私の母親は、アルブの生まれで、その祖父は生粋の武民だったそうだ。
一方父は、昔から、ずーっと本に携わる家系だったらしい。
どういうきっかけで彼らが出会い、恋をし、そして子を成したか、それは聞いたこともない物語だ。
だけど、彼らから生まれた私は、確実に彼らの意志や、『家』の色を受け継いでいる。
受け継がれるのは、それだけ?
もしかして、呪いのようなものも、受け継がれているのでは?
なんて。
***
「もう、随分良くなったね。」
湿布を取り換えながら、ブレトンが言った。
「おかげさまで。」
「もう、湿布は明日からはいらないね。」
にこっとブレトンは笑う。
「じゃ。」
部屋を出ていこうとするブレトンを、私は止めた。
「あの。」
「ん?」
「子爵は・・・?」
ここ数日、実は部屋からほとんど出ていない。
怪我が酷くなって働けません、と訴えて、お休みをもらっていたのだ。
「ん。いつも通り。元気だよ。足は・・・、まぁ全快?」
「でしょうね・・・。」
もともと足なんて痛めてやしなかったんだから。
あの夜から、もう数日だ。
子爵と出会ってから何体の死体を見ただろう。思い出すだけでも、気分悪い。
だけど今回は、友人のものだった。
私が勝手に、友人だと思っていただけかもしれないけど・・・。
そう思うと余計悲しくなった。
あの日以来、子爵とは会っていない。会いに来ないし、会いに行ってもないからだ。
というか、あれだけ看病してやったのに(仮病なのに)、私が倒れた時は(ほぼ仮病に近いけど)、見舞いにも来ないのかあの人は。
「・・・・・・来るわけないか。」
当たり前だ。あの人は子爵で、私は本物の”特別な君”でもなんでもない、ただの庶民なのだ。
それに、どういう顔をしてどんな話をすればいいのか分からないのだ。たぶんお互いに。
疑え。
それを強いる、この世界。
それでも、私は信じたい。それって、傲慢?馬鹿?子ども?
友人くらい信用したい。切り捨てる覚悟なんて、したくない。
***
ある日の午後。嵐は突然やってくる。
「ブレトン!」
「ん?・・・おや。」
門の付近を歩いていたブレトンが呼ばれて振り向くと、そこには可愛らしい少女が立っていた。
「お久しぶりですね。リリス様。いつお着きに?」
「今しがたよ!」
リリス――先日の誕生パーティの主役はふんと、笑った。
「あなたはいっつでも胡散臭い笑顔ね。ミケルお兄様みたい。」
「あはは!ミケル様みたいな甘いフェイスに生まれれば、と、何度思ったかしれませんよ。」
歯に衣着せないリリスに、ブレトンは笑った。
「リリス様!」
ひいひい言いながら慌てて駆けて来た、初老の男。
「おや、ウェーバさん。お久しぶりです。大変そうですねぇ。彼女のおも・・・おつきは。」
「おもりって言った?ねぇおもりって?」
リリスは聞き逃さない。
「言ってませんよ。」
ブレトンは笑ってかわす。
「本当ですよ。今も目を離したら、いなくなっていて・・・。」
「ふん!勝手知ったる城よ!別に迷わないわ!」
「お生意気な・・・。子爵に会いに来たんでしょう?お上品になさってください。」
ウェーバは相当手を焼いているのだろう。叱り方も手慣れたものだった。
「子爵に?」
ブレトンが訊く。
「いいえ、まずは、あの娘はどこ!?」
「え?」
「ウィル様の、特別な娘よ!」
「・・・ああ。ラピス?」
「私はあの娘に話があってきたのよ!」
「子爵じゃなくて?」
「もちろんウィル様にも会いによ!」
なるほど、とブレトンが笑った。
「ちょっと、今日は・・・、二人とも会えるかなぁ?」
「何かご用事で?すみません、連絡なしに訪ねてしまって・・・。」
ウェーバが丁寧に謝る。
「いや、いるにはいるんですけど、2人とも、すっごく落ち込んでるから・・・。」
***
「こんな感じでいいかしら?」
メアリーが本をいくつか持ってきてくれて、見せてくれた。暇つぶしには、本が一番。と言ったら、気を使ってくれたのだ。
「うん。ありがとう。」
それは、本を受け取った瞬間だった。
バッターーーーーーーーーーン!
「!!!」
ドアが、めちゃくちゃ乱暴に開かれた。
「な、・・・な!?」
開いたのは可愛らしく、身なりの良い少女だった。
「別れたの!?」
そして、これが彼女の第一声。
「え?え・・・?」
一体何の話をしているのかわからず、私は困惑した。
「別れたの!?」
「えっと・・・。何、誰。」
全く身に覚えのない来訪者に戸惑っていると、側にいたメアリーが驚いた。
「リ、リリス様?!」
え?リリスって、あの、この前の誕生日の?
再び少女を見ると、なるほど、見覚えがあった。
「私が聞いているのよ!答えなさい!別れたの!?」
「え、えっと、あの・・・話が見えないんだけど、別れたって何ですか。」
「あなたと!ウィル様よ!」
「え!?ラピス!別れたの!?」
メアリーも驚いて叫ぶ。
もう、勘弁してくれ・・・。
***
「リリスが?」
突然の訪問の知らせに子爵はやや驚いたようだった。
「はい。今しがた、ラピスの部屋に押し入って・・・。」
そこまで言って、ブレトンは先刻の女子たちの大混乱を思い返し、思わず吹き出した。
「?話しながら笑わないでくれ、気味が悪いな。」
一人楽しげな従者に子爵は呆れる。
「いやいや、見ものでしたよ。」
「だから何がだ。」
「私の主は可愛い娘に好かれたもんです。」
子爵は少しだけ眉をひそめて困った顔をした。
「一回り若いぞ・・・。」
「あはは。ラピスだって。」
「あいつは19らしい。」
ブレトンは固まった。
「・・・・・・マジで。」
「マジでだ。」
「まぁ、顔は童顔ですからね・・・。若く見られていいんじゃないですか?」
その場にいもしない奴のフォローまでするブレトンは、いい奴だと思う。
「ラピスは?」
「・・・気になるなら行けばいいじゃないですか。」
ブレトンは煽るように言って微笑んだ。
「・・・性質の悪い奴を下に持ったもんだ。」
ブレトンはクスリと笑った。
「あなたらしくない。どうして、避けるようなことをするんです?」
そのうえで、この従者は正論で主に殴りかかってくるのだ。子爵は、ため息をついた。
そして、手に持っていた薬学の本を机に置く。
「・・・怖がられるのは、もう、こりごりだからな。」
そういった子爵の眼は静かに孤独を見つめていた。
素直に人に突き放されることを恐れた主を、ブレトンはこれ以上殴れずに悲しく微笑んだ。
***
「あなた、こんな部屋に住んでるの!?うっそでしょ!しんっじらんないわ!」
リリスがみすぼらしい私の部屋を見渡して叫んだ。
「ほ、埃が気になるのなら、広間の方で子爵をお待ちになったらどうですか?」
自分なりに掃除に手を抜いたことはないけど。
「部屋が汚れているって話じゃないわ!狭い!暗い!ここ、物置じゃないの!?」
ご名答。
「自分からこの部屋を選んだって言うのが全くの意味不明だわ・・・!」
ほっといてよ。
「まあいいわ。私、あなたに話があってきたのよ。」
「わ、私に?」
私はないけど。
「はっきり言うわ!宣戦布告よ!」
彼女は高らかに宣言し、勢いよく私を指差した。
「・・・は?」
「ウィル様は渡さないわ!っていうか、奪って見せるんだから!覚悟しておいて!」
「・・・・・・。はぁ・・・。」
なるほど。
こんな可愛らしいお嬢様(性格には難がありそう)にも、おモテになるのね、あの人は。
なんだか感心して、ポカーンとしてしまった。
「ふ、ふん!自信があるようだけど、私はあなたよりもウィル様のことを知っている自信があるわ!」
少しだけ胸が締まった。
そりゃ、そうでしょう。
「だから負けないわ!いいこと!?覚えておくのよ!それから、お大事になさって!行くわよ、ウェーバ!」
「は・・・!はい!すみません。失礼いたしました。」
「・・・はぁ。」
嵐のように彼女とその従者は去って行った。
最後にきちんと気を使ってくれるあたり、悪い子ではないらしい。
でも、なんという、見当違いをしているのだろう。
訂正するのもめんどくさいくらい見当違っていた。
だって私、子爵のこと何も知らないもの。愛されていないし、愛してもいない。
そう思うと、胸が痛んだ。
ああ、これはきっと、子爵にとって、私も『容易に切り捨てる』事ができる人間にすぎないと、思えてしまうからだ。
あの人にとって、私は全く特別なんかじゃない。
皆と同じ。心が繋がることのない一人なのだ。
ああだめだ。早く、この城を出よう。
私はきらびやかで悲しい、この世界にむいていない。
***
「ウィル様!」
「やあ、リリス嬢。」
子爵の書斎にやってきたリリスは、子爵に思いきり抱きついた。
「この間は挨拶もなしにひどいですわ!」
「ごめんごめん。ちょっと野暮用でね。」
「修羅場だったと聞きました。」
ミケルに聞いたのか、と子爵は笑った。
「今日はどうして?」
「この間お会いできなかったから、私から会いにきたのよ。」
「それはそれは、わざわざ・・・。誕生日の贈り物は見てくれたかい?」
「あ、ええ・・・!すっごく美しかったわ!ありがとう!」
リリスは本当に無邪気に、美しく笑った。
「どういたしまして。あぁ、そういえばさっき、ラピスの部屋に行ったとか?」
「ええ・・・。行きましたわ。」
「どうだった?」
「ウィル様には、ふさわしくないような、平凡な娘でした。」
はっきりもの申す。
「あはは!お気に召さないか。」
「というか、どうしてあのような部屋に住みたがるのかしら?」
彼女にはまったく理解ができないようだった。
「そうだね。あの娘は、他とは違うんだよ。」
「え?」
「無駄なことが嫌いだし。そのくせ無茶な事には躊躇しない。」
「無茶・・・?」
「それから、林檎がうまくむける。」
「林檎・・・?」
首をかしげるリリスを見て、子爵はふっと笑った。
「此処にはいないタイプの人間なんだ。」
「・・・随分と、気に入っているんですね。あの娘のこと。」
「んー・・・。」
子爵は少しだけ考えて、にっこり笑った。
「嫌われちゃったみたいだけどね。」
***
リリス嬢が帰って屋敷が静かになり、気づいたら窓の外は真っ暗になっていた。
無為に一日が過ぎる。じっとしてるのは、好きじゃない。
読んでいた本を閉じて、私はベッドに転がった。
――明日、子爵と話をして、そして城を出よう。
もちろんきちんとお金は返す。どこかで働いて、定期的にお金を持ってくればいい。
多分此処で働くのが一番効率よくお金が稼げるけど。
きっと私は此処で何にも出来やしない。怖い思いだって、たくさんだ。
だから、此処から出て行ったほうがいい。
コンコン!
夜中なのに、突然部屋のノックが鳴り響いた。
「わっ、め、メアリー!?」
驚いて身を起こす。
「私だ。」
子爵の声だった。
思わず体がびくっと揺れた。
ど、どうしよう寝巻だ!
じゃなくて!
何を話せば!っていうかどうしてこんな時間に!
少々混乱したが、声を発してしまった以上寝たふりなど不可能だ。
「ど、どうぞ!」
観念して、シーツを首元まで引っ張り、着ている服を隠した。
遠慮がちにドアが開いて、遠慮深げな子爵が中に入ってきた。
「こ、こんばんは・・・。ぶ、ブレトンさんは?」
「もう休んだ。」
単身で来た、ということか。
子爵は部屋に入ると、何も言わずそこに立ち尽くした。少しばつの悪そうな顔をして、彼はうつむいた。
何を言っていいかわからず、私はそんな子爵をまじまじと見つめるだけだった。
このままでは、息が詰まりそうだ。
「あの・・・?」
沈黙を破ってみる。
「君に・・・。」
すると子爵は話しだした。
「本当のことを喋ろうと思う。」
「・・・本当のこと?」
それはもしかして、私がずっと疑問に思っていたこと?
子爵にとって魔女の粉がなんなのか。子爵が特別ってどういうことなのか。その答え?
「私は、このブロイニュにとって、重要な地位にいる。」
「・・・はぁ。」
「それは、ブロイニュの魔女たちにとって、という意味だ。」
「魔女・・・たち?」
彼は、まるで魔女が実在するかのように言った。私はまだ要領を得ず、首をかしげた。
「はは、信じられないかもしれないが、現代も魔女は存在する。魔女の粉の伝説は知っていたな。」
「え、はい。えっと、王妃シュイが、悪い王様に飲ませて、国を滅ぼしたっていう伝説ですよね。」
「そう。」
子爵の頷くしぐさが、どこかはかなげで綺麗だった。
「そのシュイの末裔が、私だ。」
「・・・え!?」
ちょっと待って。
「で、伝説ですよね!?」
「伝承は、多かれ少なかれ飛躍されている。だが、史実だ。」
「え!じゃ、え・・・!?」
「魔女の粉の秘術は、我々の先祖が作りだしたものだ。」
「・・・それが、魔女の粉のレシピ?」
子爵は頷いた。
「シュイは魔女の間では英雄であり、その血を引き継ぐ私は魔女たちの上に立つ存在だ。」
「じゃあ、全ての魔女は・・・あなたの・・・?」
「勘違いしないでほしい。私は彼女たちを手駒にしているわけではない。彼女たちは私とは関係なく、独立した魔女として生きている。ただ、何か彼女たちの間で何か問題があれば私が調停役として出ていく。それだけだ。」
おとぎ話をされている雰囲気ではなかった。
これは、歴史の重みをもった『事実』だと理解した。
「私の正体を知る者は、私を敵に回せば魔女の報復を受ける、と思っているようだが。」
まあ、そう思うだろう。伝説を聞いた時、私も魔女だけは敵に回したくないと思ったものだ。
いつの間にか側にいて、毒を盛られたとも気づかずじわじわと殺される。
ひとおもいに殺されるよりも、まるで幽霊に取り殺されるような怖さがあった。
「だから、皆私を恐れる。恐れ、顔色をうかがう。もしくは下手な空想を描き、憧れの対象にする。」
子爵の顔は、微笑んでいるようで寂しげだった。
「魔女たちの切り札である魔女の粉の秘術を守りつつ、このブロイニュの均衡を保つ。これが私の一族の役割だ。そのために武力を嫌う魔女の中で、この手で人を殺すことが許されている。だから、幾多の命も奪ってきた。」
子爵は剣に触れた。
「!」
ぞくっとする。
もしかして、私、今から殺される?
「・・・怖いか。」
「え!」
表情に出ていたらしい。
「君はきっと、下手な空想で憧れたりしないだろう。」
子爵は、自嘲気味に笑っていた。
その眼は琥珀が鈍く光るみたいで、どことなく絶望している、そんな色をしていた。
「・・・逃げたいと思うなら、それでもいい。私は君に秘密を明かした。それは、許してくれるとは思わないが、君の友人を躊躇なく殺した本当の理由を告げたかったからだ。」
あの口ぶりではピピはきっと、“魔女の粉のレシピ”を盗んだのだろう。だから子爵に殺されたのだ、と理解した。
「この秘密をどうするかも、君が決めたらいい。」
「・・・子爵?」
これは。
「君は、自由だ。ラピス。」
これはお別れの言葉だと、やっと気がついた。
「ふ。」
「え?」
「ふざけないでください!」
「!!」
叫んだ。
「何よそれ!ずるい!」
「ず・・・るい?」
「自己完結して、はいサヨナラって!?あなたはいいでしょうよ、あなたは!」
ずるい。
「すっきりするもんね!せいせいするもんね!だけどねぇ!」
ずるい。
そんな誠意は、ずるい。
「そんな顔した子爵を、ほっぽって、簡単にどっかに行けると思わないでよ!」
そんな悲しい顔は、ずるい。
気づいたら涙が出てた。
「ラ、ラピス。」
子爵が慌てて私に近寄る。
「近寄らないで!」
「!」
子爵がびくっとする。
「寝巻だから・・・!」
「・・・・はぁ?」
涙がぽつぽつとシーツに落ちる。
「・・・ずっと、そうやって、人のこと信用できずに生きてきたんですか。」
子爵は、頷かなかったが首も振らなかった。
「悲しいですね。」
涙が出るくらい。
「そんなの・・・、悲しいですよ。」
「・・・うん。」
子爵は悲しげに微笑んだ。
「悲しいよ。」
そう呟いた子爵の声が優しくて、私はどういうわけか涙が止められず、嗚咽をこぼして泣いた。
そして、決めた。
「ひとつ、条件があります。」
「・・・条件?」
「私のこと、信用して。」
睨んだ、と思われても仕方ないくらい子爵の顔を見つめた。
「私のことを、信用してください。」
「ラピス?なんの・・・――」
「じゃないと、私はこの城飛び出して、借金を踏み倒します!」
「・・・は?」
子爵はきょとんとしてまじまじと私の顔を見つめた。そしてその2秒後に、吹き出して大笑いした。
「あはははははっ・・・!なんだそれは・・・!」
「な!何がですか!いいんですか!私が此処から逃げるってことは、借金踏み倒すってことですよ!止めるところでしょう、常識的に考えて!」
「いやいや・・・。」
笑いをこらえながら子爵が言った。
「分かった。莫大な借金だ。踏み倒されたらかなわない。君のことを信用しよう。」
「・・・本当に?」
「ああ。」
「嘘付いたら、殴りますよ!?」
「つかないよ。」
「絶対?!」
「しつこいな。」
「・・・絶対よ!」
「分かってる。」
ああ、嘘かもしれないけれど。
この時交わした約束を、私はずっと忘れない。
貴族の世界は、魔女の世界は、子爵を取り巻く世界は窮屈だ。
窮屈で孤独で、残酷だ。
そんな子爵の孤独を和らげたいなんて、大それたことがしたいわけじゃない。
でも多分、誰か一人でいい。誰かが心から自分を信じてくれたら。それはきっと、とても嬉しい。
「それじゃ、ずっと此処にいてくれるんだ?」
子爵がそう言って、いつも通り意地悪く笑った。
「しゃ・・・借金が無くなるまでです!」
そういう存在がいたことが、彼の心にいつまでも残るように。
しばらく私は、此処に残ろうと決めた。
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