41,
「ルク様ですね?」
ルクは、顔を上げる。一人、バーで酒を飲んでいたところだった。
「そうだ。」
「折り入ってお話があります。」
「・・・傭兵が必要なのか?」
「ひとまず、こちらへ。」
ルクは立ち上がってその老人についていった。
セツは戻ってこなかった。スピカも戻ってこなかった。ルクは一人、東へ引き返している途中だった。
「都。」
男は頷いた。
「なるほど、お前たちは、パルチザンだな。今、話題の。」
「・・・ルク様は、王側の人間ですか?」
「俺は傭兵だ。金を積まれた方につく。」
言い捨てる。
「世の中のことなんざどうでもいい。どっちに転んでも腐っていることには変わりない。」
老人は袋を取り出して机の上に置く。
「これが、報酬です。」
「・・・・・・・・大した額だな・・・パルチザンの分際で。」
ルクはその鷹の目を男に向ける。
「もはやことは、民だけの問題じゃなくなって居るらしい。」
「・・・えぇ。もう、幾人もの貴族たちが兵を集めております。」
「・・・なるほど。」
ルクは笑った。これだから人間は。愚かだ。
「それで?その反乱はいつ起こす。」
「・・・それは、あなたがこちらにつくとおっしゃったなら話しましょう。」
「・・・・・・・・・・・・・。ふ。」
ルクは小さく笑う。
「お前たちにつこう。俺もそろそろこの腐った世界を壊したかったところだ。」
男は頭を下げた。



42,
じゃり・・・・。
脚。砂を踏む。
「・・・・・・・・・・。」
帰ってきた。セツは心の中でそう呟く。
村を見おろす。そしてふっと笑った。
ゆっくりと歩く。
「・・・・・誰だい?」
庭で畑仕事をしていた老婆が、側を通りすがる女、もしくは男を見つけて首を傾げたが、すぐにそれを悟る。


 
「!セツ・・・っ!」
セツは無視した。
「どうした?」
男が家から顔をのぞかせる。
「セツだよ!あの、浮浪者の親子の息子のほうが帰ってきた!」
男は驚いてセツを見つめる。その背中。確かに背格好はよく似ている。
「・・・なんで今更?」
男は顔をしかめた。
ガコン!
セツはしまっていたボロボロの家の扉を、力ずくで開けた。懐かしい。
小さな、小さな家だった。ここに流れるようにやって来て、そして住んだ。
セツはその暗闇を見つめて、笑った。笑える。滑稽だ。
莫迦か私は。
もう母親は居ない。此処で死んだ。あの男を呪いながら、死んだ。そして私に呪いを掛けた。
セツはくしゃっと髪の毛を掴んだ。それは思いっきり。力いっぱい。
此処には何もないだろうに。
だけど全てが此処にあった気がした。
6年ほど住んだこの家。そこには、呪いしか詰まっていのに。
目を閉じた。


「あなたが男の子だったらきっと違っていたのね。」
そう。私の名前は、セツキだ。男の名だ。

「男としていきなさい、セツキ。」
そう。そして私は俺になる。

「そしてあの男の椅子を奪うのよ。」
椅子には何にも興味はない。奪うのは、別のものだ。

「殺して頂戴セツキ。私の代わりに。あの男を。殺して頂戴。」
そう。
そして、私は、旅に出た。
息を引き取った母親を、一人この地に埋めて。旅に出た。殺すために、まずは強くならなくてはならない。
たまたま通りかかったルクに、狂ったように連れていけとせがんだ。強くしろと頼んだ。
ルクは、何故そんなに強くなりたい、と尋ねる。私は、崩れるように泣いて、殺したいと叫んだ。
なんて無様だったんだろう。今でも赤面する。
強くなればなるほど、呪いは一時的に弱まった。そして、自分の中に塔を建て始めた。呪いを埋めてそれを隠
すように、その上に塔を建てた。心の中がくすぐったいような、疼くような、そんな感じだった。
呪いを忘れて生きたこともあった。友人を作ってみたり、人に触れてみた事もあった。そうしている間に、
発見する。この空虚な感覚。
自分は未完成だということに気付く。許せない。時々呪いに飲み込まれそうになる自分が許せなかった。


 
だから完成を求めた。同時に逃げた。第一皇女である、私の血を恐れた欲深き豚どもに追われ始めたからだ。
そのきっかけは、エラルドに一度捕まった時だ。短剣を見られた。そして悟られた。死に物狂いで逃げた。
何人か・・・殺してしまったかもしれない。覚えていない。
これが、私の旅だ。これが、私の呪いだ。
なぁスピカ。私は、どうすればよかったんだ。


43,
「スピカ!」
ロイサは僕に思いっきり抱きついた。
「スピカ!ごめんなさい!ごめんなさい!」
僕は泣くロイサの頭を撫でて、ううんと言った。
「ごめんね。大丈夫だった?」
「私は平気よ!スピカが・・・!・・・セツ様は?」
僕の心臓はこれでもかというほど痛む。
「・・・スピカ・・・。私、セツ様に頼んだのよ・・・。スピカを助けてって・・・。」
「・・・うん。会ったよ。」
「・・・御無事なの?」
僕は頷く。とりあえずのところロイサはほっとしたように見えた。
「・・・スピカ、疲れてる?」
うん。と言う。
「そうね。ものすごく疲れている顔をしているわ。まってて、今すぐに部屋を用意するから・・・。」
「ロイサ。」
「え?」
「・・・お願いがあるんだ。」
「何でも言って頂戴。」
「ここに、暫らくかくまってほしいんだ。」
ロイサは、じっと僕を見て微笑んだ。
「当たり前よ。好きなだけいて頂戴。」
「ありがとう。」
ロイサは微笑んで部屋を出て言った。僕はズルリと屈みこむ。
僕の、莫迦。
いっそ、殺されたほうがよかった。そう思わないか?
セツは、泣かなかった。一滴の涙も落とさなかった。僕はただ泣きじゃくった。そして許して欲しいと、傲慢
にも思ってしまった。僕は、セツにとって、恨みの存在でしかない筈だから。悠々と、何も知らずに、無知に、
それは愚かなほど無恥に、生きていた。その影でセツがどんな風に生きてきたかなんて想像することは出来な
い。そうすること自体、もう一種の侮辱だ。
母親の顔を思い出す。優しい笑顔で僕を見る。名前はクレイ。貴族でもなんでもない、ただの城就き召使だ。
王に見初められて、妾として常に側に置かされた。正妃を置き去りにし、遠くの町へと向かう時は必ず連れて
行ったという。ただ、そのことは、母は望んじゃいなかった。それは権力と言う暴力で、半ば強引に拘束され
ていた。そしてきっと、出会った。僕も誰も知らない、トップシークレットの男に。


 
そして、恋に落ちて、僕が生まれた。王は喜んだ。おおいに。男の子が生まれたわけだから。
2年前に一人子どもを正妃が産んだが、それは女の子で、王はたいそう残念がって、彼女に男の名前を付けた
と言うほどだ。
だけど、僕の存在は長いこと隠されていた。正妃だ。正妃はとても嫉妬深い人だったらしい。悪い言い方をす
れば。とても深く王のことを愛していて、妾がいて、それが男を産んだと知れば、発狂しかねない。だから僕
は隠された。長いこと。それは5、6歳くらいまで続いた。
だけど、そんなものは、ふとした瞬間に露見する。当然正妃は怒り、精神が折れてしまったと聞いた。王を殺
そうともしたらしい。本当かどうか定かではないが。それをきっかけに、王は正妃をあっさりと捨てた。貴族
だろうがなんだろうが関係無しに、単身。捨てた。一緒に、その娘もほおり出された。僕は何も知らずに悠々
と暮らしていた。なんて愚かなんだろう。そのことを知ったのは、僕が城を出た後のことだ。
ねぇ、セツ。僕は。僕は君に何が出来ただろう。


44,
あいつは、ここに何かがあると言った。始まりの場所に。
だけど何もないじゃないか壊れかけた記憶があるだけだ。
そうか、鍵がないんだ。鍵がないんじゃ、ここは意味のない場所なんだ。
セツは拳を握る。墓前。母親の墓前。
母親が死んだ時のことを思い出す。半ば狂っていた彼女は死んだとき安らかな顔をしていた。
死んではじめて安息を得たんだ。ずっとあの男に苦しめられていた。涙を流し叫んでいた。悲痛なほど。
私がピアノを弾き始めたのもこの頃だったと思う。
城でいつか弾いたことがあった。指がそれを覚えている。基礎なんかない。だけど、ピアノを弾きはじめた。
そうすることで母親のことを忘れたかった。
だけどそこには呪いを解くような力はない。分かっていた。黒い箱は私の音を映し出すだけのものだ。
何も与えちゃくれない。何も溶かしちゃくれない。だけど、存在だけが心地よかった。唯一のものだ。
ガキン!
セツは短剣の鞘を抜くことなく、後ろから振り落とされた何かを弾いた。
ゆっくりと振り向く。
「・・・・・・誰?」
睨みながら問う。
後ろに居た男は笑った。
「いつ帰ってきたんだ?」
「・・・・・・・グルーか。」
男は笑った。
「さっきだ。」
「あれ、もう帰らないんじゃなかったっけ?」
「そのつもりだった。」
男はひょうきんに笑った。
「久しぶりだな。」
手を差し出す。
「にしちゃ、結構な挨拶だったな。」

 
「あはは。だってセツ。強くなる旅にでたんだろ?だったらこれくらいできるだろって思ったんだよ。」
「・・・あんたは相変わらずだな。」
グルーは笑う。
「あんたも此処を出るんじゃなかったのか?」
「ん?うん。一回出てきたよ。」
「で、里帰りか。」
「ま、里、とも呼べる村じゃないけどな。」
同意だ。
グルーはこの村で育った男で、セツが小さい頃遊んでいた仲間の一人だった。初めは心を開けず、高貴な心を
捨てられなかったセツは、グルーのおかげで馴染めたといってもいい程だ。村の大人達は浮浪者の息子である
セツを嫌って子ども達には遊ばせないようにしていたが、子ども達はその大人達とは違ってなかなかいい奴が
多かった。もちろん、いろんなしがらみはあったけど。
城に住んでいた王族が、いきなり民の生活を出来るわけがない。右も左も分からない赤子同然のセツと母親は
彼らに助けられたようなもんだった。地を耕すことを知り、風を読むことを知った。手を土で汚すことで得ら
れるものの大きさと喜びも、教えてくれた。
「セツ。今お前に会えてよかったよ、協力して欲しい事があるんだ。」
「・・・・なんだ。」
「討伐軍に入らないか?」
セツは一瞬だまって、ため息をつく。
「・・・。なるほど、あんたらしい。」
「セツ、強くなったんだろ?頼む。力を貸してくれ。」
「・・・それでこの村に帰ってきたんだな。」
「その通り。皆に呼びかけに来た。な、セツ。この王制を崩そう。」
セツは黙った。


45,
「・・・みつけた。」
彼は呟いた。
「こんなところに居たんだね。」
彼は優しい声でそう言って、セツの頬に触れた。
「冷たい。」
そして濡れている。
「・・・立てる?」
セツは頷いた。瓦礫の隙間に、座りこんでいた。放心したような顔つきで、何処を見るわけでもなく、ただぼ
うっとしていた。
セツは手を取られ、立ち上がる。
「探したよ。」
彼は言う。セツは何も言わない。
「随分ひどい崩壊だったから・・・心配した。」
セツは下を向いた。


 
「・・・大丈夫。ピアノは僕が運んでおいた。塔もひとまずは崩れもとまってる。まだ折れちゃいない。」
彼はセツを抱き締める。冷たい体だ。
セツが何かを言った。聞き取れず、彼はセツを腕から出して、セツを見る。
「ん?」
「・・・駄目だな・・・・。」
セツは下を向いていた。泣いていた。
「駄目だな・・・私・・・。」
彼はセツの手を取る。
「たくさんの塔が、壊れたよ。」
セツは頷いた。
「でも、まだ、呪いだけは止められる。」
彼は言った。
「見つかってよかった。お願いだセツ。選ばないで。」
必死に言った。
「お願いだ。呪いなんか選ばないでくれ。地下室の扉が閉まらないんだ。」
彼の手。
「セツ・・・此処には独りできちゃいけない。鍵と一緒に来ないと意味がないんだ。」
セツはその手だけを見ていた。まるで、彼の顔は見たくないようだった。
「お願いだ。引き返してくれ。セツ。」
「スピカ。」
セツが名前を呼ぶ。彼はセツを見る。
「もういいんだ。完成なんて。」
セツは笑った。それは砂漠のように乾いた顔で。
「いい。飲み込まれて、そのまま闇に解けてしまう。それがもとからの宿命だった。」
「セツ・・っ!」
「だったらじゃあ・・・っ!」
セツが叫ぶ。
「あんたが殺せよ!あんたが此処を新しく作り変えろ!くれてやる、全部・・・この世界なんかくれてやる!
お前が王になればいい!」
セツは、自分が泣いていることに気付いていない。


46,
「ナイト・・・オリンピア?」
僕の心臓が疼く。
「えぇ。もうすぐナイトオリンピアね。知らないの?」
「知ってるよ。城で行なわれる武道会でしょ。」
「そう。私は迎賓として呼ばれてるの。スピカも・・・。来ないほうがいいわね。」
僕は頷く。
「ロイサも・・できるだけたくさん人をつけた方がいいよ。」
「えぇ。ありがとう。」


 
ロイサは微笑む。
「でも大丈夫。」
僕も微笑む。ここに閉じこもって何日かたった。僕の心はどうしてだろう。とても乾いていた。
もしかしてこれがセツのずっと感じていた空虚さなんだろうか。いや、違う。セツのそれは、もっと別のもの
だ。もっともっと乾いていて、もっともっとどうしようもない、深い孤独だ。何処に手を伸ばしても、それを
埋める何かは手に入らない。そういう焦燥だ。
「スピカ?」
「あ、うん?」
「どうしたの、ぼーっとしてる。」
「あ、ごめん。大丈夫。楽しんできてね、ナイトオリンピア。」
「えぇ。いっても一週間後だけれどね。王様のお加減も随分良くなったらしいし、きっと盛大な催しになる
わ。」
心臓が唸る。
「うん。そうだね。」
「私が行けるのは、準決勝だけなの。残念だわ。」
「個人的に行くのは?」
「ちょっと危険だわ。」
「たしかに。」
全員が選手にお金を掛ける。熱狂している。確実に危険だ。
「・・・セツ様。」
僕はびくっとする。
「どうしていらっしゃるかしら?」
ロイサは僕の顔色を伺いながらそう言った。
「・・・・うん。」
僕は、無理矢理微笑んでそういった。ロイサは小さく俯いた。


47,
一人の少女が、そこに立っていた。その少女はじっと河を見つめていた。都の大運河。この国の全ての河は此
処へと流れ着く。この大運河のおかげで栄え、発展し、この都ができた。川沿いに大きな城が在る。200年
前からの代物だ。少女は美しい真っ直ぐな髪をたなびかせていた。その長さは肩よりもやや長いくらいで、髪
の色はほとんど金髪に近い。細く、背は高いほうだ。
彼女はふっと笑ってから市場を抜け、城のほうへ歩く。そしてある建物の前まで来ると、すらっと長く細い足
を止め、中へ入る。
「こんにちは。」
不思議に深く、甘い声。
中にいた、兵士は口笛を吹く。
「こんにちは、お嬢さん。此処に何か用かな?」
「此処はナイトオリンピアの選手登録を請け負っている役所だと聞いたんですが。」
「あぁ、請けおっちゃいるよ。今の時期ね。でも、残念ながら、本人が来ないといけないんだ。直接。他人の
勝手な推薦は当日に現われなかったり、興を殺ぐ原因になるからね。」

 
「参加資格は?」
「資格は特に無し。悪党だろうがなんだろうが、このナイトオリンピアの時だけは関係ない。優勝者は一つだ
け願いを王に要求できる。」
「それだけ分かれば十分です。それで?登録はどうやってするんですか?」
「だから・・・本人が。」
彼女はとん、と指で机を叩く。
「本人です。それで?」
兵士は驚いた。彼だけではなく、そこにいた全員が驚いた。こんなか細い少女が、ナイトオリンピアに?
「おいおい、お譲ちゃん。正気なのか?これはナイトオリンピアだぞ?死人が出る場合もある。」
「知ってます。」
「悪いことは言わない。やめておきなさい。」
とん。もう一度机を叩く。
「後ろがつかえています。それで?どうやって登録すればいいんですか?」
兵士は息を呑んだ。
「・・・こ・・・ここに、名前を書いて・・・。」


48,
「セツ。何をしているの。」
彼は、セツを一人塔の頂上にほっておいた。そして暫らくたってから戻ってきた。
「ピアノ。今すぐ持ってきてくれ。」
「・・・そうじゃなくて。なに・・・その。」
「いいから。」
彼は口をつぐんで、後戻りする。
暫らくたって、彼が部屋に戻ってくる。ピアノを連れて戻ってくる。
「ありがとう。」
セツはゆっくりとピアノに触れる。ドを鳴らす。だけど、その音は確実にドではない。
「・・・・・・・・・・・・。」
セツは顔をしかめる。そしてすぐにかがんで黒い箱の腹部を開ける。
「セツ。」
「なんだ。」
「何処に行くの?」
「遊びに。」
「・・・誰と?」
「下賤の者たちと。」
セツは手際よく、慣れた手つきで調律していく。
「・・・もう、立ち止まってくれないんだね。」
「・・・・・・・・・・。」
無言。
全てをものすごいスピードで終わらせて、セツは立ち上がった。その間、およそ10分。
音を鳴らす。セツは無言でグリッサンドする。彼はそれをじっと見ている。

 
「セツ・・・。本当に・・・呪いを選ぶの?それは自分の手で、自分の足で。」
セツは何も答えない。黙ったまま黒い椅子を引き、座る。
「・・・セツ。」
ポーン。
彼は黙った。そのはじかれた音は、ものすごく、ものすごく、澄んでいる。そして芯が在る。
ゆっくりとセツは息を吸い込んだ。そして。
ジャーン!
ものすごいフォルテが鳴り響いた。彼の腕があわ立つ。
ベートーヴェン。悲愴。第一楽章。あの和音。今までで一番大きな、衝撃のフォルテだった。
セツの指が踊る。時に走る。だけど、それは。今までの音と違う。今までと違う曲に聞こえる。
「・・・・。」
あぁ。そうか。
調律が。すべて、微妙にずれている。
セツは、その事にも気付いていない。
だけど、その曲は、どこか心地良く、そして悲しい。悲愴を完成させた音に聞こえた。


49,
「そういえば。公爵は・・・?」
「お父様?」
頷く。ロイサとテラスで星を見ていたところだった。
「お父様は・・・。」
うーんとロイサは唸る。
「今・・・何処だったかしら。」
「知らないの?」
「お父様はしょっちゅうあちこちに行かないといけないから。まぁ、そのうち戻ってくるんじゃないかしら。
用事?お手紙なら出せるわ。誰かに聞けば。」
「あ、ううん。ちょっと聞いて見ただけだよ。・・・ロイサって・・・お母様は・・・・?」
ロイサは微笑む。
「いないの。私を産んですぐに死んでしまったそうよ。」
「・・・・あ・・・。ごめん・・・・。」
僕は俯く。
「いいの。気にしないで。淋しいと思ったことはあんまりないから。」
「・・・本当に?」
「お父様がいるから。そりゃ、今は殆んど会えないけれど、小さい頃はいつも私を色んな所に連れて行ってく
れたわ。」
「お父様のこと、好きなんだね。」
「好きよ。」
当然のことのように微笑む。僕も微笑む。
「ねぇ。あれ。スピカよ。」
「・・・・・・・・・・。」


 
僕は顔を上げる。星を見上げる。
「どれ?」
「あれ。」
指を刺す。
「あそこで輝いてるのが。スピカ。」
「・・・・・・・・。」
たどたどしい、青白い光を放つ。星。僕の名前。あっちの方で月が光っている。月。セツの名前。
僕はまた涙が落ちているのに気付いていなかった。
「スピカ・・・っ。」
ロイサが驚いて僕を見る。
「どうしたの?」
「あ・・・っ。いや・・・ちがうんだ。ごめん・・・・。ちょっと・・・。」
「・・・もう、寝た方がいいわ。」
僕は首を降る。
「本当に大丈夫。大丈夫だよ。」
ロイサは、僕の手を取った。


50,
セツは一人になった。ルクと別れた。ルクは隣国の大きな戦に傭兵として呼ばれたらしい。
2年前の話だ。
一年強、ルクと行動を共にした。ルクから学んだことは多かった。戦う術、強さ。そして殺す技。
体も鍛え上げた。セツは、一度、西へ戻ろうと思った。今の自分ならば、呪いに勝つことができるかも知れな
い。浅はかな、調子に乗った考えだった。それを確かめたくて西へと戻った。
そしてあるパブで噂を聞く。非公式のナイトオリンピアが近々あるらしい。ナイトオリンピア?四年に一度あ
るといあれか。その、非公式?なんだそれは。
腰にある短剣を手で確かめる。このころの無意識の動作だった。その細工を確かめる。そしてその重みを確か
める。その中にしまわれている呪いを、きっと確かめていた。
セツはワインを飲みながらまわりを見ていた。人々はわいわいと騒いでいる。こういう庶民の生活に大分慣れ
ていた。というか、もうすっかり城に住んでいた頃のことは忘れてしまっていた。一人でだってこうやって生
きていける。それは自信で、確信だった。
「・・・・。」
ふと目を留める。一人、こそこそと動いている男がいる。小柄な、小汚い男だ。セツは眉をしかめワインを飲
みほし、静かに席を立つ。周りの騒がしい音は聴いている。だけど、セツはただ一点を追った。その男。こい
つ。あやしい。なんでほっておかなかったのかは自分でも分からない。ただ気になった。絶対に何か悪い事が
起こる。そしつは裏から店を出てそして足早に走っていく。途中で荷馬車を捕まえて乗り込む。どこまでいく
んだ。セツは近くにあった馬小屋から馬を拝借してそいつを追った。この道。たしか都に向かう道だ。体が凍
る。拒絶反応だ。引き返してもいい。なのに、おいかけた。あの男は大きな何かに噛んでいる。直感していた。
だから追わないわけにいかなかった。
「!」
都までは行かなかった。だけど郊外の大きな屋敷に男は入っていった。


 
「・・・・・・・・・ここは・・・・。」
確か、摂政の館。名前は覚えていない。なぜあの乞食のような男がこんなところに?直感は冴えていた。
やはりあいつは何かに関係している。セツは屋敷にするりと忍びこんだ。容易な作業だ。身のこなしには自信
があった。セツは息を殺しその男が入っていった場所に入る。そして息を殺したまま影から見る。
「でかした。」
太い声がした。
「お褒めに預かり・・・光栄です。」
しわがれた声。たぶんあの男だろう。
「これだけの量があれば、即死させることも容易いかと。」
毒。セツは目を見開いて見つめる。机の上におかれた袋。毒だ。誰かを殺すつもりだ。
「莫迦め。即死させてどうする。」
「・・・?と、申しますと?」
「ゆっくりと、病に見せかけて殺す。それが可能なのは、この魔女の粉だけだ。」
「・・・・・・なるほど・・・・。」
「よくやった。褒美だ、受け取れ。」
「はは!」
このやり取り。なるほど。読めてきた。摂政め。嫌悪する。これだからここは腐っている。
王を殺してその椅子を手に入れるつもりなのは、すぐにわかった。欲深き豚め。セツは舌打ちをした。
王を殺す?ふざけるな。怒りが込みあげてきた。
小さな男はセツの横をすり抜けて扉を出た。セツには全く気がつかなかった。
セツは拳を握る。
ふざけるなよ。王を殺すのは俺だ。めらっと・・・じりっと・・・何かの音がした。ぶち壊してやる。
セツは誰も居なくなったのを確かめてから、するりとその部屋に入り、おきっぱなしになっていた魔女の粉を
手に取った。白い、さらさらとした無味無臭の粉だった。噂にはきいていたが、本当に出回っていたんだな。
短剣を引き抜こうとした時だった。
「何者だ!何をしている!」
誰かの声が後ろからした。瞬間セツは飛んでいた。鈍い音と共に、うめき声。すぐにその異変は伝わったらし
い。十分後、セツは屋敷の兵士たちに囲まれていた。
「・・。」
ちっと、セツは舌打ちをした。もうちょっと慎重にやるんだった。
セツは走りだし、できる限りの力で戦った。大勢相手に戦うことは初めてだった。いつの間にか殴られ、気を
失い、そして目を覚ました時にはあの部屋に居た。
「・・・・・・・・・・・・。」
「目覚めたかい?」
嫌に癇に障る声がした。セツは睨む。そこに居たのは、貴族。おそらく摂政だ。会ったことはないが直感した。
「お前が初めてだよ。私の屋敷であそこまで暴れてくれたのは。」
「・・・・・・・・誰だ。」
「おっと、知らないで此処に忍びこんだのか?」
「・・・摂政か?」
「あぁ。この身はご存知の通り暇ではない。さくさくと本題に入ろう。」


 
「・・・。」
「どうしてお前はあそこに居た?何が目的だ?」
セツは黙っていた。
「計画を知ったな?」
セツはただ睨んでいた。
「・・・口が硬いのはいけないな。」
ギリ・・・っと、首を捕まれた。
「王の手のものか?」
「・・・っ!」
セツは唾をはき掛けた。エラルドは顔を歪めてセツの首から手を離し殴った。
「やんちゃな子どもはこれだから困る。吐け。誰の指示だ?」
「・・・触れるな。」
セツはめいいっぱいの殺気を放ってそう言い捨てた。エラルドは一瞬怯んだ。
「王の手の者・・・?愚かだな。そう見えるのか?」
セツは毒を吐く。
「王のことなんかどうでもいい。ただ、王を殺すのは俺だ。王に手を出すな。」
「・・・・おっと。これはこれは・・・。」
エラルドは笑った。可笑しそうに。
「王への反逆者か。それで私の命も狙ったというわけか?」
「お前なんか知らない。」
エラルドは眉をひそめる。口は冷笑を保っている。
「それで?お前のような餓鬼がこんな短剣ひとつで王を殺そうと言うのか?」
すっとセツの腰から短剣を引き抜きながらエラルドは言う。セツの身体に嫌悪感が走る。
「触るな!」
叫んでいた。
「お前のような下賤の者にはもったいない代物だな。」
エラルドは感心して短剣を見つめていた。その時。
カチャン。
音がして、こぼれた。
戦慄が走る。
「・・・・・・・・・・・・・・これは・・・・?」
セツの身体に、迸る、感情。言葉に出すだけで、何かを引きさいて八つ裂きにしてしまいそうなほど凶暴な感
情。
エラルドは恐る恐る落ちたペンダントと紙を広い上げた。
「・・・・・・・・・。」
そしてゆっくりとセツを見る。
「・・・お前・・・・・。」
「触るな・・・。下の者め。」
セツの目は、恐ろしかった。エラルドは、それらが入っていた柄の細工をのぞきこむ。
「・・・・・なるほど。」


 
そしてペンダントと紙をそこに戻し、柄を元の状態に戻した。
「・・・・お前だったのか。」
エラルドは笑った。
「これは好都合だ。顔も分からないからな、処分に困っていた。」
セツは睨んだ。ずず・・・。縄がもう少しで外れる。
「お姫様。こんなところに居たんですか。」
ブチン!
その瞬間に、セツは飛んでいた。そしてエラルドを思いっきり蹴り倒した。エラルドは呻いてよろけた。その
緩んだ掌から短剣を奪って、もう一度エラルドを思いっきりぶん殴る。
「汚らわしい。」
バン!部屋を飛び出した。そこに居たのはたくさんの兵士たち。彼らは驚いていた。セツが短剣を持ったまま
飛び出してきたからだ。一斉に剣を抜く。エラルドが叫ぶ。
「殺せ!」
セツは走りだした。その後は、覚えてない。気がついたら、大きなスピカが光る夜の闇を見つめていた。身体
がどろどろとしている。血だらけだった。傷もいくつかある。でも深手はない。此処は何処だろう。周りを見
ると遠くに城が見えた。体を走る一種の感情。セツは血まみれの短剣を見つめた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
涙が出ていた。
この空白も。この呪いも。全部消してしまいたい。強くなるだけじゃダメだった。いや、こんなに弱いじゃな
いか。セツはぎゅっと短剣を抱きしめて暫らく泣いていた。






























**************************************************
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