野球少年



夏は暑い。汗が出る。
四球。押し出し。掌の球。握る。放つのは。
「まっすぐ!」

中三、最後の大会は、そこで終わった。


「ショータァ!」
後ろから馬鹿でかい声で呼ばれた。わたり廊下。振り向いた。
「三善。」
にーっと笑って突っ走ってきたかと思うとそのまま抱きつかれた。勢いは3塁ランナースクイズ並み。
もちろん、倒れる。
「おい!お前なぁ!」
「ショータ!お前やったなぁ!」
「はぁ?」
「今度のテスト明け合宿!お前、連れて行ってもらえるぞぉ!」
「・・・・はぁ!?」
「親としては超嬉しいぜ、ショータぁ!頑張ろうな!」
「ちょ、ちょっと、三善!ちょっと待て!」
起き上がる。周りの目線もそろそろ多くなってきたから。
「なんて!?俺!?俺が合宿メンバーに?!何の冗談だ、エイプリルフールならとうに過ぎたぞ!」
「冗談でも嘘でもないよー!今監督に聞いてきたんだからっ!なっなっ!頑張ろうな!」
「か、監督が?!」
信じられなかった。
「なんで俺なんか!」
「お前は一年の中で光ってるってことだぁ!」
「ひか・・・て・・・?」
考える。その可能性は消される。
「違うだろ、だったら青木は!?」
「オッキーは来ないー。」
「・・・なんで、俺?」
「いいじゃんいいじゃんチャンスじゃん!なっ。」
にかっと三善は笑った。なんて輝いた笑顔なんだ。意味がわからないくらいだ。
「・・・が、頑張るけどさ・・・。」
「なに。」
「・・・合点がいかねえんだよ。」
「ガッテン?」
「俺、別に何も大したことしてねぇもん。・・・中学だって・・・いい成績残したわけじゃ・・・。」   
_
「えぇ?強かっただろ?第三中。」


「打撃はね。いつも点数がどっちのチームもばかすか入る試合ばっかだった。」
「へー。でも、やったなー!ショータ!俺ら二人だけだからさっ一年!」
「・・・お、・・おう。うん、頑張ろうな。」
「うぉう!燃えてきた!じゃあなぁ!」
飛行機のごとく去っていった。・・・相変わらずすごいテンションだ。

なんで俺?
頭の中がそれで溢れた。監督に直接聞いたわけじゃない。まだ信じられない。きっと何かの間違いだ。
三善はバカだから聞き間違いってありえると思う。
『チャンスじゃん!』
確かにそうだ。チャンスだ。だけど、なぜ今、自分にそれが与えられたのかが分からなかった。
変化球はうっすら曲がるスライダーだけ。まっすぐは、そこそこの速さってだけ。魅力は、下の上だろう。
一体監督は何を考えてるんだ。
「田原!」
「うわ!はい!」
立ち上がった。
「寝るなよー。P120訳せ。」
「・・・は・・・はい。」
しまった。
顔が赤くなる。顔にすぐ出てしまう。これも悪い癖だ。
「・・・・・・・・。」
ちらっと自分を見た人間が居た。どきっとする。
美河だ。
うっすらと笑ってる気がしたけど、一瞬見ただけでまたそっぽを見てしまった。
ちくしょう。はずかしい。

「なんでって、なんでもくそもないぞ。」
「・・くそも・・・って、監督っ。だって俺、合点がいかないんです。」
「なんの。」
「なんで青木じゃなくて俺なんですか?」
「青木を連れて行ってほしかったのか?」
「そういう・・・わけじゃないけど・・・。だって、俺・・・何も。」
監督はふっと笑った。
「お前に足りないもの。今此処で付けてもらわないと、後々使えないからだ。」
「・・・え?」
「いいか。もしかしたらこれで最後のチャンスかもしれないぞ。」
「・・・え?」
「ショータ。お前、今回でその足りないものに気付いて手に入れなかったら、コンバートだ。」
「・・・・!」
汗が出る。
「いいな。そのつもりで気合入れてやれよ。」
「・・・は、・・・ハイ!」


コンバート・・・。今度はこの言葉が頭を支配する。ポジションを、変えられてしまう。投手を、降ろされて
しまう。ごくんと息を呑む。嫌だ。身体がそう訴えた。きつく拳を握ってた。
嫌だ、俺は。投手が好きなんだ。
自分が大した投手でないことは知っていた。そこらへんに居る、つまんない投手と同じだ。ただ投げるのが好
きな、普通のピッチャーだ。武器もない。か弱いピッチャーだ。それでも中学でレギュラーをもらえていたの
は単なるラッキーだった。人一倍練習する自分を買ってくれた、監督が居たから・・・。
もしかしてそういう事が今ここでも起きてるのか?それはない。この学校は本気で甲子園を狙っているレベル
の高校だ。シードにだって何度もなってる。ここ最近は甲子園にいってはいないけれど。

バシ!
バシ!
白いボールが転がる。肩で息をする。河川敷。
「・・・めだ・・・っ・・。」
座りこんだ。全然、だめだこんなんじゃ。涙が出そうになる。だって全く分からない。足りないもの?なんで
そんな抽象的なこと言うんだよ!もっと的確に。監督だろ!
八つ当たりだ。苛立つ自分にゲンナリした。
「球数。」
はっとした。上から声がした。
「球数。制限した方がいいよ。」
「・・・・み。美河?」
ガードレールにもたれかかって、美河が見下ろしていた。学校帰りか?結構もう遅いぞ。時計に目をやる。
9時半だ。
「聞いてる?」
「・・き、っきいてるよ!」
どもってしまった。
「じゃあ復唱して。」
「・・球数・・・だろ。」
美河が頷いた。
「美河――」
「アサヒでいい。」
すごい速さで切り替えされる。
「・・・あ・・・アサ・・・―――」
間誤付く。女の子を下の名前で呼ぶなんて、久しくしてないからだ。しかも全然喋ったことないのに。
「ヒ、ね。忘れないで。」
「あ、ごめ・・。」
顔が赤くなる。
やべぇ、はずかしい。暗くて良かった。
「冷えるよ。もうダウンして、肩あっためて帰りなよ。」
「・・・え・・・あ、あぁ。うん。ありが、と。」
美河、もとい、アサヒは手を振ってすっと居なくなってしまった。
・・・え、え。美河、・・・アサヒって、この辺りの子だったの?じゃあ、第二?五?
ポカンとしてしまった。


アサヒは、同じクラスの女子だった。ちょっと変わってて、他の女子ともそんなに群れないし、無表情でいる
ことのほうが多くて、すごく落ち着いてて、結構綺麗な顔で。少し目付きの強いつり目が印象的なやつだった。
入学して即行で男子たちの間で話が持ちきりになった。っていうのも、彼女は制服のボタン、2つも開けてた
からだ。そりゃ、目も、いくわな。
顔が赤くなってた。その頬を叩いてからストレッチを始める。
でも一つ、気になった。アサヒ、なんか、的確に助言くれなかったか?野球を知っている人間の言葉遣いだと、
思った。


練習中、上手くいかない。
頭が監督の言葉でいっぱいだった。この許容量の少ない頭を何とかしたい、ちくしょう。
「ショータ!」
「!」
「お前ぼーっとしてるぞ、大丈夫か?」
「も、モトさん。・・・だ、大丈夫っす。」
「そか?ならいいけどさ。」
にこっと、モトさん、もとい金井基晴先輩は笑って行ってしまった。
ぼーっとしてる。確かにそうだ。最近眠れない。考えてしまう。
「はぁ。」
ため息をついた。
「ショータ!」
「うお!」
またいきなり、後ろから抱きつかれる。
「み、三善!お前なぁ!」
「なぁ、なぁ、今日さぁ、化学の教科書貸してくんねぇ?!」
「・・・は?」
「俺、無くしちまったんだよ!やべぇんだテスト!コピーしたいからさぁ。」
「・・・お前、コピーしたとして使うの?」
「使う使う!」
「・・・いいけどさ。教室、取りに行かなきゃ。」
「コンビニでアイス奢ってやるからさぁ!」
「ハーゲンダッツな。」
「ガリガリくんだろ!」
まったく。うらやましい。この三善の頭のからっぽさ。


三善は推薦でここに入った人間の一人だ。強豪中の4番バッター。頭は悪いけど野球に関しては、ことバッティ
ングに関してはピカイチで、高校レベルの球もなんなく打ってしまう怪物だ。他にも推薦組はいるけど、今年は
不作らしくて、あんまり、だそうだ。青木もそのうちの一人で・・・、だから、少しきまずい。
青木は俺と違って豪快なピッチングをする。決め球は3種の変化球。だけどコントロールが特別悪くて、今は調
整中だと監督は言っていた。
「・・・はぁ。」
今日も河川敷で練習しないと。とにかく投げていないと落ち着かなかった。

「・・・暗いな。」
下校時刻を過ぎた今、廊下の電気は自分で付けないといけない。夏が近いからまだ見えるけど、薄暗い。
ガラっと、戸を開けた時、体が固まる。
「・・・・!み・・・っ!」
アサヒが寝てた。何考えてるんだ?今何時だと思ってる?びっくりするくらいナチュラルに机に突っ伏して熟
睡していた。
「あ・・・アサヒ!」
駆け寄った。ほっとくとこのまま閉められてしまう。
「アサヒ・・・!」
揺さぶる。
「?」
あれ、アサヒの肩、なんか・・・。
「誰?」
彼女は低い声でそう言った。目をこする。そしてはっきりと目を開けてこっちを見た。
どきっとする。電気を付けていない薄暗い中、浮かぶ彼女の姿。また。ボタンを二つ外して、ネクタイまで取っ
てる。妙に緊張した。
「・・・お、起きた?早く出ないと閉められちゃうぞ!」
ばっと体を背けてしまった。そして自分の机に駆け寄り化学の教科書を捕らえる。相変わらず重い。この本。
「ねぇ、ショータ。」
「!」
振り向いた。今。今さ、ショータっていった?
「あんた、投手なんでしょ。」
「・・・え・・・?え、う、うん。」
「一日何球投げるの?」
「・・・え・・?日に、よるなぁ。大体・・・目安100ちょっと・・。や・・・それ以上・・・。」
「・・意味あるの?」
「え?」
意味?
「球、放る時、別のこと考えてるでしょ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
固まってしまった。
なんて?
「見ればわかるし、グラブの音きいたら尚更ね。」
「・・・ア、サヒ、何言ってんだ?」
「なんか、迷ってるでしょ。投げるのに。」
ぎくっとする。図星だ。
「そんなんでそんな回数投げたって、消費するだけだよ。体力も、肩も。肘も。やめときなよ。」
「・・・・なんで・・・。」
「何迷ってるの?」
顔を上げた。彼女の眼が、まっすぐ自分を捕らえてる。離さない。
「・・・・・か、監督が、俺に足りないものがあるって・・・。それ、なんとかしないと、コンバートだって
・・・。」

あれ、俺なに話してるんだ。アサヒに言ったって・・・。
「その答え探し、しながら投げてるんだ。」
「・・・で、でも、大体・・・見当は・・ついてる・・・し。」
なんで、こんなにどもるんだ俺。焦る。
「へぇ。何が足りないの?」
「・・・変化球。・・・決め球。」
アサヒは黙ってこっちを見た。下を向いてしまう。
「でも・・・上手い事、いかないし。短期じゃ・・・。」
だからだ。だからもんもんと、ただ投げていた。何度も目をこすった。
「教えてあげようか。」
「・・・・へ?」
「教えてあげようか、フォーク。」
口を開いたまま、言葉が出なくなってしまった。
「・・・・・・・・・・アサ・・・・―――」
「ヒ、ね。」
アサヒは立ち上がった。そして鞄をつかんで戸に向かって歩き出す。
「ま。待ってアサヒ!」
「待てない。もうすぐ先生が鍵閉めに来るよ。速く。」
もたつきながらもあわてて教室を出た。彼女はさきさき歩いて行ってしまう。するっとぶら下がってただけの
ネクタイを取って、鞄の取っ手に結った。
え?フォーク?フォークって・・・。教えるって、何?

「え?いらねぇの?ガリガリくん。」
「・・・わ、わり。ちょっと用事・・・。」
三善が後ろに立っているアサヒを見つける。
「・・・あー・・・。」
にまっと笑った。
「いいないいなー下校デート!いーけないんだーぁ!」
「お、おい!ちょっと!」
違う。赤くなる。どどどどうしよう、アサヒ、嫌な顔してないか・・・。
「お前が明日おごれよな!ハーゲンダッツゥー!」
わははと笑って三善がチャリを転がした。うわぁ、もうあいつ、こんちくしょう。
おそるおそるアサヒのほうを見る。
「・・・良かったの?ガリガリくん。」
「え?!あ、いいんだよ、んなこと・・・。」
「・・・ショータって変わってるね。」
「へ?」
顔が赤くなるのを感じる。
「だって、私みたいな女にいきなりフォーク教えてもらう気になるなんて。」
「え、・・・や、あの・・・ッ。」
嘘だったのか?恥ずかしくなる。
「いこ。」

アサヒは歩きだした。
「え?!あ、あのさ!」
チャリを押してアサヒに駆け寄った。
「チャリは?」
「無いよ。歩きだから。」
「え?で、でもこの間会ったとこ、こっからチャリで20分はかかるぞ?」
「歩いたら一時間も掛からないよ。」
「ま、毎日歩いてんのか?!」
「歩いてるよ。」
ありえない。どんな健康志向?
「乗れよ。」
アサヒの鞄を奪った。
「歩いて行ってたら帰り、まじで遅くなる。」
「私はいいけど。」
いいわけ無いだろ!遅くまでつき合わすわけにはいかない。女子だ。
「いいから、乗って。」
彼女はため息をついてから、ひょいっと身軽に後ろに飛び乗った。
肩を捕まれる。ドキッとする。チャリを勢いよく漕ぎ出した。緊張した。女子を後ろに乗せたのなんか初めて
だったから。
「アサヒ、何中?」
「五。」
「あぁ、野球部無いとこだ。」
「同好会ならあったよ。」
「でも公式戦出れないんじゃおんなじだ。」
「・・・。まあね。」

河川敷に着いた。
アサヒはひょいっとチャリから降りた。
「ほ・・・。」
「ん?」
「本当に、教えられんのか?・・・その、フォーク・・・。」
「・・・信じない?」
「・・・投げれるの?」
アサヒはポケットに手を突っ込んだと思ったら。その中から白いボールを取り出した。そしてぽんぽんと掌の
上を浮遊させた。
え?
驚いた。なんでナチュラルに彼女のポケットからボールが出てくるんだ?それも・・・これは、硬球。
「受けれる?」
「・・・う、受けれない、と思う。まっすぐならまだしも・・・落ちる球だったら・・・。」
「・・・じゃ、打席には立てる?」
「あ、おう。うん。」
頷いた。彼女は自転車に立てかけていたケースからバッドを取り出して、渡した。

「距離こんなもん?」
頷いた。アサヒはきゅっと硬球を握る。グラブが無いからその手元は丸みえだった。あの握りは確かにフォー
ク。どきどきしてきた。本当に?本当に、投げれるのか?半信半疑だった。告白する。
アサヒがこっちを見た。そして腕をかまえる。おおきく、振りかぶって。
ひゅ!
「・・・・!」
バン!
沈黙。
声が出ないんだ。
後ろの壁に当たったボールはころころと地面に落ちて転がっていく。
「・・・ぁ・・・・。」
やっと声が出る。
「アサヒ・・・っ。」
震える。
なんだ今の!
「見えた?」
「う、うん!」
「ボール頂戴。」
「え?あ、おう。」
急いでボールを拾ってアサヒに投げる。でも投げた瞬間に、あっと思う。グラブ、つけてない。硬球だ。
「よけて!」
「!」
バン!
目を閉じてしまった。
「・・・ショータ。」
声がして、恐る恐る顔を上げる。
アサヒはとっさに鞄で受けていた。
「ご・・!ごめん!うっかりしてた!!」
「大丈夫。」
アサヒは転がったボールを追いかけて捕まえた。
「もう一球行くよ。」
「え・・・お、うん!」
バッドを構えなおす。やべーやべーやべぇ!まだドキドキしてる。頭があまりにも回ってなかった。だって、
あのフォーク。だってあのフォーク。あんなのありか?女子だぞ?先輩の決め球より落ちてた!
「次、シンカー。」
「は?」
ビュン!
バシ!
「!」
ま、マジデすか!叫びそうになる。
ぼんぼんと転がっていく球を掴みに行く。


「・・・あ、・・・アサヒあのさ・・!」
「以上。私が投げられる変化球。」
「・・・あのさ、これ、どこで習ったの?」
「・・・昔。」
答えになってない。
「じゃ、握りから。ショータ、フォークの握り、知ってるよね。」
「え?う、うん。でも・・・っ。」
アサヒが指を掴んできた。
「・・・こう。・・・深く握りすぎ。」
うわ。
動揺した。
近い!近いアサヒ!
「聞いてる?」
「き、聞いて、る!」
「・・・じゃ、今の意識して投げてみて。」
「・・う。うん。」
大きく頷く。あぁーびびった!
アサヒって、何者?

「送るよ。」
チャリにまたがっていった。
「いい。」
「そういうわけにいかないよ!教えてくれたし・・・もう9時半だし・・!」
「近いの。」
「で・・・。」
「寄るとこがあるから。」
「・・・う、うん。気を付けろよ。」
「ありがとう。」
「こっちが、ありがとう。今日。」
アサヒはうっすら笑った。
「ううん。早く投げられるといいね。」
「・・・うん。」
頷いた。アサヒは手を振って背をむけた。小さい体だなぁ。
「・・・っし。」
自転車をこぎ出した。
しかし。驚いた。あんな女子、見たことない。っていうか、自分より投手上手いんじゃないのか?
ごくん。
「・・・・五中だろ・・・?」
誰か他にいたかな・・・。アサヒって一体、どういう奴なんだろう。だって、今日の指導だってなんかすごく 
的確なこと言ってたように思った。野球、やってたのかな?・・・女子だけど。

*

■次へ
inserted by FC2 system