ダブリ24


 

木曜日。
朝が来た。
明日だ。と呟いてマツリは起き上がった。
頭が痛んだ。頭痛。ざわざわする。
気のせいじゃないと思った。確実になにか体がざわざわする。
「・・・メグ。」
居もしない人間を呼ぶ癖がついたのだろうか。
枕元に置いていたあの手紙を手に取ってマツリは呟いた。
もう少し待てといったメグ。メグが此処に来るのだろうか。
涙が出るくらい会いたいと思う一方で、やめてくれという想いがあった。
恐怖だ。メグが傷つく。それを見たくない。
それともう1つ、許せない感情が頭をめぐるから。

「マツリ。」
河口。
「お前、熱でもあるのか。」
「ありませんよ。」
「・・・。」
何が不満なんだろう。
「食べましたよ。全部。」
全部、朝食を食べたのだ。
何故か今日は完食する事ができた。
「まあいい。いつもコレくらい食べてくれたらいいんだがな。」
そりゃ無理な注文だ。まずい飯ばかり食ってられない。
「昨日もゾルバがきたよな。」
「はい。」
「お前たち、いつもなんの話をするんだ?お前、初めゾルバに会ったとき・・・。」
十分すぎる嫌悪を表した。
「いわゆる恋人って奴か?」
「ゾルバが?」
マツリは笑った。
「違うのか?少なくともゾルバはお前のこと好きで通ってるんだと思ってた。」
「違うと思います。」
でも、どうしてゾルバが会いに来るのかと訊かれたら理由を明確に述べることが出来ないのに気がついた。
「なんにしろ、滅多なことすんなよ、こんなところで。」
「・・・河口さん、見た目より破廉恥なんですね。」
「お前はずいぶんふてぶてしくなったもんだな。」
二人は沈黙の後、笑った。そして河口は真面目な顔をして付け足した。
「そのふてぶてしい態度は今日は此処だけにしとけ。」
「なんでですか?」
ふてぶてしくなんかありませんが。
「今日は国光の先生方がお前を見に来る。」
「・・・見に。」
動物園のライオンの気分になれそうだ。
「早いとこ着替えとけ。直に此処に来るそうだ。」
「国光の先生って人たちが、わざわざ?」
「あぁ。実験棟にはできるだけ近寄りたくないんだろ。」
「どうして?」
河口は答えなかった。ブラックフライデーのことを今言いたくなかった。

マツリはすばやく着替えを済ませて河口と共に部屋にいた。
「いいか、何も無駄なこと言うなよ。」
「言いません。」
ドアが開く。なるほど偉そうな人間が5人ほど入ってきた。どれもこれもしけた顔で、政治家を思わせる。
マツリは息をついていつもどおりの表情で彼らを見つめた。
「大蕗 奔吾の娘で、ヌメロゼロの少女か。」
一言目が、これだ。後の扱いは期待できるものではない。元より期待はして居なかったが。
マツリは頷くこともせずそう言った白髪交じりの男を見つめた。
河口が横目で頷くぐらいしろ、と念を送るが届くわけなし。
「なるほど、普通とは違う。」
マツリは、微動だにしなかったが、心臓が熱くなったのを感じた。
普通とは違う?いつも言われてきたことだし、分かってた。だけど、この男に一目見ただけで言われるのは何故か癇に障った。
「どんな化け物を飼っている?」
別の男が河口に尋ねた。
「化け物、とは別のものです。実際見ていただかないと、説明は難しいです。」
「化け物には違いないのだろう?」
「・・・正常なものではないですね。変異ですから。」
「体に変異があるのか?」
「体には何処にも変異はありません。」
「では何処に?」
「・・・脳の、いわゆる、精神的な部分に。」
河口が言葉を選んでるのがわかる。この何も専門知識を持たない男たちに分かりやすいように。
「つまり、精神的にいかれているということか?」
マツリはぎゅっと拳を作った。
「大蕗の娘なのだろう?」
だからなんだ。心の奥で呟く。
「ブラックカルテの化け物に精神正常者なんか居ない。驚くべきことではないさ。」
白髪の男がいう。
「人に害なす可能生のある存在だ。こんな少女でもな。」
全員がマツリを見る。
「喋れるのか?」
マツリは口を開かない。今開くと、河口の言う『ふてぶてしい』以上の言葉がでてきそうだ。
「マツリ。」
河口がマツリを見た。なにか言わないといけないらしい。
「・・・喋れます。」
それだけ呟いた。いつもよりさらに抑揚なく。
「ところで大蕗の居場所は、本当にこの娘は知らんのか?」
河口が知らないようですよ、と答えた。
「HDOの方の研究が滞りがちだ。ブラックカルテもいいが、未来のためにHDOにも力を入れて欲しいものだがなぁ。大蕗がいなくなってからあまり成果が上がらない。」
「HDOにももちろん力を入れてますよ。ブラックカルテもHDOのために研究されてるんです。両方ともが人間の変異にからんでいますからね。」
河口が言い返すように言った。
「ブラックカルテは危険すぎる。脅威だ。HDOとは別枠で研究を進めたほうがいいと思うのだが。」
「そのことは神威局長に申し上げてください。一科学者の僕にはどうすることも出来ないですよ。」
ううむ、と男たちは口をつぐんだ。河口も相当頭にきてそうだなと思った。
「しかしだ。」
まだ続けるか。
「あの、神威の息子、あの、化け物も今逃走中ということだろう。」
「これは遺憾だ。」
口々に言う。
「世界学会や組織には、ばれていないが、これがばれるとことだぞ。」
「あれは最悪の脅威だからな。」
「あぁヌメロウーノだ。」
マツリは爪が掌に食い込む痛みに気づいて、掌を見やった。
「アメリカの研究施設に預けてはどうだ。」
「・・・だから、そう言われてもですね・・・。」
河口もイライラしてきたみたいだった。いい加減にしろ、と言わないだけ冷静だ。
「人の姿をしているが、血の通わぬ化け物と同じだろう。」
――メグは。
口に出してしまいそうになった。ますます痛む掌。
「ヌメロゼロ。」
「・・・。」
顔を上げた。もしかしたら睨んでいたかもしれない。
「明日の実験、くれぐれも暴走しないでくれよ。イカレタ脳でも自己制御くらいできるんだろうな、河口君。」
「イカレタってわけじゃ・・・―――」
河口が言いかけて、えぇ、とだけ答えた。
「なんにしても、頼むぞ。大蕗を見つけ出す餌にならないだけでなく、暴走までされたらたまったもんじゃないからな。実験成果だけ出せ。化け物もそれくらいして人間を助けてくれよ。」
言い捨てて、男たちは立ち上がった。
部屋を出るのだ。
マツリは目をつぶった、唇を噛み締める。
言葉にならない感情が頭の中で波打った。
その時。
ボゴ!
「!」
戦慄が走る。空気が凍る。
マツリは顔を上げた。顔はいつもどおりの無表情。
座ったまま。
動いてない。
だけど、その目に映る。
砕け散った白い壁の欠片がパラパラと空気を舞っている光景。息を呑んだ男たち。
「・・・な・・なにが起きた?」
やめろ。喋るな。心臓の毛を逆撫でされるような感情が涌きあがってくるのが分かった。そして。
バキ!
また新たな破壊が起こる。
マツリの白い部屋に大きなくぼみが二つ生された。
全員が動けない。
緊張が走っていた。
恐れで顔が真っ青になってる5人の老人達。
マツリはその顔を見て、うすら可笑しかった。
このままこの感情の放出でその顔面をぐちゃぐちゃに破壊してしまいたい、なんて残酷な狂気が頭の中に一瞬だけ芽生えた。
体が震える。汗が噴出してるのがわかる。
誰も動かない。
まだパラパラと破片が舞ってる。
「マ・・・マツリ!」
河口が思い出したように叫んでマツリの前に立ってマツリの肩を掴んだ。
恐ろしいくらい体が冷たいと感じた。汗のせいだろうか。顔も真っ青だ。
無表情の彼女が恐ろしいと思った。しっかりと国光の男達を見据えている。
その男たちの顔に浮んだ確実な恐怖。情けない顔だった。
「何してるんですか!早く出て!」
河口は叫んだ。
はっと呪縛から解き放たれたように彼らはいそいで扉を開けて外へ飛び出した。
「マツリ!落ち着け!」
がたがた震えるマツリに河口は必死で叫んだ。
かすかに自分も恐れているのが分かる。
相手がメグなら確実に食いちぎられてるだろう。
マツリは動くことなく、ただ5人が出ていった扉を黙視していた。とりつかれたように見つめている。
意識があるのかないのかも分からない。
「・・・マツリ!こっち見ろ!」
河口が叫ぶ。聞こえてない。
「・・・っマツリ!」
マツリはここで初めてはっとした。
意識と呼べる意識がはっきりと頭に戻ってくる。
白衣の匂いがいたから。
温かい人間の温度を感じたから。
「・・・・・・河口さん。」
マツリがようやく呟いた。唇を動かすのにも体が震えたのが分かる。力が入らない。
マツリの体を河口が抱きしめていた。
自分の体がいかに冷えてたのか理解した。
河口の全てが温かいと思った。
力が入らなくて指一つ持ち上がらない。
黙ったまま抱きしめられてた。
そしたら、何故か涙がぼろぼろこぼれた。
嗚咽をこぼすのが今の限界だった。
河口は泣きだした少女を黙ったまま抱き絞めつづけた。
埃っぽい部屋の中。

 

マツリのこの話は直ぐに椎名の耳に届く。
「そわそわしすぎ。」
ゾルバがからかうように笑った。
「俺らのとこには来ないらしいよ、国光の奴ら。やったじゃん。」
「けどマツリが・・・。」
「きっといらないことを言ったんだろうね、あいつら。」
想像はつく。
「あいつらが国を分けて自分のものにしようってんだから、おぞましいよね。」
「・・・・は?」
なんて?
「知らないの?あの男たちの中にも国光のトップがいてね、国光はこの国を三つの国家にするつもりなんだよ。」
「初耳だよ。」
「馬鹿馬鹿しいからね。このまま国が国光のいうなりに動いていったらきっと20年後にはそうなるだろうね。」
「・・・・・ば、馬鹿馬鹿しいこと、いうんだな。」
「バカだって気付いてないからちゃんちゃら可笑しいよ。」
笑い事ではない。
「だから、反国光組織なんて危ない橋をわたる奴が存在するんだよ。梓。」
椎名は黙った。どんどん大きな話に撒きこまれてる気がする。
国光はもはや大きすぎる権力を持った組織だ。そんなことは分かってた。
国光なしでは政治もろくに動かないだろう。
多大な情報もすべて国光が管理していると言っても過言じゃない。

「ゾルバのこと、気になりますか?」
松田が言った。
「・・・もとい、メグの事が?」
言いなおす。時雨は恨めしそうに松田を見る。
「今は、あの老人たちのクレームと大蕗 祀の暴走未遂で、それ以外のことに頭は使用不可だ。」
「彼らに非があるのは明白でしょう。」
「かといって無視する事も出来んさ。」
「難儀ですね。」
「代わってくれるか。」
「お断りしますよ。」
松田はほんのり笑った。
「松田。」
「なんですか。」
「お前、本当は。」
そこまで言いかけて、時雨は黙った。
「・・・思ってますよ。」
悟ったように松田が言った。
「・・・そうか。」
時雨は言った。
そして黙る。二人。



「明日の支度は順調か。」
「言われなくても。」
この二人。男とメグ。
「明日本当にお前をあの場所に届けるだけでいいのかぁ?」
「あぁ。十分だ。」
「逃げ道は。」
「なんとかする。」
「・・・何が起こるか分かってるんだろ?」
「分かってる。けどな、計算通りには動けない。」
「・・・ふむ。」
「俺はマツリを連れ出すだけで、すまさない。」
「時雨にあう決心がついたってことか?」
「言ってない。」
メグは睨んだ。
「おっさんたちの計画も分かってる。だからこそ計画通りには動けない。何が起こるかわからないから。」
「確かにな。」
「うまくやるさ。なんとかする。」
「そうか。・・・ほれ。」
紙の束が渡される。
「なんだこれ。」
「俺らの手筈。もう一度頭に叩きこんどけ。役に立つだろ。」
「マニュアルがあんのかよ、これどこかに漏れたら終わりだろ。」
「そんなヘマはしないよ。」
男は言い切る。
「廃工場。」
「ん。」
「国光に暴かれたんだってな。」
「あぁ。わざとな。」
「・・・わざと?」
「あそこに目を向けさせただけだ。眼くらましだよ。」
「・・・・・・・・あの廃工場、知ってんだろ。」
「知ってるよ。」
「・・・マツリにとって、特別な場所だ。」
男は黙った。
「・・・なんでもねぇ。」
メグもそこまでしか言わなかった。
「明日、マツリの実験は午後3時からだ。」
「あぁ。」
「俺らは12時には動くぞ。」
「あぁ。わかった。」
「あ、ちなみに、ゾルバの。」
「・・・ゾルバ?」
「ゾルバのオペは、4時半からだそうだ。」
「・・・・・・・・・椎名がするんだよな。」
「知らせてやるなら、知らせてやれ。」
「あぁ。」
 

「・・・大丈夫か。」
河口が問う。マツリは頷いた。
「・・・ありがとうございます。」
「いや。平気ならいい。」
河口に抱きしめられて泣いた自分が少し恥ずかしかった。
子どもっぽいことをしてしまった。
一方で河口も自分に驚いていた。こんな暴走の止め方、映画の見すぎだろうか。
映画なんてものは綾瀬が死んでから一度も行った事がないのに。
「行かなきゃ、いけないんですよね。」
「あぁ、最終的なチェックをいれる。昨日はブザーがなりっぱなしだったからな。だが・・・。」
マツリは立ち上がる。まだ脚に十分な力が入らない。
「河口さん!」
松田がやっとやってくる。
マツリの部屋の外には何人かの科学者がとりまいていたが、部屋に入ってきたのは松田だけだった。
「やっと来れた。マツリさん、大丈夫ですか?」
「はい。」
無表情で頷く。松田はマツリのやらかした破壊を見つめていた。
「部屋、ごめんなさい。」
「いいですよ、そんなことは。体に異常は?」
「以前、放出した後と同じ症状ですね。」
河口が答えた。
「ざわざわする。」
マツリがボツリと言った。
「え?」
「体がザワザワします。」
「・・・・?」
なんのことだか分からずに松田も河口も黙った。
いっそうに強くなっていく。強くなって、体がむずがゆい。メグの言っていた疼くってこのことなんだろうか。
「今、いけそうですか?」
松田が河口に問う。
「・・・行こうとしてたところです、が。」
マツリを見る。
「いけますよ。」
「無理に、か?」
「無理じゃないです。」
「マツリさん。」
松田がマツリの肩を掴んでその目を見つめた。
「いつもと違う状態で調整しても意味がないんです。無理なら言ってください。」
「・・・・・・無理ではないです。でも。」
そっか。
「迷惑が掛かるなら。」
「マツリ。」
河口がマツリを呼んだ。
「先に別の実験からはじめる。ついてこい。」
河口が歩きだした。
「いいですよね。こっちから始めても。」
松田に一応訊く。
「えぇ、6階が空いてますよ。使ってください。」
「はい。マツリ。来い。」
「・・・・・・・・・。」
「さ、行ってください。」
松田もマツリの背中を押す。
「・・・はい。」
歩きだす。
部屋を出ると、何人かの科学者が興味本位で集まっている事に気付いた。
なるほど、ライオンの気持ちだ。
懼れて手は出されないが、好奇の目にさらされる。
マツリはくらっとする頭を抑えながら河口の後ろについて歩いた。
「無理ならそう言え。」
叱られてしまった。
「ごめんなさい。」
素直に謝ってみた。河口はちらっとマツリのほうを見てため息をついた。
「明日も、あいつらが来る。」
あいつらって言いましたよね、今。
「無視しろ。気に止めるな。」
「観覧席にいらっしゃるんですよね。」
無駄に丁寧語を使う。皮肉だ。
「あぁ。」
「胸糞が悪いです。」
一変して下品な言葉を使う。
「俺も同じだ。」
あ、言い切っちゃいましたね。
「明日、疲れるだろう。だが安全装置も作動されてるし―――。」
「あの人達を守るための?」
「お前のためのだ。」
河口は真剣な顔して言った。
「俺達が数値を見てる。何かあれば直ぐに止めに入る。だから安心しろ。」
「・・・まだ一日も始まってませんよ。」
気の早い話をする河口を不思議そうな顔で見上げる。
「今日の実験、これからのやつ。」
「はい。」
「俺だけが担当なんだが。」
「はぁ。」
「したことにする。」
「へぇ?」
マツリは笑った。
「口裏合わせろよ。」
大真面目に河口が言う。
「カメラ。」
監視カメラを指差す。
「誰も見やしねぇよ。」
「・・・はは。」
マツリは声に出して笑った。
「なんだ、実験したかったか?」
「いいえ。」
河口がにッと笑った。
「河口さん。」
「ん?」
一応装置の前に座る格好だけしたマツリが河口を呼ぶ。
「ありがとう。」
「・・・・・いいや。」
優しい。
メグみたい。
安心感が涌いてきて、あたたかい感情が心をうめる。
さっきのどろどろした感情は洗い流されていく。
 

 

 

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