81,
「肩。怪我したんだな。」
セツが僕を見て言った。僕らは手を握ったまま立っていた。
「・・・あ、うん。エラルドに・・・よくわからない武器で・・・。」
「エラルド・・・あいつ、どうなったんだ。」
「死んだ・・と思う。ルク様が助けてくれたんだ。」
「・・・・そう。ルクが。」
セツは遠くを見た。再び灯りが灯され、昼のような明るさを取り戻した競技場に都に居たほぼ全ての民が集まっ
た。そして厳かな空気の中、彼らが現われるのを待った。
わあぁ!と声がした。彼らが現われた。王を連れて。王は正装をしていた。一応着替えさせたのだろう。知ら
ない男が剣を抜き、それを空に掲げ、そのまま王の首を刎ねた。ひどい流血だった。僕はは顔を背けた。
だけどすぐに思い直してもう一度その血を見た。それからセツを見た。セツは半分無表情でそれを眺めていた。
それから、長いまつげを何度も上下させた。セツは僕の手をひいて、会場を出た。そして静かなところまで歩
いた。林の入り口に着くと、セツは黙ってため息をつき、そして座りこんだ。手は解けた。
「疲れた・・・?」
「疲れたよ。当たり前だろ。」
それはそうだ。ナイトオリンピアで戦った後、こんなことになったんだから。
「でも・・・じゃあセツがナイトオリンピアに出たのは彼らに協力するためだったんだね。」
「・・・・・・・・・・・・。」
セツは黙る。
「・・・初めは・・・そういうわけでもなかった。ただの、利害の一致だ。・・・・自分の手で殺してやるっ
て思って、この役目を・・・つまり王を部屋に閉じ込めるっていう役目をやらせてくれるのならば協力するっ
て言ったんだ。」
「・・・・・・・・・・。殺す気だったんだ。」
頷く。
「まあ実際この役は、私かルクにしか出来なかっただろうからね。ナイトオリンピアで優勝して、護衛兵にな
らないといけないから。」
「・・・。」
パチン。パチン。パチン。
「!」
三度大きな音の拍手が響いて僕らはバッと振り向いた。
「・・・クシス。」
セツが殺気を飛ばす。
「やあセツ。夜明け前にこんなところであうとは奇遇だね。」
「嘘をつくな。尾行てきたんだろうに。」
「ま、そういうところだ。」
「・・・なんだ。まだやるのか。お前の親友のエラルドは息耐えたらしいぞ。」
セツは低い声で言う。
「親友ではないね。エラルドだけじゃないよ。王ももう崩御された。」
「・・・それで?」
「そしたら、君達を殺す理由ももう無いだろう?」


 
クシスは笑って、肩をすくめた。
「王の血などもう意味のないものだし、王座の鍵もきっともう意味を成さない。だったらじゃあ、誰が君達を
狙う?」
「・・・・・・・・・・・・・・クシス。」
「仲直りしにきたんだよ。」
「・・・あんまりしたくない。」
セツが言い切る。
「あはは、正直だね。」
「・・・・・・・・絶対だな?」
「ああ。」
「絶対もう手は出さないんだな?」
「もちろんだよ。再度こう言う事がなければね・・・。というか、初めからセツには手を出したつもりはない
んだけどね。」
セツは一瞬黙ったが頷いた。
「いいだろう。」
「よかった。」
クシスは笑った。
「本当はセツに嫌われたらどうしようかとずっとハラハラしていたんだよ。」
「どうでしょうかね。」
クシスの差し出した手をセツは取った。
「ははは。手厳しい。」
クシスは僕を見る。
「君とも、仲直りしておこうかな。」
「ついでですか?」
僕は、くすっと笑ってクシスと握手をした。
「ありがとう。スピカ君。」
「・・・?」
「いやいや。セツが王に犯される前に救ってくれて、だよ。」
「おい殺すぞ。」
セツが殺気を飛ばす。
「おや、怖いね。おっかないので、私は消えるとするよ。」
「・・・・伯爵。」
僕は伯爵に声を掛ける。
「なんだい?」
「・・・ひとつだけ、聞いていいですか?」
「なんなりと。」
「もうこの王の息子という事実は、くずのような物、そうですね?」
「・・・まぁ、今の所ね。」
「じゃあ、国を巻き込むトップシークレットも、今では唯の『知られていない事実』。ですよね。」
クシスは微笑んだ。
「僕のお父さんは、誰ですか。」


 
僕ははっきりと訊いた。
「うーん。」
クシスは唸る。
「まぁ、個人的に教えたくはないんだけど、君は王座の鍵の在り処を、屈辱覚悟で教えてくれたからね。」
「誰ですか。」
「ヒントをあげよう。」
「ヒント?」
「考えるんだ。私が、権力を握られては困る相手。困る、とは違うな。・・・つまり不愉快な相手だ。私の家
の名前を知っているかい?」
僕は首を振る。
「アングランドファウストだよ。」
「・・・・アングランドファウスト。・・・なんだか一つの名前みたいですね。」
「はは。そうだね。そう、この家と因縁の在る家を探してごらん。」
「たくさんありそうだ。」
セツが呟く。
「こらこら、私はそんなに嫌われものかい?」
セツはふっと笑う。
「それから、もうひとつ。我々が君を殺すのを急いだのは、君がその近くまで行ってしまっていたからだよ。
一応のところ王の子どもではあったが、君は紛れもなく民の階級で生きていた。その君が秘密を手に入れよう
が入れまいが、あまり重大なところではなかった。普通、民がそう簡単に上流貴族にお目がねかなうなんてこ
とはないからね。だけど、君はどういうスペルを使ったか知らないが、それを成し遂げてしまった。だから急
いだんだよ。」
「・・・それは・・・僕がその本人と関わった事があるということですか・・・?」
「そこまでは教えられない。自分で考えたまえ。」
クシスは笑った。
「では行くとするよ。セツ。」
「なんだ。」
「元気で。無茶をするんじゃないよ。」
「あんたに言われくないな。夜遊びも程ほどにしろよ。」
「あはは。」
クシスは手を振って、その場を去った。
「本当に一人でふらふらする男だ。」


82,
サリーナ・マハリンと、アングランドファウスト。
「まったく。見間違えたね。」
クシスは一人微笑んで歩いた。そして馬車に乗り込む。
「どうなさいました?嬉しそうですね。」
クシスの一番の従者である、ボードレーが言った。従者と言ってもクシスがあちこちひとりで行くから常に馬
車で座席を暖める役だが。


 
「いや。とても気にいっていた子がね。随分変わったもんだからね。」
「・・・また女性ですか?」
「おや、また、とはなんだい。」
ボードレーはため息をつく。
「そのうち王陛下のように殺されますよ。色欲の権力者なんて嫌われるもんです。」
「こらこらボードレー、君も口が辛くなったものだね。」
クシスは笑った。
「そうだね。」
クシスは動き出した馬車の中から外を見る。
「少年が、呪いを解いて少女に戻ったというところかな。」
「・・・・・。今度は、魔女を口説き落としたんですか?」
「ボードレー。君の想像力には舌を撒くよ。」

初めてセツに出会ったのは、ルクを見かけて声をかけた時だ。
「また、こんなところで飲んでいるのか。」
ルクは呆れていった。
「いいじゃないか。こういう酒も格別美味しい。・・・そちらは?」
「俺の弟子だ。」
「セツです。はじめまして。」
セツはまったく愛想無しにそういった。一目見た時に、何処かで見たことがあると思った。
だけど不思議とこの子は、この子自身ではないと思った。何か偽物の皮を着ているような。
後に、セツとはしばしば再会した。ルクと離れてからも。どんどん、目まぐるしく変わっていった。
外見は変わらない。変わらず少年だか少女だか分からない格好をしていた。
だけど確実にセツの心は、蝕まれていた。
それは見える者には見えるものであった。セツは、ふと王を殺したい。と口走った事がある。カマを掛けて見
た。君は、第一皇女のセツキではないのか?セツは過剰に反応した。そして悟った。初めて見た時に、すでに
一度見た事があると思ったのにも合点がいった。
そうだな。彼女の顔つきは王に似ている。何度かお目に掛かった正妃の気品と気高さを備えている。
セツの邪魔をする気はなかったし、セツのことは本当に気にいっていた。だからセツの役に立つような情報も
提供してやったし、エラルドにはセツを売ることもしなかった。

クシスはふっと笑う。
「なんですか、思い出し笑いですか。」
「いやいや。おかしくってね。」
「おかしいのは伯爵ですよ。」
「子どもっていうのは、わからないね。」
「・・・・。ついに隠し子が生まれたんですか?」
「ボードレー。君はその辛辣な舌でいつか痛い目を見るぞ。」
「脅しですか。効きませんよ。悪いですけど。」
クシスは笑った。



 
83,
日が昇り、城を眺めた。結構ひどい有様だった。反乱軍は鮮やかに、いとも簡単にこの城を落としてしまった
のだ。たった一夜にして。頭を失った王政はこれから何処に行くんだろう。
でも、そんなものは、誰かに任してしまえばいい。グルー達が動くんだろう。
都はまだ混乱に満ちていた。しばらくこの混乱は続きそうだ。セツは町の外で樹に背を持たせかけて待ってい
た。
「・・・・・・・来た。」
僕がそう言った時、セツは体を起こす。
「遅かったな、ルク。」
「セツ。」
ルクがゆっくりと歩いてこっちへやってきた。そしてセツを見つめて、うすく笑った。
「スペルは、見つかったんだな。」
「・・・・。あぁ。」
ルクがセツの髪の毛を撫でた。まだあの金色の髪の毛のままだ。
「待ってたんだ。」
「何故?」
「一応。」
セツは手を差し出した。ルクはその手を取って硬い握手をした。
「あいつも、さぞ安心だろうな。」
「え?」
「いいや。なんでもない。セツ。」
「うん。」
「これからどうする。」
セツは、考え込んだ。だって、全く考えていなかった。
「・・・いい。ゆっくり考えろ。お前には一緒に生きてくれる人もいるんだ。」
僕の顔が赤くなる。
「スピカ。」
「は。はい。」
「元気でな。」
ルクが手を差し出す。僕はその大きな手を掴んで握手をする。
「お前はどうする。」
「・・・とりあえず、カザンブールに戻るつもりです。それから・・・。」
「父親を探すか。」
「・・・えぇ。だけど・・・すぐに見つかると思います。」
「俺もそう思う。」
ルクはうすく笑う。
「じゃあ、俺は行く。」
ルクは言った。
「やっぱり、次の政治には興味ないんだな。」
セツが言う。
「俺は傭兵だ。呼ばれたから来て、剣を振るった。ただそれだけだ。」


 
ふっとセツは笑った。
「らしい。じゃあな、ルク。」
ルクは手を振って去っていった。
セツは僕を見て、笑った。僕の心臓は跳ね上がる。
「行こう。」
僕も微笑んで頷いた。
「うん。」



84,
歩きながら、僕は思う。
「セツ・・・。」
「何?」
「一つだけ、一つだけ、莫迦な質問をしていいかな。」
「何?」
僕はこくんと飲み込む。
「・・・僕のことを恨んだことはある?」
セツは僕を見つめて、黙った。僕の額に滲む汗。
いくらかの沈黙、これは僕にとってものすごい長いものだった。
「あるかもしれない。でも・・・ないかもしれない。」
その答えは、ひどく曖昧だった。
「・・・そっか。」
沈黙。
「なぁスピカ覚えてるか?」
「・・・何を?」
「私が、言ったこと。一度スピカを見た事があるって。」
「・・・覚えてるよ。」
「あれは、城の中でだったんだ。」
セツが遠くを見るような目で行く先を見つめていた。
「いつだったかな。城のことは本当にあんまり憶えてないんだ。」
それは要らない思い出として処理された。
「とりあえず、何かの舞踏会だったとおもう。きらびやかな席で、人もたくさんいて、混雑していた。」
僕は想像してみる。思い出そうとしてみる。
「私は、確かお母様についていた。」

父親とは別に、母と二人で挨拶をしてまわっていた。
それが窮屈なことだとか、そんなことを思ったことはなかった。これは自分がすべきことで、そして誇り高い
ことだと信じていた。笑顔を作る術はここで得た。だから自分がどういう状況でも笑顔を作ることはできる。
これは自信を持って言える。
ひょこっと、小さな誰かがテーブルクロスの影から顔を出した。
「・・・・。」


 
驚く。小さな男の子だ。やたらとかわいらしい顔をした。気品さとか、そういうものはあんまり見られない。
無垢で、無邪気な笑顔をしていた。
「御機嫌よう。」
言ってみた。
「はじめましてっ。」
彼は、屈託のない笑顔で笑った。作法とか、そういうものはないらしい。
「おいくつ?」
「4つ。」
「そう、じゃあ二つ差ですわね。私は今月末に6歳になるの。」
彼は笑った。
その笑顔は、自分には出来ないものだと、はっと気付く。幾度となく笑顔をして来た。笑う事を苦痛だと思っ
たことはないし、これはルールなんだと思っていた。一瞬この少年の笑顔に心を奪われる。
その少年はいきなりくるりと後ろを振り向く。私もその少年の目線の先を見る。そこに立つのはこの少年とよ
く似た大きな、優しそうな目をした女性だった。一目で少年の母親だと分かる。
「申し訳ありません、セツキ様。このような粗相を。」
「いいえ、構いませんわ。」
母親は微笑んだ。かわいらしい笑顔だった。
「セツキ!」
後ろから母親の声が掛かる。
「・・・私、もう行かなくては。それでは、失礼いたします。御機嫌よう。お楽しみくださいませ。」
「そちらも・・。」
「セツ様!」
声が掛かる。私は振り向く。彼の声だ。セツ様?
「またね。」
あの笑顔でふんわり笑い、そして手を振る。
「こら!」
母親が叱る。私はなんだか、知らなかったなにかを教えられた気持ちになった。それは清々しいといえるもの
で。微笑んだ。どんな笑顔をしたかは憶えてない。だけどその時の笑顔は、作ったものではないと、断言でき
るものだった。私も小さく手を振ってから、母親の元へと向かった。


85,
「セツ。見て、セツ。空が晴れたよ。」
セツは空を見た。びっくりした。確かに空が晴れている。此処最近ずっと曇天だったのに。
セツは彼を見る。彼は微笑んでいる。綺麗な色だね、と言う。セツは頷く。
「行こう。」
彼はセツの手を引いた。何処へ?セツが尋ねる。外へ、彼が答える。
セツは外に出てもう一度息を呑む。
「・・・・塀が・・・・。」
「うん。壊れたね。」
塀が随分低いものになっていた。塔を追いこさん勢いで伸びていた高さが、なくなっていた。

 
セツは振り向いて塔を見た。
「・・・・・塔が。」
「うん。大分、壊れたね。」
「・・・でも。」
「うん。」
彼は頷く。
「だけど核は残っている。重たかった部分だけが崩れ落ちただけだ。」
「・・・地下室も・・・?」
「地下室は、もう何も意味を成さないよ。入ったとしても、もう何もいない。暗闇が生きているだけだ。」
セツは頷く。
「・・・近々埋めようと思う。」
「そうだね。」
彼はセツの手を引いてさらに外へと向かった。
色んな塔の間を抜けて歩く。
「・・・見ないうちに、随分様変わりしたんだな。」
「うん。僕はそれが怖くもあった。」
「・・・闇に溶けていて、気がつかなかった。」
「うん。だから君の変わりに、しっかりとその変容を見ていたよ。」
セツは目を閉じた。
「見てセツ。」
「・・・・・。」
塔の群集。民の塔。
「・・・これからだよ。此処は。」
「・・・うん。」
「だけど君は分かったんだろ?」
「うん。」
強く頷く。
「此処も、場所を移さなくちゃな。」
「うん。少しずつでいいよ。セツ。ゆっくりやろう。」
セツは、空をふと見てから頷いた。


86,
「なんて?」
「・・・なんでもないよ。」
僕の心臓はすごく速く鳴っている。顔はものすごく熱い。
「・・・。」
ふっとセツが息をついて、それから僕の手を取った。
「これでいいのか?」
僕は頷く。恥ずかしくて死にそうだった。
手を繋がない?僕は無意識に言った。

 
「スピカの手は、あったかいな。」
「・・・セツの手もあったかいよ。」
「本当に?」
知らなかったことのようにセツは言った。
「・・・短剣、何処にやったの?」
今気付いた。セツの短剣が、ない。
「置いて来た。」
「置いて来た?」
「そう。あのベッドの上に、置きっぱなしにして来た。」
「・・・よ・・・よかったの?」
「よかったよ。」
セツは事も無げに言った。
「だって・・・あの中には家族の写真が・・・。」
きっと最後の一枚だったはずだ。王と、正妃と小さなセツの三人の写真が入っていた。
「必要ないから。」
「・・・だって・・・ペンダントも・・・。」
正妃のペンダント。王の紋章の入ったペンダントだ。
「要らない。」
「・・・・・そっか・・・・。」
セツはふっと笑った。
「なんだ、取ってて欲しかったのか?」
「ち・・違うよ。」
「アレは、証だったから。」
セツは遠くを見て呟いた。
呪いの証。自分の証。消したかった全てのものの証。でも消せなかったもの。
「・・・・セツ。」
「ん?」
「・・・・王と・・・。」
「なに?」
僕は顔を伏せる。莫迦なことを口走ろうとしてた。顔がまた熱い。
「なんだよスピカ。」
「・・・何もなかったんだよね。」
小さい声で、掠れた声で僕は訊いた。
「・・・莫迦だなスピカ。」
セツの呆れた声がささる。死んでしまいたかった。セツの顔を見れない。恥ずかしい。          *
「ごめん。」
「いいよ。大したことはなかった。」
「な・・なにかはあったんだ?!」
僕は動揺して、顔を上げてしまう。
「あはは。」
セツは声を上げて笑った。


 
「そんなヘマはしないよ。莫迦だな。スピカは。」
「・・・ば、莫迦じゃないよ。」



87,
ピアノのグリッサンド。
フォルテ、ピアノ。アンダンテ、アレグロ。
美しい調律。悲しい歌を唄う烏。心を写す箱。
彼は微笑む。
「調律したんだ。」
セツはそこには居ない。
彼は椅子に座って箱を開く。そして目を閉じ、手を乗せて鼓動を聞く。
白が揺らす振動。黒が震わせる空気。

大丈夫だ。

セツ。君の望む世界は、きっと手に入るよ。
君の望む塔は、きっと、もう倒れない。
君は塔を立てる。僕は此処でそれを聞く。君の声を聞く。



88,
僕らは遠回りをした。少しだけ北上して、あの村に帰ってきた。
あの橋だ。セツが川を睨んでいたあの橋だ。僕はセツの手を引いてそこに駆け寄る。
「憶えてる?」
「そんなに記憶力は悪くないよ。」
「ねぇセツ。此処で何をしていたの?」
セツは黙ったそしてあの目で、川を見つめた。とても遠くの方まで。
「・・・河を見ていた。」
「何故?」
「呪いの行く先が、見える気がして、目を凝らしてた。」
「・・・・。そっか。」
「だけど、今は何だか綺麗だ。」
「そうだね。」
僕は微笑んだ。
「それで?スピカは此処で何をしてたんだ?女の子をナンパしてたのか?」
「違うよ!僕は・・・。」
僕も河を見つめる。
「僕は働いてた。短い期間だけだけど、少しずつ、いろんな所で働いて、逃げてた。」
「・・・ふーん。・・・それで化粧とかも覚えたんだ?」
「あ、うん。そう。一度テアトロの化粧室で働いた事があったんだ。ほんの何回かだけだけど。」     



 
「そう。」
セツは、僕を見ずに、小さく呟く。
「ねぇ、スピカ。スピカの中には、塔が立ってる?」
僕はセツを見る。
「塔・・・?」
「塔。自分の世界に立つ、一番太い塔。一番高い塔。」
「・・・・・・・・・うん。」
僕は頷く。
「セツの塔は?」
「・・・ピアノが在るんだ。そこに。」
「うん。」
僕は頷く。
「知ってるよ、セツ。僕は何度もその音を聴いた。悲愴を聞いた。」
セツは微笑んだ。
「そうだな。全部聞こえていたんだって、覚悟はしてた。」
そして僕を見る。僕の心臓は言うまでもない。
「行こう。」
セツは僕の腕を引いた。


89,
「スピカ!」
ロイサはものすごい勢いで僕に抱きついた。
僕はよろめきながらそれを受け止める。
「スピカ!・・・よかった!」
泣いている。彼女の美しい白い頬を涙が走る。
「都がああなったと聞いて、死ぬほど心配したのよ!無事でよかった!」
「うん・・・ごめんね。急に飛び出したりして・・・。」
セツはその光景を見つめる。ロイサは僕を放して、セツを見つける。
「ご無事で・・・。」
ロイサは涙を人差し指で拭って、微笑んだ。
セツは自分の姿をちらりと見る。金髪で、布は首に巻いていないし、短剣もさしていない。女の格好をしてい
る。ロイサの中のセツとはかなりかけ離れている筈だ。
「・・・あ。」
僕はセツを見て微笑む。
「もうばれてるよ。」
「セツ様。」
「・・・ロイサ嬢。」
ロイサは微笑む。少し照れたみたいなセツを見つめる。
「男装されたセツ様はとても素敵ですけれど。」
ロイサは一歩セツに近寄って、セツの手を取る。

 
「この御姿のほうが、私は好きですわ。」
にこっとロイサは笑う。セツは、少し躊躇ってから、小さく笑顔をした。
「ご無事で・・・。本当に心配しました。」
「ロイサが、セツがナイトオリンピアに出てること、教えてくれたんだ。」
「驚きました。いくらお強いとはいえ、セツ様は女性でいらっしゃるから。」
セツが苦笑いをする。
「しかし・・・よく分かりましたね・・・。」
にこっとロイサは笑う。
「さ、こちらにいらして。夕餉の用意ができている筈ですから。」
ロイサはセツの手を引いて言った。


90,
「公爵は?」
僕は問う。
「・・・さぁ。でも明後日には必ず帰ってくるわ。大事な日だから。」
「そうなんだ。」
何の日かは聞かない。
大きな広間に長いテーブル。僕とセツは席に着く。服は着替えた。僕もセツも、なかなかひどい格好だったか
ら。僕は肩の手当を受けて左肩から左腕に掛けて不自由になった。セツをちらっと見る。セツは、薄い黄色の
ドレスを着ている。目を奪う。
「スピカ。」
「え?」
ふいにセツが僕を見る。
「何してるんだ。冷めるぞ。」
「あ。」
ぼんやりしていたらしい。ロイサが笑う。
「セツ様が美しいからですわ。」
「・・・ふーん。そりゃどうも。」
セツが僕を見て言う。消えてしまいたい。セツの莫迦。
「その髪の毛、どうなさったんですの?」
ロイサがセツを見て言う。
「あぁ・・・・。これは、知り合いの床屋にやってもらいました。」
「まぁそれは、とても腕のいい方なのね。なんという方?」
「・・・さぁ。反乱軍の一人だったんで、今何処にいるかも分かりません。」
グルーの知り合いだった。
「でも、そろそろ取りたいんですけどね。」
セツが髪の毛に触れて言う。
「偽物なの?」
僕が問う。
「色はね。何かの薬で染めた。この髪の毛は付け毛だし。まぁ動いてもぼさぼさになりにくいから、都合はよ

 
かったんだけどな。」
「・・・へぇ。」
「その髪の毛もお似合いですわよ。」
「ありがとうございます。でも、あんまり趣味じゃないんです。」
セツは苦笑いする。
僕は知っている。こんな色にした理由も。直毛にした理由も。セツが成したその姿は、王の趣味だから。
セツは静かにスープを飲む。
「スピカ。また手が止まってるわよ。」
「あ。」
僕はあわててスプーンを掴む。

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