41,
「帰れないね。」
彼は頷く。
「もう、帰れないね。セツ。」
「・・・わかってるよ、しつこいな。」
「本当は悲しいんだろ?帰る場所がない事が。」
「帰る場所ならある。ただ、帰りたくないだけだ。」
「同じことさ。」
彼はセツに変わってピアノのふたを開く。
「もし。」
「もしもゲームはやめようよ。セツ。」
黙る。
「むなしくなるよ。もしもあの時、どうだったら、あぁだったらというのは、未練たらしい。それは君の塔に
も背くだろう?」
「・・・うん。」
「ねぇセツ。恋しいと思う気持ちはあるだろう?」
「・・・なくはないよ。」
「君は愛していたものね。」
「・・・そうだね。」
「今の君は、あの人が居なければなかった。そうだろう?」
「そうだ。」
彼がおもむろにコードを抑えた。変なコードだ。名前もごちゃごちゃしたものだろう。
「この姿も。」
セツは自分の姿を見つめる。
「あの人が居なければ、して居なかったよ。」
「フィジカルに。」
「メンタルにも。」
セツは眼を閉じた。そうすることで自分の姿を消す。
「君は君に起こる全てをあの人に話していた。」
「うん。」
「それを失った君は、はけ口を失ってもろくくずれていく。溢れかえる何かにたえられない。」
「失わないわけにもいかなかった。」
「そうだね。それはもう途中から必然になっていた。」
「あの人は私にとって、大きな存在だった。」
「知ってるよ。あの人の塔だけは、此処からでも見えるもの。君は、あの人を信頼してた。でも逆に苦しめら
れてもいた。君の中で彼女の大きさは、計り知れないよ。塔も随分大きいみたいだ。もう、ここには住んでは
いないけどね。実物は。」


42,

ピティを眼の前にして、僕は立ちすくむ。
もう30分もにらめっこだ。塀と。
無駄につばを飲み込んでみる。意味はない。
「あなた。」
「え?」
「やっぱり!あなたあのときの方ね!」
僕は驚いた。後ろから声を掛けるのは、あの時の少女だった。
「・・・ロイサ・・・、嬢?」
「御機嫌よう。まさかまた会うだなんて奇遇ですわね。」
にこっと彼女は笑った。ロイサはキラキラする馬車の上から声を掛けてきていた。
「何をなさってるの?こんなところで。」
「え・・・あ・・・、ロイサ様は?」
ロイサはくすっと笑った。
「ここに用があるの。」
「ピティに?」
頷く。
「あなたも?」
「・・・あ・・うん・・・。でも、入れなくて。」
「まぁ当然でしょうね。・・・いいわ、乗って。」
「えっ!」
「かまわないわ。ひとつ頼みを訊いてくれるんなら。」
「頼み?」
「さっ早く。こんなところで立ち往生できないから。」
「あ。・・・うん!」
僕はばっと馬車に飛び乗る。
なんていう偶然だろう。まるで必然だ。
必然があるのなら、僕の道はどこまで、僕の望むところまで、道が伸びてくれてるのだろうか。


43,
スペル探しは、暗礁に乗り上げてた。魔女の所に行った時からひとつも物事は動いてはいない。
「・・・は。」
セツはため息を着いた。
腰にある短剣を見つめる。この紋様。もう眼を閉じても思い描ける。こいつだけは手放せないから。   
 _
「一人では見つけられない、か。」
一瞬スピカを思い浮かべた。でもすぐ消した。
「・・・あの人を、探してみようか。」
珍しくバーにいたセツは酒を片手に、ちらりとピアノを見つめた。
ずいぶん洒落たバーだ。この辺りにしては。グランドピアノが黒光りしている。
誰も座ってない空白の座席。
「・・・・・・・・・。」


セツはお酒を飲み干して、ゆっくりと近づいた。人が居る。そんな中で弾けるような腕前でもない。

ジャアン・・・

一斉に全員がセツを見た。
セツが椅子に腰をかけることなく、ただ箱を開いて、おもむろに和音を鳴らした。それもフォルィテッシモで。
それは、とても悲しいコードで。
グリッサンドで上から下へ。ラの音でとまる。そのラが、嫌に不自然に永い音符をならしてる。
フリーズしたようだ。彼女が。
「・・・・・綺麗な調律。」
呟いた。
ゆったりとしたアンダンテのメロディーが静かに、おそるおそる右手だけの旋律を刻む。
ふいに左手が加わる。そこではじめて、セツは腰をかけた。
さぁ、あの速い、そして美しい、もっとも好きなパートだ。速い。手がもつれそうだ。
実際にもつれつつあった。だけど、そのまま、強引に弾ききった。
フォルテ、そしてピアノ。それは楽譜どおりの物では決してない。
ペダル。それは体が揺れる瞬間の衝動。
「・・・・・・・・・・・・・誰だ?」
腰に短剣をさした、若い少年、もしくは少女。綺麗な顔立ちの細い若者。その指は硬い。みていてハラハラす
る指使いをする。バーでなるような音楽はひいてない。それは速く、そして鋭い。そして悲しい。
全員がセツを見つめる。セツの顔はよく見えなくなっていく。どんどん下を向いて、姿勢も悪くなって行く。
のめりこんで行くように。それは取り憑かれたかのように。
あぁ、左手が不愉快な動きをしている。右手が16分音符に乗って下がっていく。それはとても統一された1
6分音符ではなかったが、指の動きが特徴的で、鳥肌が立つ。
最後のフォルテだ。そして、沈黙と、ピアノ。その後に訪れるクレッシェンド。そして終わりを向かえる。あ
の和音で、終わる。

ジャアン・・・

終わった瞬間にセツは眼を閉じたまま動けなかった。弾き終わった後は何かが身体から出ていくみたいな感じ
に襲われる。たとえそれが上出来ではなくても。素人の付焼刃でも。指に残った感覚が、この鍵盤達を弾きな
らしていたという感覚が。セツは息を注意深く吸い込んで、吐きだす。
「・・・・・・いたんですか。」
起き上がるや否や、セツが呟いた。
「わかった?」
黒い板に映っていた。ピアノは自分の背後もよく映し出す。
「どこのかわいらしい少年かと思えば、セツじゃないか。」
「・・・久しぶりですね。クシスさん。」


45,
「ロイサ様、よくおいでなさいました。」

「御機嫌よう。」
ロイサが笑って馬車を降りる、その動作すら貴族らしさをうかがわせる優雅なものだ。
「・・・そちらの方は?」
「私の連れです。」
「こんにちは。」
僕はにこっとできるだけ笑って挨拶をする。そとで出迎えてくれた若い男もやわらかく笑い、挨拶をした。
「御機嫌よう、お嬢さま。」
僕の顔は引きつる。

「なかなか素敵よ。スピカ。」
「あ・・・ありがとう。」
ロイサは笑った。生まれてはじめての女装だ。なんてスースーするんだろうドレスって。
「さ、着替えていいわよ。」
僕の服を押し付けて部屋の奥に僕を押しこむ。同時に他の着替えも押し付ける。
「ここにいるから。着替えは其処に置いといたらいいわ。その服、来て頂戴。」
「わかりました。」
綺麗なスーツだ。僕のボロとは訳が違う質の布でできてる。
着替えを済まして、僕は外に出る。
「似合うわ。」
ロイサは笑った。僕は照れる。
「まるで元は貴族だったみたい。ぴったりよく似合うわ。」
「・・・あ、ありがと。」
僕は引きつったまま礼をいう。
「で、どうするの?これから。」
「それ、連れてきてから訊くんですか。」
「ふふ、だって楽しそうだったから。」
「・・・これから・・・ここに来て泊まっていった人間のリストみたいなものがないか、探そうと思ってま
 
す。」
「・・・誰か人探し?」
「ちょっとね。」
「そう。私のお父様ならなにか知ってるかもしれないわ。」
「お父様?」
「私はここにお父様に会いに来たの。よかったらあなたも会っていく?」
ロイサは僕の手をとる。
僕はどきっとする。
「あ・・・でも。」
「お父様なら、なにかそういうリスト知ってるかもしれないわ。」
「・・・うん。でも・・・僕なんかが会いに行って問題は・・・」
「ないわ。」
キッパリ言い切った。

「家族が久しぶりに会うとか、じゃあないんですか?」
「そうだけど、別に。そういうのはかまわないわ。同じよ。」
「・・・じゃあ・・・。」
「よかった。あ、あなたは私の友人ってことね。旅先でであった貴族の息子。いい?」       
   _
「はい。」
「それと。」
ロイサは指を僕の胸にさす。
「かしこまって話すの、必要ないわ。」
「・・・・・・・・・・うん。」
僕は笑った。その指で僕の心臓は揺れ動いた。


46,
「いままで何処に?」
お酒は二杯目だ。
「この辺りにいたよ。勿論じゃないか。」
「・・・で、今宵もこんな風に庶民にまぎれて夜遊びですか。」
「呆れないでくれよ。傷つくだろう。」
セツは笑ってみせた。
「セツは。今まで何処にいた。」
「・・・西にいました。」
「都に?」
「いいえ。・・・其処までは、戻れません。」
「・・・うん。それで?」
「今は、さがしています。」
「何を?」
「ラピス・ラズリを。そのためのスペルを。」
セツは睨むようにクシスの目を見つめた。
「伯爵。」
「・・・今その称号で呼ぶのは勘弁してくれるかな?」
にこっと笑った。
「それは、失礼しました。」
「それじゃあ、これは2周目ってことだ。」
「・・・そうですね、多かれ少なかれ。」
「変化はあった?」
「・・・さして。」
お酒を飲み込む。一瞬喉が焼けた。
「なにかしりませんか、スペルについて。」
「スペル、ねぇ。」
うーん、とうなってみせた。
「君の師はどうなんだい?」

「・・・探そうと思っていたところです。」
「奴ならばきっとなにか手を貸してくれるんじゃあないかな?」
「でも、どこにいるか。」
「何週間か前、アルブで会ったよ。」
「アルブで?」
「何処にいく、とは訊かなかったけれどね。奴は奴でなかなか忙しい。」
「・・・アルブに戻ってみます。」
「そうするといい。さぁセツ。再会の祝いだ。今日は飲もうじゃないか。」
セツは頷いて、3杯目のお酒をついだ。


47,
「あの人に会いに行くんだね。」
「うん。」
「恥じているね。」
「私が?」
頷く。
「だってあの人はセツの一部分を知っている。それは滅多に表に出てくることのない部分だ。君はあの時その
部分を剥き出しにした。してしまった。それを少し悔いただろう?」
「・・・。まあね。」
「君の指に不器用なピアノだけでなく、武術というオプションを加えた人間だ。」
「そして、共犯だ。」
「そう。」
彼は満足そうに笑った。
「共犯だ。だから、君は彼の塔だけは切り離さない。」
「・・・そうだ。」
腰の短剣に触れる。右手はピアノのコードを奏でた。
「本当は、その指。傷だらけなんだよね。」
「・・・・指は。」
「何度も傷がついた。本当はボロボロだ。ピアノなんか上手く弾けるわけもないほど。」
「・・・今でも時々は痛む。」
「君が無理をした結果だからね。」
「自業自得って言いたい?」
「まあね。」
セツはため息をついた。
「あの人はすぐに見つからないと思う。」
「あの人がすぐに見つからないと願ってる。」
「・・・どうしてそういう。」
「いっただろ?」
にらんだ。
「でも、あわなくては、いけない。私は後ろには戻れない。」



48,

「お久しぶりですお父様。」
ロイサは軽くお辞儀をした。
「長旅、つかれただろう。ロイサ。よく来たな。・・・そちらの者は?」
「あ・・・・。」
僕は上手くまわらない口が恨めしい。
「こちらの方は旅の途中で出会った友人です。南のババラの貴族のご子息なんです。彼は学術旅行をしていて、
尋ね人がいるからということでお父様なら何か知ってるかと思いまして、連れてきたんですわ。」
「スピカともうします。お会いで来て光栄です。公爵。」
公爵は微笑んだ。ロイサがこんなに位の高い貴族の娘だとは思っていなかった。
「それで、君は誰を探しているんだね。」
「名前もわからない人間です。」
「名前も?」
「ここに、おそらく、この辺りに何年か前に留まったことのある人間です。」
「それは、大分あいまいな絞り方だね。」
「おそらく、貴族です。それも、ここに泊まれるような。」
ここに、ピティに。あの人と共に。
「15、6年前。もしくは17年前。」
「ふむ。」
「公爵は、なにかリストのようなものをご存知ありませんか?」
彼は少し考え込んで頷いた。
「記録は残っていよう。」
「記録。」
喉から手が出る。
「ここに滞在する前にサインをする決まりになっているからね。ただ、それは私の手元にはない。」
「・・・・・・・そうですか。」
「きいて見よう。」
「・・・え?」
「明日の朝、ここの管理者に尋ねて閲覧させてもらえるように聞いてみよう。」
「ほ・・・本当ですか?」
「あぁ。君のような若者が単身で探しているという事は、君にとっては本当に大事な事なんだろう?」
僕は頷く。彼は微笑んだ。
「ロイサ。」
「はい。」
「彼にピティを案内してあげなさい。また夕餉であおう。」
「はい。お父様。」
ロイサは立ち上がって僕を見た。僕も立ち上がる。
「君も。」
彼は僕を見る。

「ぜひ夕餉に招かれてくれ。」
「・・・はい。ありがとうございます。」
僕は礼をした。そしてロイサと一緒に扉を出た。
心臓は、ドクドクいっている。血液が流れる。コレは、僕の血だ。僕だけの血だ。


49,
セツは、ふっと息をついて、アルブの町を見下ろした。
戻ってきた。
クシスと別れてセツは真っ直ぐアルブへの道を引き返した。あの人に会うために。
スピカはまだ居るだろうか。考えたがすぐに頭からかき消した。アルブは広い。住民もそこそこ多いほうだ。
もう会うこともないだろう。
町に入り、並ぶ武具の店をみつめながら歩く。武具はいらない。この腰に刺さっている短剣だけで充分だ。こ
れ以上のものも、これ以下のものも必要が無いのだ。
あの人は、どこにいるだろう。これはスペルを探すのとおんなじ位難しい気がした。彼は動き回る人間だし、
人に聞いたって情報は煙の中だろう。指がうずいた。
とりあえず、彼が行きそうな場所に足を運ぶ。
一つ目に入ったのは、暗いバー。彼は騒がしい場所を好まない。一人、孤高が似合う人間だ。彼の姿は見つけ
られなかった。すぐにそのバーを出て、次に向かったのは、彼が泊まるであろう場所。野宿をしているところ
しか見た事がないが、野宿をするなら、彼はどこを好むだろう。考える。
そして、向かう。夕闇が、夜の明かりを映えさせる。セツは、不思議な色のスカーフをたなびかせて足早に歩
く。その都度短剣は揺れる。
「おい兄ちゃん!」
足を止める。そして振り向く。
「何をそんなに急いでるんだい?」
「・・・・別に。」
厳つい男がにっと笑っていた。そこは広場。人が何人か集まってわいわいやっている。
「兄ちゃん、腕試し、やってかねぇか?」
セツは、じっとそいつをみつめた。
「懸賞金300!この男が相手だ!」
この男、と呼ばれる男をセツはじっと見つめる。なるほど。腕比べの試合。それに伴う民の賭けか。ここも変
わってない。武民の町。こういうのは日常茶飯事だ。
「・・・勝てば、300?」
私、は消える。
「おう!やるかい?」
細い身なりを見て、笑った。
「武器は?」
「ここはアルブだぜ!ルールはない!負けを認めたほうの負け!」
「御尤も。」
セツは、頷いて歩きだした。
その瞬間、その前の挑戦者は転がってまけた。

さぁ、俺、だ。


50,
昨日の夕飯は、ものすごい量がでた。こんなにいいものをご馳走になるなんて、思ってもなかった。
僕は、朝、心臓が暴れているのを感じた。リスト、見せてもらえるのだろうか。一歩大きく近づく。一歩大き
く近づくんだ。
「スピカ。」
ロイサがひょいとやってきた。
「うわ!」
僕は飛びはねた。
「あら、ごめんなさい。気分はいかが?よく眠れた?」
「あ・・・うん。ありがとう。」
にこっとロイサは笑った。上品に笑う女の子だ。
「朝食、お父様がご一緒にって。」
「・・・あ、ありがとうございます。」
「いきましょう。」
その朝食も、ものすごい豪華だった。食べ切れないと思った。
「昨日のリストの事だが。」
ドキッとした。
「1日待って欲しいと言われた。」
「・・・じゃあ・・・。」
「あぁ、明日おそらく閲覧できることだろう。それまでここに滞在できるかな?」
「はい。時間には余裕があるので・・・・。」
「それはよかった。ロイサも喜ぶだろう。」
ロイサは笑った。二人はよく似ていると思った。人がいいこともだけど、笑い方が。
「お父様、今夜、バルガの広場で腕比べがあるらしいですわ。」
「あぁ。今夜もかい。」
「なんでも王宮で仕えていた騎士がでるらしくって。面白そうじゃありませんか?」
「アルブの武民かい?」
「おそらくは。」
ロイサが紅茶を飲みながら言った。
「見にいってもかまわない?」
「うーん。・・・危ないだろう。」
「ちゃんと建物の中から見ますわ。」
「あぁ・・・。構わないよ。スピカ君と行ってきなさい。」
「そうこなくっちゃ。アルブの名物ですもの。バルガの腕比べは。」
ふふっとロイサは笑って、僕を見た。
「大丈夫よ。近くの塔から見るから。ちゃんと人も付けるしね。」
「あ・・・・うん。」
ロイサは、随分好奇心旺盛なお嬢様なんだと、改めて思った。
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