2,月に啼く

なぁ、ルク。私は、女だよな?
泣きながら言った。
その涙は止まることを知らず。ずっと流れていた。
眠りにつくまで。呪いを怖がりながらずっと泣いていた。


ルクは一人で月を見上げていた。
スピカとセツと別れてから幾日かたった。
都はまだ混乱している。
次の政権はどうでもいいとすぐにその場を去った。
今夜、珍しく酒を片手に夜を過ごしていた。
一人で旅をする事が常だった。最強の傭兵と呼ばれはするが、誰かに抱え込まれたまま剣を振るうのは嫌だった。
だから、誰であれ、話を持ってきた人間にはついていき、戦った。
ルクはアルブの武民だった。
古くから伝統ある武民の家に生まれた。
戦う事で自分は存在するのだと、植え付けられたと言うほうが正しいこの意識、武民なら誰でもそう考えるこれも、いうならば一種の呪いだろうか。
アルブを出たのは10の頃だった。最強の名を手にしたのは、20の頃だろう。
名を馳せ、それでも誰にもなびかずに旅を続けていた。
アルブの武民は10になると大人とされて、少なくとも1年は旅に出ることになる。
それをもう何十年も続けていた。その理由はおそらく自分にまだ満足していないから。
変わったな。
ルクは一人呟いた。
無意識に微笑んでいた。セツのことだ。
セツと出会ったのは、何年も前のことだ。
その頃のセツは、随分荒んでいた。
母親を失って、短剣一つだけが自分の持ち物だった。
その短剣にしがみついて、呪いを怖がっていた。
もしくは呪いを飲み込んでしまおうとしていたのかもしれない。
ただ、非常に危ない場所に居た。あの男も、あの黒い髪の男もその頃生まれたんだろう。
初めて見た時は本当に男なのか女なのか判らなかった。
ナリは完璧に男の格好をしているのに、その筋肉はどう考えても女のものだった。
ひどい目をしていた。
その目で刺すように見つめてくる。まるで憎しみが溢れているような目だった。
はじめは自分の性別も全て隠していた。
だけど、ふとした時だった。
何故、強くなりたいのか、訊いた時だ。
殺したい。
と呟いたかと思うと、全身からものすごい勢いの殺気を放った。
そして決壊が崩壊したかのように崩れた。
涙を落として半ば叫びながら、呪いを懼れて泣いた。
セツはその時に全てを話した。おそらくセツを一番知っている、こっち側の人間は自分だろう。
王の事情は知っていた。皇子のことも。
旅をしていると、たくさんの人間と関わっていると、在る程度の秘密なんてものは全て耳にしてしまう。
セツの本名も知っていた。
だけどその名前だけは、セツは自分から明かさなかった。
セツが、手合わせ中に何かに変容する事には気付いていた。
時折セツは『俺』と言った。
それは無意識に。
それは、きっと変容したセツの形だった。
呪いが、体を蝕んだ結果だった。
かけられた呪いは二つだった。
男になることと、王を殺すこと。
王を殺して、自分が王になるということ。
それは間違いなくセツの母親がかけた呪いだった。
セツは母親の事を愛していた。というか、母親しか居なかった。それだけは確かに解っていた。
『俺』が出てきた後のセツはひどく不安定だった。
時々泣きながら眠っていた。そのことも知っていた。

「珍しいね。女の子を連れているだなんて。」
クシスが茶化して言ってきた。
女の子。そんな風に思った事がなかったので、その時はうまく飲み込めなかった。
「君の趣味が、今やっとわかったよ。」
「なんだ、趣味って。」
「あはは。怖いな。ルク。」
クシスは笑う。
あいつは一度でセツが女だと悟った。
目ざとい男だから驚くことでもないが、その後もセツのことはとても可愛がっていた。
可愛がっていた、という言葉がふさわしいかは分からないが。
その頃のセツは、静かだった。
今でもおしゃべりな方ではないと思うが、沈黙はよく起こった。
何を考えているのか、なんて想像もつかなかったし、想像しようとも思わなかった。
ただ時折、黒い髪の男が見えた。
こっちを見ているわけでもない。ただセツに背中をむけたまま遠くを見ていたり、空を見ていた。
そいつは一度だけ口を開いて、言葉を投げつけてきた。
「お前なんか嫌いだ。」
随分唐突に嫌われた。
「セツはそんな風に確かめちゃいけなかった。」
そいつの声は、どこか高い。まだ子どもの声だった。
「セツはそんな風に人を殺す方法を手に入れちゃいけなかった。」
睨む目は、優しいくせに鋭かった。
「お前は呪いを進めたんだ。僕はお前が嫌いだ。」
そして消えていった。
悪いことをしたとは思っていない。
セツが望む、それで安心できたのならば、それで良かったと思った。
ただその後涙が止まらなかったとしても、それは必要なことだったと思った。
確かに手段は間違えたかもしれない。
他の方法で確かめることだって出来たはずだった。
だけど、自分にそれは示すことは出来なかった。
そういう役目を受けていなかった。
ただ、あの目で見てくるセツを拒めなかったし、諫めようと思えなかった。
セツはそれ以上確かめようとしなかった。
何事もなかったかのように旅は続いた。

「なぁルク。私を抱いてくれないか。」
暗闇。
セツの声は深く溶けてしまいそうだった。かすれている。森の闇をただ見つめていた。
そして泣きそうな顔で、苦しそうな顔で訴えた。
そうしないと、折れてしまうと、叫んだ。
呪いが体を蝕んでいた。セツは耐え切れなくて、そう言った。

セツに便乗して、ハンブルを憎んでいたわけではないが、反乱軍の老人に話を持ち出された時、特に深く考えずに承諾した。
言っても、もともと依頼に首を深く突っ込むようなことはしないし、剣が振るえればどうでも良かったが。
セツがハンブルを殺す前に反乱軍がハンブルを殺してしまえば、呪いも解けるのだろうかと、ふと考えた。
そして首を振る。
そうじゃない。
セツはその前に絶対にハンブルに近づく。
呪いはそんな簡単に解けるものじゃない。
あの少年が、それを成し遂げる事ができなかったのは、あの時、セツも彼も戻ってこなかったことで分かった。
じゃあ、もう止まることはない。
セツがハンブルを殺し、自分も死ぬ。
もしくは壊れてしまう。
それを目の当たりにした時、自分は旅を止めよう。
そして、自分を罰しながら生きて行こう。そう決めた。
エラルドを切り殺した時、あの少年を見た。
暗闇で見たあの少年は、黒い髪の少年と同じ顔をしてた。
優しいくせに鋭い。あの目だ。
そこに最後の希望を託した。
暗闇で光る青白い星、青い石。
ラピス・ラズリだ。
セツ。
掴め。
そう祈った。


酒に月が映っていた。美しい色だ。先日が満月だったから少し足りないくらいの月だった。
「・・・さて。何処に行くか・・・。」
旅は続ける。きっとまた何処かで会うことになるだろう。
ルクはもう一度微笑んだ。
次会う時はもっと見違えるんだろう。そいつは、本当に楽しみだ。

月に啼く 終わり


■3,森に響く■□□

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