私はどうして、こんなところで私、踊ってるんだろう。
 どうしたら、この張り付いたみたいな笑顔、ひきはがしてやれるんだろう。
 どうやって、この腰にまわされた手を、ひきはがしてやれるんだろう。
「・・・子爵?」
 にっこり笑って見せる。上品に、上品に。
「どうした?私の可愛い姫。」
 思ってもないことを・・・!
「皆さんが見てますわ。」
「いいじゃないか、見せてあげなさい。君の可愛い姿を。」

 ああもう、話が違う!

 ***

 馬車に揺られて30分。屋敷に到着するなり、わっと場が湧いた。
「子爵!」
「ヴァーテンホール様!」
 ああ、やっぱり女の子の声は見事にハーモニーを奏でるわね。
 ただし、そのハーモニーはすぐ消え去った。
 そして、突き刺さる私への視線。
「・・・だあれ?」
「知らないわ。どこの家の娘?」
 ――ミヤッコです。
 ひそひそ声もはっきり聞こえる。こう見えて地獄耳なんで。
「ウィル!」
 そんなざわめきを割くように、快活な声が耳に届いた。
「やあ、これはこれは。」
 子爵が声の主のほうに振り向き、両手を軽く広げた。
「久しぶりだな。」
「ああ、久しいな。」
 友人だろうか。二人は握手をして挨拶を交わした。
 栗毛の優しい顔立ちの青年。同じ優男でもブレトンとは違うタイプの気品ある男だった。
「こちらは?」
 私のほうを見た。
「ああ、彼女はラピス。私にとって特別な存在だ。」
「・・・お前!ついに・・・!」
 一気にあたりがざわついた。女性だけでなく、男性陣も驚いた声を上げた。
 うわわあああ・・・――いたたまれない!
 特に周りから婦女子の目線が、体中に突き刺さる。
「お初にお目にかかります。ラピス。私はミケル。子爵の古くからの友人です。」
「はっ、はじめまして、ラピスですわ。以後、お見知り置きを。」
 しなくていいけどね・・・。
「可愛らしいお嬢さんだ。やるな、ウィル。」
「そうだろう。」
 うっわ、肌が泡立つわぁ、この会話!
 ぞわぞわ感じる悪寒を営業スマイルで押さえつけ、何とか耐える。
「行こう。」
 子爵は流れるような仕草で手を差し出した。
「ご・・・ごきげんよう・・・。」
 ミケルに対してぺこりと頭を下げて、子爵の手をとってその場を離れた。
「く・・・くっくっく」
 ――ああ、そう、この人はこういう人。
 我々を囲っていた人だかりを背に遠ざかりながら、子爵は笑いをこらえていた。
「・・・もう、笑うのやめてください。」
「いやいやいや。なかなかいい演技だよ。ラピス。」
「・・・そっちもね。」
 こっちの皮肉も通じず、子爵はまだ楽し気に笑っていた。
「っていうか、ウィルって名前なんですね。子爵。」
 子爵は足を止めて、笑顔のまま数秒固まった。
「知らなかったなぁ。」
「・・・君は、仕えてる人間の名前も覚えてないの?」
「だって名乗らなかったじゃないですか。別に名前で呼ばないし。」
「・・・ああ・・・そう。」
 あれ、なにその哀愁。
「ほら、もう広間のほうへ行きませんか。皆見てますよ。こんな陰にいたら・・・。」
「君と接吻でもしていると思われてしまうね。」
 不意打ちで、くいっと指で顎を持ち上げられた。
「・・・・・・・・・いい加減。ジョークはそこまでにしてもらえます?」
 顎を上げられたまま、じいっと睨みつける。
「あはは、怖い怖い。分かったよ。行こう。」
「言っときますけど。私がブレトンさんに出された要求、『女であること』だけですからね。それ以上は何もしませんからね。」
「はいはい。」
 くすくすと笑いながら、子爵は再び私の手を取り歩き出した。
「ごきげんよう。お嬢様がた。」
「まぁ!ヴァーテンホール様!ごきげんよう。」
「お久しぶりですわ。」
「お会いできてうれしいですわ。」
 人とすれ違うたびに鮮やかに愛想を振りまいて、婦人たちの黄色い声をかっさらう。
 本当にモテるのね…、と実感した。いや、信じていなかったわけではないけれども。
「そちらの方は?」
 おっと、大広間に着いて人が増えたから、また視線が突き刺さり始めた。
「ああ。ラピスだ。私の特別な娘だよ。」
 ぐいっと前に押し出される。
「う。わ・・・。ご・・・ごきげんよう。」
 何もしないって言ってるのに!と、憤慨しても仕方ないので、全力でにっこり笑ってみる。
「ごきげんよう・・・。」
 ああ、睨まれた!
 女の子たちから冷たい目で見られることは、正直、結構堪えた。
「リリス嬢は?もうお会いになられましたか?」
 子爵が取り巻く女性たちに向かって問いかける。
「いいえ!まだですわ。」
「主役ですもの。お父上のラウル様もお見えになってません。」
 我先に回答する彼女たちを見て、なんだかいじらしく、微笑ましかった。
「まぁ、派手好きなあの人のことだ。きっとショーじみたことでもやるんだろう。」
 子爵はくすくすと笑った。
「ふふ、楽しみですわ。」
 ・・・この会話、完全に蚊帳の外だ。こういう時、私はどこを見ておけばいいんだろう?
「ねえ子爵?あとで一曲お相手いただけませんこと?」
「あらずるいわ!私も!」
「私も!」
 立候補が次々に子爵に詰め寄った。
「すまない。今宵は彼女との先約があるんだ。またの機会でもいいかな?」
 子爵はにっこりと笑って私の肩を抱き、そう答えた。
「・・・まぁ。」
「しかたありませんわ。」
「きっとよ!」
 うわあ、また睨まれた・・・!火花が散っているのすら見えそうだ。
 女の子には嫌われるタイプじゃなかったのに。もういやだなあ・・・。
 少々落ち込みながら、颯爽と歩く子爵の後ろをカルガモのようについて歩いた。
 そして正直、かかとが痛い。
「あの、踊りませんよ。私。」
「ああ、しまったな。変な約束をしてしまった。」
「・・・子爵。」
「いいじゃないか。一曲くらい。」
 彼は意地悪くに笑った。私が踊れないの知っててやってると見える。
「嫌で・・・」

ッパーーーーーーーーーーン!

「!!」
 突然耳をつんざく凄まじいクラッカー音。
「淑女、紳士の皆様方!」
 そして馬鹿でかい声。
「お待たせいたしました!主役の登場――!ラウル様と、リリス様です!」
 わっ、と拍手が起こる。
「・・・何ですかこれ。」
 行き過ぎたエンターテインメント・ショウを見せられている気分になる。
「ここの一家は派手好きで有名なんだ。こういう演出は毎度のことだよ。」
 そして現れる2mを超えるケーキ。
「・・・わっ。すごい。おいしそう!」
「美しい、という感想はないのかな。」
 うるさいな、どうせ食い意地はってますよ。
 そして始まるド派手な演出と音楽。
「さ、踊ろう。」
「へぇ!?」
 ぐいっと手を引かれ、腰に手が回る。
「ちょっと・・・子爵!」
 もつれる足で子爵のリードになんとか乗っかる。
「はは。うまいじゃないか。」
 うまくなんてありませんよ!
 慣れないヒールで不安定な足元。私がよろめいても、くるり、さらりと、子爵はリードをくれる。
「うまいうまい。」
「・・・お世辞ならいりませんよ。」
 うわ、なんか私、貴族みたいなことしてるわ。
 そんなシチュエーションに少なからずときめくのは、やっぱり憧れじみたものがあったからだろう。
 でも。
「・・・似合わないから。」
「ん?」
 こんなの、やっぱり私に似合わないって、痛感する。
 周りをちらりと見れば、美しく着飾って、気品ある女性が軽やかに踊ってる。
 住む世界が、違うんだもの。
「ラピス・・・?」
「なんでもありません。」
 子爵には私の気持ちは微塵もわからないようだった。

 その後も、いろんな人(主に女子)に、なんだか睨まれて。
 いろんな人に、おべっかを使われて。
 いろんな人に、偽りの自分を見せて。
 なんだか、ものすごく憂鬱になった。
 そう、一言で言うなら。

 かったるい。


「疲れたか?」
 バルコニーで少し風に当たっていると、子爵がどこかからもらって来たワインを渡された。
「・・・いえ・・・大丈夫です。」
 ぼんやりと光溢れる部屋を見る。ああ、ひどく煌びやかだ。
「ラピス?」
 文句の一つでも言われると思っていたたのだろう。大人しい私に、子爵は首を傾げた。
「・・・やっぱ、似合いません。私。こういうの。」
 ドレスを見る。
「そりゃ危険な仕事も、嫌だけど・・・、私・・・本を直して、整理してる時が、一番自分らしいなって・・・思ってしまう。」
「ラピス・・・。」
「・・・疲れます。こういうの。」
 弱音のようなものをこぼしてしまったな。
 少し恥ずかしなり、へらっと笑ってごまかした。
「ちょっと・・・失礼します。」
「どこへ?」
「・・・なんていうのかな。貴族的には。」
「?」
「庶民的にはトイレです。聞かないでくださいよ。」
 そう言い捨てて、私はその場を去った。
「・・・・・・・ぶ・・・っ!」
 子爵は少し間おいて、吹き出して笑った。

 ***

 子爵は、一体どういうつもりで私を側に置きたがってるんだろう。
 悪意を持ってのことじゃないってのは分かる。
 でも、私に惚れているようなことも絶対にないだろう。
 もしそうなら、あんな風にからかったりしないで、もっとストレートに口説くはずだ。
 100パーセント私の反応を楽しんでるだけだ。
 騙されているとしか思えない。
 玩具にされてりるとしか思えない。
 そう、退屈しのぎってやつだ。
「はぁ・・・。」
 なんだか切ない気持ちになって、ため息をつき、トイレを探してとぼとぼと暗い廊下を歩いた。

「ラピス嬢だな?」

「え?・・・あ!」
 がしっ!と後ろから腕と腰を掴まれ、突然動けないようにされてしまった。
 あまりに手際よく押さえつけられてしまったので、驚く暇もなかった。
「・・・・・・誰。」
 抵抗はせず、とりあえず落ち着いて、問う。
 これはまた、いい雰囲気ではない。
「静かにしろ!」
「い・・・!」
 ぐいっと、乱暴に抑えつけられる。
 そんなにうるさくした覚えはないのに。
「アレはどこにある。」
「は?」
「在処を知っているんだろう。お前は・・・あの男の特別な存在なんだから。」
「・・・知らないわ。」
「ふざけるな!」
 がっ!と、思いっきり頭を壁に打ち付けられた。
「大した婢女だ。あの男はお前を玩具程度にしか考えていないらしい。」
「・・・っ!」
 今のは痛かった。頭がひどくズキズキする。
「何も知らないような程度なら、放っておいても贄にでもされてしまうに違いない。」
「に・・・え?」
「最期にもう一度聞くぞ、魔女の粉のレシピはどこにある?」
「!?」
 何それ。
「・・・知・・・るわけないでしょ。そんなもの。どうして子爵が持ってるなんて決めつけるのよ・・・!」
 魔女の粉?マリットの家から持ち帰った、あの毒のこと?
 レシピ?毒の調合方法のこと・・・?
 全然わからない。何を言っているのか。
 だけど。
「たとえ知ってても、あんたみたいな下手人に言わないわよ!」
「っの・・・!」
 やられる・・・!
 ぎゅっと目をつむって覚悟を決めたときだった。

「はいはい。」

 っドォ!
「う・・・ぐおおおおおおおおおおおお!」
 真後ろで何か鈍い音がして、掴まれていた腕が解放されたかと思うと、醜い悲鳴が暗い廊下に響き渡った。
「・・・だっ、誰!」
 よろめいて、体勢を崩しながらも必死に状況を理解すべく顔を上げた。
「良かった、ちゃーんと動いてくれたね。」
「・・・ブレトン!」
 そこにいたのはブレトンだった。どうやらおもいっきり下手人を蹴り飛ばしたらしい。
「どうして此処に・・・!」
「いや、これ、僕の仕事だから。」
「え?」
「こういう伯爵のことを狙う輩を見つけて、やっつけるっていう仕事。」
「・・・・・・ええ・・・?!」
 そんな、かわいい顔でにっこりされても納得いかないわよ!
「・・・っのおおおおおおおおおおお!」
「あっ・・・!ブレトン!危な・・・――」
 男が再び向かってこようとした時だった。
 ザッシュ!と、嫌な音がして、また血しぶきが目の前でどばっと飛び散る。
「・・・・・・っあ!」
 驚きすぎて、息がうまく吸えない。叫びたいくらいの光景なのに、短い声が漏れただけだった。
「おや。」
 ブレトンが構えようとしていた剣から、手を離した。
「あなたも此処に?」
「ああ。ブレトン久しぶりだな。元気かい?」
 下手人の、命を絶った男は、子爵の古くからの友人だと名乗った男だった。
 躊躇なく切りつけたその男は、人を殺したすぐ後にもかかわらず、柔らかく微笑んでいた。
「レディも、無事かな?」
「・・・え・・・!あ・・・!は・・・」
 どうしよう。体が震えてる。頭痛い。足も。
 ミケルはにこりと微笑んだ。
 そして血まみれの剣で空を切って血を弾いてから、持っていたハンカチで刃を拭いた。
「うーん。廊下を汚してしまった。あとでラウル殿に叱られるな・・・。」
 彼は惨状を見渡しながら悠長にそう言って、くるりと振り向いた。
 そして、私とブレトンと死体を順々に見て息をついた。
「・・・ああそう。そういうことか。」
「え・・・?」
 彼はふっと笑って、それからじっとブレトンを見た。
「だから彼女を連れて来たんだね?」
「え?」
 私?
「・・・・・・まぁ、そうとも言えますかね。」
「え?」
 分かるように言ってほしい。
 ミケルは首を振り、ため息をついた。
「私はもう行くよ。服が最低最悪な状態だからね。」
「ええ。どうぞ、ごきげんよう。」
 ブレトンはあっさりとした挨拶で頭を下げた。
「うん。元気でね。」
 その笑顔が少し怒っているように見えたのは、私の見間違いだったのだろうか。
「君も。」
「え!?あ・・・!はい!」
 私!?
「気をつけて。この先も。・・・こういうことは、きっとあると思うから。」
 いや、そんなの願い下げたい。
「は、はい。ご心配・・・痛み入ります。」
 そして去っていく足音と残される沈黙。
「・・・っぁ!!」
 ミケルの姿が見えなくなると、一瞬にして緊張が解けた。
 ずるずると、腰が砕けて足から地面に落ちる。
「大丈夫ですか?」
 ブレトンがすっと手を差し述べてきた。
「・・・っ!」

 パン!

 思いっきりその手を弾いた。
 ブレトンは表情を変えず、何も言わなかった。いっそ、白々しいくらいにいつも通りのブレトンだった。
「私のこと・・・、釣りの餌にした?」
「・・・・・・そう、なってしまったようですね。」
「っ・・・!」
 がば!っと、無理して立ち上がった。
 腰に力が入らずよろけたが、私はブレトンを放置して、ずんずんと元来た道を戻った。

 頭が、真っ白だった。

 ***

「やあ、済んだのかい?」
 バルコニーで夜風に当たり、髪をなびかせていた子爵が、こちらを見て微笑んだ。
「帰る。」
「・・・え?」
「帰ります。」
 私はそれだけ呟いて、バルコニーから離れ、ずんずんと、パーティー会場の中を突き進んだ。
 時には踊っている若いカップルにぶつかりながら、なんとか出口の方へと歩いて行った。
「ラピス!」
 知るか。
「ラピス・・・!待ちたまえ!」
 待たない。
 知らない。
「ラピス!」
 ザっ・・・!
 靴の裏で地面を蹴って初めて、屋敷の外にいることに気がついた。
「私のこと・・・――」
「え?」
 子爵が追いついたようだった。
「つれないって言ったけど、本当は、釣る気なんてなかったんでしょう。」
「・・・ラピス?」
「泳がして、・・・もっと大物を釣る気だったんでしょう!」
 子爵は黙った。
 私の顔を見て、起ったことを全て察したみたいだった。
「嘘付き・・・!」
 逃げてやる。
 逃げてもいいって言ったのはそっちだもの。
 いいの。このまま、逃げてやる!
 私は、走り出していた。

「・・・・・・ブレトン。」
 取り残された子爵は小さい声でブレトンを呼んだ。
「はい。」
 ブレトンは子爵の後ろについて、すっと頭を下げた。
 子爵はブレトンのほうを振り向かずに言う。
「お前、ヘマしたな。」
「・・・いたしました。」
「それで、標的は。」
「殺されましたよ。ミケル様に。」
「ミケル?」
「たまたま通りかかって・・・。」
「また買いたくもない恩を買って・・・。」
「すみません・・・。」
 子爵ははぁ、とため息をついた。
「尻尾を出すのが、早かったな。」
「早すぎました。まさか直接本人を狙うなんて・・・。」
「お前の落ち度だ。」
「申し訳ありません・・・。」
「はぁ・・・・・・。」
 もう一度、先ほどよりも深いため息。
「・・・どうしてくれるんだ。」
 子爵は月を見上げた。
「あんな顔、今まで女にさせたことないぞ・・・。」


 嘘付き!

 何が、危険な仕事はさせないから、側にいてくれやしないか!だ!
 結局こうじゃない!
 ぐちゃぐちゃの頭の中で吼えながら、無我夢中で歩き続ける。
 足が地面に付くたびに、頭がガンガンした。
「あったま痛い・・・・!」
 涙が出た。あの男が思い切り壁にぶつけてくれたおかげだ。
 キラキラしたドレスと、キラキラした舞踏会。キラキラした貴族達と、キラキラした子爵。
 似合わない。こんなもの。
 ばさっ!と、歩きながら髪を無理矢理ほどいた。髪が抜けて痛かった。
 釣りの餌にされるミミズかなんかが私にはお似合いよ・・・、分かってるわよ!
 知ってるわよ!
「・・・~~~~~~~~~~~~っ!」
 なのに。全然、止まらないから困る。
 涙。
「これから・・・どうしよう・・・。」
 頬を伝う水滴を拭い、呟く。
 一度屋敷に帰って、色々、お金とか荷物を取りに行きたい。
 そして、そのままトンズラこいてやりたい。
 でもしまったな、頭に血が昇って考えてなかった・・・。
「ここ・・・どこよ・・・。」

 気が付けば真っ暗な森の中にいることに気が付いた。

 ***

 一方、屋敷内では宴もたけなわ、誕生日パーティは終盤を迎えていた。
「ええー!?ウィル様帰っちゃったの!?」
 一通り、あいさつ回りを終わらせて、お誕生日席に戻ってきたリリスが子供っぽい声を張る。
「なんでなんでー!?ミケル、どうして!?」
「いやぁ・・・多分修羅場なんじゃないかな?」
 はは、とミケルは乾いた声で笑った。
「修羅場!?・・・あぁ!あの方ね!今日ウィル様と一緒にいた!」
「そうそう。」
 たぶん、リリスが思っている『修羅場』とは意味が違うのだけれど。
「・・・別れちゃえばいいのに。」
 リリスは素直に、安直な希望を口にした。
「こらこら、人の不幸を望まない。」
「じゃあ!私の不幸は、幸福にはならなくていいの?!」
「我儘だよ、リリス。」
「うー・・・。」
 まだ幼さが残る15歳の少女は、眉間にしわを寄せて頬を膨らませた。
「ミケルお兄様、私・・・、今度あの娘に話をつけに行きますわ!」
「えー?やめなよー・・・。」
「いいえ!」
 ふん!と鼻息を鳴らす。
「絶対絶対!負けなんか認めないんだから!」

 ***

 そんな一方的なライバル宣言はつゆ知らず、当の娘は森の中を彷徨っていた。
「くそう・・・もっとご飯食べてればよかった・・・。」
 お腹が酷い音で鳴る。
 しばらく歩いたが、一向に村の明かりも見えないし、ここがどこだかわからない。
「頭痛いし・・・っ!お腹すいたし!・・・道に迷うし!もういや!」
 野宿って危険かな・・・。と、周りを見渡す。
 とりあえずしばらく歩いてみたところ危険な獣はいなさそうだった。
 太陽さえ昇ってしまえば、きっと大丈夫だ。
 しかしその場合、子爵の城にある自分の荷物は諦めるしかない。
 なけなしのお金が、勿体ない。あと、身分証がないと困るだろう。
 といっても、今は無き王制の時の身分証だから、今も通用するかは分からないが。
「・・・あぁ・・・。」
 もう進むのは諦めて、ばさっと地面に背中を投げ出した。
「綺麗な星・・・。」
 今日は月もある。
 亡き王の娘の名前は月の名前だった。
 ドレスで一人野宿をしようとしている自分に、なんだか城をほっぽりだされた王女を重ねてしまった。
『・・・あなたはどういう気持ちだったの?』
 そう、問いたくなる。
「・・・私は、心細いよ。」
 また、涙が出た。今度は痛みではなく、とても悲しい気持ちになったから。
 ガサ・・・
「!」
ガサササ!
 何かの音。草をかき分けて、何かが来る音がする。
 ――な・・・泣いてる場合じゃない!
 がばっと身を起こし、音の方を見る。
 まだ音は遠い。でも、確実に近づいてくる。
 夜盗?いや、人なら明かりが見えるはずだ。
 つまり、獣だ!
 だとしたら、いくら身をひそめても仕方ない。鼻が利く奴らに自分を隠す手段はない。
 イノシシ?まさかオオカミ?こんなところで襲われたら・・・――

 ―――獣に襲われかけたら。

 母の声が頭に蘇る。

 痛む頭を少し抑えながら、近くに何か武器になるものがないか探す。
「こころもとないけど・・・。」
 細い棒が落ちていた。まだ、葉っぱが付いている木の枝だったが、脅しくらいにはなるでしょう。
 ガサガサ・・・!
 その棒を振って、こちらも音を鳴らす。
 すると。
 ガサササササ!
「ぅ!!び・・・っびびんなさいよちょっとは!」
 こちらの音に反応したようで、こっちにむかってすごい勢いでその音が近づいてきた。
「や、やったろうじゃない・・・!」
 ああ、頭が痛い!・・・じゃない!集中しないと殺られる!!!
「イノシシなんて・・・っ、怖くないのよおおおおおおおおお!」

 ガササァ!


 そして、衝突したのである。
 私と、その獣が。



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