5,葉で染む

ピティ。
武民の地方、アルブの町に在る昔の有力騎士の別邸だったとされる大きな館。
いまではこの辺りに泊まる必要がある貴族たちの宿泊の場となっている。
その一つの部屋に一人窓から外を見る女がいた。
赤い絨毯が美しく、そしてものすごく広い部屋だった。
そこにぽつんと、まだ日も大分高いのに、部屋の中で豪華な椅子に腰をかけて、ただひたすら庭を見下ろしていた。
言葉は一言もこぼさない。
ため息一つこぼさない。
息をひそめるように、ひとり。
茶色い長い髪の毛の女はいた。
「失礼いたします。」
そこに使用人の女が銀のお盆に紅茶を乗せて扉を開けた。
彼女はゆっくりとその女を見る。
「紅茶でございます。」
「・・・先ほど、頂いたばかりですけれども・・・。」
確かに。
彼女の近くにある、小さな丸いテーブルには紅茶の一式が置かれていた。
「あれ・・・?でも・・・たしかに紅茶を頼まれたと思うのですが・・。」
彼女は不思議そうな顔をして首を捻る。
そんなのは、身に覚えがないからだ。
「あぁ、君。それはこっちの部屋だ。私が頼んだんだ。」
その彼女の後ろを通りかかった男がそれに気づいて、言った。
使用人はくるっと振り向いてあわてた。
「も・・・っ申し訳ございませんっ!失礼いたしました・・・マダム・・・っ。」
女はにこっと笑った。
「かまいません。」
「申し訳ございません公爵・・・っ。」
「いや、かまわないよ。失礼しましたご婦人。」
「いいえ。」
公爵は微笑んで、その場を去ろうとした。
「お一人でお茶ですか?」
彼女は尋ねる。
「あ・・・えぇ。」
「もし、お邪魔でなければご一緒にいかがですか?」
「・・・。」
公爵は微笑む。
「えぇ喜んで。君、それを此処に運んでもらえるかな。」
公爵は使用人にそう言った。
使用人は一瞬ためらって、そして頷いた。
公爵は一礼してから部屋に入った。
「お時間は大丈夫ですか?」
女は心配そうに言う。
「えぇ。少しくらいは平気ですよ。お誘いを無碍に断る理由はありません。」
公爵は椅子に腰をかけて言った。
「申し送れました。私はクレイともうします。」
「私はザーク・カザンブールです。」
「イルルの公爵・・・?」
「あぁ、えぇ。」
クレイは微笑む。
屈託なく笑う。だけどどこかに影があった。
公爵は紅茶をカップに注ごうとした。
「あ、待ってください。」
「え?」
「もうすこし。蒸かしてあげないと。」
「・・・蒸かす?」
「えぇ。もうすこし、染めてあげないと。美味しくいただけませんよ。」
「・・・・・・・・考えたこともなかったな。」
クレイは短い声で笑った。
「紅茶はね、ここが一番大事なんですよ。」
「・・・へぇ・・・。詳しいんですね。」
クレイは頷いた。
仮にも城で仕えていた人間だ。
「クレイ様はここで何を?」
クレイは紅茶の手を止めた。
「・・・特に・・・。」
「特に?」
微笑む。
だけどそれは複雑な笑顔だった。
「付き添ってきただけです。やる事がなくて・・・いささか退屈していました。」
「・・・そうですか。」
公爵も笑ってみせた。
「女というものは、無力ですね。」
「え?」
彼女は公爵のポットを取ってカップに注いだ。
とてもいい色の紅茶が注がれた。
「あ、ありがとうございます。」
「いいえ。」
微笑む。
彼女の優しい笑顔。
「・・・無力ですか?」
「私はそう思います。」
彼女は紅茶を飲んで頷いた。
優しい声。
だけど悲しかった。
「・・・なんて。湿っぽい愚痴を公爵に言うなんて恥ずかしいです。申し訳ありません。お忘れになってください。」
「・・・あ・・・いいえ。」
沈黙が続いた。
「・・・おっと。そろそろ行かなくては。」
公爵は壁に掛かった時計に眼をやってそう言った。
「あ。ありがとうございます。」
「ん?」
「お付き合いいただいて。」
公爵は微笑んだ。
「お礼を言われるようなことではありませんよ。」
紅茶を飲み干して立ち上がる。
「あなたの空虚が少しでも埋まったのならば、嬉しい限りです。いいお暇つぶしになれていたのなら光栄ですよ。」
公爵は微笑んだ。
クレイはじっと彼の目を見つめた。
「それに。」
「?」
公爵は紅茶を指差した。
「無力だと嘆かれる笑顔も儚げで素敵ですが、私には女だからできることがあると思いますよ。たとえば美味しい紅茶をいれることだったりね。紅茶、美味しかったですよ。いつもよりも数倍。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
クレイはしばらく沈黙して公爵の笑顔を見つめていた。
そして微笑んだ。
「いつも、随分お早く注がれていたんですね。」
「そうらしい。もったいないことをしてました。」
公爵は笑った。
「お茶の葉によっても、蒸かす時間が違ってくるんですよ。ご存知でした?」
「へぇ・・・。全く。」
クレイは短い声で笑った。
「また機会があればお教えしますわ。公爵。」
「それは嬉しい。それでは、失礼いたします。御機嫌よう。」
「御機嫌よう。」
ひらりと手をふって彼は出ていってしまった。
クレイは微笑んだまま暫らく沈黙して、彼の出ていった扉を見つめてた。
そして何故かすこし晴れた心を左手で確認しながら窓の外を見つめた。
心音はいつもよりも早い気がする。
庭がいつもよりも近い気がする。
目を閉じた。


「お父様っ。」
ロイサが公爵の部屋に入ってきた。
「ロイサ。」
「何をなさってるの?」
「ん。」
「あぁ、また紅茶を飲んでるのね。」
「あぁ。ロイサもいるかい?」
「えぇ。お父様の入れる紅茶は美味しいですから。頂きます。」
腰をかける。ソファ。
「でもいつもとてもいいタイミングで葉を出しますわね。どこかで教わったんですか?」
「・・・あぁ。昔ね。」
「今度私にも教えて下さる?」
「もちろん。いいレディーの条件だよ。」
「なんですかそれ?」
笑った。


葉で染む おわり

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