知る世界8

キスをした。
どうしてしたか、分からない。
いや、分かってた。
だけど、何故、躊躇いもなくあんなことをしたのか、分からなかった。
自分の中の自尊心だとかモラルのようなものは、もう、無いのだろうか。

子姫は、怯えた目をしてはいなかった。
だけど理解に苦しみ、うろたえていた。
びっくりしていた。
でも、びっくりしたのはこっちもだった。
「・・・クソ。」
頭から離れない。
寝ても覚めても、頭から離れない。
それは、久し振りの『女』だったからなのか、なんなのか、分からなかった。

暫く経ったある日。
「・・・・あ。」
また、出会ってしまった。
前方から歩いてくるのは、あの少年。銀だった。
こちらは何も言わない。まっすぐ前だけを見て歩いた。無視だ。無視に限る。
「あの!」
なのに、あちらは食ってかかってきた。
「・・・なんだ。」
振り向く。
「あの・・・子姫・・さんの、隣の人・・・ですよね。」
「・・・それが何だ。」
「あの。子姫さんに、近づくの、やめてくれませんか。」
「・・・何のことだ。」
「だからっ・・・。」
震えているようだった。怖いのか。俺が。
「あの・・・!子姫さんのこと、傷つけるようなまね・・・しないでください!」
「・・・傷?」
眉間にしわを寄せてみる。
「・・・あ・・っ。あの・・・つきあってもないのに、ああいうことするのって変です!」
貫くような声だ。言葉だ。
「然さん・・・、ですよね!」
貫く。
貫かれた。
「あの・・・っ!」
「お前は、付き合ってもないのに、こんな風に干渉するのか?」
彼は言葉が見つからないようで固まってしまった。
「気をつけて帰れ。ここら辺だって治安がいいわけじゃない。」
そう言って立ち去ろうとした。
「母さん・・・。」
呟いたようだった。
「母さん、実は今ちょっと体、壊してて・・・。」
震える声だった。
俺は立ち止っていた。立ち止まる気なんかなかったのに。
「あの・・・。連絡先。教えてもらえませんか。」
「・・・俺に関係あるか。」
「あ・・ッ!ある、でしょうに!」
彼は食ってかかってきた。
「ひ・・ッ久し振りだから、わかんなかったけど、然さん!俺あんたと会ったことあるんすよ!覚えてないんですか!」
「覚えてない。忘れていた。」
「・・・ッあの!」
腕をがしっと掴まれていた。
振り返れと、そう言っているような掴み方だった。
「俺・・・ッ、難しい事情とか・・・わかんないけど。でも、こういうことってどういう関係になったとしても絶対必要なことだと思います!」
「・・・必要・・・?」
笑えてきた。だが、笑わなかった。
「連絡先。子姫ちゃんに聞けば、分かりますか。」
「・・・あいつには何も教えてない。」
「・・・な。のに、あんなのことするんですか。あんたは。」
「関係ないだろう。」
「ある!」
怒っていた。子供の目だ。
「俺・・・ッ、あんたのこと、嫌いだ!」
ばっと、腕を放して銀は走り出した。
その背中をなぜか見えなくなるまで眼で追っていた。


カシュン。
ビールを開けた。
あの夜、結局手をつけなかったビールだ。
明日は非番じゃない。だけど呑まれてしまいたかった。
呑み込まれて、そして堕ちて行ってしまいたかった。
ピンポーン。
「・・・。」
無視しよう。そう思った。苦い液体を飲み込む。まったく美味しくなかった。
ピンポーン。
ピンポーン。
ピンポーン。
立て続けに要求する。出て来い、と。
舌打ちをして立ち上がった。
ガチャン!
「あっ・・・。」
驚いた声。
「・・・なんだ。」
「あ・・・。あの。」
怯えたような眼だった。
「あの・・・だ・・大丈夫ですか?」
「・・・なにが。」
「あの・・・だって・・・さっきすごい音して。部屋に入っていったから・・。」
少しずつ紡ぎだされる声。
「何かあったのかなって・・・思って。」
「・・・それで、こんな夜中に俺の部屋に来るのか。君は。」
「先生・・・正峰さんだって・・・来るじゃないですか。」
「先日俺が何したか覚えてないのか。」
「お・・・ぼえ・・てます。」
彼女は下を向いた。
ふいに、ドアを支えていた手を放し、細い腕をつかんだ。
ガチャン。
ドアは閉じられた。
少女を一人。飲みこんで。

俺は『女』が嫌いだ。

柔らかくて、折れそうな細い体に、どろどろしたものや鋭い牙を隠している。
大嫌いだ。
大嫌いだ。
こんなものは。


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