16,王妃のネックレス 


珊瑚のカメオ。
見事な細工が施されたネックレスだった。
どこぞの地方の侯爵が抱え込んでいるという技師に頼んで作って貰ったものだという。
あの短剣に入っていた。母親の形見だ。
剣を振り回すたびにカタカタと音を成す。
あの男を愛した母親の、最後まで捨てる事が出来なかった贈り物だ。


「綺麗ですわね。」
セツキがそう言ってカメオに触れた。
「婚礼の時にお父様がくれたのよ。」
母親は微笑んだ。
穏やかに、気高く。
そしてセツキの髪の毛をなでる。
少し放っておくとすぐにはねてしまう。
「セツキが大人になって嫁ぐ日がきたら、贈りましょう。」
「本当に?」
頷く。
「ありがとうお母様!」
母親に抱きついた。
母親の事がとても好きだった。
誰よりも、とても好きだった。
王妃である事に誇りをもっていた。
だからセツキもその娘である事を、皇女である事を誇りに思っていた。
母親のネックレスは、いつだって母親の胸元にあった。
その全ての肖像画にも描かれている。
どの人が見ても感心する。それほど見事なカメオだった。
王妃の象徴といってもいい程、このネックレスは人々にも知られていた。

城を放り出された時も、彼女はそれを手放さなかった。

ゴトン。

荷車のような馬車が止まって、男が扉を開く。
「お降り下さい。」
無言のまま、一人の女性と一人の娘が降りる。
男は一礼をしてそのまま去ってしまった。
沈黙を時々カラスが破る以外は、何も聞こえない深い森の中だった。
呆然としていた。
親子二人。
此処はどこだ。
顔を上げた。そして母親を見る。
その表情には生気はない。かけらもない。ただどこかを見ていた。
セツキは俯いて掌を広げてみてみた。
小さい。
自分で言うのもなんだけど、小さい。
突然母親が歩き出した。
「お母様。」
追いかける。
何処へ行こうというのだろう。此処が何処かも分からないのに。
南なのか、北なのか、それすら分からないのに。
彼女は無言で足を進めた。
もうその時には精神は、折れていた。
真っ直ぐ真っ直ぐ、狂ったように歩き続けた。
直に、森を抜けた。
森を抜けたら、町があった。
母親は、それが見えたところで力尽きたのか、ずるりと座りこんだ。
そして顔を覆ったまま動かなくなった。
セツキは呆然と立ちすくんだ。
今、何が自分の身に起っているのかもきちんと理解できていなかったのだ。
どうして自分が城を追い出されたのかも、本当のところよくは分かっていなかった。
だけど思ったよりも冷静に頭は動いていた。
「・・・・・お母様・・・。服・・・。」
呟いた。
「・・・このままじゃ、目立ちます。」
ドレスだった。
本当にそのまま、放り出されたのだ。
セツキは辺りを見渡した、少し向こうの家の裏で、洗濯物が干してある。
セツキは母親を少しだけ見つめて、こくりと唾を飲み、そして駆けだした。
その家の洗濯された綿の長いシャツと大きめの布、おそらくテーブルクロスか何かをを奪ってそしてすぐに母親の元に戻ってきた。
「お母様、服、お脱ぎになって。」
母親は動かない。
セツキはまず自分の服を脱ごうとした。
だけどすぐに困惑した。
服をどうやって脱ぐのか分からない。
いつも、つったっているだけで良かった。
誰かがきちんと着せてくれる。
だから、服をどう脱ぐのか、そんな事すら分からなかった。
結構無理矢理、半ばはぐ形でドレスを脱いだ。
少し脇部分が破れてしまった。
そしてすぐにその長いシャツをばさっとかぶった。
それはおよそ短いワンピースのようになった。
ドレスの下に来ていたペチコートが裾からのぞく。
不恰好だが、これで十分だと思った。
そしてすぐに母親を立たせた。
服を脱がせて、座りこんでしまった母親に大きな布をかぶせた。
「・・・ここで待っていてくださいね。」
セツキは、脱ぎ捨てた二枚のドレスを担ぎ上げて走った。

「まぁ、こりゃまた上物のドレスだね。」
中年の女性が目を広げて言った。
「どれどれ。」
眼鏡をかけてじっとセツキが運んできたドレスを見つめた。
暫らくそれを見つめてからセツキの顔を見た。
「・・・1300で買おう。」
「・・・1300。」
それがいったいどれくらいのお金なのかは分からなかった。
頷きかけたその時だ。
「おいおいおばちゃん、そりゃないぜ。」
後ろにいた青年が言った。
赤毛の青年でハンサムな顔立ちだった。
「こんな最上のドレス、1300じゃあ手に入りゃせんぞ。」
「なんなんだいお前は。」
女は顔をしかめた。
「おばちゃん、この子が何も分かってなさそうだからってひどいんじゃねぇの?」
「なんだって?」
「このレース。ダーリンガムのデザインだ。それからこの生地。こりゃ純絹だね。さらにここの刺繍も王家御用達級だし。ま、たしかにところどころ破れちゃいるが・・・糸がほつれているだけだ。縫い直せばなんら問題はない。こんないいドレス、いったい何処で拾ってきたんだいお嬢ちゃん?」
セツキは首を振る。
「6000は完全に必要だよ、おばちゃん。」
女は舌打ちをした。
「まったく、お前、営業妨害だ。訴えてやろうか。おらよ譲ちゃん。」
ばんっ!と乱暴に机にはたき出されたのはものすごい札束だった。
「こっちのドレスしか買い取れないからね。」
大きい方のドレスを指差して言った。
「そうそう、それくらいで妥当だぜ、おばちゃん。ほら、受け取りな。なくすなよ。」
セツキはその結構な札束をどうしたらいいかわからなくて見つめた。
「なんだ、袋とか持ってないのか?鞄とか。おばちゃん、なんか見繕ってあげなよ。」
「っとに。」
女は奥から薄い皮の袋を持ってきて札束をその中に入れた。
「小切手ないの?半分くらい小切手にしてあげたら?随分重いぜ?」
「あいにくだけど小切手なんてもんはないね!」
「っそ。譲ちゃん、これで払うぞ。この袋。」
一枚お札をつまんで男はいった。セツキは頷いた。
「ありがとうよ。」
女はそのお金を受け取って一度奥に引き下がった。
セツキは鞄を持ち上げた。重い。こんなに重いものを持ったのは初めてだった。
「持てるか?」
頷く。もう一つのドレスが残っている。
「これ、別の質屋に売りに行くのか?」
頷く。
「ついてってやろうか?またこういう悪どいのに目を付けられちまうぜ。」
「悪どいたぁ失礼だね。で?あんたは?」
「俺は前から狙ってたあの本が欲しくてね。買いに来たんだ。」
「どれだい?」
「あれだよ。ほら、赤い背表紙の。」
「これかい。」
「そ、30だろ?」
お金を払っている間にセツキは外に出て行こうとしていた。
「譲ちゃん!」
男が止める。
セツキは立ちどまる。
男はちょっと待て、と言って本を手に取りセツキに駆け寄った。
「こっちだ。もういっこの質屋、連れていってやる。」
そしてセツキの手を引いた。
もう一つのドレスは、4600で売れた。
それは小切手と言う初めて見るお金で手渡された。
男はそのお金の使い方を説明してくれた。
それから、セツキの服と母親の服をその質屋で購入した。
それら全てのことを彼は手伝ってくれた。
「・・・ありがとう。」
セツキは無表情のまま言った。
男は笑った。
「いいえっ。」
今思うと、彼がいなかったら、当分の間の生活費になっていたこれらのお金を得ることはできなかっただろう。
母親の元に戻って。
母親に買って来た服を着させた。
民の匂いがする服だった。
そして、下を向いたままの母親の手を引いて、セツキは歩きだした。
「・・・セツキ・・・。」
途切れそうな声で呼ばれて、振り向いた。
その母親の手には金の柄の短剣が握られていた。
ドキッとした。
「・・・セツキ・・・あなたは今日から男として生きるのよ・・・。」
恨めしそうな声が耳の中に滑り込んでくる。
脳を揺さぶってくる。
「そしてこの剣で・・・。」
「お母様・・・。」
「この剣で、あの男を殺して頂戴。」
戦慄が走った。
セツキは、この時、初めて呪いを吐きかけられた。
立ち止まってしまった。
肩からかけている大金の入った袋が重い。
「私の無念が、入ったこの剣で・・・。」
セツキの手を解いて母親はカチャンと短剣を開けて見せた。
そこには、あのネックレスが入っていた。
セツキはごくりと息を飲む。
「殺して・・・。」

泣いている母親を見て、心臓がキリキリと痛んだ。
叫びたかった。
どうしようもなく、苦しかった。
王妃の象徴であったこのネックレスは、黒ずんだ感情に飲み込まれて、呪いとなり、その呪いの象徴になっていった。
振り回すたびに、母親の声が聞こえる気がした。
カラカラという音が聞こえた。
呪いの象徴が泣いている、と思った。
母親と流れ、暮らした4年間。
母親はその短剣の中にしまいこんだネックレスを、王と三人で取った写真を、取り出して見る事はなかった。
あのネックレスは、今どこにあるのだろう。


16,王妃のネックレス おわり
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