51,
「セツ。また、その短剣を使うんだね。その、君の黒い記憶の一部に突っ込んでいくんだね。彼女の涙を思い
出すその短剣で、切り込んでいくんだね。脳に刻み込まれた彼女の言葉を思い出すその短剣を持って、宙に飛
ぶんだね。その言葉は君の体を覆ってはなれない。君の身体を動かすし、君の心を固めてく。僕は知ってる。
君の頭の中を空っぽにする方法。それは、こんな風に戦うことと、それから、ピアノを弾くことだ。そうする
事で、憎む事も、全部忘れるんだ。」



52,
歓声が沸きあがった。
息は切れている。やっとどこかにいっていた自分の芯の意識が帰ってくる。誰かが、多分さっきの男だろう、
セツの腕を持ち上げて何かを叫んでいる。歓声が耳を劈く。でも、何も聞こえない。言葉何も聞こえない。自
分の息の音がはっきりと聞こえてきた。バラバラになっていた自分が結合して行く。頭が妙に冴えてくる。
「兄ちゃん、名前はっ?」
興奮気味に男が聞く。
「・・・・・セツ。」
呟く。声が出た。息は切れているけれど、自分の喉から声はちゃんと出た。
「今夜の腕比べは、このセツが勝者――――!」
わぁぁぁぁと歓声。大きな盛り上がりをみせる。
男を、倒した。厳つい男で、剣の腕はなかなかのものだった。全力でぶん殴り、戦った。
彼は息をしている。何人かの人が彼を運んだ。ぬるっとついた彼の血。こすった事によって顔についた。
色んな人がセツを取り囲んで、褒め称えた。そしてどさっと懸賞金を手渡された。たいした額じゃない。ナイ
トオリンピアのに比べたら、何十分の一以下だ。
セツはゆっくりと、短剣についた血をふき取ってそれを鞘におさめた。もう大分息もおさまっていた。荷物を
広い上げてセツは歩きだした。
行かなくてはならないから。あの人を探しに。こんなところで、戦ってる場合じゃなかった。
だけど、避ける事も、出来なかった。
それは、それは、とても汚い理由で。
「セツ。」
心臓がドキっとした。ゆっくりと顔を上げる。息を呑んだ。
あぁ。この声は。
「・・・・ルク・・・・・・・。」
先生だ。



53,
塔の上。僕は息を呑んだ。
「セツ・・・・っ。」
セツが戦っている。男相手に戦っている。

「・・・・どうして・・?」

「どうしたの?」
ロイサが尋ねる。
「あ・・・いや・・・あの。あの子。」
指をさす。
「・・・あの方?・・・あぁ!覚えているわ!あの紳士な殿方ね!あなたと一緒にいた。」
頷く。
「名前は・・・確か、セツ・・・?」
頷く。
「どうして・・・・。」
僕は、それしかいえなかった。だってセツはこの地を去ったはずだ。僕とあっさり別れて、この地にはもうい
ないはずの人間だ。それがどうして此処で、戦っているんだ。
なにより、セツの戦いをみて、初めて光の中で見て息を呑んだ。その動きはしなやかで、そして速い。そして
それは殺人的で、美しい。女の子とは思えない強さだった。強い。時々殴られた。剣がきわどいところで振舞
わされる。心臓が何度縮んだだろう。
相手の男が倒されて、僕はほっと息をつく。セツを女の子と知っているのは、僕だけだ。ロイサを始め、ここ
にいる全員がセツの事を男だと思っているだろう。セツは周りから祝福や歓声を受け、荷物を拾いあげて、賞
金を手に持ち、去ろうとする。
「強いのね彼は。もしかして、アルブの親を持っていたりするのかしら。イルルの生まれだと言っていたけれ
ど。」
「・・・知らない・・・けど。セツは強い。」
弱いだなんて、誰がいえるだろう。
セツを目で追い続けると、セツの前に黒い長い髪の男が立ちはだかった。夕闇でよく見えないがおそらく武器
を持っている。どきっとした。セツが立ち止まったからだ。暫らく硬直していたが、セツはその男と共にその
場を去っていった。だんだん見えなくなる。だんだん胸がしまる。ぐぐっとしまる。セツは一体此処で何をし
て居るんだ?僕と別れて一人、消えたと思ったら、ここで戦ってて、黒い男についていってしまった。セツの
事がわからない。
「・・・スピカ。彼とは一緒にいたのよね?」
頷く。
「今は行動を共にしていないの?」
「・・・うん。最近、行ってしまったから・・・。でもここに居る。」
「意外なこと?」
「・・・意外・・・。」
ロイサはじっと僕を見た。
「なんだか、恋人にふられてしまった人のような顔をして居るわ。」


54,
「また、こんな所で寝泊りしてるのか。」
「あぁ。」
彼は頷いた。セツはどしっと腰を落とした。町を出てすぐにある森の中。

「久しぶりだな。」

「あぁ。」
彼は頷いた。そしてマッチで蝋燭に火を灯す。
「あんなところに居るなんて、思ってもみなかったよ。」
「俺もだ。」
セツを見た。
「あんなところでお前が腕試しにでてるとは夢にも思わなかったよ。」
「・・・・・・・・見たんだ。」
「見たから呼び止めたんだ。」
それはそうだ。
「探してたんだ。あなたを。」
「・・・それは珍しい。」
「長い話がある。」
「・・・お前はいつも長い話を持ってるんだな。」
彼は、ふっとため息をついた。黒い長い髪の毛。鋭い眼は、まるで獰猛な鷹のようだ。名前はルク。セツに、
武道を教えた、師匠だった。
「スペル?」
話し終えたセツに、ルクは繰り返した。
「何か、知らないか。」
「・・・・・・・スペル・・・な。」
呟いた。セツの目は真剣で、ルクを刺す。
「一人では見つけられないものだ。」
「・・・いわれた。」
あの野党。まっとうなことを言っていたんだ。
「それで、俺を探していたと言うことか。」
「そう。」
沈黙。彼の影を目でなぞる。黒いその姿は、グランドピアノのようだ。
「セツ。」
「・・・はい。」
「ラピス・ラズリは、絶対に必要なものか?」
「えぇ。」
「完成が、欲しいのか?」
「えぇ。」
鋭いその眼は閉じられた。目を閉じた彼は、暫らく口も閉ざす。
「・・・・・・・ルク。」
沈黙。
「私は、強くなったかな。」


55,
「なんなんだ、ここは。」

彼は呟いた。

「ここは、混沌だ。」
セツは答えない。
「どうしたのさ、セツ。ねぇセツ・・・っ!」
「うるさい。」
ジャーン!
ピアノがなった。彼は、眉間にしわを寄せた。
「その短剣。・・・これ以上使わないほうがいい。」
「・・・黙って。」
ドスの聞いた声。苦しそうな声。
「そんな風に闇に飲み込まれてしまうなら、そんなもの、捨てたほうがいい。」
彼は必死に訴えた。
「いつもなら・・・こんな風にはならない。問題ない。」
「・・・あの人のせいだね。」
彼は、眉間に深いしわを作る。
「その短剣を使った直後に、あの人が現われた事は、君にとって脳を揺さぶりすぎることだった。」
彼は辺りを見渡す。部屋がごちゃごちゃになっている。ひどい有様だ。
「君は、・・・本当に弱い人間だよ。」
「うるさいな。」
「その闇を消したくて、もがけばもがくほど、ラピス・ラズリをもとめたって・・・蝕まれるだけだ。」
「黙ってくれ!」
バン!
ピアノを殴ってしまった。
セツの顔は、見えない。ふるえている。
「今、落ち着くから・・・。」
声がふるえている。
「今、ちゃんと立ち上がるから。ちょっと時間を頂戴・・・。」
彼は沈黙した。今にも泣きそうな顔をして。
「彼が来るよ、セツ。ここに。」


56,
朝、公爵からリストの本を手渡された。
「館外持ち出し禁止だから、此処でみて私に返してくれたらいい。」
「ありがとうございます。」
喉から手が出るほど欲しかったものだが、僕の頭はその他のことに囚われていた。
僕はその本を開く。大きくて分厚い。まるでレンガのような本だ。
ゆっくりとページをめくる。そしてメモを書き取る。知っているような有名な名前も多々ある。貴族や、騎士。
僕はページをめくる。注意深く目を通す。
「・・・・・・・あった。」
心臓がしまる。
「・・・・11月11日から・・・11月・・・・これは・・・、24日までか。」

僕の筆はサラサラとすすむ。インクが滲む。
「思ったよりも多いな・・・。」
すっかり写し取ってしまってから、またじっとその本に目を通す。こんな機会は他にない。
「・・・もう一つあった。」
同じ様に書き写す。右手が痛むほど速く。
僕は全てを終えて、息をつき、立ち上がって、公爵の元にむかった。
「スピカ!」
ロイサが後ろから声をかけた。
「終わったの?」
「うん。」
微笑んで返す。
「そう。ねぇスピカ。今夜、外に出て行かない?」
「・・・外?」
「えぇ。とても素敵な場所があるのよ。王様がここを訪れた時、必ず通っていたところなんですって。」
「へぇ・・・どんな?」
「一種の舞踏会みたいなもの。此処から近いわ。オウィハという舞踏館よ。」
「うん。行く。」
僕は微笑む。
「よかった。お父様もいらっしゃるから。今夜は私たちのアルブ最後の夜だから。」
「そうか。じゃあ、僕も明日には此処を出なくっちゃいけないね。」
「そう。それで言おうと思ってたの。私たちはカザンブールに帰ってから都に行くの。もし暇があるのなら一
緒にどうかしら?」
僕は沈黙してから微笑む。
「そんな、悪いからいいよ。」
「悪くなんかないわ。あなたがいれば私も楽しいもの。」
僕は首を降る。
「僕はもう少し探さないといけないから。」
「・・・そう。それは残念だわ。」
ロイサは残念そうに微笑んだ。
「スピカの探している方ってどんな方なの?よければ私も手伝うわ。一年中あちこちいっているから。」
「ありがとう。でも、僕にも本当によくわからないんだ。ヒントがあまりにも少ない人を探しているから。」
「そう。・・・しかたないわね。」
「だけど、貴族だと思うんだ。」
「あら、だったら私、いつか役に立つ事があるかもしれないわね。」
ロイサが一度部屋に引っ込んですぐに戻ってきた。
「連絡先を教えておくわ。もし何かあったら手紙をよこして頂戴。」
紙が手渡される。
「ありがとう。」
僕は微笑む。




57,

朝。手合わせを拒む。
「ルクにはまける。」
「手合わせせずに何がわかる。」
「見たんでしょう。私が戦っているのを。」
「見た。」
「だったら答えられるはずだ。」
昨日の問に。答えてくれなかった問に。
「あれがお前の精一杯か?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「だとしたら、お前はあの時から変わっては居ない。」
セツは頷いた。
「もっと強くなるには、どうしたらいい。」
彼は黙った。
「もっと。二度と負けないようになりたい。」
―――闇に。彼は呟く。黙らせる。
「ルク。」
「なんだ。」
「もう一度、私を連れて行ってくれないか。」
「・・・・・・・・・・・・。セツ。」
ルクはセツを見る。
「スペルは俺とじゃ見つけられない。」
「何故?」
「俺はお前のスペルを探す役ではないからだ。」
「迷惑ってことか。」
「違う。そういう役割を与えられてない。そういう役割を行なう事が出来ない。」
「・・・・・・・・・それでも・・・。」
「一緒に来たいのか。」
頷く。
一人では見つけられない。だとしたら、一人でいる事ほど無意味なものはない。ルクがその役にはなれないと
言ってたとしても、可能性はゼロじゃない。無理だと言われても、1%の可能性には飛びかかっていきたい。
「・・・・わかった。」
「ルク。」
セツは、ルクをにらむように見た。
「全部消してくれ。」
全部。書きなおしてくれ。セツはうなだれた。ルクは、黙ったまま彼女を見てた。



58,
セツはゆっくりと目を開けた。

目の前にピアノがある。ほっとする。思いっきりぶん殴ってしまったが、傷はついてなかった。     _
「落ち着いた?」
彼が問いかける。黙ったままセツは頷いた。
「知ってると思うけど。」
彼は呟く。
「君は、ひどく精神不安定だ。とくに、今。」
「・・・・・・。」
「それはこの塔の中、僕の前だけだはなく。民の前でもだ。」
「しってる。」
「また、弱みを見せたね。その部分を、見せたね。あの人に。」
セツは黙る。
「また、恥じているね。セツ。」
「・・・・・・・・うるさい。」
「でも、壁を作る事も出来てない。」
「・・・・できない。」
「そう、できないから。だって君は彼の事を信頼している。甘えてしまうくらい。」
「・・・・認める。」
「だけど、その甘えは、きっと君の塔に反する。それで君は苦しむ。」
「しってる。」
セツは、ため息をついて、ピアノに触れた。
「音、鳴らしてごらん。」
ポーン。音を鳴らす。
「気持ち悪い。」
「ずれたからね。調律が。」
「・・・・・調律、しなおさなくては。」
「うん。いつものように、完璧に。それは一寸の誤差もなく。」


59,
きらびやかな世界だった。僕は天井を見上げてあっけにとられる。
「素敵でしょう?」
ロイサが笑って手をひこうとする。
「あ。」
僕はロイサの手をひいて、前を歩いた。
「あら、紳士ね。」
僕の顔が赤くなる。ロイサは笑った。
沢山、着飾った貴族が居る。僕は、縮こまってしまった。
ロイサは、公爵と共にその貴族達に挨拶に行った。僕は、一緒に行く事を断った。
断らずにはいれなかった。
しばらくたって、ロイサが僕の元に戻ってきた。
「あぁ、疲れた。」


「お疲れさま。」
「こういう堅苦しいのが一番疲れるわ。」
「あはは。」
ロイサは貴族らしくないことを言う。
「じゃあ、ダンスもお嫌いですか?」
僕は聞いて見る。
ロイサは一瞬驚いたがふわっと笑った。
「いいえ。とても好きですわ。」
にこっと僕は笑って彼女の手を引き音楽の前に踊り出す。そしてそのワルツに合わせて体を揺らす。    
_
ふふっと彼女は笑った。
「すごいわスピカ、どこで習ったの?」
「どこだったかな。」
笑った。すごく久しぶりだった。
だけど忘れてない。
一通り曲を終えて疲れた僕らは、飲み物を片手にテラスに出た。
「やっぱりスピカと居ると楽しいわ。」
ふふっと笑ってロイサは言った。
「なんだか、昔から知っているように思う。」
「・・・僕も。」
素直に言った。くどき文句でもなんでもなく。
「だから初めて会った時、馬車に誘ったの。お話がしてみたくて。」
「じゃあ、いつも乗せるんじゃないんだ。」
「そんなことしないわよ。極たまにしかしないわ。」
「たまにはするんだ。」
笑った。
「また会いましょう。スピカ。」
「うん。また、会おう。」
「探し人、見つかるといいわね。」
「・・・ありがとう。」
だけどその時は、きっとまだ、随分先だ。


60,
「あ。」
セツが声を漏らした。
「どうした?」
「・・・知り合いが居ただけ。」
「知り合い?」
ものめずらしそうにルクはいった。そして見上げる。
「・・・オウィハじゃないか。貴族に知り合いが・・・?」
「うん。」


セツは歩きだす。
「あのテラスのか?」
「そう。」
「二人とも?」
「二人とも。」
ルクも歩きだす。
「声をかけなくてもいいのか?」
「いい。」
スタスタあるく。スピカと、もうひとりはロイサだった。
なぜ二人が一緒にいるか、そんなことは知らないが思いもよらないことだった。
オウィハという舞踏館の二階のテラスにいることが。
「ルクは、ああいうとこにはいかないのか。」
「いかないな。」
「まぁ、武装していたら入れないか。」
「呼ばれもしないしな。」
「本当に?」
振り向く。
「ルクでも?」
「俺は武民だ。貴族じゃない。」
「・・・・・・・・・ふーん。」
「セツ。」
「なに。」
「明日から南に下る。」
「わかった。」
頷く。そして近くのレストランに入る。
「ババラだ。」
「・・・なつかしいな。」
席に着く。メニューを開く。
「あそこにも一人、魔女がいる。」
「・・・魔女。」
「いってみるか?」
「ルクは?」
「俺はその間に俺の用を済ます。」
「・・・まだ、傭兵がいるんだ。あの辺りは。」
「他国からのちょっかいが掛かって居るらしい。」
「・・・・・・・・・・・そう。」
夜食べたものは、この前の賞金を使っての大きなステーキだった。



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