21,
「塔は、次第に傾いていく。」
彼は呟いた。セツの居ない屋上で。
「この床だって、地面と平行じゃない。」
耳を澄ます。
「セツのピアノだ。」
最上階のあの部屋で、セツはピアノを弾いている。目を閉じる。
セツは訊いた。お前は誰だ。
「・・・僕はここの住民。君の影。君の半分。君の思い出の一部。」
彼は風を感じる。
「今日の空気も、随分湿ってるな。」
曇天だ。
「・・・誰かがセツの塔をのぞこうとしてる。」



22,
「此処か?」
「うん、でも約束の時間はとっくに過ぎてる。スピカは先に行ったんだろ。ロイサも居ない。此処で待とう。」
「・・・・あぁ。」
セツは屈み込んだ。丸腰。情けない。
「セツ。」
「何。」
「お前の旅の始まりは。たしか、五年前だったか。」
「・・・・・・・そうだな。十三か十四の時だったから。」
「・・・彼女が死んで、すぐだったか。」
「・・・いや。大体一年後だ。あんたが村に寄った時だから。」
「あぁ。」
セツはふぅっと息をつく。そしてずるりと立ち上がった。
「あの時は、今思い出してもお前は凄かった。」
「・・・褒めてる?」
「どっちでもない。ただ、ひたすらに。連れて行けとせがんだな。」
「・・・・・・・どうしたの今日は。昔話なんて。柄じゃない。」
「どうもしていない。ただ。思い出しただけだ。」
「・・・。忘れてくれ。」
セツは遠くを見た。
「ナイトオリンピアか。」
この村の向こうには、川が流れてる。
「もう直ぐだな。」
「公式のものはね。」
「出るのか。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
無言で答える。
「非公式ナイトオリンピア。先の優勝者はお前だったな。」
「そう。」
「何人殺した?」
セツは口をつぐむ。
「殺してないと思う。」
「思う。」
繰り返す。
「出来る限り・・・立てなくしただけだ。」
「・・・・・・・そうだな。だが結末は知らない。」
頷く。
「あの男を。まだ殺したいか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
無言で答える。セツは俯く。
「セツ。」
「何。」
「俺のような手になるな。」
「はっ。」
笑う。
「あんたの腕だ。私の手は。私の剣は。あんたが教えたんだぞ。」
「分かっている。」
「・・・後悔してるんだろ。」
セツは俯いたまま言う。
「俺に、剣を教えたのを。殺す術を教えたことを、後悔してるんだろ。」
「・・・・・・・・・・・セツ。それは、お前だ。」
セツはがしっと前髪を掴んだ。そしてくしゃくしゃにする。
「苦しむな。」
「苦しい。」
セツの声がかすれた。
「殺さないといけないんだ。殺さないと・・・・・・。」
ルクはセツを抱きしめた。セツは泣いた。



23,
「とんだ甘えん坊だね。」
「うるさい。」
彼は笑う。
「あの男が、やっぱりまだ必要なんだ。」
「・・・うるさい。」
「セツ。」
ピアノの横で屈みこむセツの肩に手をやる。
「もう、もたないね。」
「まだいける。」
彼は首を降る。
「もたないよ。セツ。」
顔を上げたセツの頬は涙に濡れていた。
「傷ついてる。」
「傷ついてる?」
「あの鍵に置いていかれたこと。傷ついてるね。」
「仕方ないだろう。だってアイツは戦えない。」
「うん。」
彼は微笑んで頷いた。
そして外を見る。塔が変形している。
「あの村へ帰って。」
セツの瞳の中に妖しい光が灯る。
「あの村に帰ってごらん。」
「それは・・・。」
「君のスタート地点だ。」
「戻れない!」
「戻れ。」
彼の口調は強くなった。
「ねぇセツ。最大のヒントだ。鍵を回すには。少しだけ戻らないといけない。」
「・・・・・・・やめてくれ。」
「セツ。」
「殺すわよ。」
セツの瞳に今度は殺気が灯る。
「・・・無理だよ。」
彼はうっすらと笑って首を降る。
「君は、僕を殺せない。」



24,
困ったことになった。

「・・・・・・・っ。」
痛む。肩と、それから左腕。思いっきり殴られた。
ガコン。地面が悪いのか。何度も飛び跳ねる。荷車の中。
僕は縛りあげられて、運ばれている。
「ロイサ・・・・。」
ロイサは無事だろうか。
あの貴族の館に通されるや否や、僕は殴られ気絶させられた。
今、起きたら此処にいる。どうやらどこかへ運ばれているようだ。
やはり、クシスは一枚噛んでいた。
クシスがどうして僕を捕まえようとしたのかは知らない。
だけど、あの貴族は、もう名前も思い出せないが、クシスが紹介してくれた者だ。
クシスがこうする様に命じたと見ても間違いはない。
外は夜のようだった。どうしよう。困った。僕の荷物はちゃんと其処にあった。セツの荷物も。
僕は硬く目をつむる。体が震えてる。怖い。寒い。しっかりしろ!
僕はもがく。もがいて縄を解こうとする。
だけどそうすればそうするほど手首の皮が擦り剥けていく。痛む。血。熱い。くそ。
荷台には僕一人。方向は分からない。
ちらりと荷台を覆う布の隙間から月を見つける。そんなに高くない。まだ、7時くらいだろう。じゃあ、この方角は。西だ。汗ばんだ。
僕は這う。這ってセツの袋を口で開く。そして短剣を見つける。
何とか体を起こして、その剣を少しだけ自由な指で掴む。
ずしっとした。殴られた左腕は力が入らない。それでも僕は力を振り絞る。
「・・・っ。」
身体が痛む。だけど、なんとか鞘を抜いた。この鞘は、随分重いんだと思った。
そしてロープを切ろうとする。だけど、刃は、思った以上に切れた。
「い・・・っ。」
僕は一緒に手首も少し切ってしまった。
「いた・・・っ。」
自由を得た手を舐めた。すごい切れ味だ。僕は急いで脚のロープも切ってしまう。今度は慎重に。
「おい。なんか後ろがうるさいぞ。」
「!」
前にいる人間の声。僕は息を止めた。
「起きたんだろう。なに。ほっといても逃げられやせんさ。」
「それもそうだな。」
息を吐く。
こいつらは、どこの者だろうか。もしかしたらあの場所の者だろうか?
そしたらまずい。僕は、逃げなくてはならない。
僕はゆっくりと荷物を掴む。注意深く。セツの短剣を鞘にしまい、袋に入れなおす。
そして少しずつ後ずさりをする。さっき切った手首が痛む。
飛び降りなくてはならない。この馬車から。地面を見る。荷物を背負った。
「お、見えたぞ。」
「!」
前の人間がそういったので僕は体をこわばらせた。
「屋敷だ。」
屋敷?どの?なんの?そう思った瞬間に、馬車は止まった。
しまった!
僕は一巻の終わりだと、悟った。



25,
「セツ!」
ルクが呼ぶ。セツは振り向かなかった。
「落ち着け!」
「落ち着いてるよ。二十分に。」
セツは飛ぶ。
「あの馬、借りるぞ。」
セツはそう言って馬小屋にいる馬を引っ張り、そのまま乱暴に飛び乗った。
「あ!こら!泥棒!」
「すぐ返しに来る。」
いくつかの金貨をルクが投げた。ルクはもう一つの馬を掴んで飛び乗った。
「セツ。」
「なんだよ。」
「自分から、行くのか。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
セツは無言になる。

時は、遡る。
ロイサが約束の場所に、真っ青な顔をして戻って来た。それは一人で。
「どうしましたか?」
セツがロイサに問う。
ロイサは首を振った。
「スピカが・・・攫われたんです。」
セツの脳に電光が奔る。
「やっぱり・・・クシスが噛んでやがった。」
セツは小さい声でそう呟いた。
「それで、何処に攫われたんですか。」
ロイサは首を振る。
「おそらく・・・エラルドの・・・ものだと思います。」
「まさか。エラルドが追っているのは私です。」
首を振る。
「違います。確かに・・・あの紋章は摂政のものでした。」
セツは、眉間にしわを寄せた。
「・・・・・・・怖い思いをされたでしょう。」
セツはロイサの肩に手を置く。
ロイサは涙を落とした。
「屋敷にお戻りください。スピカは、私が追います。」
「セツ様。」
ロイサはセツをバッと見上げた。
「大丈夫。」
セツは微笑んだ。
「・・・ありがとう。」
そしてセツは走りだした。



26,
「セツ。」
塔の天辺で、彼は呟いた。
「そうだよ。それでいい。頭で考えるよりも早く、走れ。」
彼女が走る姿が見える。建築途中の不恰好な町を抜けて、彼女は走る。
崩れた塔を、壊した塔を横目に、彼女は走る。
彼はピアノに触れた。
目を閉じる。
「この塔は、直に崩れる。このピアノも、別の場所へ移さなければ。」



27,
僕はとっさに飛び降りた。そして走り出した。それに気付いた二人の男が、僕を追い出した。
「待て!」
待つわけないだろ。周りをちらりと見渡す。大分郊外にある館だな。綺麗に切りそろえられた樹が並んでいる。走る。横目に、捕らえた。
「・・・・っ城!」
ここは、城の近くだ。少なくとも。ここは首都圏だ。僕の心が凍りつく。僕は走る。逃げ切らなければ。捕まったら一生戻れなくなる。やばい。やばい。やばい。
汗が出る。思ったように足が回らない。
「くそ!」
僕は跳んだ。荷物を捨てようかと思った。だけどその瞬間に、僕は腕を掴まれた。
「うっ!」
前かがみに倒れてしまった。
「いい子だ。大人しくしろ。」
「離せ!」
「離さない!」
ぎゅっと縄で縛られた。痛かった。擦りむいた上から縄で縛られるのだ。
「おい。荷物も一緒に巻くなよ。」
「あ、しまったな。」
肩に掛けていた荷物の紐ごと、彼らは硬く結んでしまった。
「まあいいだろ。このまま連れてこう。」
僕はもがこうとするが、それは無力に終わる。

僕は大きな屋敷に通される。途中門にあった紋章を見つけた。
エラルドだ。
そんな、クシスはエラルドにまで通じていたのか?
信じすぎるな。
セツが僕にいった言葉だ。そうだ。僕は、何処まで甘いんだろう。
どん!と、僕は床に投げられた。
「いっ!」
「懐かしいな。」
声がした。僕を投げた二人は何処かへ行ってしまった。僕と、あと、もう一人。誰だ。誰かが目の前に居る。
「こんな風に虫けらを捕まえて此処へ連れて来るのは、二年ぶりだ。」
僕は顔を上げる。其処に立っているのは、優雅な服を来た、嫌な感じの男だった。
エラルド!僕は直感する。こいつは摂政のエラルドだ。
「お初にお目に掛かります。坊や。」
そいつはにっと笑った。僕は睨む。
「エラルド摂政とお見受けします。」
「おや、そんなに顔が売れていたかね?」
「何故僕を捕まえたんですか。」
「何故?」
「僕は、セツじゃない。人違いですよ。」
「・・・セツ・・・っ。」
エラルドは堪え切れず笑った。それは大きな声で。
「あぁ、二年前の彼女だね。そうか。お前は彼女を知っているのか。」
「・・・・?あなたはセツに賞金を掛けていた。そうですね?」
「その通り。掛けていたよ。」
「じゃあ、なんで僕を・・・?セツと間違えたんじゃ・・・。」
「違う違う。まさか君が『セツ』を知っているとは思っても見なかった。」
どういうことだ?
「君は、国一級品の秘密を探してる。そうだね?」
僕の身体は固まる。やっぱり。クシスだった。繋がっている。
「そう、その秘密自体を知っている人間も一握りだ。何故それを知っているか、それは君が当事者だからだ。」
「違う。」
睨む。
「違わないよ。君の顔を見てはっきりした。」
「黙れ。」
僕の毛は逆立った。

その瞬間だった。



28,
ガシャーン!
ガラスが割れた音がして明かりが全て消えた。
「!?」
「誰だ!?」
エラルドが叫ぶ。
その瞬間、扉が開き、幾人もの兵達が部屋に飛び込んだ。
誰かが灯りをつける。その時僕は、目を開く。
「セツ!」
セツが其処に立っていた。そしてルクも。
ルクがすかさず僕の縄を切る。
「スピカ。剣!」
セツが僕を見ずに叫ぶ。殺気を放っている。僕はすぐに袋を開けて短剣を取り出し投げた。
それを掴んだ瞬間にセツは飛ぶ。そしてエラルド摂政の目の前に着地した。
「やぁ、セツ。」
「虫唾が走るから名前を呼ぶな。」
ガキン!セツはエラルドを見つめたまま後ろから降り落とされた剣を受ける。
「君、自ら此処に来てくれるとは思わなかったよ。」
「来たくて来たんじゃない。」
エラルドは笑う。
「ますます似てきたね。」
「喋るな。その舌切り落とすぞ。」
ガキン!新たな一撃も同様に受ける。
「お前に一つ言っておく。これ以上ちょっかいを掛けてくるな。椅子が欲しいなら手に入る。毛でも舐めて待っていろ。」
「そうもいかない。」
エラルドは僕を見た。
「君達を殺さないわけにはいかないよ、少年少女たち。」
「変態。」
どか!セツは一瞬だけエラルドから目を背け、後ろから剣を振り下ろしてきていた男を蹴り飛ばした。
「血だよ。セツ。」
「血の話はするな!」
「君のその血も。彼の汚れた血も。」
僕は体をこわばらせる。
「邪魔なんだ。」
「お前も俺の道の上では邪魔だよ。下の者め!」
セツが、低い声でそう言った瞬間に、バン!という音がして扉がもう一度開いた。
また大勢の兵達がなだれ込んできた。
さっき入ってきた兵達はルクが全て片を付けていた。その倍の数がなだれ込んできたのだ。
「セツ!」
ルクに呼ばれてセツは舌打ちをする。
「いいか、エラルド。今度手を出して見ろ。次はその首、掻っ切る!」
そしてどごっという鈍い音がして、エラルドは呻いて倒れた。
その体が傾いた瞬間にセツは僕の手を引いて走り出した。ルクの後ろを走り、飛んだ。
どうやって逃げたかわからない。息が切れた。セツがあまりに早いスピードで走るから。
僕は、目をつぶってしまいたかった。此処は、何処だろう。君は、誰?セツ。



29,
息が聞こえる。ひどく深い、そして苦しそうな息だ。
ど・・・。
ピアノの黒い身体に何かがぶつかるように倒れてきた。。
「・・・・・・・・・・・セツ。」
彼は其処に居て、その正体を見つけた。
「・・・おかえり。」
「・・・ただいま。」
「セツ。」
「言うな。」
彼は黙った。
「分かってた。分かってたことだ。」
「・・・・・・本当に?」
セツは頷いた。
「ねぇ。君はあの壁がどうなったか知っている?」
「・・・壁?」
「彼の壁だよ。一度壊され、そして少しだけ再構築されたそれだ。」
「・・・・知らない。」
「ぼろぼろになっていたよ。塔ごと。」
「・・・崩れるのか。」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。」
セツは床に座りこんだ。息はまだ上がっている。汗が落ちている。
「行ってセツ。」
「ダメだよ。行けない。」
「行って!」
セツは恨めしそうに彼の目を見た。
「・・・何処であんたに会ったか。なんとなく分かったよ。」
「・・・行って。」
セツは、ずるりと立ち上がり、そして部屋を出る。
「・・・知ってる?セツ。同時に君のこの塔も大部分ボロボロになってしまっているんだよ。」



30,
「文句無しの第一級手配犯だな。」
セツが、ため息混じりに言った。森の中。闇の奥。
「・・・・・・・・・ごめん・・・・・・・。」
「?」
セツは、僕を見た。僕の目から落ちていく熱いものを見た。
見られたっていい。死ぬほど情けない僕の顔。だって、これは、罰だ。
「ごめん・・・セツ。ごめん・・・・。」
「・・・・・・・・。」
セツは暫らく僕の顔を見つめていた。
「スピカはいつもそうやって謝っては泣くんだな。」
うっすらと笑ったように見えた。セツは僕に触れた。だけどそれもまた一瞬躊躇した。
僕は黙って泣いた。体が震えてる。なんて無様なんだろう。
「手、怪我したんだな。」
僕の手を取ってセツが言った。僕は頷く。セツの短剣で切った傷だ。
セツは黙って包帯を巻いてくれた。僕はその間ずっと泣いていた。
「・・・スピカ。」
セツは不意に言った。
「私・・・ずっと昔に、スピカに会った事があると思うんだ。」
僕は鼻をすすってセツを見た。僕の身体は勿論こわばっている。
「それは、きっと。・・・・・・・・・。」
セツが言葉を失う。
僕も何もいえない。言わない。
「ごめん。なんでもない。」
セツは首を振る。
「ねぇ、セツ。」
今度は僕が言う。
「僕は、・・・君の短剣を、使ってしまったんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
セツは分かっていた、という様な目をして僕を見た。
「この傷は、君の短剣でついたものなんだ。」
「・・・うん。だろうね。自分の剣の切り口ぐらいは、判るつもりだから。」
セツは目を閉じる。
「ねぇ・・・セツ・・・。」
僕は息を吸い込む。僕は涙を流す。
「ねぇセツ。セツは・・・王家の人間なんだよね。」
僕は、このまま消えてしまいたかった。



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