ダブリ23


「時雨さん。」
「やぁ、食事中だったか。すまないな。」
「いえ。」
時雨はいつもの笑顔で椅子に腰をかけた。
笑ってない、笑顔。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます。」
マツリもいつもの表情で言った。
「ん。いや。で、話というのは?」
「・・・嘘です。」
「・・・・?」
「お父さんの話なんて、嘘です。」
「・・・・じゃあ、なんの話かな。」
「メグの話。」
ギシっと空気が張り詰めた。
マツリはそれを分かってた。
「メグの、話?」
頷く。
「メグのお父さんが、メグが今国光に縛られているの、納得してるって言いましたよね。」
「ああ。」
「本当ですか。」
「本当だよ。」
「・・・・・・・・・。どうして。」
マツリの顔が小さく歪んだ。
「メグが、憎いんですか。」
時雨は答えなかった。
沈黙が続いた。
「・・・メグを、もう放して。」
ボツンとマツリが言った。
かすれそうな声で、下を向いて、そう言った。
「お願いします。」
聞こえないんじゃないか、っていうくらい小さな声しか出なかった。
「・・・・此処にはいない。」
「そう言う意味じゃない。」
「では、どうしろと。」
時雨の声が、耳に響いた。部屋のせいだ。
「ブラックカルテだ。人を傷つけた。化け物が安全なものだと?」
「違う。」
「何が違う。」
「化け物は、メグじゃない。」
「メグの中にいる。」
「メグだって怖がってる。」
時雨を見れなかった。
下を向き続けた。
時雨がどういう表情をしてるのか、見るのが怖かった。
「傷つけないで。」
泣いてしまいたかった。
「もう十分、メグは苦しんでた。」
いっそ、子どものように駄々をこねたかった。
「ブラックカルテなんて呼ばないで。メグは・・・。」
ふるえる唇で上手く喋れない。
「メグは、時雨さんが許さない限り、ずっと苦しむ。」
また、沈黙が二人の間にやってきた。
体が震えた。
風が体から出た後ほどではないが、同じ脱力感を感じる。
「許せ、と。」
時雨が呟いた。
「勘違いだ、マツリさん。」
時雨が笑った。
「メグは私の許しなんか、求めてない。私を父親だなんて思ってないよ。」
「・・・私、言いましたよ。どんなことされても、親の事、親じゃないなんて、思ったとないって。メグだって、同じだと思うって。」
「・・・。」
「お母さんが、死んだ今だって。・・・・今だって。お母さんの・・・見えない何かから、離れられない。」
うつむいたまま。
「・・・メグの事、このまま、そっとしといてあげて下さい。国光から、もう放してあげてください。」
「・・・。」
「もういいよって、一言でいい。」
一言でよかった。
「言って。」
お母さん、一言でよかったんだ。
あんたを産んで、よかったって。その一言で良かったんだ。
言って欲しかったのは、許しをこう言葉なんかじゃなかったよ。
そして抱き絞めて欲しかったんだ。
何を言われたって、何されたって、最後はそうやって抱き絞めてくれたら。
きっと私は。
「・・・・・・・・ヌメロウーノは現在失踪中。」
「・・・!」
マツリが顔を上げた。
「追跡は続ける。だが、今の所は見つかっていないし、重点をそこには置いていない。現状だ。これを変えるつもりもないし、メグに甘い言葉をかける気もない。今は会う暇もない。」
「・・・・時雨さん。」
違うの。
「マツリさんは、メグの事、相当大事に思っているようだな。」
「悪いですか。」
「いや。・・・なんにしても今、メグは国光のプロジェクトにほぼ必要がない。だから今は放置だ。それでは満足がいかないか?」
違うの。そうじゃない。国光としてじゃない。
父親として、メグを見て。
「メグを国光監視下から外すのは無理な注文だ。だが、できる限り話し飼いにしている。コレでは、満足がいかない、と言うのかい?」
時雨が繰り返し言う。
マツリは、眉間にしわを寄せて彼を見つめた。
「・・・メグのこと、憎んでますか。」
もう一度聞いた。
時雨は、ふっと息をついて、一言言った。
「そういう対象ではないよ。」
泣いてしまいたかった。

メグ。

メグ。どこにいる?
私じゃ。私一人じゃ、無理だ。
格子越しの空を見ながらマツリは涙を2粒だけこぼした。
ゾルバが今夜来ることはなかった。
夜に実験があったんだと、後から聞いた。


「喰えっつっただろ。」
「・・・・すみません。」
河口がため息をついた。
結局あの後、まったく箸に手を付けなかったのだ。
「あんまり体力無くなると、耐えられんぞ。松田さんに改良の必要があるって言わなきゃなるまい。」
「大丈夫です。」
マツリはうつむいたまま、そう言った。
「・・・・?マツリ?」
河口が、マツリの顔をのぞきこむ。
「・・・お前、顔色最悪だぞ。」
「平気。」
「信じない。」
あ、学習しましたね。
「ちょっと待ってろ。」
そう言って、朝食を机の上に置き、部屋を出ていった。
確かに、嘘だった。頭ががんがんするし、目眩がした。
昨日眠りについたのに、直ぐに目が覚めた。何度も目が覚めた。
お母さんの夢を見て、目が覚めた。
お腹が減ってないわけじゃない。むしろグーグーなっている。
なのに、なんでか、喉を通らない。
「ほら。」
戻ってきた河口が、差し出した。
「なんですか。」
「あんまり良くないが、栄養剤。かっぱらってきた。」
「・・・・・・・・・いらない。」
「飲め。」
強引に押し付けた。マツリは黙ってそれを受け取り、飲み込んだ。
「胃に悪い。飯も食え。」
「・・・。」
黙ってしぶしぶ、席につく。
「河口さん。」
「なんだ。」
「お母さんが、死ねって、言ったんです。」
どきっとした。河口は黙った。
いきなり、今まで触れなかった家族の話をしたのだ。
「・・・あの時、私が死んでたら、今。お母さんは、私のこと、どう思ってたんだろう。」
「・・・・・・・・マツリ。」
「・・・なんでもないです。すいません。」
そう言って、味噌汁を飲んだ。
涙の味がした。塩辛い。


「リナが着いた。」
時雨が松田に言った。
「はい。」
松田が立ち上がり、マツリを迎えに行ったように玄関へと向かう。時雨も共に歩きだす。
「昨日。」
松田が切り出す。
「なんだ。」
「昨日、マツリさんの所に行ったんですって?」
「・・・あぁ。」
「なんの話だったんですか?家族の?」
「・・・・・・メグの話だ。」
「・・・・あぁ。そうだったんですか。」
沈黙。
「マツリさん、メグと仲が良かったらしいですからね。」
「・・・メグのことが、そうとう大事らしい。」
「へえ。」
松田は微笑んだ。
「『実験結果』的には、収穫ですね。」
「・・・。そうだな。」
玄関につく。砂利の駐車場に一台のベンツ。リナが、日の元に立つ。
金髪の少女。久しぶりの太陽。気分が悪そうだった。
彼女は厳密に言うとイタリア人とスウェーデン人のハーフだ。
金髪が白い肌にあって、本当に幽霊みたいな女だった。
「リナ。」
時雨がリナに喋りかける。
「久しぶり。」
リナが口を開いた。相変わらず消えそうな声で喋る。
「久しぶり。ここ。」
「なんせ6年ぶりだ。こっちだ。」
時雨について、リナは歩きだした。
「・・・。」
沈黙。
リナには担当の人間がいないので、時雨が自らリナを連れて歩いた。
その、途中の事だ。
「・・・・時雨さん。」
同じく金髪の男が、時雨を見て呼んだ。
「梓君。」
「今からゾルバの身体検査だけ、したいんですけど、あいてるエックス線・・・。」
椎名は時雨の後ろについて歩く少女に目をやって、口を止めた。
ぎくっとした。
一瞬、楓を思い出したから。
楓のはずないのに。
「A棟の3階、ちょうど空いている。」
「・・・あ、はい。行くぞ、ゾルバ。」
ゾルバに振り返る。
「・・・ゾルバ?」
綺麗な声が聞こえた。
「・・・・ゾルバがいるの?」
「え?」
椎名は声の主を見つめた。
リナだった。
リナの補足高い声が、ゾルバの名前を呼んだ。
ゾルバはまっすぐ彼女を見た。
「・・・・・・ゾル・・・・。」
「梓。行こう。」
リナがゾルバを見て、名前を呼びかけた瞬間。ずいっとゾルバは、きれいにリナを無視して歩き出した。
「あ、おい。失礼します。」
椎名は頭を下げて、さきさき行くゾルバを追いかけた。
「・・・・・・・・・・・・・ゾルバ?」
リナは、その二人の後姿を、見つめた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「おいゾルバ。」
「なに?」
あっけらかんと振り向いた。
「リナが呼んでただろ。」
「呼んでたね。」
「無視することないだろ。」
「あるよ。」
はっきり言い切った。
「リナには、会いたくないんだ。」
「何でだよ。」
「もう、会う気がないから。」
「だから。なんでだよ。」
「リナを傷つけたくないんだよ。」

「ここ。」
リナが呟いた。
「あぁ、前使ってた事があるだろう。」
時雨がリナに言った。
「・・・・メグにあった部屋。」
「・・・。」
バタン。
戸が閉じられて、時雨は息を吐いた。
「・・・・メグ。か。」

メグの顔。
上手い事思い出せなくなったのは、いつからだ。
やたらと元気のいい、男の子だった気がする。
駆けまわってはこけて、すぐにケンカするは手は出すわ。
手をやく、と彼女が言っていた気がする。
だけどなんでだ。
顔が思い出せない。
あの時の、顔しか思い出せない。
―――――オトウサン・・・!
最後に、お父さんと呼んだあの日の顔しか思い出せない。
そのメグを大切にする少女がいる。
大蕗 祀。
奔吾の娘。
同じ目で、俺を見つめてくる。
その目で、『メグ』を見る。
不思議な感覚だ。
妙に、心がざわめくような。
奔吾が、なぜかそこにいるような気がした。

奔吾。
俺と、奔吾が出会ったのは、大学の時。
第一印象は、不思議な男、としか言いようがなかった。
ぼんやりとしているくせに、その頭の中には何かを逸した知識や頭脳があった。
奔吾が国光に引き抜かれたとき、俺はすでに国光にいた。
「時雨。」
おぅ、と、気のない声の掛け方だった。
「奔吾。お前。国光にはいったのか?」
「あー、なんか引き抜かれてなぁ。おかげで、院で研究してたこととか全部中途半端になった。」
「はは。」
「すべて、消してきたからな。」
「?」
これは、彼が国光の上層部に食い込む事を暗に約束されていたんだと、気がついたのは後の事。
「結婚してたのか?」
指輪を見て問う。
「あぁ。」
それ以上何も言わない。
「お前は。蒲生とは、結婚したのか。」
「あぁ。ただ。」
「ただ?」
「HDOだ。」
「・・・・・・・・・・・そいつは。」
沈黙。HDOは彼女の体を蝕んでいた病魔。
治療法が未だにみつからない病。
当時の国光、医療はこの治療法に全力をつくしていた。
「子供は?」
「1人、男の子だ。」
「へぇ。」
あの不思議な目で俺を見た。
微笑んでたような気がする。
その後、奔吾は姿を消した。
奔吾が国光でした貢献は多大なもので、改めて彼のすごさを思い知らせれていた矢先だった。
彼を失ったHDOの研究は、一気に難航したように見えた。
裏切られたような、そんな。気がした。

早苗が、死んだ。

絶句した。
声が出ない。
その、息子の手に生まれた白い影。
禍々しい容姿と暴食衝動。
血まみれのベッドシーツが捨てられた後も、病室に残る血の匂い。
その時、メグはどんな顔していたか。覚えてない。
上が俺に命じて、メグを国光に連れてこさせた。
その時、メグがなんて言っていたか、覚えてない。
だけど、確かに、何度もお父さん、と俺を見て叫んだ。
それだけ覚えてる。
その時。俺がどんな顔をしていたか、覚えてない。

――――メグのこと、憎んでますか。

大蕗 祀の言葉が、はっと心に蘇る。
あの日、嫌悪した。早苗が死んだ。あの日、嫌悪した。
何かを。憎まなければ、自分は壊れると思った。

メグが、この施設を出るとき、どんな顔をしていたか、よく覚えてる。
俺を見て、確実に嫌悪した。


「時雨さん。」
はっとした。
「松田。どうした。」
「いえ。別に、ぼーっとしてるから。」
「すまない。疲れているようだ。」
「珈琲飲みます?」
「あぁ。」
「国光の上から電話あったみたいですよ。」
「なんて。」
「適当にしのがせました。どうせたいしたことじゃありませんよ。安全管理の事とかでしょう。」
「奴らがでしゃばらなければ、何も起こりえんさ。」
珈琲が、苦かった。

早苗が死んでから、無心に仕事をした気がする。
奔吾への疑念や怒りも、早苗を失った悲しみも、全部一度真っ白にしたかった。
気がつけば、医療機関の黒い椅子は俺の物になっていた。
そして、1つの願望が頭の中に綺麗に描ききれていた。
ゾルバが運ばれてきた、その後から芽生えていた、実現が0%に近い願望。

「ブラックフライデー。」
またボーっとしてた。松田がつぶやいて、珈琲の中に映る自分に気がついた。
フリーズしていたらしい。
「化け物の暴走。安全装置なんて、意味なかった。」
「・・・・・。」
「今度は老人達が何を言おうと、絶対にあんな事故、起こさせませんよ。」
松田がいつも見せない強い表情をみせた。
あの時も、開発の担当したのは松田だった。
老人たちの無茶な注文に、対応せざる終えなかった。
といえば情けない言い訳になる
そこにいた国光の上層部の連中も四名死亡した大きな事故になった。
責任を感じている。松田の目は真剣だった。
「被検体も、もう2度と絶対に危険な目にはあわせません。」
「・・・あぁ。」
ブラックフライデー後のメグの扱いは、本当に腫れ物を触るかのようだった。
全員がメグを恐れた。といっても過言じゃない。
あの事故の後メグを見てはいないが、なかなかひどい状態だったらしい。
外傷はほぼないくせに、昏睡状態が続き、まるでHDOのような症状が出たようだ。
メグが放し飼いになったのは、実験と称した放棄だったのかもしれない。
「楓は。」
「状態はオールグリーン。ただ血液の循環がところどころ悪いのでメンテナンスを行なうそうです。」
「そうか。」
楓は俺の事をお父さんと呼んだ。
ひどい虐待を受けてきた彼女。俺をお父さんと呼んだ。
そんな少女の遺体を利用して、早苗を造ろうとしてる。
我ながら。
「異常だな。」
笑えた。

 

 

 

後半へ⇒ 

■ホーム■□□   拍手   意見箱  投票
■ダブリ イントロへもどる■□□


 

 

inserted by FC2 system