食糧はいつもその日に何処かで買ったものを食べていた。
着る服はこまめに洗っていたし、この国はある程度乾燥しているので、二枚でこと足りていたようだった。
セツはいつも最小限のものしか持っていなかった。
また僕はセツのことを考えている。
最近すぐだ。すぐにセツのことを考えてしまう。
どうしようもない莫迦だな僕は。
その度に胸が痛むのに。その度に苦しいのに。
その度に心の奥の方に在るどろどろとしたものが込みあげてくるのに。思い出すのに。あの記憶を。
だけど僕はセツを忘れる事が出来なかった。セツのことを思う。セツを心の奥で呼ぶ。誰にもばれないように。
落ちて行く涙は全てセツのことを思って落ちるんだ。
莫迦だな。僕は。もう一度そう思う。
セツとはもう会えない。
セツは僕を憎んでいるかも知れない。セツとは一緒に居ない方がいい。それは、それはお互いの為に。
お互いの為?だけど僕は。僕はこんなにもセツにとらわれているのに?
セツを思う。心が叫ぶ。痛みに涙が出る。それは確かだ。
だけど、そうじゃない。そうじゃない。そうじゃない。
僕はそれでもセツを思う。忘れない。
そんな繰り返しに、あてどない莫迦な行為に僕はいつまで泣いている?一体何日たった?
「スピカ?」
「え?」
「ぼーっとしてる。」
「あぁ、ごめんごめん。考え事。」
「でもじゃあ、これでいいのかしら。」
鞄一つ掲げてロイサは言った。
「いいと思うよ。洗面道具があれば。」
「あ!忘れていたわ。ありがとう。」
僕は微笑む。
すぐに明後日はやってきて、ロイサは発った。僕は此処に一人残った。公爵も居ない。誰も知らない。
この大きな御屋敷の中で僕は完全に孤独になる。
一人じゃない。世話をしてくれる人が居る。その他にもここで働く人が居る。
それでも僕は完全に孤独だと思った。これかもしれない。この、感じ。一人じゃないのに。それでも独りだ。
セツはそれに苛立っていたのかもしれない。それを怖がっていたのかもしれない。
だってこれは、なかなかの空虚感だ。



58,
地下室は開けっぱなしだ。扉は大きくなっている。入って来いと、奥に潜む呪いが呼んでいる。あの男が呼んでいる。手を広げて。
お前なんかに渡すものか。お前なんかにセツはやらない。
セツが消えた。またセツは何処かへ消えた。
あのまま部屋に帰ってこない。きっと此処に戻ってくる。
あの地下への扉の前で彼は待つ。
たとえそれが意味のない行為でも。彼にはセツを止める事ができないと分かっていても。
だってここはセツの世界だ。彼はセツの世界の一欠片にすぎない。なんの力もない。
だけどセツは彼の声を聞かないといけない。聞かないわけにはいかない。
それはこの世界でセツを縛る唯一のルールだった。このルール無しではここは崩壊する。
お前は誰だ。
セツが訊いた
お前はなんで此処に居る。
セツ。君が必要だと言ったんだよ。忘れたのか。
だから僕は此処に居る。



59,
ファンファーレがなる。ロイサは厳かに席に着く。そして特等席で見下ろす。
ナイトオリンピアが始まった。予選は全て終わった。昨日から本線が始まっている。
活気はますます増している。人々は殆んど狂っている。紙吹雪が絶え間なく舞っている。
ロイサは辺りを見渡す。ナイトオリンピアは初めてだ。一体どれほどのものかと思っていたが、これは想像以上だ。
王の姿を捉える。しっかりと椅子に座っている。
お元気そうですわね。
ロイサは呟く。
王が短い挨拶を述べる。そして、大きなドラの音と共に本日のナイトオリンピアが開催された。
人々の熱闘はより沸きあがる。ロイサは耳をふさいだ。すごい音だ。すごい声だ。鳥肌が立つ。
次々に、現われる予選を超えてきた強者達が戦った。時に血が飛んだ。ロイサは目を閉じる。
だけどそこには、確実なスペクタクル性がある。このナイトオリンピアが何百年も前から続いている意味がなんとなく分かる。
血を沸かす。そういう言葉が似合う。
中盤、突然観客がよりいっそう沸いた。ロイサは背筋を伸ばした。
「何ですの?」
オペラグラスで覗く。
「・・・・・・・・・・?・・・あれは、女性ですわよね?」
隣に座る貴族の男にロイサは尋ねた。
「おや、知らないのですかお嬢さん。今回のナイトオリンピア本戦たった一人の女性ですよ。
ものすごく強くて、彼女に賭けられた金額は半端ではないそうな。」
「・・・そんなにお強いの?」
「えぇ。いささか私も実際には見たことない身ですが、そういう噂ですよ。それにあの風貌ですからね。」
風貌。オペラグラスをもう一度覗く。こちらを向いていないのでよく見えないが。
なるほど細くて背の高い、そして美しい髪の毛の持ち主だ。
「お名前は?」
貴族はうーんと唸って頭をかく。
「確か・・・・。」
ジャーン!ドラがけたたましくなって、始まった。彼女はその瞬間とんだ。
それは優雅に、それは美しく。そして腰に刺していた短剣を引き抜いて相手に向かった。
「あぁ、そうだ!クリスティーナ・バルバラっ!」
くるんっと彼女が廻った時に、ロイサは血の気が引いたのを感じた。
あの身のこなし方。見た事がある。いや、あの顔。あの身体。
「・・・っセツ様!」
ロイサは立ち上がってしまった。



60,
ロイサは、その後の全ての予定をキャンセルした。どうせつまらない付き合いだ。
闘技場を出たその足で馬車に駆け乗り、急いでカザンブールに戻った。
「ロイサ・・・っ。早かったね。」
駆け込んできたロイサを見て微笑んで言った。
「スピカ!」
片手には新聞を持っていた。その日の号外だ。
「どうしたの?そんなに急いで。」
「これ!」
半ば乱暴にその紙を僕に押し付けた。
「これ・・っセツ様ですわよね!」
「え・・・?」
頭の中が、ものすごく揺れた。
そして、無意識に震えている腕で、その号外を掴んで、目を通す。そこに描かれた一人の少女の絵。
「・・・セツ・・・?」
絵じゃ分からない。髪形も、服も、あのスカーフも、何もかもが違う。
だけどどこかその目はセツを思わせた。僕はすぐに文章にも目を通す。
明日の決勝のナイトが決まった。一人はハインリヒ・イワン。国王軍の将軍。
そんなものはどうでもいい。飛ばす。飛ばす。僕は目で字を追う。名前!名前だ。何処に書いてある?
はっとする。
少女の名は、クリスティーナ・バルバラ。年齢、生まれ、その詳細の一切が不明。
本戦に残った唯一の女性で、その強さは戦いの女神、レイン・シュスプーを思わせる。
僕は体中の力が無くなったのを感じた。そして、膝を床についた。
「スピカ!」
ロイサが駆け寄る。
「やっぱり・・・このクリスティーナ・バルバラという方は、セツ様なのねッ?」
僕は、震えたまま頷く。
「・・・でも・・どうして・・・っ、性別まで偽って・・・。」
僕は首を降る。
「言ってなかったけど・・・セツは・・・女の子なんだ。」
ロイサは驚いた。
「ごめん・・・。セツは・・・自分の性別を隠してずっと生きてきたんだ・・・。」
「どうして?!」
僕は首を振る。分からない。だけど、付けられた男の名を背負うセツはきっと呪われていたんだと思う。
ロイサは混乱していたけれど、息を整えて僕を起こした。
「クリスティーナ・バルバラ・・・て名前は・・・一度セツが使ったことのある偽名だ。」
「偽名・・・。じゃあ、セツという名前が本当のお名前なのね。」
僕は首を振る。だけど、それを掻き消すためにもう一度首を振る。忘れる約束をしたからだ。
「スピカ・・・。」
ロイサは僕に優しく触れる。
「どうして、セツ様はナイトオリンピアに出たのかしら・・・?」
僕は頭が混乱してうまく考えられない。
「自分の姿を変えてまで、どうしてエントリーしたのかしら。だって、セツ様はスピカと共に追われていた。そうよね?だけど、このクリスティーナ・バルバラは・・・セツ様は、もう一人の一般市民じゃないわ。誰もが顔を知っている。私以外にもセツ様だと気付いた人間はいる筈だわ。少なくとも、セツ様の戦うところを見たことある人間には、気付かれているわ。・・・ナイトオリンピアの間はきっと平気だけど・・・。」
僕は頷く。そうだ。クシスはきっと。エラルドはきっと。セツの事に気付いてる。
僕ははっとする。
殺さないといけないのか。
汗が滴った。セツはそう言っていた。あの短剣を見ながら。

殺すつもりなんだ。

任務。そうだ。クシスはきっと。エラルドはきっと。分かっている上でセツを泳がせている。
「スピカ!」
僕は走り出していた。振り向かない。走り出していた。
だめだ。だめだ、セツ!



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