ダブリ22

ブラックフライデーを覚えてる?

「忘れられるわけ、ねぇだろが。」
煙草の煙を宙に描かせ、呟く男。
「何が。」
「・・・いたのかよ。」
河口が舌打ちした。
緑堂はいましたよ、と平坦に呟いた。
「綾瀬のことですか。」
「・・・・・・・。」
無言は答え。
「5年、前。か。」
「あぁ。」
「ブラックフライデーのトラウマからやっと立ち直った研究員が最近増えてますよ。」
「そいつはよかったな。」
「河口さんは、まだ。みたいですね。」
「・・・。」
「綾瀬のこと、忘れられないんですね。」
「・・・思い出すんだよ。来週みたいに国光幹部が来るっていうと。」
「・・・・・・・・あれは、ひどい事故だった。」
ふーっと、緑堂が息を吐いた。煙草が白い帯を生す。


「河口くんっ!」
「・・・なんすか。」
振り向いた。明るい声が後ろからしたから。
「はいこれ、メグのサンプル。それから、各種脳波のデータ。」
「どうしろと。」
「もってって。D棟に行くんでしょ。」
「行きますけど。」
結構それなリの量だぞこれは。
綾瀬はにこっと笑った。
ショートカットのはきはきした女性だった。
この頃は、まだ国光に入ったばかりで、ブラックカルテのことなんか、末端しか知らなかった。
メグ、という少年がどんな化け物を飼っているか、なんてのは末端の研究員の間でもちきりの話題だったが、詳しいこと等何も知らなかった。
そんな頃に、出会ったのが綾瀬という女性だった。
この頃のブラックカルテ付きの研究員で、いわゆる上司だ。
だが、彼女はいつでも河口に明るく、軽く接してくれた。
姉貴っていうのかな。この体育会系のノリが結構すきだったのを覚えてる。
憧れの的だったのはいうまでもない。
彼女の後輩の面倒見は本当によくて、河口達後輩からは実に慕われていた。
皆が綾瀬、と呼んで慕っていた。
河口と彼女との関係が、上司・部下から恋人になるのに、何故だか時間は掛からなかった。
綾瀬は聡明で美しい女性だった。
ぐんぐん実績を積み、ブラックカルテの研究に関わっていった。
彼女はしばしば笑いながら将来の展望なんかを述べていた。
そんな真っ直ぐ上って行く彼女が好きだった。

尊敬してた。

「来週?」
「あぁ、誕生日だろ。」
「・・・あぁ、私のか!」
彼女は思い出したように言った。
「忘れるか?普通。」
「んー。今ちょっとね。次の実験のための下準備が大変で。」
「つかれてるのか。」
「ちょっとはね。でも大丈夫。」
「『メグ』は、今どんな?」
「んー。大変な実験ばっかりよ。各世界からこの分野の教授がこぞって集まってありとあらゆる実験をしていくから。メグはだいぶまいってるみたい。」
想像もつかなかった。
「松田君も全然寝てないみたいよ。メグの次の実験のための機械、設計して今調整にはいってるから。」
「へぇ。」
「松田君がいるからこそ、ブラックカルテの研究は進められるようなものだわ。正直言って異常なまでの実験だもの。彼が実験における披検体への負担を最低限の物にしてるから。」
「大変そうだな。」
この頃、松田、なんて男も雲の上の人物だった。
「ごめんごめん。仕事の話ばっかりして。うん。来週だったわよね。いいわよ。土曜開けとく。その前日にメグの実験があるけど、その後は気分的にも大分楽になるはずだから。」
「そうか。」
「いっや、ほんと、金曜日は大変だわ。国光の幹部達も来るらしいのよね。」
「そんなに大事な実験なのか。」
「あー、残念ながらこれは超機密事項なので教えられませーん。」
彼女は笑ってからかった。
「ち。まぁ、せいぜい気疲れしろよ。」
「うん。土曜は癒して頂戴よねっ。」
「・・・。あー、任しとけ。」
彼女は短い声を出して笑った。
なんて眩しい笑顔をする女だろうと思った。

そしてブラックフライデーは訪れる。

国光の白い病院が半壊したと聞いた。
白い影の暴走。
恐怖の増長。
最悪の実験結果。
残った亡骸のなかに彼女は確認された。
その場にいた半数以上が死んだらしい。
土曜日の予定は空っぽになった。


「河口さん。」
はっとした。
「どうかしたんですか。」
マツリが河口を見上げながら尋ねた。
「・・・いや。」
「顔色、悪い。」
「寝てないだけだ。」
「・・・そうですか。」
マツリはそれだけいって黙った。
「出発は、今日の夕だ。」
「はい。」
そして薬くさい部屋に入った。
また1日が始まって、いじられる。

大蕗 祀。

彼女は、伝説のような、生きてるのか死んでいるのかもわからないあの大蕗教授の娘らしい。
大蕗 奔吾、という名前は綾瀬から何度聞いたかわからない。
彼女は目を輝かせてその男の残した数々の業績を讃えていた。
実際その内容はすごい、と言うものばかりだった。
学生時代に彼の論文を読んだ事があるが。何かを逸しているとしかいいようがなかった。
その娘が、今ここでメグと同じ扱いを受けてる。
運命なのなかなんなのか。
大蕗 奔吾という天才の元に生まれたのがブラックカルテのヌメロゼロだったのは、一体なんの偶然なのか。

「平気か。」
部屋から出るとき、よろめいたマツリに河口が言った。
「はい・・・。」
マツリは河口を見た。
思えば優しくなったものだ。
初めの頃の河口はなんだか、怖かった。
「行くぞ。時間がない。」
「はい。」
汗を拭って歩きだす。

彼女の目は、怖いほど真っ直ぐだ。
ドキッとするくらい深くて、何がその眼の奥に映っているのか計り知れない。
大蕗 奔吾もあんな目をしていた。と、しばしば耳にする。
あんな目をした人間が、二人もいるのかと思ったのを覚えてる。
彼女は呟くように話すが、その言葉には下手な不純物がない。
真っ直ぐに。真っ直ぐに。
その心は計り知れないが、芯が。芯が折れない強さがあると思った。
1人でこの国光に戻ってきた時も。
あの目でまっすぐ見つめてた。
時々、壊れそうになる時がある。
そういう時。思い出す
彼女はまだ17の女の子だ。
単なる、少女だ。


ブラックカルテを憎んでる?

「許せないのは罪か。」
河口は、緑堂がはく煙草を見つめていった。明け方の会話のその続き。
「どうでしょうね。」
緑堂が答えた。白い煙が漂った。
「許せないのは、自己の心のコントロールが効かないからだ。そんなことまで罪になればこの世は罪だらけになるんじゃないですか。」
「・・・では、許さないのは、罪か。」
「どうでしょうね。」
繰り返す。
「許さないのは、自己も苦しむ、人間唯一の業ですよ。」
「・・・。」
「それが罪ならば、罪を犯すとともに罰は受けてるはずだ。」
「・・・そう思うか。」
「思いますね。」
緑堂は座りこんだ。
「ヌメロゼロは。どうですか。」
「・・・あいつは、ちょっと変だ。」
「どこがですか。」
「ブラックカルテらしくない。」
「らしくなければどうなんですか。」
「・・・。」
河口は黙りこんだ。
緑堂はそんな彼を横目で見た。
「・・・単なる少女だ。でも、普通じゃない。・・・何が言いたいんだ俺は。」
自問。
「・・・。」
緑堂はため息と共に白い息を吐いた。
「人間らしいってことですか。」
「・・・らしくはない。が、他のブラックカルテにはない芯がある。」
「芯。」
「ナンバーが低いから、下手に人格の崩壊が起こってないせいもあるか。何を考えてるかまったく分からないが、その深い所になにかがある。」
「腹に一物、ですか。」
「悪いもんではないが。なんていうか。」
「惹かれる物がありますか。」
「・・・惹かれる?」
「大蕗教授を知る人物は、皆口をそろえて目に惹かれる物があるといいます。彼女の目は、彼にそっくりだと聞くでしょう。」
「・・・あぁ。目のせいだったのか。」
河口は納得した。
「そうだな、あの目は。怖いくらい真っ直ぐだ。」
「・・・。」
「普通の人間にゃぁ、あの目はできねぇな。」
緑堂が立ち上がった。
「お目付け役、頑張ってるんですね。」
「あぁ?」
「だってしっかり見てなきゃ、そこまで考えないでしょう。『許せない』ブラックカルテのことなんか。」
「・・・あぁ。そだな。時々忘れる。あいつがブラックカルテとしてここにいること。」
「・・・・・俺、行きますよ。もう直ぐ仕事始まりますから。」
「おう。俺も、今日は首都に戻る日だからな、忙しい。じゃあな。お前も明後日にゃ首都に来るんだろ。」
「えぇ。じゃ、また。」
河口は緑堂の背中を見送って、もう一本煙草に火を付けた。
朝日が眩しくなってきた。
ぼんやりと、マツリの目を思い出した。今朝の六時。


「河口さん。」
「ん。」
「今日、ぼーっとしてますね。」
「寝てないからな。」
歩きながら言った。
ブラックカルテらしからぬ。
こういう会話を吹っかけてくるところ。
「何時に寝たんですか。」
「三時。」
「起きたのは。」
「五時。」
「・・・・・・・寝てない。」
「言ってるだろ。」
マツリは黙った。
二時間睡眠なんて、皆無に等しい。
「お前は。」
「え?」
「寝れたのか。いつか、寝ずにドアの前にいた日があったろ。」
「あぁ。・・・最近は、寝れます。」
嘘だったが。
少なくとも河口よりは寝てる。

大蕗 祀。

彼女は父親のことをもう話さない。
細かいことは知らないが。
彼女は両親や、親戚に縁がないように見えた。
そこに暗い闇が巣食ってるような。そんな気がした。
感情を表にしないが、自分を責めて生きているように見えた。
涙を流して泣いたり、国三の人間たちに敵意を顕わにしたり、騒いで拒絶するようなこともなかった。

俺が始めて『ブラックカルテ』というものに接したのは、9番目の少年だった。
実験に立ち会って、ブラックカルテとういものがどんな目にあってるのか初めて知った。
泣いたり騒いだり嫌悪したり、されて当然だと思った。
言っちゃなんだが、ここは異常だ。
ブラックカルテ自体が異常だ。
だが、ブラックカルテに同情したことなんかなかった。メグ、というヌメロウーノの化け物に、憎悪していた。
彼がいなければ、ブラックフライデーは起らなかった。と思った。
生まれてきた化け物に、憎しみを燃やした。
いじり倒したのは、大人達だったのに。
今でも、まだ、許せないのは、ガキだろうか。


「胸糞が悪くなってきやった・・・・。」
椎名が缶珈琲を開けながら呟いた。
「どうしたの梓。」
「・・・お前のおかげだよ。」
ちらりとも見ずに言う。
「よく平気だな。お前。」
「梓が国光の異常さに慣れてないだけだよ。」
「・・・。慣れっ子ってか。」
「ブラックカルテの実験に立ち会って見たらいい。人の体を人の物と思ってないからね。そうでもなきゃ僕の体にメグのクローンなんか移植しないよ。死んでしまったブラックカルテ達だって、そりゃひどい扱いを受けてた。」
「・・・他のブラックカルテか。」
「死んじまった奴らは、殺されたようなもんだ。」
また、メグみたいな言い方をした。
「殺されてなお、あそこで切り刻まれてるんだ。」
「・・・。」
「梓。」
「ん。」
「金曜日にしてくれよ。僕のオペ。」
「・・・俺に権限はないんだけどな。」

車は出発した。
「平気か。」
真っ青な顔をするマツリに河口が問うた。
マツリは黙って首を縦に振る。嘘だ。
今日の実験はだいぶハードだったらしい。
軽く頭がぐらぐらする。意識は朦朧としてた。
「・・・・・・・・・・。」
白んでいく頭の中で、メグの顔を思い浮かべた。
よかった。色のない世界のことを、思い浮かべなくて。
近頃は、あの世界の端っこを願うこともなくなった。
母を思い出すことも、今は、ない。
母を思い出す、隙がない。
最近は、本当に頭の中がごちゃごちゃになるような実験ばかりだから。
ありがたい、といえば、そうかもしれない。
だからよかった。
首都までのこの車内。やっと脳が自分のために動いてくれる余裕をくれた今、メグの顔が真っ先に思い浮かんで。よかった。
別れ際、怒ってたメグの顔じゃない。
リナの記憶の荒みかけたメグでもない。
もう少し待ってろって、言ってくれた優しいメグだ。
メグの顔だ。
ガクン。
マツリの頭は首では支えられなくなった。
「・・・。」
河口が、ふ、とため息をついた。
「肩使え。」
「・・・・・・・・。」
マツリがゆっくりと白い顔をむけて河口の顔を見た。
「なんだ。必要ないか。」
「・・・ありがとうございます。」
マツリはそう言って、河口の肩に重い頭を乗せた。
すごく楽だった。煙草の匂いがした。
「・・・煙草吸うんですね。」
「あぁ。」
それだけ言って、マツリは黙った。
沈黙の車内。マツリは眠りについた。
「・・・・・・・。」
河口が重い頭を肩に乗せたままため息をついた。ブラックカルテの少女に、自分が肩を貸すなんざ、今まで想像できやしなかったことだ。
正直自分でも驚いた。

いづみの夢を見た。
メグの顔を思い浮かべていたのに、いづみの夢を見た。
いづみのあの日の顔が忘れられない。
あんな別れ方をしてしまった。
きっと、心は大きく傾いだだろう。
ごめんね。

「・・・ごめん。」
「あ?」
マツリが何か言ったので、河口が彼女を見た。
マツリはそれ以上何も言わなかった。
寝言だ。
「・・・・・。なにに謝ってんだよ。」


「いづみ!」
「リョウ。」
「調子はいかがですか、っと。」
どさっと座った。ベッド脇。
「ん。大丈夫。」
全然そうは見えなかったけれど。
そんないづみを上目で見つめてリョウは黙った。
「あと二週間で新学期だねぇ。」
なんて、呟いた。
「ん。そうだね。」
ボーっと外を見つめていづみは言った。
日に日にやつれていく。そんな気がした。
あの日以来、一度、いづみは救急車で病院に運ばれた。
極度のストレスによって引き起こされた、体の異常が多数確認された。
過労。末端神経の麻痺。
アレだけ鍛え上げていた脚も今は休憩中だ。
「例の新入生。」
「ん。」
「ほら、ハーフの。言ってたじゃない。」
「あぁ。うん。」
国光関係者のね。
リョウが心で付け足した。
「楽しみだね。」
「あっれ、男に興味あったの?」
「ないこともないわよ、失礼ね。」
いづみが笑った。
リョウはほっとした。
だってようやく、また笑顔が戻ってきたから。
しばしの会話の後、リョウはいづみの家をでて1人繁華街を歩きだした。
いつもと変わらない。
ざわざわした町。
無言で、歩く。
「・・・もう絶対、壊させない。」
左手を硬く握り閉めた。
「国光。」
そして、顔を上げてずんずん歩きだした。
1人、歩きだした。
茶髪の少女。


「先生・・・?」
「ん?」
マツリが呟いて目を開けた。
「・・・あ。」
河口を見て、声を漏らす。
完全に眠ってしまっていた。
車の後部座席。
「先生?」
「・・・いえ。煙草のにおいがしたから。」
「椎名か?」
「!・・・知ってるんですか。」
「二、三度会った。ゾルバがお前の所に通っている時に。」
「・・・・・・・・・。」
「親しかったのか。」
「それなりに。でも煙草っていうか、バーボンっていうか。」
「バーボン?」
「いえ。なんでもないです。」
保健室にバーボンなんて、微妙に説明しにくい。
「今は、平気か。」
「はい。・・・ありがとうございました。」
「いいや。」
とはいえ、まだ頭痛がしていた。
「先生は、今もゾルバといるんですか。」
「あぁ、らしいな。」
「ゾルバは、もう首都なんですよね。」
「確か。」
短い言葉の会話。
「首都に行ったら、私、なんの実験受けるんですか。」
「・・・・お前のいう、風、とやらを引き出す。・・・疲れるぞ。今はゆっくりしてろ。」
「・・・・・・・・・・はい。」
マツリは再び目を閉じた。
今度は真っ暗闇しか見えなかった。
誰の顔も思い浮かばなかった。
「ん。」
河口がマツリに目を向ける。
再び自分の肩に乗る重い頭。
今回は自動的にその小さな頭がもたれかかっていた。
「・・・・・・・しゃぁねぇよな。」
ふ、とため息をついて河口は前を見た。
運転手も何も見えないシャットダウンされた後部座席。
まったくつまらない旅路だが、なぜだか心は穏やかで、河口もしだいに眠りへと落ちていった。


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