26,
「兄様。」
彼は弟のほうを見なかった。
ただ遠くを見るような目で状況を見ていた。
伯爵の部屋、赤い絨毯のひかれた、広い間。
金の椅子がある。
そこに兄弟は立っていた。
もはや邸宅の中はイルルの兵たちの手に落ちた。
悲鳴や叫びが此処でも響く。
幾人かの兵達が彼らを囲んで守っているが、此処も時間の問題だった。
「・・・・・・・・・・クシス。」
小さな声で弟を呼んだ、時。

「フェレス!」
声が響いた。
フェレスは驚いた顔で振り向いた。
「フェレス!」
「・・・スザンナっ!」
クシスも驚いて振り向いた。
「フェレス!」
涙が出そうになった。
無事だったことに心底安心したから。
フェレスに思いっきり抱きついた。
フェレスはしっかり受け止めてくれた。
この血まみれの体を。
「スザンナ・・、どうして。」
「よかった・・・っ間に合った・・・!」
「怪我してるじゃないか。」
離れて顔を上げる。
「平気だこんなもん。急いで、逃げるぞ!クシスも!」
その瞬間に何かが崩れた音が鳴り響いた。
「・・・!時間がない。早く!」
血まみれの手で、フェレスの手を掴んだ。
だけどそれはするりと掌から抜け落ちてしまった。
血のせいじゃなく。
「・・・フェレス・・・?」
フェレスは無表情でこっちを見てた。
何も言わない。
「・・・なに・・・。」
「スザンナ。」
「なにしてるんだ、急げ!」
「俺はいけない。」
「・・・・は?」
脳がこの言葉を理解しなかった。
「父上が死んだ。母上も。」
「・・・・・・・・・・・。」
「今は俺が、この家の主でこの町の主だ。」
「・・・フェレス・・。」
「彼らを置いていけない。」
「・・・・。」
フェレスの後ろにいる30名ほどの兵達に目を向ける。
「じゃあ皆で逃げればいいだろ!」
フェレスは首を振る。
「戦う。」
「何言ってるんだよ!」
声がかすれそうになる。
「町がこれだけやられた。此処はアルブだぞ。誇りをかけて戦う。最後まで。―――スザンナ。」
私の頬に手を添えてフェレスは言った。
「笑って。」
「・・・わら・・・えるわけないだろ!こんな・・・こんな冗談!」
涙が出そうになった。
フェレスは私を抱きしめた。
「クシスを連れて、逃げてくれ。」
耳元で、フェレスの声がする。
「無理だ・・・っ。」
「スザンナ。」
強く抱きしめられる。
窒息しそうだった。
「初めて会った時の、あの時のお礼。やっと完成したんだ。貰ってくれ。」
「・・・え?」
フェレスは私を放した。
「ラピス・ラズリの道から逃げて。クシスが知ってる。大事な弟なんだ。頼むぞ。」
「・・・私だっ・・・て!フェレスが大事なんだよ!」
「俺もスザンナが大事だよ。」
もう一度、何かが崩れる音がして、この部屋もグラグラ揺れた。
「行って。」

あ。

彼の手が私の頬にもう一度触れる。そしてするりと離れてしまう。
「・・・・・・行くぞクシス。」
「え?」
くるりとフェレスに背を向け、クシスの手を引いて私は来た道を足早に戻りだした。
「兄様!・・・兄様!兄様はっ・・・!」
もうフェレスの方は見ない。
クシスのフェレスを呼ぶ声だけを耳に。
脳内も、心音も、破壊の音も、私の耳にはもう届かなかった。
最後にうっすらと微笑んだフェレスの顔だけを目の奥に、私はもう何も見なかった。

崩壊は、すぐ起こった。


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