知る世界4

「なぁにその顔は。」
木下が覗きこんできた。
「寝不足か?もともと殆んど寝てないような奴が・・・。」
「五月蠅い。仕事しろ。」
「残念、俺も休憩でーす。」
こんな医者がいて良いと思うだろうか。
「で?なにその顔。」
「別に、寝てないだけだ。」
「・・・・・・・・・・・・。ついに」
「気持ち悪い想像するな。」
「スミマセン」
ため息をついた。
最近、寝ていない。
考える事が多すぎて、埋もれる。
「で?あの子は?子姫ちゃん。」
「子姫か。」
彼女は、今でも時々苦しそうにしている。
夜中に出会うことはなくなったし、壁をぶん殴ることもなくなった。
毎日学校にも行っているようだ。
「知らん。あの日以来顔を合わせていない。」
「へぇー。お母さんは?」
「来ない。来ても俺は普通の時間にはあそこに居ない。」
「そうだねぇ。」
木下は自動販売機でコーヒーを買うと、横に座った。
「っていうか。・・・あの後子姫ちゃんのところに行ったんだ。」
「・・・・・・・・なんで・・・」
言いかけて気付く。
「なんでもくそも、甘いね然。お前絶対二股できないタイプだよな。」
「・・・。」
「あの日、然は子姫ちゃんには会ってない筈だもんね。」
「・・・やかましい。」
「お前。・・・よかったな。」
「・・・・・・・・・。」
木下が、あまりに穏やかに笑うので、苛ついた。
「勘違いするな。」
立ち上がる。
「俺は『女』なんか、愛さない。」
「・・・『男』ならいいの?」
殴った。

「・・・あ。先生。」
足を止めた。
「こんばんは。」
「・・・あぁ。」
「今日、早いんですね。」
「あぁ。」
彼女は沈黙して、俯いた。いちいち髪の毛が揺れる。
「あの・・・。この間。ありがとうございました。」
「なんのことだ。」
「・・・先生が言ってくれたこと。」
「何か言ったか。」
「・・・言いました。」
彼女の顔が赤くなってるのが見える。震える声を、搾り出しているのが分かる。
「・・・ありがとうございました・・」
「礼を言われるようなことは、言っていない。」
彼女の横を通り過ぎようとした時だった。
「あの・・・!」
彼女は顔を上げて、真っ直ぐこちらの目を見た。
「俺に救われただなんて、間違っても思うなよ。俺は、君を興味本位で見ていただけだ。」

貫くような、その光を眼の中に見た。
だからその光を、すぐに掻き消そうと、こんな言葉を吐いた。
そしたら。

そしたら、彼女がまとう うっすらとした暗がりと、ぼんやりとした光が、眼に焼きついてしまった。

分かっていたのに。
彼女の儚さも。不安定さも。
初めて話したあの日から、もう何ヶ月か経った。
それらを理解するには十分過ぎた。
発作的にやってくる情緒不安定も。息が切れ苦しんでいるのも。倒れるように床で眠りについてるのも。
細い身体は、もう、やつれていると言った方が正しい。
だから、突き刺せば、きっと倒れることも知っていた。
今までの俺に、何を言われたって、関係なかっただろう。
だけど、この間。
「・・・莫迦な事をした」
部屋に入ってから、酷い後悔が襲ってくる。
さっきの言葉に対する、ではなく。
彼女に関わったということに対して。
求められた手を、不用意に握り返して、結局途中で怖くなって、投げ出した。
そんな風にするのなら、初めから関わらなければよかったのに。
なのに、あの日の彼女を、ずっと忘れられなかった。

闇の中でもがく彼女は、息を呑むほど、美しかった。

こういうのを、いわゆるサディストというのだろうか。
きっと、今夜も壁は鳴るだろう。彼女は倒れるだろう。
分かっているのに、そうしてしまった自分を、責めるべきなのだろうか。
時間が流れた。夜が深まり、音が消えていく。
「・・・・・鳴らないな。」
時計に目をやった。壁は鳴らない。何の音もしない。
「・・・・」
身体の芯がぞっとした。壁を見つめる。
「・・・・阿呆。」
髪の毛を掻き上げ、立ち上がった。

「子姫!」
ガタン!半ば飛び込んでいた。中はいつも通りの暗闇だった。
「子姫・・・」
息を呑んだ。
白い。白いシーツの上に転がっている、白い人形を見つけたから。
全身から血の気が引く。同時にざわつく脳。
「・・・おい。本当に阿呆だったのか、君は。」
手を伸ばした。触れるのが怖い。だけど触れたいとも思った。
「・・・子姫・・・。」
「ぅ」
「!」
髪に触れるか触れないかの瞬間で、彼女は声を出した。
「・・・生きて・・・」
「う・・・わっ?せ・・先生!」
びっくりして、思いっきり起き上がった。
「ど・・・どうして此処に・・・っ」
「・・・はぁ・・・」
深いため息が出た。彼女はびくっとしておそるおそる俺を見上げた。
「あの・・・っ」
「君が・・・」
「え?」
「死んだかと思った。」
「・・・・・・・・・。」
彼女は黙り込んだ。真剣にこちらを見上げている。
あぁもう。見るな。
真剣に莫迦だろう俺は。早とちりして、勝手に女のこの部屋に上がりこんで。
「・・・心配させて・・・すみませんで―――」
ぼろっと、その瞬間に彼女の眼から、涙が落ちた。
「何故泣く。」
動揺した。
「違・・・。えっと。」
ばっと顔を伏せて、細い指で眼をこすった。
「・・・き・・・らわれてしまったと・・・おもっ・・・」
涙を堪えながら、震える声で呟く彼女は。
「ごめんなさい・・・先生に・・・縋って・・・甘える気なんて・・・なかったのに」
一生懸命涙を抑える彼女は。
「勘違いして・・・ごめんなさい・・・恥ずかしい・・・」
どうしてだろう。
目眩がするほど、綺麗だった。

勘違いしてたのは、俺のほうだ。

彼女のことを、勘違いしていたのは、俺だった。
彼女を唯の壊れかけた人形のように思っていた。
酷く曖昧な境界線の上をゆらゆら歩いているようなそんな剣呑な存在だと思っていた。
弱く、儚く、そして狂った少女だと。勝手に思っていた。
莫迦か、俺は。
此処に居る一人の少女は、生命を自ら絶つような真似をする人間なんかじゃなかった。
必死で、恐怖と戦ってそれでもずっと生きてきた女だった。
弱いんじゃない。そうじゃない。
違った。
「泣くな。」
「は・・・はい!」
大きく頷いて彼女は眼を再びこすった。
真っ赤になった顔が、こちらを再び見上げた。
「あ・・・りがとうございます。」
強いじゃないか。
勘違いした自分が恥ずかしくて、立ち上がった。
「あっ・・・」
ぐいっとシャツの袖を引っ張られた。
「・・・なんだ。」
「・・・待って」
なんなんだろう。この。
「もうちょっと、話がしたいんです・・・!」
この、感覚は。

容赦なく、何かに魅かれていることに、本当は気づいていた。


「おっはよう然!」
「・・・木下か。五月蠅いな、朝から。」
「うわぁ!酷い!」
頭が痛む。
「今日も寝不足かいっ。」
「あぁ。」
「そうかそうか。」
「アレに会った。」
「そうかそう・・・・・へ?」
「昨日はアレに会った。」
「・・・って。子姫ちゃん?」
頷く。なんだ。その反応は。
「へぇぇ・・・で?」
「俺の勘違いだった。」
「は?何が?」
「なんでもない。」
「い・・・言えよぉ!歯切れわりぃ!」
「・・・アレは、弱い少女なんかじゃ、なかった。」
「・・・・・・・・・・・。」
木下は黙った。
「・・・なんだ、言ったらいったで反応無しか。」
「ははっ。」
にかっと木下は笑った。苛っとした。
「よかったなっ」
だから殴った。

「いでぇ!!!!」


・・・どうしろと言うのだろう。俺に。
昨夜。彼女の話を聴いた。
一粒の涙を流すことなく、彼女は話した。
あの、母親、を名乗る女の話と寸分違わぬが、彼女は、あの女性を自分の母親だとは信じていないようだった。
俺は何も口を出さず。ただ頷いて話を聴いていた。
「怖いんです。」
彼女は俯いて言った。
「自分が何ものなのか、知るのが本当は怖いんです。」
俺にどうしろと言うのだろう。
ただ一つ、理解出来た事がある
。彼女は、愚かではないということ。
本当は穏やかで、しなやかな強さを持っている。そういう女なんだと。
たかだか18歳の少女に見蕩れてしまった。
そんな自分が、愚かだと。気付いた。
 



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