3,森に響く

「クリスティーナ・バルバラ?」
ラファルは持っていた珈琲を吹き出した。
「あぁ。もはや伝説の女戦士だよ。」
「え?なにが?」
ちょっと待て。頭が混乱していた。
「このあいだの反乱お前も知ってるよな?」
「知ってるよ。ハンブル国王が反乱軍に殺されて・・・、まだ一段落もきちんとついてないやつだろ?」
「そう。まぁ。そこはどうでもいいんだ。その日、ナイトオリンピアの日だったの、憶えてるか?」
「あぁ。その夜、そのお祭騒ぎに乗じて反乱軍が乗り込んできたって聞いた。」
「そのナイトオリンピアの優勝者が、クリスティーナ・バルバラって女なんだよ!」
「・・・・へ・・・・へぇ?」
ラファルは引きつった顔で笑った。本当にこんな名前の人間がいたんだ。と思った。
「それでな、なんで伝説かって言うと。」
「・・・お前、はまってるんだな。」
「そりゃそうだ。その女がこれまた、不思議な女で、アレだけ強くって王直属の護衛兵になったにもかかわらず、王はあっけなく殺されちまった。つまりだ。」
「つまり?」
「その女が反乱軍の一人だったって言う可能性があるわけだ!」
「・・・それで?」
ラファルはこぼれた珈琲を拭きながら言う。
「つれないな。すごくねぇか?この女。だって、予選から全部勝ち上がってきて、最後ハインリヒ・イワンも倒してだぞ?反乱軍が王の首を跳ねた時にはもう何処にも居なかったらしい。」
「消えたんだ。」
「そう。消えた。その女がさ、結構綺麗な女なんだって。」
「つまり、重要なのはそこだろ?」
「まあな。」
ラファルは笑った。
「金髪の直毛で、細くて、背は高め。」
「・・・ふーん。」
セツじゃないな。
ラファルは思った。
だってセツの髪の毛は直毛ではないし、色はくすんだ小麦色だ。金ではない。
「腰の短剣一つで戦ってたらしいぞ。」
「短剣?」
ひっかかる。
「・・・どんな?」
「さぁ?確か、金色の柄で・・・刃渡りはどれくらいか知らないな。」
金の柄?確かセツもそんな短剣を持っていた。
「なぁ。クリスティーナ・バルバラって、本名?」
「あ?・・さぁ?しらないな。ナイトオリンピアは偽名OKだし。クリスティーナは謎だらけだったらしいから。っていうか、こんなどっちも名前みたいな名前だし、偽名だろ。」
「・・・・偽名。」
「それでなっ、その戦い方って言うのが・・・―――」
その後の話は、耳から入ってはどこかへ流れていった。

・・・セツ?

ラファルは、一人部屋に帰ってベッドに腰をかける。
机に上に置いてある自分のヴァイオリンを見る。
月影で光るボディが美しかった。
セツと一緒に出た、あのテアトロのコンチェルトを思い出す。
一緒に出たと言っても、一人ずつばらばらに演奏したから特に共演したわけじゃない。
だけどあのコンチェルトはラファルにとって、とても大事なものだった。
それは、昔からの約束。
昔からある、設計図。

 

「へったくそね。」
くすっと笑う。ラファルは手を止める。そして睨む。
「なんだよ。うっさいな。」
森の中の小さな家の庭。一人でヴァイオリンを練習していたところだった。
「ラファル。それなに?」
「ベートーヴェンだよ。知ってんだろ。」
「ふーん。木こりの大木切りかと思った。」
「ぶん殴るぞ。エリーザ。」
あはは、と彼女は笑う。同い年の女の子でこの家に住んでいる家族の一人娘だった。
夏の間、親が出稼ぎに出るから、遠い親戚であるこの家にお世話になる。毎年のことだった。
「ベートーヴェンって言うのは・・・。」
ぐいっとラファルの手を引いた。そして庭から少し離れた、木々がひらけた所に置いてあるアップライトピアノの蓋を開ける。
「こんな感じなのよ。」
ジャーン!
「!」
指を躍らせる。フォルテ。ピアノ。あ、ちょっとリズムが不安定だ。
「なにそれ。」
ラファルが問う。聞いた事のない曲だ。
「悲愴。知らないの?」
「知らない。ピアノソナタなんか。」
「あっそ。」
黙って聴く。エリーザのピアノ。よく聴くけれどこの曲は初めて聞いた。
しばしば間違える。ぎこちない左手のダンスが精一杯だ。
「・・・下手だな、お前。」
「あんたに言われたくないのよ。」
ジャーン!手を止める。
「・・・一応、ピアノ続けてるんだ。」
「あたりまえでしょ。私、音楽家になりたいんだもの。」
「よく言うぜ。あんまり言わないほうがいいぞ。そういう大きすぎる夢は。」
「じゃあ、あんたはヴァイオリン弾きになりたくないの?」
言葉に詰まる。なりたい。そう言い切りたい。だけど、勇気がない。
エリーザが大きな目で見つめてくる。
答えを真剣に待っている。
ヴァイオリンは好きだ。一番好きなものの一つだ。音を作るのも、つむぐのも、面白い。
だけど、自己満足だ。
そういう連中はたくさんいる。
音楽家。才能の問題で、無理だ。そう思っていた。
だけどエリーザはいとも簡単に、なりたいと言った。
ごくん、息を呑む。
「どうなの?」
返事を急かす。
「・・・ま、俺の腕なら今からでもなれるけどなっ。」
茶化してしまった。
「ふーん。」
エリーザはつっこまなかった。逆に辛かった。
「私ね。小さなコンチェルトがしたい。」
「へぇ?」
「おっきいのはいいの。本当に小さいのを私はしたい。」
「なんだそれ。意味わかんない。普通おっきいところでじゃーん!って弾きたいに決まってるだろ?」
エリーザは微笑んだ。それはドキッとする笑顔で。
「うん。でも、一番初めにするコンチェルトは、小さいところで、・・・例えばサロンみたいなところで。簡単に、一曲だけ。弾きたい。」
「・・・それ、コンチェルトって言わないだろ。」
「うん。だから、他の音楽家と一緒に。一人一曲。一人一つの楽器で。素敵じゃない?贅沢よ。近くで楽器だけの音を聴くの。純粋に。なんのまじりっけもない音を聴くのよ。ピアノってこんな音がするんだ・・・って分からせてあげれるような、それくらい小さなコンチェルトよ。」
「・・・・・へぇ・・・・・。」
エリーザは、もう一度白い鍵盤を鳴らした。
「参加者、募ってるんだけどなぁ。」
「・・・。」
ふっとエリーザは笑う。
「例えばヴァイオリン弾きとか。」
くそう。
「出てやるよ!しかたねぇな!」
やけっぱちで言った。
「悪いけど、お前が前座だからなっ!」
「あら、いい度胸ね。私の後に弾くってことはつまりみんな魂が抜けたみたいになっちゃってしっかり聴くこともままならない状態よ?」
「何様ですか。俺のヴァイオリンで目を覚まさせてやるぜ!」
あはは、とエリーザは笑った。
「いつか絶対やろうね。こういうコンチェルト。」
「あぁ。」
頷いた。
勇気、何処から涌いてきたんだろう。
どうして、こんなにも言い切れてしまったんだろう。
エリーザのおかげだったと思う。
初めて、ヴァイオリン弾きになると、人前でいった。
それは清清しいくらいの気分だった。嬉しかった。
それから、ヴァイオリンの練習が変わった。
新しい先生について、基礎からやり直した。(前の先生には練習嫌いがたたって見放された。)
弾くたびにヴァイオリンが好きになったし、自分の音が聞こえてきた。
こんなに素直に楽しいと感じているのに、指は冷静にそして確実な譜面を追う。ヴァイオリンが好きだった。
それは喜びに近い感情で。

だけど、エリーザは死んだ。
あっけなく。
それはあっけなく死んだ。
夏。あの家に帰ってきた僕を、彼女は向かえてくれなかった。
「・・・・どうして・・・・?」
家の中に閉じ込められているピアノの前に立つ。
彼女は外でピアノを弾くのが好きだった。
音は跳ね返ってこないし、いい状態とは言えないのに、好んで外にピアノを運んで弾いていた。
それが今、家の中に閉じ込めら得ている。苦しいと言っているように見える。
「事故でな・・・。」
彼女の祖母が言う。
「氾濫した河に飲み込まれてしもうた。」
「・・・・。いつ・・・?」
「こないだの大雨の時。」
「・・・そんな。」
僕の目から涙は出てこない。
ヴァイオリンを、うっかり床に落としてしまった。
夜、一人、ずっとその部屋に残った。
というか、この家に到着してから此処を離れることができなかった。
此処は空気がないように感じた。
ピアノは鳴らない。エリーザが居ないからだ。
静かに黒い蓋を開けてみた。
中には美しい白と黒の筋が見える。
そして適当な和音を鳴らしてみる。
静かに。まるで息をひそめるかのように。
ぽーんと糸をはじくフェルト。
もういちど、別の和音を作って押して見る。
変な音だ。
だけど、どこか切ないような。
人差し指でグリッサンドしてみる。綺麗な調律だった。
突然視界が曇った。涙が溢れていた。あわてて左手で目を抑える。
「どうして・・・っ。」
悲しかった。
どうしようもないくらい。
とても悲しかった。
エリーザのピアノが聞きたかった。
エリーザに、今度は自信を持って『ヴァイオリン弾きになるんだ』と言いたかった。
そしてヴァイオリンを聴かしてあげたかった。
前よりうまくなったわねって、言わせたかった。
それから、クロイツェルをピアノとヴァイオリンで一緒に弾いてみたかった。

そして僕はヴァイオリン弾きになる。

特別に売れているわけではないけれど、テアトロでよくヴァイオリンを弾いた。
ヴァイオリンを教える仕事も手に付けた。
最近のことだった。
ふと思い出した。
エリーザが言っていた、コンチェルトの計画。
「・・・・・・・コンチェルト。」
走った。
コネを使って、テアトロのサロンを借り、ピアニストを探して、エリーザが想い描いていたような、彼女がやりたかったコンチェルトをやってやろうと思った。
それは彼女が死んだ初夏に。
走り回って、なんとか全てのセッティングが終わった。
こんなに全てを計画して動いたヴァイオリン弾きは他にいないと思う。
ほっと一息ついたのも束の間、こんどはピアニストが事故にあった。
ラファルはあせった。
右手を折ったピアニストは、つかえない。
だけど、かといって、他に思いあたるピアニストを調達するには時間がない。
ラファルは、頭をかかえたまま一つのバーに足を運んだ。
どうする。どうする。考えていた時だった。
ジャーン!
「!」
いっそけたたましいくらいのフォルテが耳をつきぬけた。
そしてこのコード。知っていると思った。
ピアノを見る。
そこに座る少年か、少女を見る。
いや、少女だ。
彼女は女だ。
ラファルはひとり頷きながらじっと、彼女の音を追っていた。
心臓が高鳴った。なんだこれ。
うまいわけじゃない。
どっちかというと、危ういラインをギリギリで奔っている。
そういうハラハラさせるピアノだった。
フォルテとピアノは適当。左手はうるさい。空まわる。指。リズムは、きっと本当に適当なんだろう。統一性がない。
時々いきなりジャズっぽくなる。
なんだこのピアノ。
それなのに、心を惹かれた。
「・・・あぁ。そうか。」
エリーザのピアノに似てるんだ。揺れる髪の毛を見つめる。あの子は自分の音を鳴らしてる。
悲愴は、彼女の曲になっている。
ただ、間違えている、と言えばそれまでだけど、なんでだろう。
ラファルは悲愴を弾きおわり、席についてお酒を飲もうとした彼女の所に、小走りでかけよっていた。
「君・・・っ!今のピアノ・・・何処で?」


ヴァイオリンを手に取る。
クリスティーナ・バルバラ・・・。セツ。今何をしているだろう。
ラファルはヴァイオリンをかまえて息を吸い込み、弓を引く。
何でか、涙が数滴おちた。

森に響く 終わり


■4,北へ■□□

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