31,
「!」
彼は天井を見た。塔がものすごい勢いで揺れたからだ。

あぁ、始まった。
何回目だろう。
世界を壊すのは。

何回目だろう。
僕が、此処から飛ぶのは。

彼ははっとする。
「・・・扉が・・・。」
地下への扉が、ひとりでに開いている。
彼は走り出した。下へ、下へ。



32,
セツは沈黙で答えた。重くて、長い沈黙だった。ルクも居る筈のこの闇に、僕は一人で放置された気がした。
僕の手を持っていたセツの掌の温もりだけがわかる。それしか分からない。
だけど一瞬察知する。セツの鋭い眼から殺気が出ていること。僕はびくっとした。その瞬間、セツの目の中の
鈍い光は消えた。
「・・・・・・・スピカ。」
ゆっくりと、低い声だ。
「・・・どうしてそんな馬鹿なこと言うんだ?」
「見てしまったから・・・。」
「何を?」
「短剣の・・中身。」
セツは目を閉じた。
「ごめん・・・。」
僕はまた涙が落ちたのを感じた。
「見たんだ。」
「・・・うん。」
セツは、ゆっくりと笑ってみせた。だけどそれは泣きそうな。とても複雑な笑顔だった。
「・・・・・そう。・・・そうだな。」
立ち上がる。
「セツ・・っ。」
「悪い・・・放っといてくれ。」
セツはゆらっと、闇の奥へと脚を進めていく。僕はその消えていく背中に何も言えないままたじろぐ。
「・・・・・・・・ごめん・・・。」
俯いた。


 
「・・・短剣は、セツの証だ。」
ルクの声が後ろから掛かる。闇にとける黒い髪。
僕は振り向く。そして彼の目を見る。鋭く、強い目。
「開けてしまったのは、セツの秘密だ。」
「・・・・分かってます。」
そう、僕は、情報におけるフェアを守らなかった。
だから、あの短剣で切りかかられても文句は言えない。それは、罰だから。
「セツは。」
ルクが口を開く。
「だが、セツは、お前のことも、気付いている。」
僕の心臓は。跳ね上がる。
「ルク様・・・・?」
ルクには、分かっていると言うのだろうか。僕は汗が吹き出すのを感じる。
ルクは黙った。
「僕の・・・。」
言葉を切る。何を弁解したって無駄だと悟る。僕は俯く。
「行け。」
ルクがそう言った。僕は頷いた。
そして立ち上がり、セツが消えて行った闇の方へと進んだ。


33,
「・・・居るんだろう?」
ルクは小さな声でそう言った。
彼は木の上に現われた。
「・・・なるほど、理解がいった。」
ルクはじっと見上げる。彼は目を伏せた。
「あの少年が側にいるんじゃ、セツも壊れてしまいそうになって当然だ。」
「・・・だけどあれは鍵なんだよ。」
「そうだな。だが、紙一重で呪いになる。」
ルクは座り込み、剣を抜いて手入れを始めた。
「地下室が、ひとりでに開いた。」
「・・・・・・・・・・・・。」
ルクは黙って、手元を見ている。
「お願いだ。」
「珍しいな。」
「初めてだ。」
言い返す。
「セツを止めて。もっと強く。もっと掴んでおいて。僕はセツのあんな顔をもう見たくない。」     

ルクは顔を上げて言う。
「だったら、あの少年にそう言えばいい。一石二鳥だ。」

 
「会えないよ。僕はあの少年には。あの鍵だけじゃない。僕はこの世界ではお前にしか会えない。だってお前
は唯一セツの塔に登ってきた人間だから。」 
「・・・セツは?」
「・・・セツは、塔を出たきり帰ってこない。でも地下にもまだ行っていない。だけど僕には分かるんだ。セツ
はそのうち闇にとけて、僕の目を擦り抜け、塔に戻り、あの地下に入っていく。それは僕にはもう止められな
い段階で。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・そうか。」
ルクは目を閉じる。
「そこまで分かっているならば、解ってるんだろう。俺にはその役は、与えられていない。」
「・・・・・。」
「俺はセツを、最後の最後で止める事は叶わない。」
彼は俯いた。


34,
セツが見つからない。まるで闇に溶けてしまったかのようだ。
「セツ・・っ!」
呼んでみる。僕の息が上がる。
「探し物かい?」
僕は、勢いよく振り向く。
「・・っあなたは!」
そして構える。丸腰だが、構えないわけにはいかない。ここで捕らえられるわけにはいかない。
「クシス様・・・っ。」
クシスが其処に立っていた。なぜか一人で、供もつけず。そしてうすらと笑っていた。
「・・・あなただったんですね。エラルドに僕を売ったのは。」
「非常に申し訳なかったがね。」
「セツを裏切ったんですね。」
「私はセツを裏切ったつもりはないよ。私は個人的にセツがとても好きだし、裏切ると言うほどまでセツは私
を信用しちゃいない。」
「・・・なんで、僕を捕まえようとしたんですか。」
クシスが微笑む。
「それには、いろいろあるんだよ。それは君が答えを手に入れた時に分かる全てだ。」
「・・・・・あなたは・・・。」
僕は息を呑む。
「あなたは知っているんですね。僕の父親を。」
心臓がすごい勢いで高鳴る。
「知っていると言えば知っている。知らないと言えば知らない。」
「はぐらかす気ですか?」
「言っただろう。これは国を巻き込むトップシークレットだ。軽々しく口には出来ない。」
僕は睨む。クシスは笑っている。
「君とセツが一緒にいるのは、とても滑稽だ。」


 
「・・・・・・・・。」
「運命か、偶然か。ひどい話だ。笑えないブラックユーモアだよ。」
「・・・・黙ってください。」
僕は拳を握る。
「これは失礼したね。しかし、私はどうしても君に言わなくてはならない事がある。」
「・・・なんですか。」
「君には此処で死んでもらわないといけない。いくつかの情報を吐き出してもらってから。」
僕の心臓は締め付けられる。逃げなくてはならない。でも何処へ?どうやって?僕は弱い。僕は。
「死ななくてはならないのですか?」
「そう考えるだろう。普通。」
「じゃあなんでセツは生かすんですか?」
「言っただろう。私は個人的にセツを好きだと。それに、セツにはまだ利用価値が在る。遂げてもらわないと
ならない任務がある。」
「・・・・・・・任務?」
「君も生かしても構わないんだよ、まだね。まだ何の害もない。小さな虫けらだ。だけど、君は追っている。
その秘密を追っている。秘密を知られたら困る人間もいるんだよ。そして、秘密を手に入れて得をする人間も
いる。」
僕は。あの短剣を思い浮かべる。ここにあの剣があれば、僕も戦えるだろうか。
「さぁ、言って貰おう。王座の鍵は、何処にある?ハンブル国王、第一皇子スピカ様。」
僕の毛は、全て逆立つ。
その瞬間に。
ドッ!
鈍い音がして、クシスは倒れた。小さく呻いた。
「・・・っ!」
僕もその音の正体に驚く。
「セツ!」
セツが其処に居た。クシスを思いっきり蹴り飛ばした。


34,
闇に溶けた気がした。何をしているんだ私は。何故一人になろうとした?一人になったって何も変わらないし、
見失うだけだ。だけど、スピカに貫かれてしまった。そして無残に倒れてしまうところだった。そんなところ
だけは、絶対に見せたくなかった。
ゆらっと、視界が揺れる。あぁ、もう限界かもな。
そこに声が聞こえた。
「じゃあ何でセツは生かすんですか?」
スピカの声だ。全身がこわばる。
「言っただろう。私は個人的にセツを好きだと。それに、セツにはまだ利用価値が在る。遂げてもらわないと
ならない任務がある。」
クシス。無意識に短剣に手が伸びる。任務?任務だと?それは、呪いか?
「・・・・・・・任務?」

 
「君も生かしても構わないんだよ、まだね。まだ何の害もない。小さな虫けらだ。だけど、君は追っている。
その秘密を追っている。秘密を知られたら困る人間もいるんだよ。そして、秘密を手に入れて得をする人間も
いる。」
秘密。秘密は何処にでも落ちている。私の身体にもこびりついている。当然、スピカにも、こびりついている。
スピカが、なんとなくこの手にある短剣を思い浮かべているような気がした。右手が握られて、広げられたか
らだ。何かを掴むように。
「さぁ、言って貰おう。王座の鍵は、何処にある?ハンブル国王、第一皇子スピカ様。」
その瞬間に。何かがとんだ音がした。ブチンと。バチンと。
それは世界の破壊音に似てた。意識が無くなった。
脚に衝撃が走って、気がついた時には、宙に浮いていた。そしてクシスが呻いたのが聞こえた。
蹴り飛ばしたと気付く。
「セツ!」
スピカの声がする。汗が散る。
聞こえない振りをする。というか、聞こえていなかった。その後スピカが何か言ったような気がするけれど、
何も聞こえなかった。
クシスへの感情が渦を巻く。
汚らわしい、下の者め。背信者め。跪け。お前の口から聞きたかったわけじゃない。
ぐぐっと短剣を握った。その掌に、感触はもう存在しなかった。



35,
「あぁ。あの塔が。」
彼は見つめた。
「・・・誇りの塔が、変形する。」
いや。違う。思い直す。
「・・・元の形へと戻るんだ。それは不意に思い出したかのように。」
セツはまだ戻らない。
「・・・・・・・もう、止まらないか・・・・。」
彼はグランドピアノに手をやった。
「・・・行こう。」



36,
「セツ!だめだ!やめて!」
僕は叫んでいた。だって、セツの目からは、側に居るだけで怯んでしまいそうになる殺気が放たれていた。だ
けどセツは何も聞こえていないように、倒れたクシスを睨んでいた。その手にしかと握られている短剣が光る。
「いい度胸だ伯爵。」
セツが低い声で唸る。
「背信の上で、のこのこやって来るとは。よっぽど殺して欲しいらしい。」




 
「はは・・・っなかなかいい蹴りだねセツ。」
「黙れ。」
その声は、威厳在る、誇り高い、芯の在る声。
「今すぐ此処から消えて、エラルドに伝えろ。」
セツ。セツ。セツ。僕は叫びたかった。
「椅子なら、好きなようにしろ。扉を蹴破って開けばいい。」
「そうもいかないんだよ。」
「口答えか?」
セツの眼が細くなる。
「私は椅子には興味ないんだよ、セツ。」
「・・・・なんだと?」
「椅子とは別のところに私の意図は在る。別に好んでエラルドにも協力しているわけじゃない。ただの利害一
致だ。」
セツは眉をひそめる。
「・・・・・それで。」
殺気が走る。
「行くのか?ここで死ぬのか?」
伯爵は笑った。
「行くよ。行く。おっかないセツにこれ以上剣を向けられるのはとても耐えられそうにないからね。」
セツは睨み続ける。
クシスは起き上がり、そしてセツを見て笑った。そのまま、闇の中へ消えていく。去っていく。
一人で来たんだろうか。彼は、完全に闇に溶けた。


37,
セツは暫らく黙ったまま、立っていた。殺気はまだ放っていた。僕は俯いた。
聞かれた。聴かれた。僕の、僕の証。消せないもの。追われる理由。こびりついていた、秘密。
「・・・・あいつは、一人でふらふら歩く伯爵なんだ。」
いきなりセツが呟く。
「物好きでな。よくお忍びで庶民のパブなんかに顔を出す。」
「・・・・・・・セツ・・・・・。」
セツは短剣を腰にしまった。
「・・・・・・・セツ。」
僕の目から、なんでか涙が落ちた。
「ごめん・・セツ。」
「・・・なんで謝る。」
僕のほうを見ない。
理由なんか見当たらない。言葉にできる罪悪じゃない。
「・・・・王家の人間だったんだな。」
セツが呟くように言った。僕は貫かれる。だけど僕はきっと、さっき同じ刃でセツを貫いた。
僕は無言で頷いた。セツはこっちを見ていない。だけど「そうか。」とだけ呟いた。


 
「・・・・・・・・セツは・・・・。」
「さっきの質問だな。」
セツはこっちを見ない。見ない。見ない。
「・・・見たんだったら、全部分かってるんだろ?」
僕は頷いた。
「・・・・・じゃあ、私の名前も、知ってるか。」
ようやく、セツが振り向いた。表情がなかった。僕は頷いた。
「・・・セツキ。」
セツは頷いた。
「そう。私はスピカの名前、知らなかったよ。」
僕は苦しくなった。
「・・・でも、会ったことはあるよ。覚えてないだろうけど。」
僕は頷く。



38,
「第一皇女。セツキ。」
自分に与えられた名前は、月の名前だった。
正真正銘の王家の人間だ。母親の名前は、アマリナ。上流貴族の娘で、気高く、美しい人だった。

剣を取り、走ればいい。追われれば逃げ切って、向かってくるものは蹴り倒せばいい。
セツはそう言った。セツはそうした。
セツが背負ってきた物は、僕のなんかより、途方もなく重くって、大きなものだ。
僕は名前も捨てなかったし、人の目を懼れて這うように逃げてきた。お金は適当に稼いで、そしてただ漠然と
探していた。
僕の父親。名前も知らない。顔も知らない。だって生まれたとき側にいた男はあの汚らわしい男だった。


王。
私が世界で一番憎んでいる人間。同じ血が流れていると思うだけで、もう吐きけがする。
裏切りもの。汚らわしい、野獣め。触れられていたと思うと、ぞっとする。
母親を壊して、私自身も捨てた。あの男の全てを壊してしまいたい。

王。
僕が、逃げているもの。僕を追っているもの。僕が嫌悪しているもの。
正妃を捨て去り、僕の母親をその力で手に入れたもの。そしていとも簡単にその母親を捨てた男。
僕の父親が、自分じゃないと知るや否や、僕の母親を暗い牢にぶち込んだ。


そして私は、呪われた。





 
39,
「スピカ。」
「何?」
暗闇が一層深くなる。
「・・・・私たちは、離れておいたほうがいい。」

その時、崩壊の音を聴いた。

「そう思わないか?」
僕は涙がひとりでにこぼれたのを拭うことなく、頷いた。ゆっくりと。
セツは微笑んだ。
「ありがとう。」
僕は首を降る。涙でうまく喋れない。謝りたい。なのに。
「一つだけ、頼んでいいか?」
僕はセツを見る。
「私の名前を、忘れてくれ。」
「・・・・・・・・・。」
セツキ。その名前を。忘れてくれ。
あの汚らわしい男が付けた名前を。男であることを望んでつけたこの男の名を、忘れてくれ。
僕は、ゆっくりと頷いた。
セツはもう一度笑う。その笑顔は今まで見たどの笑顔より悲しかった。涙はない。
「ラピス・・・ラズリは・・・。」
僕は呟いた。セツは黙る。そして首を振る。
「いいんだ。もう。要らない。」
要らない?
どうして?
あれだけ探していたものだ。
ずっと、本気で探していたように見える。
なのに。
でも、僕にはどうする事も出来ない。
僕は頭を下げた。俯いて、落ちてく涙を見た。
「これから、何処に行くんだ?」
「・・・逃げるよ・・・。逃げなくちゃ・・・。クシスも・・・エラルドも・・・僕を狙ってる。僕の命を。」
「・・・そうだな。エラルドは、王の椅子が欲しいんだろう。放っておけば、直にくたばるだろうに。そした
ら摂政が事実政権を握るようなものだ。」
セツの言葉。
知っている。僕なんかよりも、たくさん。
「でも・・・なんで、クシス伯爵が僕を狙うのか・・・分からない。」
「なんでもくそも。そんなことはどうでもいい。裏切り者のことなんて考えなくていいだろう。」
僕は頷く。
「逃げろ、スピカ。」

 
セツは、優しい声でそう言った。
「しばらくカザンブールのロイサのところで身を隠せ。ロイサなら手助けしてくれるだろ。」
「・・・・・・・・うん。」
「其処までは、一人で行けるか?」
「うん。」
僕は、もう止まっている涙を拭う。
セツは、よし、と言って笑った。
「じゃあな、スピカ。」
セツは笑う。
「セツ・・っ。」
僕は顔を上げてセツを見る。セツは、何?といって僕を見る。
「セツは・・・これから・・・何処に行くの?」
「・・・・・・・・うん。」
それだけ言って、セツは笑った。そして、目を伏せて、後ろを向いた。


40,
あぁ。
あぁ、セツ。
ここは・・・何処?
彼は遠くを見ていた。崩壊したいくつかの塔を見ていた。
鍵はうまく回らなかった。
セツはまだ戻らない。
きっと、もう止まらない。
この塔は倒れる。
あの塀だけは、無意味に残るだろう。
そして、また世界を作る。造る?創れるだろうか。もう一度。
彼は首を降る。
完全に歪な形になった異性の塔を見る。
開きっぱなしの地下への扉。
あの少年の塔は、すっぽり見えなくなっている。世界の底が抜けて何処かに落ちてしまったらしい。   

空はいつもにまして曇天だ。もう雨が降るかもしれない。
あぁ。セツ。
僕は聞こえるよ。僕は、君の泣いている声が聞こえる。
どうして手放してしまったんだ。どうして、その手を掴まない。
どうして諦めてしまったんだ。
どうして呪いを選んだ?
セツ。君が此処で弾いていた悲愴は、あの曲は?全部捨ててしまうのか?
なんで君は。
ゴォォォン・・・・・。

また一つ、塔が壊れた。
■41−50■□□
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