6,主を待つ


席を温めるのが仕事だと思ったことはないが、不可抗力でそうなっている気がする。
「はぁー。」
ため息をついた。辛気臭いかもしれないが、出さずにはいられない。
「おや、ボードレー悩み事かい?」
伯爵が帰ってきて馬車を開けるなりそういった。恨めしそうに見る。
「いいえ。」
「なんだい。君もついに恋煩いかい?」
「伯爵と一緒にしないで下さい。」
「あはは。ひどい言われようだ。」
まったく。この伯爵には、本当に参る。

ボードレー・ディマルフィオ
クシス・アングランドファウスト伯爵の側近。従者。その実単なる待ちぼうけ担当。
訳は明白。クシスが一人であっちこっちいってしまうからだ。
主の命だ。一人で行くといったら聞かない男なので、待て、と言われたら待つしかない。
まったく、こっちは心臓が縮んで仕方ない。
その夜遊びは、最近程度ってもんを知らない。
夜遊びなのかなんなのかも、知らないのが真実ではあるが。
どこに行くにも置いていかれるこっちの身にもなって欲しい。

この間なんか思いっきり、打撲して馬車に帰ってきた。
「伯爵っ・・・!大丈夫ですか?」
「いたた・・・。結構本気で蹴られたもんだ。」
「蹴られた?!」
伯爵なのに、なんで他人に蹴られるようなことになるんだ。
「なんですか、サディスティック娼婦の所にでも行ってきたんですか?」
「こらこら、ボードレー、僕はそんな趣味はないよ。」
「雑食のくせになに言ってんですか。」
伯爵は笑う。
「・・・しかし。」
温めておいた席に座る。
「随分嫌われてしまった。」
「ばれたんですか?4股が。」
「ばれやしないよ。4股もしてない。」
嘘つけ。数えただけでも女の影は9つあるぞ。
まぁ、その実を知ってるわけではないが。
「・・・随分・・・気高くなったものだ・・・。」
気高く?何の話をしてるんだろう。
「脅されて逃げてきてしまったよ。」
「・・・なんでそんなことになるんですか。伯爵。」
呆れるしかない。
伯爵がつねに笑っているから、なんでか安心できる。
だけど、実際伯爵のことを何にも知らない。

伯爵に仕えるようになったのは、随分若い時だった。
もうなんだかんだで10年以上仕えてる。
しょっぱなから、変な男だった。
「ボードレー・ディマルフィオです。」
頭を下げた。
「あぁ、君か。はじめましてクシスだ。」
さらっと簡単な挨拶で彼は微笑んでぽんと肩に手をおいた。
「丁度良かった。さっそくでわるいんだが。」
「は。」
「此処にいてもらえないかな?」
「・・・は?」
「誰かがノックしたらノックを返す。3回。何も言わなくていい。というか言っちゃいけない。」
「・・・はぁ。」
「よし。頼んだよボードレー。」
そして軽やかに伯爵は去っていった。
ぽつねんと残された。
大きな部屋に一人。時間はものすごい遅さで過ぎていく。いつまで待てばいいのか分からない。
立ちっぱなしで、6時間くらいたった。
空はすっかり真っ暗で、どうしたらいいのかわからないので言われたとおりいに此処にいた。
伯爵が帰ってきたのは夜10時をまわった頃だった。
「おや?ずっと立っていたのかい?」
「・・・・はぁ。」
「や、どうもありがとう。」
「いえ・・・。」
ものすごくトイレに行きたかった。
「あれ、もしかしてトイレにもたってないのかい?」
「はい・・・。」
「行けばいいのに。この部屋には備え付けられているよ。この奥のほうだ。」
伯爵の部屋のトイレなんか使えるわけないだろうに。
「し・・・失礼します。」
「うん。おやすみ。」
走って部屋を出た。なんなんだあの伯爵は!

「伯爵、・・・朝食のお時間ですよ。」
ノックする。返事はない。
「・・・・?伯爵?もしかしてお体を壊されたんですか・・・?」
それを繰り返すこと40分。
流石に耐え切れなくなって思い切って開けてみた。
鍵は掛かってない。
ガチャン。
「・・・・・・・。」
いねぇ!
「伯爵?!」
叫んで呼んで見た。
返事なし。
正真正銘。いない。
なんで?昨日確かに帰ってきていたし、出て行くなら普通従者を付けるだろうに。
嫌な汗が出た。
なんてことだ、着任そうそう、伯爵の身に何かあって見ろ、まずい!走りだした。
「伯爵!」
至る所を探した。だけど何処にもいなかった。
朝食をとる大広間に行って、伯爵はどうやら来ないようだと告げた。
事がばれる前に自分で伯爵を見つけ出さないと!だけどそんな努力も虚しく、伯爵は見付からなかった。
「おやボードレー、何をしてるんだい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・伯爵・・・。」
力尽きて伯爵の部屋の中で倒れているところに、彼は来た。昼下がり。
「・・どこにいらしたんですか?」
「ん。ちょっと、散歩だよ。」
「朝から?」
「うーん。そうだね。」
勘弁してくれ・・・。
腹が減って死にそうだった。朝から走り回って何も口にしていなかったのだ。

次の日も、その繰り返しだった。
体力は完全に尽きかけていた。
たったの三日でこんなにボロボロになるなんて。続けていけるのだろうか。真剣に考えた。
だからその日の夜から朝にかけて、伯爵の部屋を見張ることにした。
寝不足だし疲れきっているが、そうしないわけにいかない。
さもなくば、耐え切れず、死ぬ!
一体何時からその散歩とやらに出ているのだろうか。
従者がそれについていかないのは、おかしい。
絶対についていってやる!
深夜1時をまわった頃、伯爵は静かに自室から出てきた。
「!」
そして足早に廊下をつきぬけて真っ直ぐ館を出た。
それは手慣れていて、迅速だった。
誰も通らないような暗い道を選び、裏の扉から彼は出ていった。
つけた。
一体何処に行こうというんだこの時間から?
彼の行きつく先は、庶民のパブだった。
「・・・・・・・・・・・・・は?」
顎が外れそうだった。
よく見れば民の格好をしている。
いつも来ているようなきらびやかな貴族の服じゃない。
少し小奇麗な民に見える。
唖然。
これは、誰だ?
伯爵は楽しそうにそこにいる民たちと飲み、そして話していた。
「・・・・・・・。」
言葉が出なかった。
追いかけて止めることもなぜか出来なかった。
これって自分が仕えている男か?気高いアングランドファウスト家の主、クシス伯爵なのか?
がくんと肩の力が抜けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・ボードレー・・・。」
明け方、そのパブから出てきて帰路につく伯爵が自分の姿を見て驚いて言った。
でもすぐに微笑んだ。
郊外の道だ、他に誰もいない。
「待っていてくれたのかい?」
「・・・待ってましたよ。」
「そうか。ありがとう。」
伯爵は追い抜こうとした。だけどそれを止めた。
「伯爵!」
「ん?」
「どういうことですか、説明してください!」
「説明もなにも。見たまんまだ。朝帰りだよ。」
「庶民の格好で?」
「そう、だから今から着替えにいく。それからちゃんと帰るよ。」
「伯爵!」
「なんだい。」
頭がかっとした。
「なんでそんなことするんですか!あなたはかりにも伯爵号の人間なんですよ!」
伯爵は微笑んだ。
「美味しいお酒を飲みたいと思うのに、理由がいるかい?」
美味しいお酒?自分の館には地下にいくつもの貴重なワインが眠っているのに。
「謝るよ、最近立て続けだったことは。用意して貰った朝食を食べなかったのは非常に申し訳ない。」
「・・・・。」
そこか?
「できることなら遅くても食べたかったんだけれどね、そんなに胃は大きいほうじゃあないんだ。」
何を言ってるんだろう。
「ボードレー、君も腹が減っているだろう。一緒に来なさい。」
命令。頷くしかない。
着いたのは小さな庶民の家。
扉を開くとそこに女がいた。
彼女はにこっと微笑んだ。たくましそうな女だった。民の香りがする。
「おはよう。クシス。今日はちょっと早いじゃないか。」
「!」
驚いた。
クシス伯爵に向かってそんなふうな言葉遣いをするなんて。
「おはよう、スザンナ。問題かい?」
「いいや。たいして問題じゃないよ。そちらは?」
「あぁ。僕の新しい従者だ。ボードレーという。」
スザンナと呼ばれる彼女はニッコリ微笑んでこちらを見た。
「はじめまして。スザンナよ。」
「・・・・はじめまして。」
「さ、座ってちょうだい。」
伯爵は頷いて席に着く。
木の、なんの装飾もない食卓。そこにおかれるパンと彼女が今作ったばかりの白いスープの匂い。
初めて見た。民の食卓なんか。
「いただくよ。」
「めしあがれ。」
彼女は微笑んで言った。
「お気に召さない?」
僕を見る。
「・・・やっ。そういうわけじゃ・・・。頂きます。」
あわててパンを手に取る。かじる。
「美味しいだろう?」
伯爵が僕を見て微笑む。
「あ・・・はい。」
美味しい?伯爵がいつも食べているもののほうがよっぽど美味しいはずなのに。
朝食は楽しげに取られた。
なんだかぼんやりして憶えていないが、伯爵もスザンナもよく笑っていた。
朝食を取った後、伯爵は服を着替えた。金糸で縫われた上物の服だ。
「ありがとうスザンナ。」
「またいつでも言って頂戴。」
手を振って伯爵はそこを後にする。
二人で歩く。
初めて伯爵について外を歩いた。初めて従者の役割をこなした。
なんでか全然話す気になれなくて、なにも話さずに館に帰った。
この伯爵についていて、いいんだろうか。
全く理解が出来ない。初めて見た。こんな男。こんな貴族。
もんもんとしたまま、数日が過ぎた。

「図書館?」
「そう。」
「なぜ、今そんなことに従事することにしたんですか?」
興味本位で訊いた。突然図書館を作ると言いだしたからだ。
「なぜって、必要なものだからだよ。」
「・・・・必要?」
「町を栄えさせるためにはね。アルブ西部はイルルとの諍いで随分痛んでしまった。私は町を栄えさせるには民の教育が大事だと思ったんだよ。」
「・・・・はぁ・・・。」
「町で会ったやつらには、読み書きが出来ない連中もたくさんいた。真に栄えた町とは、民の教養レベルも高い町だと思う。」
伯爵はなにかの書類を書きながらそう言った。
「サリーナ・マハリンは、そういう町にしたいんだよ。」
「・・・だから数年前・・・テアトロ・ヴィバをつくったんですか?」
「そう。音楽や演劇も大事な教養の一つだ。」
「・・・民の声を聞くために。・・・だから、夜お忍びでパブに行くんですか?」
伯爵は顔を上げて微笑んだ。
「言っただろうに。美味しいお酒を飲みたいからだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。はい。」
意外だった。そして、ひどく胸を打った。
「伯爵・・。」
「なんだい?」
書類に戻っていた目を上げた。
「伯爵のこと、はっきりいってまったく理解できません。」
「・・・はは。そうだろうね。私は君とは随分違うタイプだと思う。」
「でも。・・・仕えます。」
「ん?」
「私はあなたに、これからも仕えます。」
伯爵は少し、間をおいてから微笑んだ。
「そうか。」
「ただ。」
「ただ?」
「ひとつだけ約束していただきたい。」
「うん?」
「どこに行ってもかまいません。一人で行ってもかまいません。ただし、この館を出る時は。」
伯爵の眼が、自分の目に映る。
「必ず御供させてください。町に出る時はせめて町の近くまでは馬車で御供させてください。」
「・・・そこからは一人で行ってもいい、ってことかな?」
「えぇ。」
伯爵は笑った。
「あぁ。うん。かまわないよ。約束しよう。」
「・・・ありがとうございます。」
「ボードレー。」
「はい?」
「これからも頼むよ。」
「・・・はい!」


「ボードレー。」
声が掛かって振り向く。伯爵がそこにいた。
「はい?」
「ちょっと一緒に出てくれないか?」
「・・・今度はどちらへ?」
「スザンナに呼ばれてるんだ。」
「・・・はいはい。喜んで御供しますよ、伯爵。」
そして歩きだす。
まったく、この伯爵には、ムカツクほど退屈しない。


主を待つ おわり
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