ダブリ続 7

ミドリ。それは私の名前とは違って、名字の漢字からとられたあだな。
でももう20年くらい、周囲からはミドリと呼ばれている。
あんまりミドリと呼ばれるから家族からも呼ばれる始末。
っていうのも多分。
私は、本当の家族じゃないからだ。

「・・・ミドリ!」
「・・・は・・・。」
「起きた?」
荷田が微笑んだ。ほっとした顔だ。
「・・・何時?」
「11時。私今日昼からだから。」
「・・・あ・・・うん。」
「出かける?」
「・・・うん。」
「何時に戻る?」
荷田は荷物をまとめながら言った。
「夕方には・・・。」
「そか。私今日は5限まであるから。帰り、多分7時くらいンなる。鍵、渡しとくね。」
チャリン。と可愛い鈴が鳴って、鍵が宙を舞い、手の平にやってくる。
「うん。」
「じゃ、行くけど。戸締りよろしく!」
「ありがとう。」
「ううん。」
荷田はにこっと笑った。
「・・・ミドリ。すごくうなされてたよ。大丈夫?」
「・・・え。」
「気になっただけ。・・・じゃ、行ってくるね。」
「うん。ばいばい。行ってらっしゃい。」
バタン。

うなされていた・・・?

ミドリは荷田のいなくなった、静まり返った部屋でしばらく呆けていた。
でも、やらなければならないことを思い出し、立ち上がった。
行かなくては。
あの場所は。此処からそう、遠くない。


「いづみ?」
いづみが出かける準備を始めたので、マツリは首をかしげた。
「どこいくの?・・・買い物なら・・昨日行ってくれたよね。」
「ん。走りに行くの。」
「・・へえ。私も行こうかな・・・。」
「マツリ、私インターハイも目じゃない選手なのよ?ついてこれんのー?」
にやっといづみが笑う。
「・・・。」
無理。
「行ってらっしゃい。」
「そう。それでよし。大人しく待っててねっすぐ帰るから!」
いづみは駆け足で部屋を飛び出した。
「・・・。」
マツリは小さなため息を漏らす。
私も、此処から出たい。閉塞感が、苦しい。
このやけに豪華な仮眠室も、なんだか自分の部屋みたいだな。
4つ並んだベッド。
リョウがいない。
メグも。
「・・・・・・・・・・・。」
気が滅入る。
だめだ。少しでもいいから、動こう。
立ち上がった。
「マツリ。」
「!」
そこにやってきたのは、河口だった。
「河口さん。」
「暇か。」
「・・・暇ですよ。」
暇なんて、要らないのに。考える暇なんて。
「ちょっと付き合え。」
「え・・・。」
ぐいっと手を引かれた。
「あの・・ちょ・・っ。」
連れていかれたのは、薬品室だった。
「・・・・?」
「そこ座れ。」
「・・・はい。」
あいかわらずぶっきらぼうだな。
マツリはしぶしぶ椅子に座る。
「胸、開けろ。」
「へぇ?」
「変な意味じゃない。これ、塗ってやるから。その痕。あるところまで、出せ。」
「・・・・・・・・。はい。」
何だ突然。
マツリは着ていたシャツのボタンを3つ開けた。
そんなところまであるとは思ってなかったため、河口は少し驚いた。
「・・・首、あげろ。」
言われたとおりにする。
「触るぞ。」
「・・・はい。」
冷たい。
心まで、冷えそうだ。
「なんか、断わられると、逆に下心がありそう。」
「人の好意を何だと思ってんだ。」
冷たい薬品が塗りこまれる。
「つめた・・・。」
「我慢しろ。これくらい。」
「・・・はい。」
まあ、あの施設にいて、毎日実験を受けていたころに比べたら、屁でもない苦痛です。
「これ塗ったら、まあおそらく、早く消えるだろ。」
「ありがとうございます。」
冷たい薬品の匂いが、少しだけつんとした。
「河口さんは、どこで寝てるんですか?」
「あ?ああ。まぁ、緑堂もだが・・・、病室で。」
「・・・というか、ここワクチンを作ってる研究所ですよね?」
なんでオペ室にも使える部屋とか、病室が?
「まあ、もともと国光の施設だからな。結構こういう無駄も含め、施設は充実してた。」
「・・・そうですか。」
冷たいのが鎖骨に至る。
「・・・くすぐったい。」
「説得力のある表情で言わないとわかんねえな。」
「我慢してるんです。ほっといてください。」
「・・・胸は自分で塗れ。見えるだろ。」
「はい。」
手渡される。薬品の入ったケースすら冷たい。
「まさか塗ってくれるのかと思った。」
「そこまで面倒見は良い方じゃない。」
「・・・はは・・・。」
「・・・ったく。」
笑えた。
河口も笑った。
笑える。まだ。
こんなに笑えるもんなんだ。
絶望は、死に至る病なんて言うけど。こんなの。全然。まだ、生きていけるってことだ。
「この薬品、自分では触るなよ。」
「・・・どうしてですか?」
「常温で保存すると、ダメになる。でも此処の出入りを自由にするのも危ないからな。」
河口はマツリから薬品を受け取り、冷蔵庫に薬を戻した、
「・・・ありがとうございました。」
「どういたしまして。」

すごいスピードであざは薄くなった。


「ねぇ。椎名先生。」
いづみが外に出かける前に、椎名のもとに行き、話し始めてすぐにため息をついた。
「・・・君は迷ったら俺のところに来るねぇ。」
「迷惑ですか?」
「いいえー。」
微笑む。
「・・・メグは、どうしてマツリをふったのかな。」
「・・・んー・・・。」
椎名は困ったような顔をした。
「メグは、自分はマツリのそばにいるべきじゃないって言ってたよ。」
「なにそれ。あの状態のマツリの側にメグ以外の誰がいるべきだって言うのよ!」
「ねぇ、見ただろ。クリスの化け物。」
「・・・っみ。見ましたよ。・・・久しぶりに・・・戦慄しました。」
ぞっとする。
「あれね。マツリの・・・特異体質は知ってたっけ?」
「知ってます。感情が放出する、とか。聞いたような気がします。」
「そう。それがまた起こっちゃってね。それでクリスの化け物は復活したの。」
「・・・復活・・・って。もう、いなくなったんじゃ・・・。」
「いないよ。メグの腕にも、もういない。はず。」
はず。いづみは心の中で復唱した。
「マツリが引き金で、化け物は復活する。これはかなり確率の高い推論だ。」
「・・・じゃあ。」
「マツリとメグが近くにいると、いつ、メグの化け物が復活するかも分からない。」
「・・・・・・それは。」
「マツリが極端にメグを『怖い』と思えば、そうなる可能性が高い。」
「・・・怖い・・・?」
「恐怖を食べる化け物だからね・・・。」
「・・・・・・・。」
「で、まぁ、あの時、怒ってっていうか、理性飛んでっていうか。まあマツリを怖がらせちゃったんだよね。あの馬鹿。」
「・・・あの時って、この間?」
「そうそう。まあ、あのキスマークは・・・わざとらしいくらい、あてつけだったからねぇ。」
「・・・・・・。」
いづみは眉を寄せた。
「まあ、あれこれぐちゃぐちゃしてしまって、メグはマツリから離れた方がいいって判断したんだろうね。」
「・・・馬鹿ね。」
「馬鹿だよねぇ。」
笑う。
「でも、近くにいて、お互いに傷つくだけの関係なら、それは不毛じゃないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
難しい。
難しいのよ。いつも。
好きとか嫌いとか、私は、めんどくさくて、ダメだ。向いていない。
「・・・人を好きになったことがある人にしか、多分わかんないんでしょうね・・・。」
「え?」
「いえ。じゃ、失礼します。お大事に。」
いづみは一礼してそのまま足早に去ってしまった。
「・・・・人を・・・好きになったこと・・・ねぇ。」
椎名はふっと笑った。
「俺も、ねぇや。この顔になってから。」


私の父は、もともと国光で働いていた医者だった。
兄も、同じように国光で働いていた研究者だった。
兄は、知ってたのだろうか。
私がなんなのか。
だけど、兄は、私のことをアスカと呼んだ。
彼だけは私をミドリとは呼ばなかった。
だから、一番。大切だった。

「・・・アスカが?」
緑堂は松田から話を聞き、起き上がる。
「無理しないでください。」
「平気です。それで、アスカは?」
「まだ見つかっていません。いなくなったのが分かったのも遅かったんです。もしかしたらおうちの方に帰っているのかと思ったんですが・・・。」
「まだ、帰ってない・・・。」
「報告が遅れてすみません。」
「いえ・・・。」
緑堂は首を振る。
「・・・あの。」
松田はためらいながら尋ねる。
「緑堂さんの亡くなったお父様って、・・・どの分野に所属していらっしゃったんですか?」
「親父ですか・・・?」
緑堂は顔をしかめる。
「ええ、確か国光の医者でしたよね・・・。かなり昔ですが・・・。」
「その質問の意図は・・・?」
「・・・あの妹さん。検査で、特徴的な数値が出てるんです。」
「・・・・・・そうでしょうね。」
緑堂はため息をついた。
「アスカは、親父の昔愛した女性の、クローンなんですよ。」

お母さんも、お姉ちゃんも、すごく優しい。
私のこと、心底愛してくれてる。
満たされてる。
大好きだよ。
だけど、時々綻びを感じるんだ。
抱きしめても、抱きしめても、感触のない感情。
私は、もっと。満たされたいんだ。


彼女の夢を見た。
微笑んで、俺の名前を呼んで。
細い指で俺の手をとって、頬に触れさせてくれた。
安心する。
細い体を、抱きしめて壊したくなる。
その首にだって。

「メグ・・・!」
「・・・。」
メグは眼を覚ました。
「・・・大丈夫―?」
リョウが問う。
「・・・ああ。」
あ、寝汗がすごい。
「着いたよ。」
「・・・。」
着いていた。ひと眠りしてしまっている間。
「・・・わり・・運転頼んで、寝ちまった。」
「いいよ別に。」
にこっとリョウが笑う。
「で、此処であってる?」
「あってる。」
極東原子炉。奔吾達の本拠地。
色々、寄ってから此処に向かった。
「・・・で。どうすれば?」
リョウは尋ねる。
「帰ってもいいぞ。・・・帰りたいなら。」
「冗談。最後まで付き合うよ。」
「・・・は・・。」
笑う。
本当に、竹を割ったような性格の女だ。
「じゃあ、行くぞ。」
「此処に何があるのー?」
「マツリの父親に会う。」
「・・・・。ふった女の父親に、どういう顔で会うのか、見ものだなあ。」
「お前、時々いい性格してるな。」
「褒め言葉。」
眩しい笑顔で笑うやつだ。

「・・・メグ。」
ドリーが、どうやって知ったか、玄関で待っていて、出迎えてくれた。
「よぉ。」
「こちらは?」
「長谷川寥です。」
にっこり。
「松田の妹。」
「ああ。話には聞いたことある。ドリーだ。よろしく。」
「日本語、ぺらぺらだね。何人?」
「ドイツ。」
握手。
「マツリは?」
ドリーがメグに聞く。
ああ、地雷。
「・・・マツリは、椎名に任せてる。」
「病人に任すなよ。・・・元気か、って聞いたつもりだったんだけど。」
「・・・元気。・・・なんじゃねえの。」
「・・・・・・・。」
分かりやすい奴だなあ。
ドリーは諦めた。
「で、用は?」
「しばらく此処にいたい。そもそも、そういうつもりで前回此処に呼んだのはお前だろ。」
「奔吾さんだよ。俺はメッセージ作っただけ。そっちの彼女も?」
「ああ。」
「よろしくっ!」
にっこり。
うーん。毒っ気のない子だな。
「やっぱり。マツリの側にいるのは危険だって、思った?」
「・・・エスパーかお前は。いつもいつも。」
「奔吾さんを訪ねに来たつもりだろうけど、あいにく、居ないんだ。」
「なんで?」
リョウが訊く。
「ちょっと。野暮用。多分長く戻らない。ここ何日か国光殺しも収まってるし、このままクリスが見つかればいいんだけどね。」
「見つかってないのか?」
「ないよ。瑞穂に行ったんだろ?瑞穂からの消息は見つからない。」
「・・・・・・・・・。」
「それから、緑堂アスカも行方不明で。」
「・・・緑堂・・・って、あの女か。」
「そう。そっちの捜索も、まあ、今のところ行き詰まってる。」
「どうしたよ、元国光の情報力は。」
「今、ないからね。ネットワーク回線。それに人探しばっかりしてるわけにもいかないから。」
「まだ復旧させねえつもりか?」
「まあ、ぼちぼち。」
ドリーは、歩き出し、二人はそれについて行った。
「でもさ、メグ。」
「あ?」
「奔吾さんに会ったとしても、多分。それはメグの問題だと思う。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・エスパーっぽい?」
「・・・お前は絶対エスパーだ。」

午後3時。
「・・・いないし!」
いづみは憤慨していた。
頑張って都内まで来てみたのに。
「首都大・・・行ってみるかな・・・。」
あっちのほうはまだ行ってない。
「・・・いつか、5、6世紀くらい前の怪獣映画で、ここ舞台になってたよねぇー。」
国会議事堂が見える。まあ2度建て替えというか改修が行われたから当時のままではないが。
「行ったことないなぁ。首都に住んではいるけど。確か・・・入れるのよねぇ。」
ひとりごと。
いづみは議事堂を横目に歩き出し、そしてぶつかった。
「わ!」
「あ!」
「す!すみません!大丈夫ですか?!」
いづみはすぐに体制を整えた。
「・・・あ。」
偶然とか。
必然とか。
もしあるなら。
これは、なんだろう。
「いえ・・大丈夫・・・。」
「・・・アスカ・・・さん?」
「え・」
「緑堂、さん。ですよね?」
ぶつかった相手は、緑堂アスカだった。
「あの・・・。」
「あ・・!すみま・・・えと!ほら、首都大学の・・・!」
「首都大生?」
「ちが・・くて、いや。入れませんンなとこ!じゃない。えと。松田さんの講演の時の!」
「・・・・・・・。・・・っ!」
ミドリはびくりと身体を揺らし、後ずさる。
「あの、私。違うんで!ば、爆弾とか持ってません!」
そういうことじゃないか。
「あの!」
ミドリは一目散に走り出していた。
「ちょっと待ってください!」
いづみも走り出す。
もちろん。
インターハイ活躍必至の選手を前に、彼女はすぐに捕らえられる。
「は、なして!」
「ごめんなさい!ちょっと・・・待ってください!」
暴れる。
でもか細い手。いづみのほうが力が強い。
「安心してください!私・・・!あなたの味方です!」
「・・・味方・・・?」
「く、クリスの仲間でもないし。国光の・・・人でもない。」
「・・・でも。あの時。」
「あの時は、友人のお兄さんが狙われてて・・・っだから。」
「・・・・・・・。」
ミドリは動きを止めた。
「あの・・・。」
「私が、此処に来ていたこと。」
ミドリは俯き加減で話しだした。
「え?」
「秘密にしておいてもらえませんか?」
「・・・ど、どうして?保護されたほうが・・・っ」
「ダメなんです。私はあそこに保護されたくないし。今は・・・。」
「・・・・・・・・。」
よく分からなかった。
「あの・・・。」
いづみは戸惑う。
「えっと。」
「お願いします・・・!」
ミドリは再び駆けだした。
「・・あ!」
いづみは再び駆けだして、捕まえる気にどうしてもなれなかった。
「・・・・あ。お兄さんが無事だってこと・・・伝えるの忘れた・・・・。」
もしかして、兄を探していたのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・。」
どうしよう。


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