61,
さよならを告げて、僕は歩きだした。
また一人。きっとまた僕の目は鋭くなっている。
そういえば、セツはどこへいったんだろう。どこに居るんだろう。
ここに残っていたなら、どうして僕と別れたんだろう。あの黒い男の人の所に行くためだったんだろうか。
考えるのを止めた。
僕は得た収穫をもう一度広げて読み直して見る。
公爵はしょっちゅう此処に留まるらしい。彼の名前は、何度も出てきた。
この中の名前で、知っている名前は。
「・・・・ランガン家。」
ここから一番近い地域の一貴族だ。僕はもう一度その紙を丸めて鞄になおす。
いってみよう。
歩きだす。
「あぁ、そっちの方は今は行かないほうがいい。」
道を聞いた。そしたら男がそう答えた。
「今そっちの方じゃ、戦がおこっているらしい。なに、またヴェヌトのちょっかいだ。大したもんじゃないがね。」
「それでも、行かないといけないんです。」
「うーん。じゃあ、安全な道をとれよ兄ちゃん。この山を越えてだな・・・。」
お礼を言って歩きだす。
一山越えないとならないらしい。僕は荷物を背負いなおした。
「・・・・・ヴェヌトか・・・・。」
呟いた。
ヴェヌトはこの国の隣国で、しょっちゅう諍いが起こる。
僕が生まれた年にも大きな戦があったらしい。なんの関わりもないけれど。
ふと、今来た道を振り返って見る。随分遠くまで来た。あの橋のある町から。
探さなくてはいけない。僕は息をついてから歩きだした。
「兄ちゃんっ!」
僕は顔を上げる。
「兄ちゃん、腕試し、やっていかねぇか?」
長髪の男が揚々と話しかけてきた。
「・・・いえ。僕は・・・。」
あぁそう言えばここは、この間、セツが戦っていた広場だ。
「なんでぇつまらねぇなぁ!勝てば300だぞ!」
僕は、無視して歩きさった。300は、まあまあの大金だが、僕はお金はいらない。お金ならあの町である程度ためた。
僕はセツみたいに強くはないし、なにより目立ちたくはなかった。
今は、定めた一つの的に向かって、ただ歩け。歩くときだ。



62,
「さすが、この辺りは物騒だな。」
セツが立ち上がって言った。
寝込みを襲ってきた野党をぶん殴り、なぎ倒した後だ。息が上がっている。
「次、ルクだぞ。」
「あぁ。」
セツは灯りを消して寝袋に再びもぐりこんだ。

朝、約束の場所を確認して、二人は二手に分かれた。実質上の一人じゃないか。セツは呟いた。
だが、彼以外に自分と共に旅をする人間は今の所、見える範囲でいやしなかった。ラピス・ラズリは一人では見つけられない。
だったら、仕方がないことだ。ルクの仕事が終わるのを待って、彼の後ろについていく。そうする以外に、方法がない。
セツは舌打ちをした。こういう、前進しない、煮え切らない時間が最も嫌いだった。
セツは地図を片手に魔女のもとへと歩いた。今度の魔女は、森の奥に住んでいるらしい。
この物騒な地域でよく老婆が一人、森の中に住んでいるな、と思った。
「わしの事を探しているかい?」
セツはばっと振り向いた。いつの間にかうしろに老婆が立っていた。
森のど真ん中だ。一瞥だけで彼女が魔女だと悟るに十分だった。彼女はひひっと笑った。そしておいで、といってセツの手を引いた。
小さな石の家に連れていかれた。童話の御伽噺に出てくる悪い魔女ではあるまいなと一瞬思った。
それくらい雰囲気が出ていた。彼女は扉を開けてセツを迎え入れる。
「ラピス・ラズリかい?」
驚いた。彼女は心が読めるのだろうか。
「えぇ。」
「その目にかいてある。満たされない。未完成だ。埋めたい。と。」
「・・・・・・・・そんなに、貪欲に渇望しているように見えますか。」
彼女は頷いた。
「名前は?」
「セツ・・・・。」
「言いたくないのかい?」
「言いたくありません。」
そうか、と彼女は頷いた。
「スペルを探しています。」
「そうだね。スペルが必要だ。」
「なにか、ご存知ありませんか。」
「聞いたんじゃないのかい?」
ききました。一人じゃ、見つけられない。でもただそれだけだ。
そしてルクは自分はその役ではないと言い切った。闇の中をさまようだけのたちの悪い迷路みたいだ。
「私は誰を探せばいいんですか。」
「もう解かっているとおもうのだがねぇ。」



63,
「まだちょっと、高音が気持ち悪い。」
彼がいった。
「まだ調律おわってないんだ。」
「でも、だいたい終わらせたね。」
彼は黒い烏に触れてみる。
「それで?」
彼は問いかける。
「なに。」
「どう?心の中は。」
「いつもどおり。」
「それは順調ってこと?」
「さぁ。」
セツは窓をのぞいた。
「行き止まりって感じ?」
「・・・いつもだ。」
「ねぇセツ。分かってるんだろ?」
「なにを。」
短い言葉の会話。彼との会話はいつもこうだ。
「わかってるんだろう?今、探しにいかなきゃいけないものは、スペルなんかじゃないんだよ。」
「スペルだ。」
言い切った。
「いつまで隠すの?」
「最後まで。」
「いつまでその姿でいるの?」
「逃げ切るまで。」
ため息。
「塔の構築、最近すすまないね。」
「・・・・・・・・。」
無言。
「余裕がないからだよセツ。わかってる?」
「認める。」
「君は完成を求めて、その先に何を欲するの?」
「訊くのか?」
訊かなくたって、わかっていることだと思った。
「わかっていることだよ。でも、セツの口から、言葉と言う形で聞きたいんだ。」
それは心の中というあいまいな輪郭のないものではなく。



64,
「あぁ。この道を真っ直ぐ行って山越えたらババラだよ。」
「ありがとうございます。」
僕はお礼を言って歩きだす。ババラ。ランガン家のある地方の名前。僕はそこに向かう。
ラピス・ラズリ。
セツの探しているものの名前。僕はその影形全て思いつかない。未知。
父親。
僕の探しているもの。名前は知らない。その影形、全て思いつかない。未知。
僕らは歩く。それぞれ別々の物を探しながら。そしてそれは難解なものを各々が。
ピアノの音がして、僕は立ち止まった。
セツを一瞬思い浮かべた。
バーの中から聞こえるようだった。僕は寄ってみた。よく聴くと、音はピアノだけじゃない。
バイオリンだった。美しい音色。それは気高く、ロイサを思い出す。
バイオリンか。
何だか懐かしかった。音楽なんてものは、奏でられないけれど、この音色は何だか懐かしかった。
だけどそれは、心を絞めつけるばかりだった。懐かしいものは、この辺りをトゲで刺す。嫌悪する。憎悪する。思い出したくない。考えたくない。
僕は、耳をかきむしって歩きだした。バーから遠ざかる自分の足が、思いも寄らないスピードを出している。足がもつれかけた。
何をしてるんだ。僕は。
山のふもとまで来た所で、夜の闇は心底深くなっていた。
僕は寝袋を出し、そこで横になった。小さく縮こまる。野党に見つかって襲われないように火は付けない。
影に隠れて縮こまる。夜中に人の足音が何度かきこえた。だけど、僕に気付くことなく行ってしまう。
恐怖だった。暗闇は怖い。人は怖い。僕は弱いから。自分を守ることすら出来ない。
セツのように戦えない。だけどセツのように、探している。歩いている。僕は、甘いのだろうか。
逃げるために、彼女はお金がいった。それでナイトオリンピアに出た。
ナイトオリンピアに出るために自分を鍛え上げた。強くなった。僕は、甘かっただろうか。
他人と比べたってどうにもならないのは、分かってる。
ババラに行ったらまずはランガン家の屋敷のほうに行ってみよう。なんの身分証明もできない僕が、ランガン家に近づけるわけがない。
ロイサの時のような幸運は二度とないだろう。ならばどうするか。思いあぐねても容易に答えは出ない。
それは僕の能力を考慮するといくつもの選択肢が失われるからだ。
僕は、どれだけ無能な人形なのだろう。



65,
「予言をきいた事がないかい。」
「予言?」
セツは老婆の目をのぞきこむ。
「星の名は月の名にであうだろう。」
「・・・・・・・ありません。」
「そうか。」
老婆は笑った。
「これで何を探さなければならないのか、分かったか?」
黙る。
「これを持って行きなさい。」
老婆がごそごそと何かを取り出して、セツに手渡した。
「・・・・・・・これは?」
きらっと光る。
「腕にはめてみるといい。」
腕輪か。ゴムのようなそれを腕に通す。左腕、手首だ。
「いつも付けておくんだよ。」
「いつも。」
「そう。お前のあらぶる暗闇を抑えてくれる。少しでも溶かしてくれる。」
「・・・・・・そん・・・。」
「必要ないかい?」
「・・・私は、そんなに飲み込まれているように見えますか。」
「目を凝らせばね。見えるよ。」
セツは顔をしかめる。
「その短剣。」
とっさに手をやる。
「大事かい?」
「・・・・・・・・えぇ。」
「大切、と言う意味で?」
言いかねる。だけど、これは無くしてはならないものだ。今の自分には必要なものだ。
「その短剣に、飲み込まれてはいけないよ。」
「・・・・・・・・。それは。」
「重ければ、捨ててもいいんだよ。」
セツは黙る。捨てる?捨てられるだろうか。
「拒否する事は、お前には許されている。」
「・・・・拒否・・・・・・。」
言葉を咀嚼する。それは、あの言葉に対する拒否だろうか。それとも。
「今夜は此処に泊まっていきなさい。夜の森は危ない。」
「・・・平気です。」
「その短剣を使ってほしくない。泊まっていきなさい。」
頷くしかなかった。



66,
「そう、君の闇は、他人の目からも見える。」
「うるさい。」
「その短剣。」
指をさす。すっかり調律を済ませたピアノに向かうセツの腰を指差す。
「僕は捨ててもいいと思う。」
「捨てられない。」
和音。あぁ美しい。調律したての白と黒の鍵盤。そこから奏でられる音。
「でもいつか捨てなくてはいけない日が来る。」
「いつだよそれは。」
「いつだろう。」
彼は、うなった。
「きっとそれは、ラピス・ラズリを手に入れたときだろうね。」
「・・・あんたの主観だと、永遠に来ないわけだ。」
「そうだね。」
舌打ちをする。最近のコイツの饒舌はどうだ。
「ねぇ。探すんだろ?」
「何を。」
「あの魔女が示してくれたものをだよ。」
「・・・・・・・・・・探さないわけにいかないだろう。」
「それは、いやいや?」
「・・・いやかどうかは、分からない。」
考え込む。
「怖いんだね。」
「・・・・・・・・そうかもしれない。」
「一度壁を完全に構築してしまった相手に再び会うのは緊張するものね。」
「・・・・・・・あぁ。」
認める。
「しかもその壁を自分でなんとか崩さないといけない。」
眉間にしわを寄せる。
「君が、相手を必要なんだ。そうするしかないのはわかってるだろう?」
言われなくたって。
「だからいっただろ。ハンマーを探してこいって。必要なんだ。スペル以上に。」
「・・・。」
「まさか相手が壁を崩してくれるだなんて甘い考えを持っちゃいないだろうな。君が作った壁だよ。君が責任を持って崩せよ。だって、相手じゃなく、まぎれもなく君が相手を必要としているんだから。」
「わかってる。」
「うん。セツが理解していることは僕も分かる。君は、そこらへん、堅すぎるくらいにしっかりしているから。時にそれは、頑ななほど。」
ため息。
「探せよ。セツ。」
「うん。」
「君が強くなる、そのための鍵だ。」



67,
朝、日の出とともに目を覚まし、そして出発する。山を越える。ぐずぐずはできない。
山は危険だから。ころっと暗闇に落っこちる。
僕は一人で歩きだしてからその事を知った。それまでは山の事も、そのほかのどんなことも知らなかった。無知だった。それは罪なほどに。
僕が山を下る頃、昼の最も暑い時間だった。山の中は涼しかった。川が湧き出す音がする。
山を下りきると、道が続いてた。真っ直ぐに。ここからもうババラ地方だ。乾いた土地。乾いた空気。喉が乾いた。
僕は歩きだす。そして道を辿る。人のいる町までとりあえずは行かなくては。
山の小川でくんだ美味しい水がボトルにあるが、こう暑くてはたまらない。早く行こう、そう思った。
途中で荷車に出会って乗せてもらった。幸運だった。
気のいいおじさんと会話をしながら町へ向かう。お金を手渡し、僕はお礼を言った。
ランガン家のすむ屋敷はここから結構遠いが、歩いていけない距離ではない。
アルブに比べて大きなババラはその殆んどが使い道のない乾いた土地だった。
「あぁ、疲れた。」
僕は宿を取ってベッドに転がった。この宿では身分照明は必要ないらしい。よかった。
「これから、どうしようか。」
日は傾いていた。西日が強い。
いきなり歓声が沸いた。何処から涌いたかは分からないが、いきなり外から大きな声が無数にした。
僕は起き上がった。そして窓から下をのぞきこむ。
人々の歓喜の声は、町の凱旋門を潜りぬける長蛇の列の兵達に向けられていた。帰還したのだろう。
僕は宿から出て人ごみの中に飛び込んでその様子を見た。
「討ち取った!ヴェヌトの大将の首を討ち取ったらしいぞ!」
「さすが・・・ルク様だ・・・!」
「あの、すいません。」
僕は赤子をだく女の人に声を掛ける。
「今、どうなっているんですか?」
「どうもこうも、防衛線に行っていた軍が、ちょっかいをかけてきていたヴェヌトの大将を討ち取って帰ってきたのよっ!これで暫らくはヴェヌトもちょっかいかけてこれないでしょう。」
嬉々としてしている。
「ヴェヌトの連中には、結構あちこち村を焼かれたからね・・・、それにしてもさすがルク様だわ。」
「ルク?」
「おや、しらないの?この国最強の傭兵だよ。彼が来てからたったの2日で事が片付いてしまったわ。」
名前は知っていた。武民の傭兵。その功績をたたえられ、王の前にも立った事がある人間だ。鷹のような鋭い眼をしていると言っていた。
僕は拳を握った。知り合えないだろうか。
僕はその軍の列が向かう先へと走った。その『先』は言うまでもない。ランガン家だ。ババラのこの辺りで一番力を持っている貴族だ。むしろ、騎士だ。
僕は走る。心臓は、千切れてしまいそうなほど高鳴っていた。



68,
さて、何処へ向かおうか。
セツは魔女にお礼を言ってから森の中を突っ切ってとりあえず約束の場所であるババラへと向かった。
ルクは3日でコトを片付けてやってくる。と言い切った。
ということは、そろそろそのコトとやらは終わらせているはずだ。
このペースで歩けば丁度いい位だ。だけど心は焦っている。探さなくてはならないものがある。
セツはいつの間にか走り出していた。森を抜ける。

ほんの少しのつきあいだ。自分の事も何もしらない。相手の事も何も知らない。
本当の事なんて一つもみせちゃいない。それなのに。
鍵なんだ。示された鍵だ。

スピカを、探さなくては。



69,
「あぁセツ。世界が変わる。ずずっと音がして、世界ごと動く。」
「あんたは地震の探知機かなにかなの?」
「面白いこと言うね。」
笑った。彼はなんだか上機嫌だった。
「ねぇセツ。第三楽章を弾いて。」
「それは手も付けてない。弾けない。」
「いいんだ。新しい曲を弾こうよ。」
強引だった。
仕方無しにピアノに向かってみる。右手のメロディーしか頭に浮ばない。
だけどこれはハ短調だった。始まりの音は分かる。楽譜はない。右手でメロディーを思い出しながらそれをなぞって弾いてみる。
「大したものだね。」
「なにそれ。褒め言葉?」
「うん。楽譜がないのに。聴いた記憶で音を追いかける。簡単に出来る事じゃないよ。」
「正しくはないよ。適当だから。」
それに間違えまくっている。
「いいよ。それはつまりセツの音だ。セツの音楽だ。この曲が、ベートーヴェンのこの曲が、セツの色に染まる。僕は、それがなんだか嬉しい。」
「私は嫌いだけどね。」
イライラする。ちゃんと弾きたいのに弾けない。もどかしいんだ。
「セツ。あの子にあって、一番最初になんて言うの?」
「・・・・・・・会ってから考えるよ。」
「遅いよそれじゃ。君はきっと考えて無言になる。それじゃ壁は崩せない。」
「・・・・・・・・・・・なんて言うかな。」
考え込んだ。
「・・・ごめん・・・・。かな。」



70,
ルクとの約束の場所に着いた。まだ彼はきていない。息が切れている。ずっと走ってきたからだ。長かった。何キロだ?
ずるりとそこに屈みこむ。セツはため息をついた。息を整える。
「・・・・・・・・・セツ。」
ルクの声がした。顔を上げれなかった。
「ルク。」
「早かったな。」
「走ってきたから。」
「何故?」
「ちょっと待って。」
息がまだ整っていない。可笑しいくらい苦しい。腹が、脚が笑っている。
「水、いるか。」
「ありがとう。」
手を伸ばす。顔はうずくまったままだ。手に冷たいボトルがあたる。息をついて顔を上げてその水を飲んだ。そしてまた顔をうずめて、手を伸ばし、ボトルを返した。
「ルクこそ早かったな。」
「あぁ。おもったよりも脆かった。」
「そう。」
「そっちは?」
息が大分整ってきた。
「収穫はあった。探さなきゃいけない人がいる。」
汗が吹き出す。すごい。長距離を走りきった後の脱力感と疲労感は久しぶりだ。
「たてるか?」
「うん。」
ずるりと、壁にもたれたままゆっくりと立ち上がった。
「セツ。紹介する奴がいる。」
「・・・・誰。」
ルクのほうに顔を向けた時。眼が大きく開いた。
「スピカ・・・・!」
思わず叫んだ。
スピカも驚いていた。汗だくの顔を見つめていた。



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