真文国に月が上がる。これは明日もいい天気だろう。もうすぐ、また汗が滲むような温かさが訪れる。そんな、夜。
海座は、あ乾かない髪のまま、頭をビシャビシャいわせながら歩いた。
「・・・・・・・・―――」
脚を止めると。そこにはやっぱり。
「なにその頭」
呆れた顔をしたサイファが立っていた。ぼたぼた水の滴る海座の白い頭をみて眉をひそめる。
「よぉ。サイファ」
にかっと笑って見せた。
「なによアホ軍師。」
サイファは呆れた顔をする。
「どぉ〜せ、2ヶ月も饅頭食べれなくて恋しくなって来たんでしょぉ?」
「ちっ。言ってろよ。」
畜生。
「ハイ。」
目の前にあの温かそうな饅頭が差し出された。
「!」
いいにおいがする。懐かしい香りだった。
「あんた絶対今日は来ると思って、店閉めた後いくつか作っといたのよ。なに・・・いらないの?」
「い・・・っいや。いるけどよぉっ。」
受け取りながら言う。
「なんだよおめぇ。こんなにいいサービス初めてじゃねぇか?」
「あ。ちゃんとお金もらうから。開店外料金込み、1つ500双。」
「法外だろ!!!!」
突っ込んだ。その海座をサイファが見てふっと笑った。その顔に海座は言葉につまらせた。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
――なんだ。この沈黙は。
「海・・・」
「サイファ。」
遮られた。
「なによ」
不機嫌そうな顔。かわいくねぇな。
「金、いらねぇらしいな?」
「あぁ。・・・美木に聞いたの」
サイファが声のトーンを落として言った。
「いらないんじゃないわ。受け取れなかっただけ。」
「だから何でだよ?いっみわかんねぇぞ?」
サイファが屁理屈みたいなことをごちゃっと言うから、海座はむかっとした。
「うっさいわねぇ。とにかく受け取れなかったの!」
「だから何でだよ!!」
口喧嘩に発展。
「っとに、わけわかんねぇよ!お前が返せッつぅからわざわざ美木に手渡したんだぞ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
急にサイファが黙った。
「・・・それは。ごめん。」
素直に謝った。そんな彼女に海座はちょっと驚いて焦る。
「や、そんなにあや・・」
「だって。」
サイファが自分の饅頭をせいろから取り出しながらゆっくりと話しだした。
「私あんたに貸しが無かった事がないじゃない。」
「う・・・?」
なんだそれは。嫌みか。
「あんたと来たら常に私にツケばっかして、借金まみれ、反省の色なし、の繰り返し。」
「嫌みだな。そうなんだな?」
海座の突っ込みは空しく無視される。
「だから、貸しがなくなるのが。なんて言うか。なんて言うの?なんて言うんだろ」
どもった。サイファらしくない。
「・・・・・こわ。かった。っていうか・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・―――?」
怖かった?
「・・・・・。」
ちょっと黙ってしばらく言葉選びに手間取って百面相をしていたようだが、サイファは諦めたようで百面相をやめた。
「ま。そういうことっ」
「はぁ!?わっかんねぇよっ」
本当に分からなかった。それだけか。頑なに美木から借金の返済を受け取るのを断った理由は。
「うっさいわねぇ!ここは黙って頷いてなさいよ!」
逆切れかよ。
「んだよ!わかんねぇから訊いてんのに訊いてもわかんねぇんじゃ頷けるわけもねぇだろが!かわいくねぇな!」
「もうこのやろう。一体いくらで今の言葉を買ってほしいっ?こっちは死ぬほど心配してたのに何よそのいい方は!」
怒鳴る海座にサイファも怒鳴るように言った。でもその素直な言葉に海座は貫かれ、次の言葉が出なくなった。
「・・・・・・。や、あの。」
「だってあんたっ」
バシ!
海座の右手をつかんで自分に引き寄せた。
「うぉっ」
「・・・・・・・だってあんた。他人のために、弱いじゃない。」
サイファがそう言いながら、掌の傷を悲しい顔で見た。掌は未だに生傷がある。爪の痕だった。
「・・・・・っ。み・・っ」
海座は急に恥ずかしくなってその手をサイファの細い腕から引き抜こうとする。
「・・・・・痛かったでしょ」
でも、サイファがやっぱり辛そうにそう言うので、海座はその腕から自分の腕を引き抜くのをやめた。
サイファがあまりにも壊れそうで、その腕が千切れてしまいそうで、怖かった。
「・・痛くねぇ」
ぶっきらぼうにそう言い捨てて、サイファの顔をもう見れなくて、海座は下を向いた。
「・・・痛かったでしょ・・・」
もう一度サイファが言った。今度は、優しく、言った。
「・・・・・・っ。」
まただった。また彼女が母を思い出させた。ひどく懐かしいような、そんな気になった。
「・・・しんどいわね・・・・・・」
そう言って海座の掌を丸めた。
「しんどくねぇ・・・」
「しんどいわよ。」
自分の体温が上がったのが分かった。彼女にもそれが伝わってしまいそうで心臓が締まった。
「誰でも、しんどいわよ。あんたの役目は」
「・・・・・・・・・っ」
なんだかとてもやりきれなくて、今度こそ、その細い腕から自分の傷だらけの腕をぶっきらぼうに引き抜いた。海座は思わずやってしまって乱暴な自分の態度に、一瞬で反省をした。
しかしサイファは、その態度に少しも傷ついたような素振りは見せなかった。海座はそれで一瞬救われた気がした。
だけど。
「分かったみたいにいうなよっ」
やっぱりやりきれなくて、それでもやりきれなくて、海座がそう言い捨てた。何かが体から溢れてだらだら流れるかのように、吐き出すようにそう言った。
「・・・・・・・・・・・・・」
海座は上を向く事が出来なくなった。サイファが何も言わないから。だって。これ、八つ当たりだから。絶対だった。
彼女が傷ついたであろうことは、絶対だった。海座は目を閉じた。言い捨てて、たったの10秒足らずで猛烈な後悔が彼を襲っていた。
「・・・・・・・・・・・・うん。」
サイファが重い口を開いた。海座は目を開く。そしてその優しくも、やっぱり辛そうな声に耳を傾け続けた。
「・・・・・・・うん。そうね。」
――ああ。そんな顔させたかったわけじゃないのに。
そんなことのために此処に来たんじゃない。
後悔に更なる拍車がかかる。
「でも。じゃあ。」
海座がその声に顔を少し上げた。
ズボッ!
「ぶっ」
思いっきり。温かい(むしろ熱い)饅頭が、口に押し込められた。
「なっに!ふんだぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」
海座が口から溢れそうな饅頭を押さえながら切れた。汚い。
「あんたはそれでも食べてなさいっ」
サイファが軽くそう言って、店の奥に行き、椅子をガタンと引いた。
「どうぞ?」
「・・・・・〜〜〜〜〜〜〜」
海座はもぐもぐ饅頭をほおばりながら、ずかずかとそこまで歩いていき、ドカ!と椅子に腰をかけた。サイファは何も言わずにまた厨房に立ち、饅頭をいくつか皿に乗せてすぐ戻ってきた。
ゴト。
皿がぶっきらぼうに置かれる。サイファが海座の目の前に座る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
もぐもぐ食べる海座を前に、サイファは呆れたような顔でだまって海座の手を見ていた。
「・・・んだよ」
「べっつに。」
ちくしょう。なんだその言い方は?
「今度は。」
急に、また穏やかな声でサイファが口を開いた。
「・・・・・今度は、海座が自分で返しにきてよね。」
「・・・・・・・・・・・・・・?・・・・お。おぉ」
「ほんとは・・・受け取らなかったのはね。」
「・・・?おぉ。」
サイファが静かに言った。
「受け取ったら、もう、海座が来なくなるんじゃないかなって思ったの。」
海座はまた体温が上がるのを感じた。きっと饅頭が温かいからだ。無理やりそう思うことにする。
「なっ・・・、ておま・・っ」
「死ぬ気なのかと思ったから。」
笑った。海座はその笑顔に、何も答えられない。
「帰ってきて、安心したわよ。」
ふっと笑う。
「お帰りっ。」
サイファが大きく笑顔を見せた。
「・・・・・・・・っ。のっ」
やろう。
「なによ」
なんでもねぇよ。
言わなかった。
ただ、がっと饅頭を握りつぶさんばかりに掴み、海座は饅頭を頬張った。サイファは黙ってそれを見てた。
このやろう。恥ずかしいことを口に出すな。ちくしょう。反則だ、と思った。


「汪翔が!裏切って薫省を治めているっ・・・・!??」
ガタッ。
大きな音とともに寒波が立ち上がった。
「嘘つくなよ!お前っ」
報告をしにきた使者に掴みかかった。周りのものが寒波を止める。
「そんなわけねぇ!あいつがそんなこと出来るわけねぇ!もしそれが本当なら、薫省はまだ真文国に取られちゃいねぇってことだっ!」
震えてた。
「しかしっ!冒省の人間が薫省の関門をくぐれないのですっ。王の使者でさえっ。」
「何かの間違いだっ!汪翔は王を帰したとき援軍を要請したんだろっ!だけど王は出さなかった!多分それに腹を立ててちょっと怒ってるだけだ!」
息撒く。
「薫省は落ちたと思いますよ。少なからず。」
後ろから寒波の肩を軽く叩く男が静かに言った。
「・・・!」
寒波が思いっきり振りむく。
「なんでだよ!」
「一人も寒地の兵が帰ってきていません。ですから汪翔将軍が薫省を治めているということは間違いである可能性はありますが、おそらく、そうでなくても、汪翔将軍及び寒地兵は全滅か、または捕虜となった可能性はあります。」
「・・・・・・・・。・・・・っああ・・・・。そうだな・・・・。わりぃ・・・」
使者の襟を放した。
「畜生!!!!」
ドカッ!
寒波は机を蹴り飛ばした。周りは一斉に肩を上下させる。
「なんで王は援軍を送らなかったんだよっ」
息撒く。
「・・・・・・。おそらく。必要ないと、王が判断されたのでしょう。もしくは軍師殿が。」
「・・・・・・・っふざけんなよ。」
「・・・そしたら、気がつけば関門を閉じられ、薫省が真文国の物になってたってか!」
悔しそうに、叫んだ。周りの者達が小さく俯く。
「なめてんだよ。王も軍師も!あの国を、あの軍師をなめてんだよ!」
「・・・・・随分。あの国を評価なさっているようですね・・・寒波殿は。」
寒波は眉間にしわを寄せた。
「・・・・・・・・・・。そっかな・・・・。」
風が吹いた。
「・・・・・・・・・・ただ。あの海座って言う軍師の兵法が・・・。気になってるだけだ・・」


結局。戦はよくわからない状態で。一段落していた。真文国は海座の策略どおりにことが全て運んだので状況の把握は速かった。
しかし、寒地国は王が援軍を出さずに安心しきったままにしていたので、気がつけば薫省への関門が閉鎖されてしまっていて、状況が読めなくなっていた。
直に文王からの正式な書簡が、寒地の王に届き、そこでようやく彼らは現状を把握するだろう。
夜が闇を作る。海座はまだ街から帰ってこない。美木はもう疲れたと言って寝てしまった。
「・・・・・はぁ。」
高羅の部屋で酒を飲みながら、麗春が窓から空を見上げ、ため息。
「どしたよ?」
高羅が後ろから同じように空を見上げながら言った。
「空じゃないわよ。」
「?」
麗春が顎で外を指す。
「?なんだよ」
「海座。」
「あぁ。嬢ちゃんとこかっ」
高羅は笑う。
「笑ってんじゃないわよ。」
「?なんだよ?」
「外に一人で行かすんじゃないわよ。」
麗春が静かに言い放つ。高羅はちょっと頭をかいた。
「・・・や。俺がついてくのも、野暮だろ。」
「戦中なんですけどね?」
殺気が放たれた。
――す、すいません!
高羅が心で叫ぶ。
確かに最近海座は一人で外を出歩きすぎだった。
「・・・・・・でも。今は、あいつには嬢ちゃんが必要だろ・・・」
高羅は少し悲しげに言った。
「・・・・・・・・・・・・」
麗春は何も言わない。
「・・・あいつは、やっぱ。優しすぎるぜ・・・」
「・・・・・・・・・・」
否定はしない。
「・・・痛くて痛くて、全身で泣いてやがる。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。軍師・・・。向いてるって言ったのは、自身なのにね・・・」
「・・・・あぁ。そうだったな・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・あんたもね。・・・・・・・・・痛いんでしょう」
麗春が振り向かず、外を見たまま高羅に言った。高羅は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐいつもの優しい笑顔になった。
「討つ手が、痛くて堪らないんでしょう。」
高羅は笑った。悲しく。
「・・・はは・・・。かなわねぇなぁ・・・」
「なにがよ」
鋭いな。怖い。
「・・・・・・・・・・・いてぇよ・・・・」
ボスッ
大きな左手が麗春の頭に乗せられた。そのまま高羅の頭が下がる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
麗春は外を見つめたまま、頭の右上にうなだれる高羅の頭を小さく撫でた。
「・・・・・お疲れ・・・・・・。」
「・・・おぉ」
小さい声。戦の時のあの声はもうない。
「酒ならいくらでも付き合ってあげるから。飲みなさいよ。」
「・・・おぉ」
外は少し、まだ寒かった。
海座が帰ってきた時には、その体が冷え切ってしまってた。


「でもまだ、これは始まりなんだ。」
海座は言った。
王の間。王は黙って海座を見た。
夜は明ける。空は広がる。明日はすぐ訪れる。
そして、また、失って奪って、手に入れるんだ。それは―――
「・・・・・・・・・・・いい天気だな・・・・」
「はい。」
声を交わす。
―――続く。空が続くように。
その空が、決して曇らないように。軍師はまた、走り出した。真文国は、今日も、晴れ。


王様にならねぇか9 終わり

→あとがき


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