ダブリ4


あの化け物は、酷く深い優しさから生まれたものだった。

ざ――――――――――――・・・
雨の音で、目を覚ました。
「・・・・・・」
起き上がる。窓の外のあの曇天。昨日の夕日が嘘のようだ。
あの後、無言で二人は別れた。メグは顔を洗い、濡れた顔を鏡で見た。
「・・・・・・・・」
左手も映る。
「・・・・るせぇよ・・・ッ」
ドス・・・鏡を打った。
「・・・てめぇに喰わすもんはねぇんだよ・・・ッ」


学校。
「マツリちゃん」
振り向いた。
「・・・椎名先生。」
「や。どう?調子は」
「・・・普通です」
「メグは?」
「・・・・・・・・普通・・・です」
「・・ふーん」
にこっと笑った。
「聞いちゃったから。気まずくなっちゃたんじゃない?」
「・・・はい」
「聞いて、どうした、の?君は」
「・・・・・謝って・・・言いたいこと、言ってしまいました。」
「メグはなんて?」
「・・・・・なんで、オレの前に現われたんだよって・・・」
「・・・・」
「・・・いい加減しつこくて嫌われちゃったみたいです。私」
俯いた。化け物だから。
「・・・・・・・・・それ」
「え?」
「それ、本当に『うっとおしい』って意味の言葉かな?」
「・・・・・・・・・」
椎名がゆっくり歩きながら言った。
「違いますか・・・?」
「はは・・・訊いてみなよ」
脚を止めて、保健室の前。
「・・・でも・・・。」
「きっと、嬉しくてそう言ったんだと思うよ。俺」
「・・・・・・・」
じゃ、と椎名は手を振り、保険室へ入った。
うれしい?
「・・・・・」
マツリは再び歩きだした。
「・・・」


メグが。
どうして、独りで立っていたのか。分かった気がした。
メグが。
どうして、私にかまってきたのか。分かった気がした。
やっぱり。
やっぱり。優しいから。
彼は。
優しすぎるから。

風が吹いた。髪がばらけた。

あの化け物も、彼の優しさが生んだ全て。


「・・・・いづみ」
「あ。マツリ!」
いづみが振り向いて近づいた。
「おはよー。・・・あ、そういえば今日メグ見たよ。久しぶりだね朝からいるの。」
「・・・え?」
どきっとした。
「どうしたの?」
「ううん」
首を振る。
「・・・・今日は、行かないんだね」
「え?」
いづみがじっとマツリを見ながらいう。
「や、いっつもさ。メグがいるってなると、結構メグの所に行くじゃない?」
「・・・・そう・・・かな」
「ん」
「・・・」
そうなのかな。
「なに、喧嘩ぁ?」
「・・・・・違う」
「ふーん。・・・ま、正直あんたたちの関係ってよくわからないからなぁ・・なんとも言えないけど」
「・・・・うん」
いづみが好きだった。
分からなくっても、深く聞いてこない、彼女の心の深さが好きだった。
「泣かされたらいつでも言ってよねー。しばきに行くから」
ははっと笑った。

私は、化け物なんだ。


放課後。
ガコ・・・
いないと思ってあけた屋上の扉。だって雨だから。
「・・・・・・・・・」
やっぱりいなかった。
帰ろうと思って振り向いた時。
「ぅわ!」
メグがいた。ぶつかった。
「・・・あ・・っ。」
「んだよ、おま・・」
「や・・・メグ・・に」
「あ?」
メグがまっすぐマツリを見た。
「・・・・・ごめん」
「何で謝る」
「・・・・なんでって」
マツリが目をそらした。
初めてかもしれない。マツリが目を見ないのは。
「・・・・・」
マツリは黙った。
「・・・」
沈黙。
じっとメグはマツリを見つめた。
細いな。この女。いつもより近くに立って、わかる。
砕け散りそうな、今にも倒れそうな。そんなふわふわした華奢な女。
なのに、何にも動じない強い女。
それが今日は。
「・・・・マツ」
「メグ」
遮られた。
「・・・んだよ」
ふっとマツリがまた顔を上げてメグを見た。
ギクッとした。
いつもの真っ直ぐな目じゃない。
「化け物は・・・」
小さな口が呟くように。
メグは動揺した。どうしよう。これ。マツリの中でなにかが崩れそうな。目だ
「・・・・・化け物は・・私だったんだよ。・・メグ」
ゴ・・・・
遠雷がなった。
「・・・・・あ・・・?」
「うっとおしくって。ごめん」
すっと。
「マっ」
マツリはメグをすり抜けて階段をかけ降りた。
「・・・・・・・なんだ・・それ」
立ち尽くす。
女々しい女みたいではなかった。
弱い女みたいでもなかった。
でも。いつものマツリの中にあったなにか強い芯が、折れかけているように見えた。
「・・・・・・・マツリ・・・・?」


「だから、来週の日曜の試合は――」
「・・・はー」
ため息をついた。
陸上部のミーティング中。肘をつき外の雨を恨めしそうに見つめる、いづみ。
―― 嫌いなのよね、中練。
「あ」
マツリが下校しているのが見えた。
―― ・・・・そういや、今日ちょっと様子が変だったな、マツリ・・・。
「・・・・・」
―― ・・・ずっと思ってたけど・・。なんでマツリはメグにわざわざかまいに行ったのかしら・・・。
遠雷が光る。雲の彼方。
だって、マツリがメグに近づいて得られる利なんて、無かったはずじゃない。
興味本位だけで、あそこまで彼に近寄るものだろうか。

マツリ。
彼女は、何故。


今思えばメグなんかより、マツリのほうが、謎が、多かった様に思う。



―――普通じゃないよ。私は。


「・・・・・」
独りぼっち。雨を裂きながら、歩く少女。帰路。
川が見える。作りかけのビル現場をかすめる。古びた町を歩く。
見る。
1つのぼろぼろな工場跡の倉庫。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
雨でかすむ。
マツリは立ち止まる。
雨が脚に染込む。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聞くんじゃ・・なかった」
メグの。過去なんか。
メグの。気持ちなんか。
でも私は。知りたいという欲を抑えられなかった。
「・・・・・・ばけもの・・・・・・・・・・・・・・」
私の化け物は、優しさからなんか生まれてこなかった。
「・・・・・・・・・・・」
じっと、ひとつの工場跡を見る。
「・・・・・・・・」

メグを知れば知るほど。
私が。
どうしてメグに近づいたか、わかった気がした。
私が。
どうしてメグを知りたかったのか、わかった気がした。
私が、どれほどまでに罪深いか、わかった気がした。

「マツリ!」
「・・・!」
声がした。
「・・メグ」
振り向く。追いかけてきたメグがこっちを見てた。
「・・・・・なんなんだよお前・・・」
「・・・・・」
「変だぞお前・・」
近づいてきた。
「・・・そうだよ」
真っ直ぐメグを見た。
あ。あの目だ。いつもの。
「・・・・マ」
「普通じゃないんだよ。私は」
「・・・・んだそれ・・・」
脚を止めた。
「お前・・」
「私、同じだと思ったの」
「・・・は・・・?」
「同じムジナだって、思いたかったの」
「・・・何言ってんだ」
近づいた。
「きっとそれだけで、メグに近づいたんだよ。私」
「・・・マツリ・・」
近づいた。一歩間の距離。
「だから、謝ったの。私。」
「・・・・」
くるっとまた、帰路へ。
「待てよお前・・・ッ」
「来ないで」
「!」
「ごめん・・・。こっち側に。絶対来ないで」
だッ
「マツリ!」
走り出した。珍しく。彼女が。
メグはまた、取り残された。
「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・明日も、嵐だなこりゃ。」
カラン・・・
薄暗い部屋で。グラスを揺らして机に置いた。
「・・・で。君が客とは珍しいね」
ソファーから起き上がる。
「メグ」
「・・・・・・・・・保険医」
「・・・かけなよ」
にっこりと笑って、保険医は保健室のソファーを指差した。
メグは黙って座った。
「・・・で?なに」
「・・・・・・・・」
「あ、悪いけど未成年にお酒はあげれないから」
「いらねぇよ」
「そ」
カラン。
またグラスを持ち上げて飲む、バーボン。
「・・・・・・・お前・・・」
メグが口を開いた。
「・・・マツリになんか言ったのか」
「なにって。・・・・君の過去の事とかか?」
「・・・・ちげぇよ。・・・もっと他に。」
「マツリになにか言われたか?」
ソファーにもたれかけなおす。保険医。その金の髪。
「・・・・・・・マツリは、化け物は自分だって。言って。こっちへ来るなと言った。」
「・・・・・・・・ふーん・・・」
カラン。
「心当たり、ねぇのか」
「・・・・・・ないねぇ」
そっけない顔で笑った。
「・・・・邪魔したな」
立ち上がった瞬間だ。
「・・・・・・あの子の家。南町だったよねぇ・・・」
保険医が呟いた。
「・・・それがどうしたよ・・・?」
止まる。
「・・・・・や。学校のファイルでもさ。あの子の家のこと、ひとっつもわかんないんだよね」
「・・・・・・・・・・・あ・・・?」
「家族構成はおろか、きちんとした住所も、なにもかも。・・・ま、そんな深く調べてないからだけど。」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・やめときなよ?」
「は・・・?」
なにを。
「あの子の過去、洗い出すような真似、やめとけよ・・・?」
「・・・・・・・・・・」
「大切なら。なおさらな」
「・・・・・・・。邪魔したな」
ガララララララ・・・!ピシャ。
「・・・・・・・・・・・・」
荒れるなぁ。

バシャバシャ・・・
雨を弾きながら。メグは歩いた。
「・・・・・・・・・ッ・」
急に走り出した。
もう一度、あの場所まで。
こっちに来るなと言われた。あの場所まで。
 

なんなんだよあいつは。


「・・・・・・ハァ・・ッ」
息を切らした。そしてそこにつく。もう水溜りが泥を作っていた。
「・・・・・・・・・・・・・・マ・・・・」
そこにマツリがいたんだ。
「・・・・・・・・マツリ・・・」
「・・・・・・」
マツリがそこで、突っ立っていた。
カサをさして、突っ立っていた。制服のまま。
濡れているようにも見えた。
ただ、あの工場跡を見て、突っ立っていた。
「マツ・・・」
「こっち側に・・・来ないで・・・メグ」
「・・」
立ち止まった。
「どっち側だよ・・・」
悲しくなった。
「・・・」
黙ってこっちを見ないマツリが、折れそうなのに。悲しくなった。
「・・・・・メグは。こっち側がどんな世界か知らないんだよ」
「・・・・・・しらねぇよ・・」
知らない。
「お前のことなんか、ぜんっぜんわかんねぇんだよ」
「・・・」
「なんなんだよ、お前。人のこと引っ掻き回してよォ・・それでいていきなり謝ったり。いきなり離れていったり。」
「・・・・・」
「意味わかんねぇんだよ!」
声が大きくなった。
「・・・・・・・・・」
マツリは黙ってた。まっすぐ見てた。
「・・・・解らせろよ・・・」
「・・・・」
カサが揺れた。水が落ちた。
「・・・・ずるいんだよ・・・お前・・・ッ」
「・・・・・・」
ズ・・・
「お・・。おぃ・・・!」
水溜りをふんずけて、マツリは歩きだした。
工場跡。電気すらない。あの世界。
メグは追いかけた。
「マツリ!」
「・・・」
無視だった。
歩いて、歩いた。
工場跡のその中へ。
「・・・・・・・ッ」
ガコ・・!
入っていった。
メグは追いかけた。
「マツリ!」
ガコン!
中に突っ立つ彼女がいた。
「・・・・・・マ・・・」
「・・・・・・・・・・・・メグ」
口を開いた。
「・・・知ってる・・・?この場所のこと」
「・・・・は・・・?」
「知らないんだ」
「・・・・しらねぇよ」
「そっか・・」
はは、と小さくマツリが笑った。
初めてかもしれない。そんな風にマツリが笑うのは。
「・・・・・死んだんだよ」
「誰が」
「此処で。」
「誰がだよ。」
マツリが小さく話すのを。メグは怖いと思った。

「私が。」


――九年前の出来事だ。
あの日、私が、見ていた世界は。灰色だった。


「・・・この町。」
「・・・お、おぅ」
しばらくの間、マツリが死んだように黙っていたのに、いきなり呟いた。
「私、生まれたときから住んでるんだ。」
「あぁ」
「・・・お願いだから、こっちに来ないでよ。メグ」
こっち向けよ。
「こっち側に、目を向けないで。」
いつもみたいに。
「私のこと、知らないで」
真っ直ぐ。見ろよ。
「勝手だな。」
「勝手だよ」
開き直ったような彼女が、彼女らしくなかった。
「踏み込んできたのはお前だろ。俺がお前に近くなってしまうのは、当然のことだろ」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・お前。家どこだよ。」
「・・・」
マツリがメグを見た。
メグはギクッとした。一瞬、怖いと思った。
「・・・送るから」
「いらない」
「この街も物騒なんだぞ」
「・・・・いいよ」
「つか・・・おま――」
椎名の時も、真夜中に一人で。
「いいよ。襲われて死ぬなら、それでもいいから」
ザワ・・・ッ
とした。
「・・・・・・・・・・・・何・・言ってん・・」
「ありがとう。メグ」
「お前な・・・ッ」
「メグ」
「!」
「拒絶したくないの。お願い。」
「・・・・・・・・・・・・・・ッ」
まっすぐ見た。あの目。
「・・・・・・・・・・・ッ・・・この・・・バカヤロウ・・・ッ!」
メグは小さく叫んで、背をむけて、その場を去った。
苦しかった。
「・・・・・・・・・・・・・」
一人残ったマツリ。下を向いた。

なにやってるんだろう。私。
 

でも、ただね。
ただ。苦しかったの。
あなたの、その話を聞いて、私は苦しかったの。
昔。を、思い出して、あなたと私は、違うって、解って。
苦しかったんだ。
また、あの罪に心を潰される。
このままじゃ、また灰色の世界に赤が映える。
あなたを見ていると、自分が本当に化け物に見えて、どうしようもなかったの。
優しくなんかないよ。
メグ。
私は。私の化け物は。罪の形は。
憎しみから生まれたんだよ。
そんなこと。知らないでいて。
 

 



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