71,
ルクという男は、すぐに見つかった。ランガン家の城壁の前まで走って言った僕は、そこで待っていた。
ルクを。
彼は傭兵だ。すぐにここから出てくるに違いない。いや、ルクは伝説級の人物でもある。
もしかしたら、ランガン家の人間が宿を与えているかもしれない。待ちぼうけかもしれない。でも待つ価値はある。
立ちすくんだまま待っていたらふいに黒い男が現われた。
「!」
直感だ。直感した。彼がルクだ。
「すみません!」
僕は叫んでいた。
彼は立ち止まった。僕を見る。ゾクッとするくらい鋭い目だと思った。僕の知っている中で最も鋭い眼を持っている。
「何だ。」
「・・・す・・・すみません・・・。ル・・ルク様ですか。」
「あぁ。」
やっぱり。
「あの・・・・!訊きたい事があるんです。」
必死だった。ルクの目は僕の目をみて離さない。
「傭兵が必要なのか。」
「違います。・・・もっと。別の話です。」
「・・・・・・・・・。」
彼は沈黙した。そしてふっと空を仰いだ。
「先約があるんだ。」
「後でもかまいません。」
「その後はここを発つと思う。」
「・・・・あ・・・。」
僕は戸惑った。この男は拒まない。かといって踏み込ませない。
「ついて来い。歩きながらの話でもいいか。」
「あ・・・はい!」
「約束の時間まで二時間強しかないからな。」
ルクは歩きだした。僕はついて歩く。
そして、訊きたいことを、ぼつり、ぼつりと尋ねた。
何故、そんなことを訊くんだ。とは、問いかけてこなかった。
彼は知り得る事を話してくれた。その話を聞く限りでは、ここに鍵は落ちてないと思った。
一つの可能性が消え。絞られた選択肢が残る。
彼は知り合いと旅をすると言った。とりあえずは、相手にまかせて歩くという。
約束の場所に着いたらしかった。その時、うずくまっている人影が見えた。
見たことのある、不思議な色合いの襟巻き。体の中をうわっとなにかに走られる。
「セツ。」
彼がそうよんだ時に、僕の中に稲妻が走る。セツ?セツだって?
彼女は顔もあげれないほど息を切らし、水を貰って、ようやっと落ち着き立ち上がった。
そしてやっと顔を振り向かせた時に驚いた顔をした。
僕はセツの顔を見つめる。汗だくだ。何処から走ってきたんだろう。



72,
世界が変わる。此処から大きく動くよ。
ピアノだけがなる世界なんて変えてしまえ。
人の声を聴け。人の言葉で音をつむげ。
逃げるな。逃げるなよ。
自分だけずっしり土に根をおろし、強くなったって駄目なんだ。
折れないかもしれない。傷つかないかもしれない。
でもそれは、空っぽだ。君がいつも抱える未完成な空虚だよ。
そこから逃れるのに、ラピス・ラズリを探してる。
その鍵だ。絶対に落とすな。絶対に、なくすなよ。セツ。
その短剣よりも、大事なものなんだよ。



73,
「どうしてスピカがここにいる?」
「俺が訊きたい。知り合いだったのか?」
ルクがセツを見て言ったた。セツはぱっと目を背けた。
「知り合い・・・。」
ルクが今度は僕のほうを見た。
「セツの事を知ってたんだな。」
「・・・あ。はい。ちょっと前まで、一緒に・・・。」
眼が、鷹の眼が輝く。
「ほぅ。セツ。いつの間に友達を作ったんだ。」
セツは何も答えなかった。
「で?セツ。これからどうする。探さなくてはならない人とやらは誰だ?」
「・・・・・・・・・・。」セツは何も答えずに僕を見た。
「・・・・この少年か?」
頷く。どきっとした。
僕を探さないといけない?なぜそんな事をセツが思ったんだろう。
「そうか。偶然だな。いや、必然かもしれない。」
独り言のようにルクが言ってふっと小さく微笑んだ。
「もしかして、それは鍵か?」
頷く。セツは頷く。
「だったら・・・俺と一緒にいる意味は、もう無いな。」
セツはばっと顔を上げて彼を見た。
「ルク。」
セツはそう呟いてまた顔を背けた。まるで何かに恥じているように。
「スピカ。」
「え・・・うん。」
セツの真っ直ぐな眼が僕に突き刺さる。
「一緒に、旅をしてくれないか。」
「・・・・・・・。」
言葉に詰まる。どう答えたらいい?
セツの目は真剣だ。なんで?どうして、今?なんで今いきなりそんなことを言うんだ?
「ぼ・・・僕も探してるものがあるんだ。」
言葉を絞る。
「あちこち行かないといけない。」
セツは僕を見る。
「それで・・・よければ。行こう。」
なんでかとても緊張した。この瞬間。



74,
「甘えたね。」
彼は言う。
「今、甘えただろ。」
「・・・認める。」
「それは何でだと思う?」
問いかける。
「楽だからだ。」
答えも示す。
「あの人は自分よりも強い。弱さを知った上で向きあってくれる。たとえその事をセツが恥じていたとしても。」
「・・・・・・・・・強い。」
「ほらね。これが証明だ。」
「・・・・なに?」
「君は一人でなんかいられない。誰か強い人が側に居てくれることを望んでる。」
「でも塔はそれを望んでない。」
「矛盾だね。」
「矛盾は大ッ嫌いだ。」
「だから変わりたいんだろ。だからラピス・ラズリが必要なんだろ。」
「・・・・・あぁ。」
ポン。この音は?何の音だ。ラ?
「でも、僕は案外甘えた君が好きだよ。」
「なんて?」
「甘えればいい。好きなだけ。人に甘えればいい。」
「あんたね・・・・。」
「あの子に甘えてみなよ。」
「無理だ。」
言い切る。
「人に甘えたくなんかない。一人で立ちたい。」
「・・・そう。それが君だね。」
悲しい声だった。
「でも君は十分、一人で立っている。道を選び、学び、そして常に考える事を忘れてない。」
「・・・・・・・・・考えない人間に進歩はない。」
「うん。でも、常に一人では立てないんだよ。そろそろ気付いてくれ。」
「だから・・・っ・・・!なんであんたは、いつも私の塔を否定する!なんでいつもそんないい方をするんだ!」
セツは怒った。
「あんたはここにいる!あんたは、ずっとここにいる!否定するんだったら、ここにいなきゃいい!私の事なんかほっておけばいいじゃないか!」
「・・・・・・・・・・・それは・・・無理だ。」
「無理?」
「無理だ。セツ。僕は君がいる限り、ずっとここにいる役なんだ。」
「役?」
「そうだよ。存在の理由。与えられた、役だ。」
「・・・・・・・あんた・・・いつから、ここにいたっけ・・・・・・。」
「いつだったかな・・・・・・・・。」
彼は考え込んだ。



75,
「じゃあ。」
「うん。」
ルクと握手をして、別れた。
「次に会う時は、もっと強くなってる。」
「楽しみにしておく。」
彼は行ってしまった。僕はその二人を見つめた。
「セツ。」
「うん。」
「・・・どこに行く?」
「スピカに任せる。私はスピカに合わすよ。」
「スペルは?」
ふっとセツは笑った。不敵だ。訊いてみようか。なぜ僕ともう一度旅をする気になったのか。でも訊けなかった。
「ロイサは?」
「へ?」
「オウィハでみた。ロイサは一緒じゃなかったのか?」
「え?セツ。あそこにいたの?」
「まさか。その下を通っただけ。テラスにいただろ。」
気がつかなかった。
「・・・あ、うん。ロイサはカザンブールに帰ったよ。探し物、手伝って貰った。」
「・・・父親か。」
「うん。」
そう言えばセツには話していた。
「セツ。」
「なに?」
「ルクさん・・・・って、セツの。」
「師匠だ。父親とかじゃあないよ。」
「・・・だからあんなに強いんだ。」
「強いかな。」
「強いよ。腕試し・・・出てただろ?」
セツはじっと僕を見た。
「いたの。」
「いたよ。塔の上からだけど。見てた。」
はぁとセツはため息をついた。
「そりゃ、恥ずかしいな。」
「恥ずかしい?」
ふっとセツは笑った。
「いこう。何処へ行く?」
歩きだす。
「・・・じゃあ。サリーナ・マハリン。」
「了解。」
ふっと笑ったセツに、やっぱりなんだか心奪われた。
あの時の笑顔じゃない。僕は、ほっとする。言葉にするならば、嬉しかった。



76,
「上出来だ。」
彼は呟いた。そしてささやかな拍手を送った。
「うまく、壊せたね。壁。初めてにしては上出来だよ。」
「・・・全部は壊せてない。ハンマーもない。」
「それでも僕は嬉しい。」
「そりゃどうも。」
セツはため息をついた。
「まぁ、タイミングもあったね。あの男が間にいてくれたのもよかった。」
「・・・そうだね。あれは不意打ちだった。」
「だけどそれはいい意味で。」
「あぁ。」
頷く。
「でも壁はまだ一部分が壊れただけだ。」
「いっただろ。」
「君の仕事は、これを全部壊すこと。」
「・・・これでは不満なの。」
「嬉しいよ、でもこれではまたいつかすぐに、再構築されてしまう。」
「・・・注文が多い。」
「助言だよ。」
彼は微笑みながら言った。まぁいつものあの突き刺すような言葉では攻撃してこないだけましか。
「どう壊せばいい?」
「僕に訊く?」
「訊く。助言してくれるほど偉いんだろ。」
彼はうなった。
「君が思ってることを、この住人について思ってる事を隠すことなく言ってみたらどう。」
「・・・・・・・・・・・。例えば?」
「どう思ってるの?」
「どう?・・・・例えば、どんなことだ?」
「好き、とか。嫌いとか。」
「嫌う理由はあるか?」
「・・・・・・・・・・・セツ。」
彼はため息をついた。
「ピアノを弾いて。もっと、ゆっくり練ればいい。」
「なに。あんたらしくない。」
セツはピアノに向かった。なんだか軽い足だった。



77,
サリーナ・マハリン。アルブ南部の大きな都市のひとつだった。僕たちはババラから四日歩き、たどり着いた。
途中で交わした会話は以前と変わることの無い乾いたものだけど、それでもこの間のセツの笑顔がないだけで、ぼくはほっとし、そして嬉しかった。
「なんでサリーナ・マハリンっていうんだろう。」
「え?」
「あ、だって、二つの名前がくっついたみたいだからさ。」
「・・・あぁ。たしか、王家のだれかの名前だ。」
「へぇ・・・。」
知らなかった。またセツは知っている。
「で?」
「え?」
「これから何をするの。」
「・・・あ。・・・。」
「・・・一人にしたほうがいいのかな。」
「あ、でも。」
「気にしないでいい。私はスピカを待っとく。」
待ってくれる。
「じゃあ。とりあえず。夜に合流しよう。あのバーでいいか。」
「あ・・・うん。」
セツはひらりと手をふって行ってしまった。それは鮮やかに。この間アルブで別れた時のように。
僕は一瞬ぼーっとしてしまう。そして、脚を動かす。行く所は決めてある。
ここにあの男が来た。ならばあいつが行くところはあそこくらいだ。



78,
「また、鮮やかに一人になったね。」
「待つって言っただろ。」
「気をつかったの?」
「なんとなく。一緒にいてはいけない気がした。」
「なぜ?」
「それは、均衡を崩すから。」
「情報におけるフェア?」
頷く。
「訊いてみたらいいのに。」
「なんて?」
「なぜ、旅をするのか。」
「崩せって言ってるの?」
「ある意味ではね。でも何も崩れはしない。君がそれに見合うものを提示すれば。」
セツは手を止めた。弾いていた悲愴第一楽章は不自然に途切れる。
「・・・無理だ。」
「怖い?」
「そういうんじゃない。」
「また闇に飲まれる?」
「飲まれない。」
「じゃあ何故?」
「言いたくない。」
「言ってもいいじゃないか。彼には。」
弾き始める。それはそれは不自然なほどにゆっくりと。
「いつか、別れた時に。それは自分の手の届かない所に行く。自分の秘密が眼に見えないところまでいく。それが不愉快だ。それが不快なんだ。」
「・・・信用しなよ。口を割るような鍵なのか?」
「そういうことじゃない。そういう目で見られるのが嫌だ。そういう風に思い出されたくない。」
「セツ・・・。」
右から左へ、指が走る。
「どうして、頑なに、自分を隠す。分からないじゃないか。彼がどう反応するか。」
「蔑まれるかもしれない。憐れまれるかも。」
「セツ。セツ。」
「なに。」
「君の一番しなくてはならない仕事は、信じることだ。」
「相手を?」
「自分もだ。」


79,
セツは一人バーを訪れる。スピカはまだ来てない。
言ったってまだ6時かそこらだ。開店したばかりのバーはまだ人が少ない。
ここにもピアノがある。黒い烏だ。つややかで、華麗で、映す。
「・・・・・・・・・・。」
セツはまっすぐにピアノに向かった。
黒い箱を開き、腰を掛ける。その動作はあまりにも自然で、まわりは誰も気付いていなかった。
強烈なフォルテが鳴り響くまで。
「!」
全員がセツを見る。悲愴第一楽章。これしか弾けないから。これを弾く。芯から響かせる。
乱暴だ。このタッチもこの強弱も。指使いは適当。リズムもぐちゃぐちゃ。フォルテは早くなり、ピアノはゆったりと。
綺麗な音だった。洗練された調律。心地よい響き。弾く人間を酔わせるそういうピアノだった。
「セツ・・・。」
僕は入り口で固まった。彼女が弾いている。またピアノを。
この曲はいつか森の中で弾いたあの悲しい名前の曲だ。
華麗で、でも、悲しい。やわらかいはずのメロディーが、セツの指で少し重くなる。硬い指使いだからだろうか。
「入らないのかい?」
「あ・・・すいません。」
僕は中に入る。入り口をふさいでたらしい。
黙って席に着く。ワインを一つとグラスを二つ注文する。
その間も僕の耳はほぼセツのピアノに向けられていた。
すごい。絡み合うような音符。決して柔らかいとは言えない。
だけど糸をつむぐように響きあう16分音符の筋。あ、ゆったりとなってく。セツの顔は見えない。
そしてすぐに戻ってくる鮮やかな左手のダンス。この間聴いた時よりも、なぜかずっと完成されていた。
ピアノがあって、ずっと練習を続けてきたわけでは無いだろうに。
収穫は無かった。僕の今日一日の働きでは得られなかった。本当に雲を掴むような作業だった。
僕は莫迦なのだろうか。
不可能に近いんだ。そもそも。全てを隠しながら何かを知るなんてことは。情報におけるフェアを無視しようとする、ただの侵略者だからだ。
最後のフォルテが決まって、セツが拍手に包まれる。僕も拍手を送る。
だけどセツは魂を失ったようにじっと椅子に座ったまま俯いていた。
そしてふっと顔を上げ、ピアノを愛しそうに見つめ、とても大切な物のように片付けた。まるで宝箱をしまうように。
僕に気付き彼女は僕の元にやって来た。
「すごい。」
「・・・すごくはないよ。」
苦笑い。
「ありがと。ワイン頼んでくれたんだ。」
僕は頷く。
「どうだった?」
「・・・だめだった。」
僕は呟く。そう、とセツは頷いた。
「君。」
声が掛かる。
「はい?」
僕は顔を上げる。そこに立っていたのは、青年だった。好青年で、金髪。帽子を被り、そばかすがなんだかひょうきんだ。
「君、今のピアノ。」
セツがゆっくりと顔を上げる。
「今のピアノ、何処で?」
「・・・塔の上で。」
セツが、呟くように答えた。



80,
「ごめんごめん、いきなりで。でも茶化さないで聞いて。」
青年は笑って言った。ちゃかしたつもりなど欠片も無い。塔の上だ。
「今度、この町でコンチェルトがあるんだ。」
「コンチェルト?」
「そう、テアトロ・ヴィバで。知ってる?」
「知らない。」
「知ってる。」
僕が言った。
「それで・・・突然、今度弾く人間が事故に遭ってしまって・・・。」
「・・・断る。」
言い切る。
「まだ何も言ってないよ。お願い。君、ピアノを弾いてくれないか。」
「悪いんだけど、旅の途中なんだ。」
「明後日なんだ。」
青年はセツに真剣に頼んでいた。
「君、音楽聴くの?」
セツが尋ねる。
「音楽を聴く人間が聴いて、俺のピアノをコンチェルトで使おうなんて考えるはずないんだけど。」
俺。セツは俺、と言った。
「聴くよ。もちろん。」
「じゃあ、よっぽど耳が悪いんだ。」
吐く毒。
「セツ。」
僕は止める。
「誰が来るの。そのコンチェルト。一般人ならまだしも、貴族とかなら俺が首刎ねられかねないよ。」
「・・・貴族。」
「なしだ。」
くっとワインを飲み干した。
「お願いだ。」
「なんでそんなに必死なんですか。」
僕は訊いた。セツはもう関係ない、という態度をとっていた。
「大事なコンチェルトなんだ。少なくとも、僕にとっては。」



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