知る世界30

「・・・子姫。」
子姫が立っていて俺はギクリとした。
「こんばんは。」
そう言って一歩近付いてきた。
俺はとっさに後ろに下がってしまった。
「なんだこんな夜中に。」
「・・・実家に行ってきました。」
実家?あの母親に会ってきたのか?
「・・・・・・・・・そうか。母にあったのか。」
「会いました。」
「そうか。」
「はい。」
「それから・・・恭子さんにも。」
恭子?いなくなってしまったのではなかったのか。
「・・・・・・・・何処でだ。」
「帰る途中で。」
「・・・今何処にいる。」
「・・・あの後、家に帰ったみたいです。銀君が途中で来て、一緒に帰りました。」
「・・・そうか。」
銀は、安心しただろうな。
「はい。・・・ねぇ、然さん。」
「なんだ。」
「少しだけ。遠回りしませんか。」
誘われる。
「・・・夜遅い。」
「月が。」
「月?」
「大きいから。宇宙の散歩みたいでしょう。」
「・・・。」
まったく。何を言い出すのか。と思った。

「私、自分のこと、知りました。」
彼女は近くの公園のブランコにまたがって言った。
「・・・記憶を失う前のことか。」
「はい。」
キィ。
鎖の音がする。ブランコが揺れる。
「・・・大丈夫か。」
「はい。」
子姫はうっすらと微笑んだ。
「行って、よかった。ずっと、逃げていたんです。」
「・・・そうか。」
子姫はうなずいた。
「然さん。」
「なんだ。」
「来てください。」
「・・・?」
キィっとこいでいたブランコを止めて子姫は俺を見つめた。近づく。
「どうした。」
「・・・。」
彼女は黙ったまま、俺をぐいっと引っ張った。
「お・・・っ」
そしておでこをぶつけるぎりぎり手前まで俺の顔を引き寄せた。
「・・・。」
近い。だが。触れてない。
「・・・子姫。」
「然さん。私ね。然さんのこと、もう一度知りたい。」
「・・・知りたい?」
「もう一度。然さんのこと、知る必要がある。この感情の名前を、理解するために。」
「・・・名前?」
「・・・うん。」
頷く。
「・・・キスを、してもいいですか?」
「・・・許可を求めるのか。」
「求めます。一応。」
「・・・今更だな。」
ぐっと、その瞬間に引き寄せられて、唇は重なった。
熱い。
心臓がどくっと血を波打たせる。
ぞわっと体を何かの感情が這う。
子姫の指がほほに触れて、引き寄せられる。
俺は、ブランコの鎖にかけていた手をするっと放し、思わず子姫の髪に触れていた。
柔らかい。
子姫は目を閉じたまま俺を抱きしめた。
時々もれる吐息で頭がおかしくなりそうだった。
欲しくなる。
抱きしめたくなる。
壊したくなるほど。
触れたくなる。
「子姫・・・。」
キスが終わって、彼女は俺を解放した。
「・・・然さん。」
「・・・なんだ。」
「好きです。」

感情の名前。

その言葉の意味を、理解できないかった。
「・・・なん・・・。」
言葉がうまく出ない。
「あなたが好きです。」
もう一度、言った。ゆっくりと。
「子姫。」
「私。」
「・・・。」
「もう、逃げません。」
「逃げる?」
「あなたからも。自分の過去からも。逃げない。」
彼女は強い意志をもって、そう言った。
「・・・俺から・・・逃げない?」
「はい。」
頷く。
「今はもう。前よりは、この世界も怖くない。」
彼女はそう言って、ふと月を見た。
「私はあなたを見ます。あなたを、知ります。」
「・・・子姫。」
「然さんも。私のこと。知ってください。」
「・・・知る・・・?」
「私のこと。見てください。」
「・・・見る・・・?」
「抱きしめてください。」
「・・・・・・・っ。」
よろめきそうになる。ここから離れたい。
「逃げないで。」
ぱしっと、その手をつかまれた。
「拒むのなら。そう、答えてください。」

―――然。抱きしめたい?それが救いになるなら。それが、心を埋める行為なら。子姫ちゃんのために。

木下の言葉が耳に浮かび上がる。
彼女が望むのか?それが救いになるのか?それは、俺ができることか?
すべて。
その答えが全てイエスだとしたら。
俺は間違いなく抱きしめたいと、思った。

「それが、好きってことなんだよ。」
木下の言葉が、再び耳に浮かんだ。

 


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