塔マイナス1



1,庭に咲く
ロイサは一人、分厚い本を読んでいる。風が気持ちいい。館にある大きなテラスに椅子を置いて、日の光で字
を追う。ふわふわの長い髪の毛は風が吹くたびに微妙に揺れる。
本を読むのは好きだった。父の関係でよく長い旅にでることになる。本は必ず自分の荷物に詰め込まれている。
今読んでいる本は有名な戯曲。若い農夫の初恋の物語。
「・・・はぁ。」
手を止めて、ロイサは本をたたむ。そして机の上にその分厚い本を置く。空を仰げばとても鮮やかな青が目を
射す。この暇な日常を、いつか壊したい。ふと考える。


スピカに出会う前のこと。


ロイサ・カザンブール。貴族の中でも大いなる力を持つカザンブール公爵の一人娘。だけどロイサは感づいて
いた。自分以外にも、お父様には子供がいること。それはふとした日常の表情や言葉から。それは彼が部屋に
閉じこもる二日から。子どもながらに直感は働く。女の勘というものをロイサは信じるタイプだった。
ロイサは令嬢にしては随分変わっていた。できるだけ自分のことは一人でこなし、付ける御供も最小限のもの。
自分の足で動き、自分で服を着て、自分で何かを決める。
此処が嫌いだった。
窮屈な世界だと、ロイサは感じていた。それはずっと。随分昔から。きっかけは、いつだっただろうか。
ロイサは立ち上がり、そしてテラスから庭を見つめた。
「・・・あら?」
庭に誰かが居る。見慣れない人間だった。金髪の男で、背の高い。
誰かしら。自問してみるが、答えは見当たらない。そこにやってきたのはロイサの一番の召使メリッサだった。
紅茶を持ってきてそれを机の上に置く。
「メリッサ。」
「はい?」
「あの方は誰?」
指を刺す。メリッサは、ひょいとテラスから庭を覗きこむ。
「あぁ、ビゼーです。先日雇われた庭師ですわ。」
「庭師。」
「えぇ。この庭をずっと管理していたアレイクさんが、先日ご両親がお体を壊されたということで、北へ帰郷
したんです。代わりに彼が此処を今だけ管理しているんですよ。」
「・・・・へぇ。」
ロイサは微笑んでメリッサを見る。
「紅茶をありがとうメリッサ。丁度喉が渇いていたの。」
「どういたしまして。お嬢様。」
メリッサは微笑んでその場を去った。

「庭師、なんですってね。」



彼は顔を上げて振り向いた。そしてニッコリと微笑む。ハンサムで若い男だった。
「えぇ。今の間だけ。此処で働かせてもらっています。」
ロイサも微笑んだ。
「やたら細かく見ていらっしゃるみたい。」
「そうですか?」
「えぇ。アレイクさんよりもずっと庭にいる時間が長い気がするわ。」
彼は笑った。
「ここは、素晴らしい庭ですからね。たくさん手入れしないともったいない気がして・・・。」
「素晴らしい?」
彼は頷く。
「えぇ。すごい数の種類の草木が生息しています。花も。植物学的に見て、ものすごく興味深いです。素晴ら
しい庭をお持ちですね、公爵は。」
ロイサは微笑んだ。
「そうだったんですわね。私はそんな風にこの庭を見た事がありませんでした。」
「あはは。お嬢様は散歩をなさらないんですか?」
「するわ。極たまに。」
「それは残念だ。四季で大きく表情を変えますよ此処は。」
彼はそう言って、持っていた鋏をエプロンに突っ込んだ。
「例えばこれなんか。」
屈みこんで小さな花に触れる。
「小さな花だけど、何処でも見られるものじゃない。昔はこの辺りで咲いていたらしいけれど、今では滅多に
見られない。」
「何故?」
「んー・・・環境が変わっていくからかなぁ・・・。人々が地面に楔を打って、家を立てる。道を作る。そう
やって、変わっていく周りの環境で失われていくものはたくさん在る・・・。」
「・・・この花のお名前は?」
「リゼン。」
「・・・初めて聞きました。」
彼は笑った。
「でも・・・あ、お嬢様、お時間はありますか?」
「時間?」
「見せたいものがあるんです。」
ロイサは首を傾げて付いてく。どうせ時間なんて何の意味も持たないものだった。有り余るお金とおんなじで
意味がない。
「・・・これは?」
「あ、やっぱり此処には来た事がなかったんですね。」
「大きな庭ですからね。」
言い訳をする。
そこには白い花がたくさん咲いていた。背はそこまで高くない。
「コリスっていうんですよ、これ。」
ロイサは初めて聞いたその名前に首を傾げる。たくさん咲いてる。かわいらしい花だ。甘い匂いがする。


「別名があって。」
「別名?」
「海来草。」
「みらいそう?」
ビゼーは頷く。
「海の向こうで咲く花だとか。」
「・・・へぇ・・・。」
初めて知った。
「こんなところに在るのが、ものすごく珍しいんですよ。」
彼は嬉しそうに笑った。
「・・・お花、好きなんですね。」
「あ・・っ、すみません。つい、夢中になっちゃって・・・。」
彼は顔を赤らめて、掌を振りまわした。ロイサは可笑しくて笑った。
「いいのよ。ありがとう。すごく興味深いわ。・・私・・、こんなに近くにある物も、見過ごしてしまってた
んですね。とても大事なものだったのに。」
「・・・・?お嬢様?」
「ねぇビゼー。」
ロイサはくるりと彼のほうへ向きなおり微笑んだ。
「これから毎日、いくつかのお花を教えてくれないかしら?」
「え?」
「自分の庭にあるモノの名前くらい憶えたいわ。お願い。お邪魔でなければ。」
彼は驚いていたが、ふわりと笑って頷いた。
「もちろん。喜んで。ロイサ様。」

「ビゼー!」
ビゼーは振り向いて微笑んだ。水を撒いているところだった。
「こんにちは、お嬢様。ご機嫌はいかがですか?」
「とても気分がいいですわ。ビゼーは?」
「えぇ私もとても。今日はいいお天気ですからね。」
それから二人は大きな大きな庭を歩く。ビゼーは時折その庭に散った落ち葉を拾ったり、葉の状態を確認して、
無作法に伸びた枝を切った。
「じゃあ、アレイクさんはビゼーの親戚なのね。」
「はい。叔父にあたります。」
「それで、アレイクさんの代わりに此処に来たのね。彼のご両親のお体はどう?」
「・・・さぁ、僕はあまり・・詳しくは知らないんです。」
「そう・・・。悪くないといいわね。」
彼は頷く。
「小さい頃から庭師になりたかったの?」
「・・・うーん。どうでしょう。でもそうですね。天職だと思います。植物学の先生について、四年ほど勉強
しました。」
「植物が好きなのね。」
「好きです。人間のように喋れないし、動物のように動けない、だけどしっかり生きている。僕はそこに強さ


を感じます。」
「強さ。」
頷く。
「知ってますか?この世界の空気を清浄にしているのは草木なんですよ。」
「えぇ?」
「だから、自然がたくさんあるところの空気は美味しいんです。甘くて・・・うん。新鮮だ。」
「・・・本当のこと?」
疑った。
「本当ですよ。」
「・・・ビゼーが言うのなら、本当なのね。」
ロイサは笑った。ビゼーは照れたように笑う。
「そう・・・。でも植物は・・・人間のように話せないし、動けない。なのに生きてる。そして世界の役割を
こなしてるのね。」
「はい。」
「・・・・じゃあ、私はきっと・・・この小さな植物以下の存在なんだわ。」
「・・・ロイサ様?」
「なんでもないわ。」
ロイサは笑ってみせた。一瞬見せた遠い眼がビゼーを心配させる。
「・・・・ロイサ様。」
「なに?」
「はい。」
手渡された小さな小さななにか。
「・・・これは?」
「種です。」
「種?」
「そう。」
「なんの?」
「それは育ててからのお楽しみ。」
「・・・意地悪ね。」
彼は笑った。


ビゼーはとても人のいい青年だった。毎日丁寧に花の名前や特性などを教えてくれた。彼はロイサにへりくだ
るような真似はしなかったし、一緒にいて疲れなかった。今思えば、スピカにちょっと似ている気がする。


「ねぇビゼー。」
「はい?」
木の枝を切りながら彼は返事をして、振り向いた。
「私の、誰にも言っていないこと。聞いてくれる?」
「・・・?はい。」
ロイサは落っこちた小さな枝を拾って、匂いを嗅いでみる。青い、木の匂いがする。
「私・・・きっと、愛されて生まれてきた人間じゃないんだわ。」


ビゼーは、そういって俯いたロイサを見つめる。言葉はすぐに彼の口からはこぼれない。ロイサはその沈黙を
聞いていた。なんて言うだろう。ビゼーは。こんな、唐突な、突拍子もないことを聞かされて。そして、なん
でこんなことを急に言おうと思ったんだろう。ビゼーは出会ってまだ一週間を少し過ぎたくらいの知り合いな
のに。彼の背中を見ていると、言ってみたくなった。初めてこの疑念を、この憂うつを、言葉にした。そして
吐き出した瞬間に、自分の頭の中を埋め尽くした。
「・・・僕の。」
ビゼーがゆっくりとした口調で言い出した。
「僕の、誰にも言っていない秘密。聞きたいですか?」
「・・・?え・・・。」
戸惑った。そういう答えが返って来るとは思ってなかった。戸惑いながら、ロイサは頷いた。
「僕、私生児なんです。」
「・・・私生児・・・?」
「親がはっきりしていない子どものことです。」
「・・・ビゼー・・・。」
彼はおおらかに笑っていた。どうして笑ってそう言うのか、分からなかった。
「父も母もいますよ。叔父さんだっている。だから、正しくは庶子かな。誰もそのことを僕には言わない。で
も、僕は知ってるんです。」
ロイサは拾いあげた枝をぽとりと再度地面に落とした。
「辛くないの?」
「辛かったなぁ。」
笑って言う。
「辛かったです。それで、半ば家を飛び出す形で先生の所に行きました。」
「植物学の?」
頷く。
「今は・・・辛くないのね。」
「今は。」
彼は微笑んで鋏を木の幹に立て掛けてから歩き出した。
「どうして?」
「僕にはそれは関係のない事だからですよ。」
「関係ない?」
何故?どう関係ないの?ロイサは疑問に埋もれてしまいそうになる。
「今は。」
「・・・解らないわ。ビゼー。」
「だって僕は、今、彼らの子どもなんだから。」
「・・・。それは・・・。」
「誰の子どもかとか、そういうことは見得ないことだし、掘り起こさないと顔を出さない根っこと同じだ。そ
して根っこは掘り起こされたらその機能をまっとうできない。そしたら草全体が、枯れてしまう。」
彼は足を進める。
「じゃあ、無理に掘り起こす必要もない。僕は僕を枯らす意味がないんだから。」
深い茶色の幹がうねる木々の小道を往く。
「そうしなくたって、僕は潤っているって気付いたんです。だって彼らは僕に注いでくれる。それは紛うこと

ない事実だから。僕には、根っこのことなんて今はどうでもいいことなんです。お嬢様。」
ビゼーは笑って言う。
「お嬢様は今愛されてないとおっしゃいますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
何も答えられない。
「このことは。」
ビゼーは歩くのを止めてロイサを見つめる。
「すぐに割り切れることじゃありません。僕だって、4年掛かった。お嬢様。」
ロイサの手を取る。
「ゆっくりでいいです。だけど大事なのは、枯らさないことですよ。」
「・・・枯らさない・・・こと。」
「あの種を育ててください。」
「種。」
「大丈夫。お嬢様なら咲かせられます。」
「・・・。」
涙が出ていることに、今気付く。
「お嬢様。今の、僕の言ったことは僕のトップシークレットですよ。絶対に誰にも言わないで下さいね。」
頷く。涙が落ちる。
「その代わりに、僕も誰にも言いません。お嬢様のトップシークレットは。」
頷く。手を握り返す。強く。こんな風に人前で泣くのは初めてだったかもしれない。
「さ、帰りましょう。日が落ちてきた。」
手を繋いで帰った。ビゼーは、泣くな、とは言わなかった。甘やかすことも言わなかった。それが何故かとて
も嬉しかった。

「え?」
メリッサが紅茶を置く。
「アレイクさんが、なんて?」
「アレイクさんは明々後日には戻られるらしいですよ。と。」
「・・・じゃあ、ビゼーは?」
「明日には発つ、と言っていた気がします。」
ロイサは立ち上がった。
「あっ。お嬢様?!」
「ごめんなさいメリッサ。その紅茶、飲んでしまって!」
ロイサは駆け出していた。
庭へ。
「ビゼー!」
呼んだ。何処にも居ない。広い庭。いつもあのテラスの下に現われるのを待って声を掛けていたから、こんな
風に探したことはない。
「ビゼー!」
見つからない。ロイサは走っていた。
「ロイサっ。」
それを止められる。


「お父様っ!」
父だった。
「どうしたんだい、はしたないだろうに。」
「お父様っ、ビゼーを見ませんでしたか?」
「ビゼー?」
「庭師です。アレイクさんの・・・代わりに此処で働いていた・・・っ。」
「・・・あぁ。もう発ったんじゃないかと思うが・・。」
「発った?!」
心臓。すごい音。
「あぁ、確か夕方に、運び屋の荷台に乗せて貰うと言っていた気がする・・・。」
「何処!?それは・・・!何処ですか?」
「ロイサ、どうしたんだ。」
「言う事があるのっ!大事な事なのよ!」
公爵はため息をついてロイサを撫でた。
「広場だよ。早く行ってあげなさい。」
「・・・っありがとうございます!」
ロイサは駆けだした。

すぐに馬車を出して貰った。走って間に合う距離でもないし、一人館の外を走るなんて真似は出来なかった。
こんな時すら、一人で走れない。選べない。セツ様なら、きっと駆けだしていただろう。自分の足で。
スピカを追ったあの時のように。
「ビゼーっ!」
広場について、すぐに馬車を降りて走った。ビゼーはすぐに見つかった。幸運だった。
「お嬢様っ。」
彼は非常に驚いていた。
「どうして此処に。」
「こっちの台詞ですわ!どうして何も言わなかったの?」
息を切らして、怒鳴っていた。ビゼーはやわらかく笑った。
「ごめんなさい。急に決まったことで、うまく会うことも出来なかったので・・・。」
確かに、それはそうだった。
使用人がロイサに直接会いに行くことは難しい。
「でも、よかったです。こうして挨拶が出来て。」
彼は笑って手を差し出した。ロイサは苦しい思いでその手を取った。
「・・・あの種ね。」
ビゼーが言う。
「あの種、僕の故郷で咲く花なんですよ。つまり北です。それも少し高山の植物なんです。」
「・・・それって・・・あの館で咲かすことが出来るの・・・?」
「うまくいけば。」
「・・・なげやりね。」
「僕の持論では、咲くと思うんですよ。」
彼は笑って言った。
「それに、前にも言ったでしょう。」

「え?」
「ロイサ様なら、咲かせられるって。大丈夫です。」
「・・・ありがとう。」
涙が溢れかけた。
「ありがとうございます、お嬢様。一緒にいた時間は、とても楽しかったですよ。」
「私もよ。」
ロイサの声は震えていた。
「絶対に咲かすわ。」
「えぇ。・・・もう行かないと。待たせてしまっているらしい。」
「あ。」
手を解いた。
「それでは。失礼いたします。」
「ビゼーっ。」
「はい。」
ロイサは、ビゼーの腕をひっぱって、頬にキスをした。
「ありがとう。絶対に・・・忘れないわ。」
ビゼーは照れくさそうに笑って頷いた。
「御機嫌よう。」
手を振る。そこで一粒の涙が零れ落ちた。


「ねぇ、ロイサ。」
スピカがロイサを呼んだ。庭を散歩している途中だった。ナイトオリンピアへ出かける前のことだ。
「なあにスピカ。」
「この花。変わった形だね。なんていう花なの?」
指差す。
「・・・・あぁ。」
ロイサは微笑む。
「名前は知らないの。」
「知らないんだ。」
「でも、名前は付けたのよ。」
「付けるもの?」
スピカが笑った。
「なんて名前?」
「ビゼー。」



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