10,箱を鳴らす


「綺麗な音のする楽器ですわね。」
呟いた。
彼は顔を上げて微笑んだ。
「御機嫌ようお姫様。」
「御機嫌よう。これはなんと言う楽器?」
「ピアノですよ。」
「ピアノ。」
「そう。」
ぽん、と音をはじいて見せる。
「姫はどうして此処に?」
「音が聞こえたので・・・。」
「お一人で?」
頷く。
「ここは、宮廷音楽家たちのリハーサルホールですよ?」
「練習する部屋ね?」
「そうです・・・。だから・・・セツキ様が来るような場所ではありませんよ?」
「・・・でも、この音。」
ピアノをじっと見た。
「はじめて聴いたんです。」
「ピアノの音を?」
「なんと言う曲?」
さっき弾いていた曲だろうか。
「月光ですよ。」
「月光?」
「月の光です。」
「まぁ、じゃあ私の名前の曲ですね。」
「セツキ様の?何故?」
「単純ですわ。セツキのツキは月を意味しているらしいです。多分後付けで無理矢理お父様がそう言っただけですけれど。」
彼は笑う。
「お名前は?」
「私の?」
頷く。
「ヴァン・へクトルと申します。」
「ヴァン。・・・この曲はあなたが作ったの?」
「いいえ。ベートーヴェンという作曲家ですよ。」
「・・・ベートーヴェン。」
「この国にはほとんど伝わってませんけどね。私の師がなんでか好きで・・・。」
「そうなんですか・・・。あなたも作曲をなさる?」
「・・・まぁ、音楽家の端くれとして・・・。」
「弾いて頂戴。もっとピアノが聴きたいわ。」
「しかし姫・・・。」
[あ、いけない。でも私行かなくては。]
時計に目をやってそう言った。
「お母様が待っているわ。ヴァン。」
「はい。」
「明日、また明日ピアノを聴かせて。」
「・・・えぇ。喜んで。」

翌日。
「変わった音楽ですね。」
「そうですか?」
彼は笑った。
彼は約束通り、彼作曲の音楽を聞かせてくれたのだが、率直な感想は、変だ。変な音楽だ。
「上手に弾くよりも楽しい。」
「上手じゃないの?」
彼の指が白と黒の上を踊る。
下手か上手かそういうことは、分からない。
なんせ聴いたことのなかった楽器だ。音楽は好きだったけれど。
彼の顔を見た。
あぁ、好きなんだ。そう思った。
なんだかこっちまで微笑んでしまう。
何故か途中で入るグリッサンドや、意味のないようなタメ。
変だ。
だけど楽しい。
彼はこちらを見て微笑んだ。
なんて無邪気な顔するんだろう。少なくとも30近くの男なのに。
タタン。
無意識だった。
無意識に、指でピアノをうっていた。
黒いそのボディを、彼のその音楽に合わせて。
ヴァンは一層微笑んで短いグリッサンドを入れる。
今考えれば、あの曲は彼のアドリブで、つまり即興曲だったんだと思う。
心躍るようなそんな曲だった。
「芸術家は恋に落ちる。」
「え?」
彼はそう言って、突如美しい旋律を鳴らした。
それは華麗なワルツだった。
だけどやっぱりどこかおどけたような。
彼らしい音が鳴る。
「でも、残念ながら、その恋は破れてしまう。」
ジャーンと、フォルテの和音の後、突然の変調。
短調へ。
それはどんどんスピードを増す。
「彼は阿片に手を出す。」
「阿片?」
「麻薬ですよ。」
グリッサンドで、上から下へ。
高いラの音で彼の腕はフリーズする。
どうしたんだろう、と一瞬不安にさせる。
だけど。
ドンと、低い低いミの音がとどろいた。
フォルテだ。
そこからはじまる、長調の華麗で幻想的な曲。
ぞくっとした。
それくらいすごい動きをみせる指に、真から感動した。
耳をくすぐるこの音に、ピアノとフォルテの絶妙な音に身体がざわっとした。
鳥肌が立つ。
「幻想に酔う。」
酔ってしまいそうになる。この音に。
「だけど足はもつれます。」
右手と左手の、不揃いなユニゾン。
それは計算されつくした奇妙な流れ。
下から上へ。
もう一度彼の顔を見る。
彼の顔はやっぱり楽しそうだった。
心が疼く。
「セツキっ。」
「!」
突然まわりを覆っていた空気が変わる。
幻想から現実へ。
ピアノがポーンという音を立てて止まる。
「お母様だわ。」
ヴァンは微笑んだ。
「さ、早くいったほうがよろしいですよ。」
「・・・でも・・・。」
曲が途中だ。
ヴァンは微笑んだ。
その心を読んだように。
高い音から低い音へ、もういちどユニゾン。
鳥肌が立つような、そろった粒の並ぶユニゾン。
和音が跳ねる。
上へ下へ。
フォルテからピアノ、ピアノからフォルテ。
ジャーンとフォルテッシモで、その和音は終わった。
「幻想曲は、ここでお終い。」
「・・・・ヴァン。」
「楽しかったですよ。お姫様。」
「・・・私こそ。ヴァン。今度会う時、私にピアノを教えてくださいます?」
「弾きたくなったんですか?」
「えぇ。」
心の奥から。弾きたいと思った。
「もちろん。喜んで。お嬢様。さ、いってください。」
頷いて、御辞儀をし、はしりだした。
何かをこんな風に望んだのは、初めてのことだった。
心が跳ねるような。嬉しくて走ってしまうような。そんな感情だった。
―――だけど、今後ヴァンに会うことはなかった。
ヴァンは、宮廷音楽家を辞めさせられたときいた。
理由はその独特の音楽性が、宮廷にはそぐわないだとか、そういう話だったと思う。
変わり者だったから疎まれていたのかもしれない。
その才能でひがまれていたのかもしれない。
主観でいうと彼の音楽は今まで聴いたどんな美しいメロディよりも才能にあふれていたと思う。
その後、少しだけピアノを習ったが、すぐにやめてしまった。
あんな風に楽しく弾けなかったからだ。
・・・だから、基礎なんてものはついてない。


「ねぇセツ。」
彼がいう。
「あの曲を弾いてよ。」
「・・・どれだよ。悲愴か?」
「ちがう、あの曲だよ。セツがつくったあの曲。」
「・・・・・はいはい。」
彼の手が肩に触れる。
「僕はこの曲が一番好きだよ。」
「そいつは光栄ですよ。」
なんでこんなに上機嫌なんだ。最近うっとおしいくらいににこやかだ。
「だって、一番楽しそうに弾くんだもの。」
「・・・・・・・・・・・。どうも。」
音を鳴らす。
箱を鳴らす。
今日も。
黒い箱を。


10,箱を鳴らす おわり
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