ダブリ17
 

 怖い。
触らないで。
冷たい手。


「・・・・・・・・・・・・そうか。」
電話越しの。長髪。
「・・・・・それで、契ゾルバ。」
「あぁ。」
電話越しの、メグ。
「―――・・・・かーーーー・・・。しばきてぇその餓鬼。」
がしっと、長い前髪をかき上げながら椎名は壁にドスッともたれかかった。
「残念ながら、契の情報は、少数だよ。」
「・・・。」
「一昨年から施設を出たこと。化け物は、健在だと言うこと。それから、此処の、プロジェクトの協力者だということ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
プロジェクト。
そういえば、今日あったあの男が、計画がどうのと言っていた。
「・・・なぁそのプロジェクト、随分昔からある計画なのか?」
「あ?・・・・いや、そんなことはないだろ。でなきゃこんな即席で集めたメンバーでやらねぇよ。」
「・・・・・・・・そうだよな。」
ため息。それは電話越しにも伝わる。
「マツリ寝たの?」
「おう。今はもう上で寝てる。」
冷たく暗いリビングでの電話だ。
「・・・。なんか余裕だな。お前。」
椎名が、呟いた。
「・・・・そうか?」
「あぁ。」
「そんな、余裕。あるわけねぇだろ。」
ぎゅうぅと、にぎり潰す掌。それと、血。
流しにばら撒かれてる。
割れた、硝子の破片。
それと、血。
「・・・だよな。」
 

ギ・・・・。
電話を終えたメグは、静かにマツリの眠る部屋に入った。
寝息は、順調にリズムを刻んでいた。
寝てるのが、分かる。
ベットに転がる彼女。
背中しか見えない。
髪はまた、ほどかず寝てしまったらしい。
「・・・・・・・・・・・・。」
メグは、しいてある自分の布団を踏みつけて、彼女の横顔が見える所まで歩いた。
ひょいと覗きこむ。
「・・・・。」
寝顔は、穏やかで、眠りに落ちていった彼女は、恐怖を持っていなかった。
左手が大人しい。
だけど、確実に首にある痣や、口元の腫れは、メグの顔をしかめさせる。
「・・・・・・・余裕があるわけねぇだろ。」
呟いた。
手を落とした。
ばねが軋んだ音がした。
手を壁についた。
「ごめんな。」
それだけ、言って。彼は、ベットから離れた。
そしてばさっと布団に入りこみ、背中をむけて、同じように眠りに落ちた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
マツリの閉じた瞼から、2、3滴の雫が、おっこちた。


夢を見た。
怖い夢だった。



「いづみっ。」
「・・・・・リョウ。」
「おはようございーっ。」
「おはよ。」
微笑んだ。
すっかり落ち着いた顔になったものだ。
「調子は?」
「絶好調。」
「インターハイ?」
「あと1つ勝てばね。」
「おー!」
からっと笑った。リョウ。
いづみもはは、と笑った。
随分、笑えるようになった。
マツリが居なくなってから、ずっと、どこか影を落としていたから。
きっとマツリはまだいづみに無事だと知らせていないんだろう。
「あ、知ってる?新学期からの転入生。」
「へ?」
「私のクラスらしいのよねーっ。書類見たんだけど、なんか、メグに似てるの!」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
あ、禁句?
「あ、あの、いやいや、というかね。」
「うん。そっか。男の子が入るわけだ。」
「う・・うん。」
いづみも強くなったもんだ。
「で?その男の子が?なに?」
「あ、いや。そいつがまた、ハーフらしくてさっ。女子が騒ぐのなんのね。」
「楽しみなわけ?」
「いや。全然。」
笑った。
マツリという言葉は、もうずっと出て来ない。
「・・・・だって、国光関係者が、持ってきた書類だからね。」
リョウは、聞こえないくらいの声で、呟いた。


「何してるの。」
「逃走ルートの思考中。」
マツリは珈琲を飲みながら、そう、と呟いた。
「どこに行くの?」
「・・・このまま。」
「え。」
「帰って来ないつもりで、どこか遠くにでも。行くか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
答えに困った。
何を言っても空気がおかしくなりそうで。
「・・・・嘘だよ。なんで黙る。」
「・・・・・・ううん。」
いっそ、首を縦に振ってみてもよかったかもしれない。
なんて、意地悪だろうか。
「・・・そういえばメグ。」
「あ?」
「最近、左手の化け物。なにも食べてないけど、飢えたりしないのかな。」
「なんだよ、あいつに出てきて欲しいってか?」
「あ、ううん。違うくて。」
「平気だろ。」
メグが左手を見つめた。
「施設にいた頃は、もっと長いこと断食してたから。」
「・・・・・・・・そっか。」
「マツリ。」
くる、と体を向けてメグがマツリを見た。
「はい。」
敬語、の瞬間。マツリはバっと体をのけぞった。
メグの手が髪に触れようとしたから。
「!」
「・・・・。」
「なに。」
マツリが表情を変えずに言った。
「いや。」
「・・・・・・・・・。」
「俺の手、怖いか。」
その手は左手だった。
「ううん。・・・でも、冷たい手は。嫌い。」
「・・・・・・・・・・・触ってみろよ。」
「・・・・。」
メグのその手は、マツリに近づきすぎることなく、ただ、微動だにせずマツリの元に差し出されてた。
「・・・・・・・・。」
沈黙の後。
マツリはそっと、その左手を手にとってみた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
温かくて。
「・・・・・。」
涙が出た。
「何で泣くんだよ。」
最近よく泣く女になったな。
「泣いてない。」
嘘も下手だ。
「メグ。」

メグの手は、どうしてこんなに優しいのかな。
いつも、私に触れる時、優しく触れてくれる。
いつも、見つめてくれる。目を見てくれる。

「・・・なんだよ。」
「私、メグに優しく触れれてる?」


抱きしめたかった。
今、抱きしめてしまいたかった。
優しくとか、そんなん。関係なく。
マツリの気持ちなんてどうでもよくて。
どんなに拒否されても、それでも。
抱きしめたかった。


「・・・・そうだな。」
それだけ呟いて。メグは手を引っ込めた。



「私が穴に落ちてる間に?」
「おう。」
町をタクシーで移動しながらの会話。
「その人がくれたんだ。」
このタクシーもその手帳の中にあった電話番号で呼んだものだった。
「とりあえず、首都外の施設に行く。」
「・・・どこ。」
「お前は別のところで待ってろ。」
「え?」
「その施設は国光のもんだ。この手帳の中に書かれているとはいえ。そんな危ない橋渡れねぇよ。」
「行くよ。」
強情。
「来るな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「あそこは、昔ゾルバが居た施設だ。」
流れる雲、周りの景色と別次元を、横に流れてた。
体がこわばったのを、メグは気付いたかな。

あの時。
声が出なかったわけじゃない。
でも、声を出したら、駄目だと思った。
そしたら、また、血の海が目の前に広がるように思えた。


とある小さな廃ビルの奥。
「此処な。」
「・・・・・。」
「すぐ帰る。」
「・・・。」
どこか不安そうな無表情のマツリ。
「4時には戻る?」
「・・・・・・・おう。」
沈黙と、同時に現われる心音。
「マツリ。」
「ん。」
「・・・・・・んでもね。」
「?」
「ドリーからのメール確認したか?」
「・・・・うん、しとくよ。」
「・・・・・・・・・。」
「?」
なんなんだ。
「メグ。」

心音すら止まったように思った。

彼の温かい手が。
優しい体が。
細い髪が。
ぎゅうと、自分の体を包んだ。
「メ・・・・・。」
離して、と。心は叫んだ。
だけど、あの時と同じ言葉をこの人にかけたくないと思った。
だから、ただ、びくびくと、抱きしめられた。
内心は。怖かった。
きっとこの感情は、あの化け物を喜ばしたことだろう。
そのざわつきにメグが臆することなく、触れた。
強く、抱きしめられた。
その事が、メグの感情の強さも、力強さも教える。
メグの体は温かくて。
フラッシュバックする恐怖と、安心を、器用に与えてくれた。
「わるい。」
結局抱きしめてしまった。小さな後悔と共に、そっと、腕を解いた。
「悪くないよ。」
心音は、止まったように思ったのも束の間で、人生で一番バクバクしていたらしい。
息すら詰まる。嫌いではない苦しさと、体を這うなにか知らない感情のせい。
「じゃぁな。できるだけ身を潜めてろよ。」
「うん。」
そう言って彼は消えてった。
マツリは、急に体が冷えた気がした。
「・・・・・・・・・・・・ずるい。」
 

メグがいなくなった後。
「・・・ドリーのメール。」
携帯を久しぶりに手の上に乗せた。メールは数件来ている。
「・・・・これかな。」
ぴ、機械音ともに開く文面。
「・・・・廃工場のことは、私たちが調べたことしか、やっぱり分かんないんだ。」
むしろあの地下のことを知っているだけ、こちらのほうが情報量が多い。
「・・・。」
地下と工場を思い出して、無意識にぐっと歯を食いしばっていた。
「お父さんのことは・・・・。」
カタカタと文面を下へ。
「・・・・・・・・・・・・・。」
父親のことに対するドリーの調べは、名前、年齢などのデータ。そ
れから若い頃携わっていた研究。
彼の、人となり。
「・・・・・・・・・・・・・。」
どうやらなかなか穏やかな男の人だったらしい。
部下の信頼もあつくて、失踪した時、同時に多くの研究員が彼を追うように辞めて行ったらしい。
「・・・・・・・。」
目に映る電子光。
昼に存在するこの廃ビルの暗がりをぼんやり照らす。
「・・・・・・・・。」
幻滅も、できないよ。ドリー。
そう思ったとき気付く。
あぁ、私は、父を憎みたいんだ。
父を悪者にして、楽になりたかったんだ。
だから、会いたかったんだ。
「・・・・・莫迦だな私。」
苦しくなった。
自分が綺麗な人間だとは思ってない。
だけど。不意に、赤く染まった手を思い出した。
他のメールを、電子音で開く。
「あ。」
目を疑った。むしろ疑う事がおかしいのだけど。
「いづみ。」
いづみからのメールが。ボツンときていた。
「そっか。」
随分連絡を取ってない。
あの日、別れたっきりだ。
あぁ。しまったな、と思った。
「・・・。」
打ってみた。
メールを。
友達、の彼女に。
何だか急にあの頃確かにあった現実に戻ったような。
無性に、何もない温かい、でも、灰色の日々を思い出した。


いづみ。私。今は国光からは、逃れる事が出来てるよ。
心配かけてごめんね。メグも一緒で、なんとかなってるよ。
でもまだ、身を隠さないと駄目みたい。もう少し待ってて。
帰ってくるから。私。
今は、首都外の、廃ビルにいるんだけど、此処はなんだか、寂しいです。
いづみに、会って話したいこといっぱいある。待ってて。
すぐに、帰るから。インターハイ。きっと出るんだよね。
頑張ってね。マツリ


柄にもなく、長いメールをうったものだった。
無性に苦しくなった。
いづみに会いたくなった。
無性に、泣きたくなった。
涙は出ないけれど。
マツリは、少し奥の方へ歩きだす。
そして、トス、と体を冷たい地面に落として、座った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
沈黙と、風の音。
ぎゅっと脚を抱いた。


いづみの元に届いた。長いメール。
「・・・・・・・・先輩。」
「へ?」
「今日の、練習、もう上がっていいですか。私。」
「え・・・っ?いづみ?でもこの後ミーティング・・・。」
「すいません!」
走り出してた。
今や市一のこの中距離走者の脚を、誰も追うことは出来なかった。
「マツリ!」
息切らす。脚は、軽やかなものだった。
 

―――ココハ ナンダカ サミシイ デス。


「じゃあ今帰ってきてよ・・・っ!国光なんか・・・っもうどうでもいいよ!」
涙が出てた。走ってた。
「化け物なんかじゃないよ・・・っ女の子なんだよ!」



「・・・・・・・・・。」
国光の施設を前にして。メグは立ち止まって躊躇してた。
「・・・あんま、気はのらねぇよな。」
はぁ、とため息をはき出して、メグは開いた扉に飲み込まれた。
黙ったまま、中の殺風景なようすを見つめた。
この施設は実際ほとんど来た事がなかった彼。
だが此処に来た時の彼は、あちこちにたらいまわしに施設を巡り、苦痛と罰をうけていた。

一瞬足元がグラッとした。強い気持ちで居なければ、飲み込まれてしまう。
「神威、メグ?」
「!」
はっとして振り向いた。
無意識に戦闘態勢だ。
「どうしたんだこんなところで。」
「・・・・・・・お前。なんで俺の・・・。」
「あったことあるんだがなぁ。」
男は、よろっとした白衣に身を包んでいる中年で、やる気のない顔をしてた。
「一度来ただろ。ゾルバに会いに。」
「・・・・・・・・・・・。」
「まぁ、茶でも飲んでいけよ。」
「・・・・・。」
なんだこの気さくさは。
ここは本当に国光の施設なのか?目を疑った。
見えてなかっただけなのか。
此処が変わったのか。
あの頃とのギャップは大きすぎて、驚いた。
「おっさん?」
とりあえず、あのおっさんが居ないか尋ねてみる。
「そんな人はいないなぁ。おっさんは沢山居るけど。」
「・・・・。」
むさいもんな、国光って基本。
「随分穏やかになったもんだな。」
「え?」
「お前だよ。変わったな。」
「・・・・・此処もな。」
ははっと、笑った。男。
「お前、今、結構有名だぞ。メグ。」
「そりゃな。」
「大蕗さんの、娘。かくまってんだろ。」
「!」
ドキッとした。
だって。メグがかくまっている、なんてことは、伝わっていないと思っていたからだ。
「・・・・・・・・。」
まずい、こんなとこにのこのこ来るべきではなかった。
ヤバイ。
汗がつたう。
「気にすんな。その、おっさんに会って、此処に来たんだろ。此処は安全だ。」
「・・・・・・・・!」
「まぁ、マツリちゃんは来ないほうがいいけど。」
「・・・・・・・・・・そうか。」
信用して、いいのか。
「ところで、ゾルバのことが聞きたい。」
「あぁ、あいつか。お前が知ってることだけじゃだめなのか?」
「・・・・・・・・。」
「あの子は、お前が半分だからな。」
心音が跳ねる。
あぁ、あんまり直視したくなかった言葉だった。



あの日は、またひどく雪が積もった日だった。
息切れの音は、もう、随分聞き慣れたものだった。
苦しさと、苦しさと、痛み。
辛さと、苦さと、罪悪感。
そんなものばかり噛みしめては、吐き気をもよおす。
そんな毎日だった。
この場所につれてこられた、あの日は。
白銀で、冷酷な景色。

ゾルバは、化け物が見つかって直ぐにこの場所につれてこられた。というか、運ばれてきた。
ひどい状態だった。
此処に運ばれてきた時は、もう意識はなく、体も半分はなかった。
血まみれで、もはや、息も絶えんとする瞬間だった。
腕や、脚がもげていた。
腹がえぐられてた。
顔はもう誰か分からなかった。
いっそもう死んでいたのかもしれない。
それをやったのは、あいつの化け物だった。
あいつの化け物は、ゾルバだけを食べようとした。
化け物の暴食は。彼と関係を持った者だけに働いた。
親戚はもちろん、深く心を通わせたものや、寝た女まで、そいつは食おうとする。
緊急手術は、なぜか俺も寝台の上だった。
でも抗う術も気力もなく、ただ、目を閉じてた。
俺は直ぐに起こされた。
そして、1週間ほど放置同然の扱いを受けた。
しばらくして、俺は奇妙なものを見た。
バラバラな、自分の体の一部たち。
「・・・・・・・・んだこれ。」
本当に、ソレしか言いようがない。
それが牢を駆け抜けていくのを見た。
細い窓から見た。

そして、後日、治療を受けたゾルバは、自分そっくりな継ぎ接ぎ人間。
一命を取りとめた彼は、眠っていた。
なんだこれ。

急速なクローン培養。移植。

これが治療法だった。
国光の連中は、化け物に化け物を移植したのだ。
滑稽な実験だ。
あいつらにはきっと収穫多きものなんだろう。
興味深い、おもしろいものなんだろう。
どうしてくれる。
罪がもう1つ、増えたんだ。
俺が。
もう1つ。生きてくんだぞ。

ゾルバは、目を覚ますなり、俺を嫌悪した。
そしてこう言った。
「邪魔するなよ。」
死にたかったんだと思った。
やっと死ねると思ったんだ。
家族を奪った自分を。
殺せると思ったんだ。
俺は何も言えなかった。
だってそれは解る記憶だ。
むしろ羨ましいと思った。
自分の化け物は、どうやっても自分のことを食べようとしてくれなかったから。
だが、ゾルバの化け物は、もうゾルバを食べようとしなかった。
これが、ヌメロドゥーエだ。


絶句だろ。こんなの。


「あれからは、もう、ろくに会ってなかったけどな。」
「そうか。」
本当は2、3度会った。
見るたびに歪んでいく彼を、見た。
先日見た時には、すっかり、すっかり歪んでしまっていて、ぞっとした。
「あいつは、今プロジェクトに参加してるらしいな。」
「・・・あぁ。適任だ、といって。」
「・・・本当に化け物を作るつもりなのか?」
「らしい。」
ため息。
「その間。ゾルバは自由に町に出れるのか?」
「あぁ。それが条件だったらしい。」
「・・・・・・はー。」
またため息。男の眼鏡がメグを凝視。
「ゾルバに会ったのか?」
「あぁ。」
「ゾルバは年々、禍々しい感情を浮き彫りにさせていた。」
「・・・・・。」
「おっと。そろそろ帰るべきだ。此処は今、完全に安全ってわけじゃない。」
「あんたの名前は。」
今更ですが。
「大神だ。」
「・・・・じゃあ。」
メグは、立ち上がり、駆け出した。
 

大神が、二人。
 


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