知る世界14

「ボン・・・あ、銀君は何も知らないよ。」
言葉を失っていた。
「・・・。」
そして立ち上がる。駈け出す。
「ちょ、ちょ、子姫ちゃんどこ行くの!」
「帰ります!」
「待って待って、夜遅いから!送るから!」
捕まえられる。
手は痛くない。
「・・・慌てないで。ゆっくり。」
「・・・・・はい。」
正峰さんは人間との距離感を掴めないんだ。手をどれほど強く握ればいいか、分からないんだ。
だからいつも、手に赤いあざが残るくらい、握りしめるんだ。

ピンポーン。
インターホン。
やっぱり無視だった。
木下さんはため息をついた。
「おぉーい!然―!俺だよー木下だよー!いい酒持って来たんだ!開けろ!」
無視。
「こらこら、無視ですか!いいよ!じゃあ隣の子姫ちゃんと飲むからー!」
ガチャン!
「黙れ、殴るぞ。」
正峰さんはそう言って出てきた。
「!」
二人を見て、彼は眉間にしわを寄せた。
「木下・・・。」
「おっと、俺は別件で殴られるから今はやめて!」
「別件?」
「・・正峰さん。」
私は名前を呼んで彼を見た。
「寄るな、と言った。」
「・・・。」
「然!」
木下さんが諌める。
「私・・・。汚くなんて・・・ないです。」
ポツリと、呟いた。
「・・・壊れてるけど・・。壊れてるけど、私。」
あの目が、突き刺さるけど。
「・・・私・・・汚れて・・・ない。」
「汚した。」
彼はそう言った。
「汚されてません!」
声を張ってしまった。
「・・・汚れてるのは、俺の方だ。子姫。」
「汚れてなんかないです。」
涙が出そうになる。
「ハイハイ。」
木下さんがそう言って仲裁に入った。
「いいから。いれなさい然。俺、今日もう帰れないから。終電ないし。」
「・・・もとから泊まる気できたくせに。」
「あれ、ばれた?」
へらっと笑う。
「子姫ちゃん。おいで。」
「・・・え。」
「あ、やっぱりちょっと待って。待ってて。」
そう言って彼は正峰さんの家に入って行った。
しばらくして鈍い音がしたかと思うと、彼は出てきた。
「・・・どうぞ。」
「・・・・・は、はい。」
殴られた顔だった。
「いや、子姫、来い。」
「え?」
後ろからずいと正峰さんが出てきて私の部屋の前に立った。
「鍵は・・・。」
「あ。はい。」
鍵をあげた。
「あの・・・。」
「木下。」
「ん?」
「お前はあとでじっくり、二人だけで話がある。先に風呂にでも入っておけ。」
「・・・は、はぁい。」
ガタン。
ドアが閉じられた。
そしてこちらのドアを開き、私は彼と私の暗い部屋に入った。
「・・・・・・・・・・・・・。」
沈黙。
沈黙。
「・・・あの。」
「子姫。」
「はい。」
「・・・俺から、離れろ。」
「・・・どういう意味ですか。」
「・・・今後、俺に近づくな。」
「どうして。」
「・・・。」
「恭子さんが・・・何か言ったんですか。」
「違う。」
「私。だって。私・・・。正峰さんがいないと・・・。また・・・。」
ぐらぐらした。
ぐらぐら。ぐらぐら。
「・・・また。知らないことに怯える世界に。戻ってしまう。」
ぐらぐら。
「嫌です・・・。」
声がかすれた。
「子姫・・・。言っただろう。俺に・・縋るな。俺は、お前より、弱い。」
「・・・弱い?」
「18歳の女に、縋るような男だ。」
「縋った・・・?」
――― いつ?
無意識に。
頬に触れた。そして、口づけをした。
どういう言葉も陳腐なものになりそうで、だから、唇を重ねた。
彼の体が一瞬だけびくっとした。怯えているようだった。
この人の一体どこが穢れているというのだろう。
汚したとしたら、あの女性だ。傷つけたんだとしたら、あの女性だ。
どうやったらいいんだろう。
どうやったら、全部溶かせる?
どうしたら、この人のこの絶望感を埋められるんだろう。
私が、正峰さんがいることで、怖くないと思えるように。
私の存在で、埋められるだろうか。
ぐっと抱きしめられた。
熱い。体が熱い。頬が熱い。
人間の体って、熱い。
どっちの体が熱いのか分からないけど、熱が確かにそこにあった。

依存という名前かも知れない。この愛情。
 



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