ダブリ27

ここはどこ?
ここは。私の家だ。
「起きたか?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
応えなかった。
頭がまだがんがんする。
あぁ、驚いた。地味に驚いた。
だって白い天上が見えなかったから。
自分の、乾いた空気の部屋の天上だったから。
メグの声が響いてたから。
「・・・今、いつ?」
「3時だ。」
真夜中だった。
メグは起きてたのか、ベッドに背中をもたせかけてこちらを振り向かずに喋ってた。
「ううん。今、何日?」
「24。」
「・・・・・・・あぁ。そっか。」
マツリは目を閉じた。
夢じゃなかった。
もしかしたら、これは、全部夢だったんじゃないかって思った。
静かすぎる午前三時の闇の中。
メグが静かに自分の横にいてくれる部屋の中。
国光に自分がいた事も、あの爆発の中の出来事も、全部夢だったんじゃないかって、莫迦な想像で頭を働かせたのだ。
「・・・私、じゃあ3日は寝てたんだね。」
「あぁ。」
「・・・・・・メグ?」
「なんだ。」
振り向かないメグに泣きそうになった。
怖いと思った。
どうして。
何も言ってくれないのか。
不安になった。
「・・・どうなったの・・・?」
一番訊きたくて、でも一番怖かった質問をぶつけた。
「国光は崩壊した。」
「・・・・・・先生は?」
「知らねぇ。今は手いっぱいなんじゃねぇか?」
「・・・いづみは?」
「毎日来てたよ。今は家で寝てんだろ。」
「・・・・・・他の、人達は?」
「・・・わかんねぇよ。」
沈黙。
不安で潰されそうだった。
でも、頭を上げるとズキンズキンする鈍痛に耐えられそうになかった。
「訊いてもいい?」
「あぁ。」
「あれは・・・大蕗 奔吾が、やったの?」
「・・・・・・・。」
沈黙をイエスと取っていいのか、悪いのか判断に困った。
「メグは、大蕗 奔吾と。来たの?」
「・・・あぁ。」
胸が鳴った。
あぁやっぱり。
胸の中がいっぱいになってどうにかなってしまいそうだった。
胸がしまる。
しまるしまる。
「そっか・・・。そうだったんだ。」
メグは相変わらず振り向かなかった。
「ゾルバは、どうなったのかな。」
「知らねぇ。」
「ドリーも・・・皆、無事なのかな。」
「わからねぇ。」
「・・・。」
マツリは頭をずらしてメグの後ろ髪を見た。
「・・・時雨さんは?」
「・・・わからない。」
一瞬の沈黙が苦しかった。
マツリが倒れ、椎名が駆けつけて、急いでカオスな町に車を走らせ、とりあえずマツリの家にマツリを届けた。
メグもそのままマツリの側にずっと起きてついていた。
その間ここを訪れたのはいづみだけだった。
だから、何も知らなかった。
何も、知らなかった。
何がどうなっているのか。
ただ1つだけわかっている事があった。
「え・・・?」
耳を疑った。
「消えた?」
「あぁ。」
「左手の・・・化け物が?」
メグは頷いた。
左手には包帯が巻いてあって、持ち上げはしなかったがメグは少し肩を揺らした。
マツリは一寸黙った。
「・・・・・・・そっか。」
それしか、言えなかった。
それしか、言えなかったんだ。

テレビはつかなかった。
誰にも、何が起きてるのかも、何が終わったのかも分からなかった。


「マツリ!!!」
がばっといづみが抱きついた。
押し倒さん勢いで抱きついた。
「平気!?どこも痛くない?」
あぁ、いづみだ。
心が温もったのを感じた。
いろいろな不安で潰れかけたものが少し膨らんで楽になった。
「痛くない」
マツリはそう言っていづみの温かい身体を抱き絞めかえした。
メグはこっちをまだ見ようとしなかった。
下の階で何か食べるものを作るといって階段を降りていったきりだ。
「ごめんね、いづみ。」
「え?」
「いっぱい苦しめたと思うから・・・。」
いづみはまた泣きそうな顔をした。
「傷つけた、って思ったから・・・。うわ。」
いづみがマツリをより一層きつく抱きしめた。
苦しいくらい。
ただ黙って、何も言わなかった。
いづみはもう謝らなかったし、マツリのその言葉に対する返事もしなかった。
だけど、この腕の強さがなにか全てを溶かすような温かさを持っていてマツリは黙った。
マツリももう、謝ったりしなかった。
「ありがとう。」
それだけ言って、もう一度抱き絞めかえした。
いづみが腕を離して、少し真面目な顔をした。
もっともこの時のいづみは、いつもよりずっとずっと深刻な表情をしていたのだけれど。
「ねぇ、マツリ。メグ、どうしちゃったの?」
その言葉にドキッとした。
「なんか・・・すごい、辛そうだよ。」
「・・・・・うん。辛そう・・・かな。」
顔を見てないから、そこまでわからなかった。
「辛い・・・のかな。」
「あ、や。知らないよ。でもすごく複雑そうな顔してた。」
「・・・うん。そうだよね。」
時雨の言葉を思い出した。
許す言葉をメグにかけた彼の言葉。
何を思ってるんだろう、何を考えてるのだろう。
「・・・マツリ。」
「うん?」
「・・・何があったか、聞いても、いいのかな。私。」
「・・・・・・。」
黙る。
いづみは、真剣そのものだ。
隠そうとは思わなかった。
見ればわかる。
いづみがどれだけやつれたのか。
最後にあった時、彼女のものだった筋肉の美しい体は白く、痩せていた。
細くしまった身体はどこか、シャープさを失っていた。
隠す相手ではないと思った。
確実に苦しんでいた彼女に何も告げないのは、筋に合わないと思った。
でも、何から?
言葉が上手く出てこなくて、マツリは戸惑った。
「・・・マツリのお父さんのこと、関係してたの?」
いづみが掘り下げたこの言葉に、どきっとした。
自分も未だ把握出来ていないこの事実にどう答えたものか迷った。
「国光のだと思われるいくつかの他の建物も、全滅したんだって。」
いづみがソレを悟ったかのように、にわかに話題を変え、いづみが知ってることを話し出した。
「今メディアも回復してないし、なんか全部腐っちゃったみたいになってる。あ、多分今、他国の支援が入ってきたみたいだから。すぐ何とかなるんだろうと思うけど。・・・なんか、ちょっと、今この国すごいことになっちゃってるみたいだよ。知らないけど、多分首都以外もだと思う。」
「いづみ、どうやってここに来たの?モノレールとか・・・動いてるの?」
「いや、走ってますよ?」
にかっと笑ってみせた。
「・・・インターハイは逃しちゃったし。ちょっとまだ走るの、怖いんだけど。私、やっぱり走るの好きみたい。だから今はリハビリ。」
いづみの笑いで、何故か自然に笑顔になれた。
「学校、あるのかなぁ、知ってた?来週からまた学校だよ。」
「・・・・あ。夏休み・・もう、そんなに終わったんだ。」
「やばいんだわコレが。宿題が。」
はは、っとマツリが笑った。
いづみも笑った。
だけど内心、本当は何があったのか気になって仕方なかった。
マツリの腕は首や、頭にまで見つける事ができる針の跡や、実験の時についた傷。
何事もないように笑ってみせる彼女の声の抑揚の低さ。
想像もつかない事がきっと彼女には起きていたんだと思った。
いづみはそれから1時間ほどマツリと話した後、立ち上がった。
「じゃ、そろそろ帰ろうかな。あるかはわかんない学校のために宿題でもしますか。」
「いづみ。」
「大丈夫大丈夫、熱いけど、ちゃんと飲み物のみながら走ってるからさ。」
「あ・・・うん。」
「じゃ、またね。またくるよ。家にいるデショ?」
「うん。・・・いづみ。」
「ん?」
くるりと振り返っていづみが笑顔のままマツリを見た。
「私ね。やっぱり、ミュータントだったんだ。」
ぎしっと空気が軋んだ。
いづみは、身体をむきなおらせ、また辛い顔をしてマツリの顔を見つめた。
「隠すのも、あれだから。・・・私、国光が探してた・・・ブラックカルテだったんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・うん。」
「自分に絶望したの。・・・ううん。元から失望してた。」
マツリの声が、染みこむように耳に響く。
「失わせたものがあったの。他人から強奪したものがあったの。傷つけたものがあったの。ゾルバを傷つけたとき、私は心底化け物なんだと感じたんだ。」
こくんといづみは息を呑んだ。
マツリはふっと笑った。
その表情は悲しくて仕方がなかった。
ゾルバ、が誰なのかなんて知らない。
でも問いただすことも出来なかった。
きっと、あの時マツリの上に乗っかっていた、急に叫んだ男の子だと思った。
いづみは実際何が起こったのか分からなかったが、どういうわけかあの瞬間、血が凍ったのを覚えていた。
自分の世界とは違うものを見た気がした。
「だから国光に、自分で行ったの。自分を傷つけたかったのかもしれない。罰して欲しかったのかもしれない。」
マツリの口から出てくる言葉に、いづみは上手く返答できなかった。
マツリの内にある暗い翳りが、想像よりも深くて怖気づいた、と言えば正直だ。
「国光でね。・・・うん。結構ひどい目にあったと思う。」
マツリは少し笑ってみせたが、いづみは笑えなかった。
「・・・うん、私も本当によく理解してないんだ。でも、その・・・私の実験をしようとした時に、あの爆発テロが起こったの。だから、本当によく分かってないの。ごめん、あんまり、説明にならなかったね。」
「ううん。」
首を振った。
いづみは口を一寸つぐむと掌を握りつぶした。
「でも、大丈夫だから。」
マツリがそれを察したように付けたした。
「私は、・・・大丈夫だよ。心配しないで。いづみ。気を病ませたんなら、ごめんね。」
「や・・・そんな。」
「でもいづみには知ってること、全部話したかったんだ。言ってもそんなに分かってないんだけど。」
マツリは笑った。
「ごめん、ひきとめちゃって。気をつけて帰ってね。次の大会、あるんでしょ?」
「あ・・・まぁねー。っつも、この状態じゃ開催されるか・・・」
「そっか。でも、無理しないようにね。」
「うん。ありがと。そっちも療養しなよ?」
「うん。じゃあね。」
「また。」
手を振って彼女は部屋を出て行った。
バタンと音がして玄関の戸が閉まったのが分かる。
セミがなぜか鳴いていないことに、いづみが帰って訪れた静けさから気がついた。
マツリは黙りこんで窓の外を見た。
「メグ。」
「なんだよ。」
マツリは驚いて振り向いた。
メグの名前を呼ぶ癖がついていた。
メグを欲する癖がついていた。
だから別にメグがいると思ってメグの名前を呼んだわけではなかった。
少し恥ずかしくて頬が熱くなったのを感じる。
メグはその手にある盆の上におかゆのようなものを乗せていた。
考えて見ればこの時初めてマツリはメグの顔を直視した。
いづみのいう辛そうな顔、とやらは感じられなかったが、たしかにどこかに影がある表情ではあった。
「喰うか?」
「うん。」
お盆ごと手渡された。
マツリはベッドの上で太ももにお盆を乗せ、白い陶器のスプーンを右手に持つとおかゆをすくった。
その時メグが立ち去ろうとするのを感じて慌てて顔を上げた。
「メグ!」
「・・・なんだよ。」
メグは振り向いて言った。
なんだ、と言われて何かあるというわけではなかった。
「ここにいて。」
「・・・。あぁ。」
メグは一瞬間を置いて頷き、マツリのベッド脇にある椅子に腰をドカッとおろした。
それを確認してからマツリはもう一度スプーンにおかゆを掬い直し口に運んだ。
「・・・あの・・・ね。あのねメグ。」
「あぁ。塩、たりねぇか?」
「あ、うん。大丈夫。そうじゃなくて、メグ。」
ごくんと熱いものが喉を通り落ちていく。
「あのね。メグは、大蕗 奔吾に、あったんだよね。」
メグはマツリの手元を見て、マツリの目を見ようとしなかった。
「あぁ。会った。・・・実際には、会ったと思う。あいつ、最後まで名乗らなかったから。」
「・・・。それ。」
「それでも十中八九、大蕗 奔吾だった。」
「そ・・っか。」
マツリはメグの見つめる自分の手を凝視した。
「メグ。今、何を思う?」
メグは「え?」と言って、マツリの顔をようやく見た。
目が合う。
「・・・時雨さんの事、考えてる?」
メグは応えなかった。
沈黙が重い。
だけど、ここで目を背けるようなこともしなかった。
「ねぇメグ。私、大丈夫だから。」
「・・・なにがだよ。」
「一人で。」
強がりでもなんでもなかった。
もう頭痛も耐えられる痛みになっていたし、思ったよりもショックは和らいできていた。
夜中に目を覚ました時に当たり前のように起きていたメグから、きっとこの3日間眠ることもせずについていてくれたんだと想像していた。
「だから、時雨さん、探しにいっていいんだよ。」
「・・・。」
メグは黙りこんだ。だ
けど大きな苦痛に耐えるような顔を持って、言った。
「死んだよ。」
貫かれたような気がした。
頭から、つま先まで、なにかが走ってしびれた。
鼓動が異常に早くなる。今、今、なんて?
「え?」
訊いて見た。
「・・・あいつは、死んだ。」
もう一度メグはゆっくりと言った。
「そ・・・。」
言葉以前にうまく声が出ない。
「事実だ。」
平坦に言ってのけるメグに、胸がしまった。
「嘘だ。」
だから不意に、何の根拠もなく否定したくなった。
否定するしか、この空気をつなげない。
胸のしまりを抑えられない。
だけどそれをメグは打ち崩す。
「嘘じゃない。」
メグはまたマツリの手を見て言った。
「なんで。」
マツリも目をそらしてメグのTシャツの裾を見つめた。
目から熱いものが出てきそうだった。
「大蕗 奔吾が、ここに来たんだ。」
「え?」
ぞくっとした。
ここに。
この家に?
「いつ。」
「お前が寝てるとき。」
「なんで。」
「・・・わからねぇ。ただ、俺に、あいつは死んだと伝えにきた。」
メグの声に無理な力が入ってるように感じた。
ひっくり返ってしまいそうだ。
「メグ。」
「見るなよ。」
「え。」
言われたけど、見てしまった。
メグの顔を見てしまった。
包帯の撒かれた左手を持ち上げてその掌で顔を覆っている。
震えてる。
震えてる。
泣いている。
マツリは一瞬にして動けなくなり、そのメグの姿から目を離す事が出来なくなってしまった。
歪んだ口元が奥歯で噛み殺している感情の大きさが分かる。
ドクンと波打った心臓。
どうすることもできないという無力感。
それから、小さな痛み。
大きな、大きな、空虚感。
「見るな。」
それでも、目が離せない。
まるで金縛りの目にでもあってるようだ。
そんな彼の顔から目を背けたらダメだと思った。
そしたら、きっと何かが小さく欠ける気がした。
「メグ。」
そして無神経だと分かってて手を伸ばした。
何を言ったって、手を伸ばしてメグに触れたってメグの心には、今の心には触れる事なんて出来ない。
なんにも出来やしない。
どんなに身体を寄せ合っても心までは直接触れ合うことなんて出来ない。
解釈は出来ても、人の心を自分の物のように理解する事は出来ない。
でも、そうしたい。
メグに触れたい、その破壊不可能な、身体という入れ物を超えて、メグに触れたいと思った。
メグは乱暴にその手を掴んだ。
痛かった。
引きちぎられるかと思うくらい。
「・・・おかゆ、冷めちゃうよ。」
メグは何も言わずに、暫らく泣いていた。


「奔吾。」
「・・・おぉ。」
大蕗 奔吾が力のない声で答える。
後ろには大神が立っていた。
「マツリちゃんのところ行ったんだって?」
「おぉ。寝てた。」
「じゃ、会ってないのか。」
頷いてみせる。
大神が呆れた、という顔をした。
「お前は、会わないつもりなのか?奔吾。」
「・・・うーん。」
「卑怯だな。」
「卑怯?」
奔吾が振り向いて意外そうな顔をした。
「時雨にはメグに会え、とかぬかして置いて、自分は逃げか?」
「・・・そう取られても仕方あるまいよ。」
「取ってるんじゃないさ。事実だ。なんだ、反証があんのか?」
奔吾は黙った。
「動機ならあるさ。」
「怖いんだろ。」
「そうだな。」
否定はしなかった。
「マツリちゃんがな。」
「ん?」
「言ってなかったが、マツリちゃんが国光に自分の足で出向く前、俺ンとこに来たんだ。」
「・・・工場の地下にか?」
「あぁ。それで、なんて言ったか教えてやろうか。」
「・・・要らないよ。」
「聞け。」
大神はなんでかとても感情が高ぶっているように見えた。
珍しいことだった。
信頼できる友人の中でも彼は常にアイロニーを含んだ物言いをしていたものの、穏やかで他人のことで感情を高ぶらせるタイプではない。

合わす顔もない。
会ったら何をするかわからない。
殺しちゃうかもしれない。
こんな娘だから。
だから私を捨てたんでしょう?
だから私がお母さんに殺されそうになった時も助けてくれなかったんでしょう?

半ば叫ぶように少女は言ったのだ。
奔吾は黙る。
彼は言葉を探すのは下手なほうだ。
大神はじっとその言葉を待った。
「罪は重々承知してるつもりだよ。」
口を開く。
「マツリを苦しめたのは、紛れもなく俺だってことは分かってる。・・・父親だと自分を称する資格が自分にあるだなんて、謙遜を含めても言えないさ。」
奔吾はため息をついて椅子に腰をかける。
「合わす顔がないのは、俺の方なんだ。」
自白するような声で奔吾は話す。
いや、これはもはや自白だった。
大神は少し黙って奔吾を見つめて、それから言う。
「じゃあせめてその顔、ぶん殴られに行ってやれよ。」
大神の目は鋭く、奔後の真っ直ぐなそれをとらえてはなさない。
「それくらいの愛情、注いでやれよ。」
 

 


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