ダブリ10
 

私は。大蕗マツリという名前の。化け物です。


ギシ・・・。
ベッドがきしんだ。
彼女はあの目を開ける。
静かに開いたその瞳に天井が白く映る。
無口なまま彼女は起き上がった。
朝が来たんだ。
昨日の夜の月を思い出す。
怖いくらいの月。
今日の夜はきっと満月だ。
少し足りないくらいの、物憂げな、物足りなそうな月だった。
「・・・・・・・・・・・・・。」
部屋を抜け出した。
何処に行く当てもない。
マツリの頭の中に、学校という言葉はなかった。
むしろその言葉を考えることが出来ないような。
無口のまま階段の所まで来て、階段をゆっくり下りる。
ギシ・・・。
さっきのベッドよりきしむ階段。空気。
まつりは肩を抱いた。
目はあのまま。
開いたまま、真っ直ぐ、下を見る。
空気を泳ぐ。
ギシ・・・・。
次にきしんだのは。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ナニコレ。」
マツリの心だった。
そこにあったのは、冷たい、暗い廊下の上に溢れかえるような血痕。
血のにおい。
グラ・・・
マツリの頭が揺れた。
意識はしっかりしてる、それなのに自分ではどうしようも出来ないくらい、頭が鳴る。
真空の中にいる気がした、息が出来ない。
昔もこの家に、血のにおいがしたことがあった。
あの男の血だ。母が殺した。あの男の血。
キッチンで、死んでいたというあの男。
「・・・・・・・・・・・・ッ。」
壁に手を当てた。酷い吐き気だ。立ち辛い。嫌だ。此処にいたくない。じゃあ何処へ?
「こっちに来なさいマツリ・・・ッ!」
「・・・っ!」
耳に、耳の奥で聞こえたきがした。
あの女の声が。
「・・・・・・・っ・・・・・い・・・。」
嫌だ。
手が震えた。
なんだこれは。此処にいたくない。
足が後ずさる。
「っ!」
マツリは駆け出した。
血が足につくことなんか気にせずに、廊下を駆けぬけ、そしてドアを開いた。
外は。
昨日の夜とはうらはらに、曇天だった。
消さなきゃ。
逃げなくちゃ。
走らなくちゃ。
私。
マツリは息を切らして走った。走って、走って、走った。
世界の端っこ。
あの、工場の、端っこに。逃げるしか、できなかった。


ピンポォーン・・・
大きな音でインターホンが泣き叫ぶ。
少年は包まった布団の中でシカトを決めた。
ピンボーンピンボーンピンボーン・・!
「・・・・・・・・・。しつけぇな・・・。」
眉間にしわ。
ますますうずくまって、暫らく鳴り止まないチャイムを聞いていた。
イラ。
「やかましぃぃぃ!安眠妨害で訴えんぞてめぇ・・ッ!」
ガタ――――ン!!!
「!」
そこにいたのは。
「・・・・珍しい客じゃねぇか。」
珍しいもクソも、此処に来たことある人間なんてのは、マツリくらいだ。
「なんか用か。椎名。」
椎名梓がそこにいた。
「・・・・良かった。無事か。」
ほっとしたようなしてないような中途半端な顔をして彼は言った。
「なんの心配だよ。頭イカレタか?バーボン飲み過ぎなんだよお前。」
「心配して損するようなこというなよ。メグ、楓に会ってないか。」
「会いたくもねぇよあんな奴。」
「気を付けろよ。」
「なんでだよ。」
ちゃんと順を追って説明してくれ。
「楓があそこから逃げた。」
「あ・・・?」
なんだそれ。
「あいつまたあそこに戻されたのか?」
「あぁ、ちょっと、錯乱して・・・。」
「錯乱?」
「・・・・・メグ。前に言ったよな。ブラックカルテのナンバーが大きいもののほうがその変異が激しいと。」
「・・・・あぁ。」
椎名が人眼を気にするように言うので、メグは椎名を家に入れた。
靴を脱ぎながら椎名が続ける。
「それに比例して、精神力の不安定度数も、上がってる傾向にある。」
「・・・・・あ?」
「簡単に言うと、ナンバーが大きいものほどいかれやすいってこった。精神力の安定度が低いんだ。」
「・・・んだそれ。」
心も化け物になってしまうってことなのか。
皮肉だな。呟いた。
メグは保温状態にしていたコーヒーをコップに入れた。
「だからこそ、お前にしたような実験は行なわれなくなった。いや、行なえなくなってきた。」
「・・・・・・・。」
「で、あそこに戻されたんだが。昨日の夜。脱走してな。」
「・・・・・・よく出来たな、そんなこと。」
「十二名が死亡した。」
「だろうな。」
メグがコーヒーを飲みながら言った。
「で。俺のとこに来てないか探しに来たって事か?」
「あぁ。」
「あいつも俺のとこに来るくらいなら、あいつの所に帰ると思うけどな。」
「いや。」
「・・・・?」
「あいつはお前に会いに来るんじゃなく・・・・・。お前に。」
「・・・・・・なんだよ。」
「マツリの死を見せつけに来るんだ。」
「・・・・・・・・・・な・・・?」
全身が一瞬で凍りつくような言葉だった。
そしてそれが見事に刺さった。
「なに言ってんだよ。」
「マツリを捕まえようにも、彼女のデータが1つもねぇんだよ。だからお前のとこに来たん―――」
「ちょっと待て!!!」
ガッと椎名の襟を掴んだ。
「なんでマツリが死ぬんだよ!あいつは俺を殺しに来たんだろ!俺の・・・!」
「落ち着けよ・・ッ!」
椎名が叫ぶ。
「・・・ッ。」
メグが椎名から離れ、急いで服を着た。
「メグ・・・。」
「るせぇ!」
メグが靴をはく。
ぶっきらぼうに。
「あいつが死んでみろ・・・!国光の連中も・・!全員殺してやる!」
「・・・・・・・・・気を付けろよ。国光の連中が動き出してる。下手に見つかるなよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
メグは背をむけたまま、無言でガシャンと玄関を出ていく。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
コーヒーからまだ湯気が出てる。
冷めてく。



遠雷が鳴った。
足がもつれた。
血がしみこんだ足元に、気持ち悪さを感じながら、この暗い昼間に、走った。
今何時くらいなんだろう。
今、どれくらいのスピードで私は走ってる?
不思議に息が上がらない。
いや、もう吸う息もなくて。
肺すら、止まったみたいな真空状態。
「・・・・・・・・・・ッ。」
立ち止まった瞬間に息が詰まったのを覚えた。
そして滑りこむように、ぐらぐらの世界の端っこを目指して暗い、暗い工場へ、足を動かして、入った。


―――ねぇあの日を覚えてる?


忘れられるはずもない。
あの日の私の恐ろしさも。そして罪も。
忘れられないよ。許せないんだよ。ねぇ。
「人殺し。」
体を串刺すかのような、言葉が上から降って来た。
確かに聞こえた。
息苦しさにもだえるマツリの、屈みかけの彼女の上から。
声がした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
マツリが目を見開いたまま、汗だくの顔をあげた。
「人殺しね。あなた。」
「・・・・・・・・・・・ッ。」
楓がいた。楓が笑ってた。
「正当防衛?あっはッ。」
笑った。
マツリの顔から滴る汗。
体がもう動かなかった。
「本当は分かってるくせに。」
「・・・・ッ。」
「本当は自分が故意に殺したこと、知ってるくせに。」
「・・・・違う・・・ッ。」
「自分を許そうっていうの?マツリ。」
「違う!」
叫んだ。マツリ。
「・・・・・・・・まだまだだわ。」
「・・・・ッ。」
睨むようにマツリが楓を見た。
「まだまだ、もっと、嫌いなさいよ。」
「・・・・・・・・ッ。」
「憎みなさいよ。」
楓が笑ったままいう。かわいい顔。
「殺してあげるから。許さないであげるから。」
「・・・・・・ッ。」
「マツリを裁いてくれなかった誰かの変わりに、私が裁いてあげるから。」
「・・・・・・・・・うッ・・。」
マツリの髪の毛をひっぱり、微笑んだ。
「だけど、メグの目の前でね。」
「・・・メ・・。」
また頭が鳴った。
ズクズク。転がるようだ。

メグ。

「放せよ。」
「!!」
「マツリ 放せ。」
メグが、そこに立っていた。
マツリは涙が溜まりかけた眼で彼を見た。
彼の、目を。見た。
「随分速いじゃない、メグ。」
にこっと楓が笑った。
当たり前だった。彼は真すぐ此処に来た。
「あっはは。怖い顔―。」
「うるせぇ。」
確かにざわッと体を駆け抜けるような殺気を、彼は放っていた。
「でも相当食いちぎられたいみたいね。」
「やめろよ。」
「・・・・。」
「今そこであいつを出すな。」
「・・・・・・・・・・ふーん。」
「・・・。」
「マツリが喰われちゃうのが、怖いんだっ。」
「あぁ。」
素直だな。
マツリは黙ったままメグを見てた。
グラグラする。
当たり前だ。
此処も楓もメグも。全て消してしまいたい、この世界の端っこ。
「だけどさぁメグ。」
「・・。」
「あんたは丸腰じゃない。」
「・・・・・・かもな。」
「私にはあの子がいるけど。あんたの左手は私を欲しがらないじゃない。出てきてもくれないんじゃない?」
「・・・・・・・・・・いや。」
ボッ・・・
「!」
マツリの体の中で、こいつがデジャブした。
こいつを、知ってる。
そう感じた体が震えた。
「・・・・・出てきてはくれるぜ、楓。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・。マツリから離れろ。」
「・・・・・・・へー・・・。」
メグはマツリの方を一回たりとも見ようとしなかった。
だけどマツリはメグを見つめ続けていた。
楓は、笑ってた。
「じゃぁさ、メグ。賭けてよ。」
「・・・?」
「メグが私に負けちゃったら、メグの左手でマツリを殺しなさいよ。」
「・・・っ。」
「あんたなんか大ッ嫌い。」
「・・・・・・俺もだ。」
睨んだ。
「・・・・・・・・あっち行ってろマツリ。」
「・・・!」
マツリの方をちらりとも見ずに、メグが言った。
楓の笑った顔が怖かった。
マツリはずるっと体を引きずって立ち上がった。
そしてグラグラする頭を抑えながら、歩いて楓から離れる。
そしてあの「世界の端っこ」へ逃げてきて、座りこんだ。
体が小刻みに揺れていた。
ぼッ! 
楓の化け物が現われた。
「!」
マツリは体が強張った。
大きな白い人ならざる人。
揺れる揺れる、影。
つぶれた目に、口。
恐ろしい赤い口。
ぞっとする、世界。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ。」
楓の化け物とメグの化け物。
二つの化け物が向き合って、叫んでいた。
その共鳴が、体を駆ける。
ずる・・・・
楓の化け物が動き出した。
メグのほうに向かって走り出した。
だが、ゆっくりと、足をするように。
足首から下がもげて歩く都度、激しい痛みが脳内を襲うようにうめきながらゆっくりとメグに近寄った。
「・・・・・ッ!」
ぐわ!っと口を開く。
馬鹿でかい口。歯がそろっていて、赤に白が映える口。
「嫌い」を食べるその口を開いた。
そしてメグに向かって殆んど倒れてくるような形で襲いかかった。
「・・・・・・!うぉ!」
メグが飛んでよける。
だがそいつの手がメグの方に伸びる。
「!」
「食べちゃえ!」
その手から、新たに口が開き、メグを襲った。
「うっ!」
よけ切れなくて。
ブシュ!
「!!!!!」
マツリの目が見開かれ表情が歪んだ。
「っ!」
赤い血が、またこの場所に舞ったんだ。メグの右肩にそいつは噛みついた。
メグは、その肩を思いっきり引き抜いた。
そのときにまた血が出てきた。
どろ・・・っ
「いってぇな・・ツ」
にっと顔は笑ったままだったが、汗が噴出していた。血も、噴出していた。
「あははっ!」
楓が笑った。
「・・・・・・・・・・・っメ・・・・!」
メグの名前を呼びかけた。
だけど、メグ。と言い切ると。また頭がぐらつく気がして、言えなかった。
「おとなしくマツリを返せ!」
メグが吠えた。
「そんな状況でよくそんな命令できるわね!」
楓も叫ぶ。
顔は笑ったまま。
ボォ!
一層激しく燃えるように揺れた。
あの怪物。
「食べてあげる。その嫌悪も・・・。」
「・・・・・・ッ。」
「アンタもッ!!!!!」
ゴォ・・・ッ
化け物がメグの方にまた勢いよく近づいた。
メグは下がるが後ろはもう壁だった。
「・・・・・・ッ・・・・。」
「!」
口が開く。
影がかかる。
マツリが思わず頭を掴んでいた手を離す。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はー。」
椎名。
メグの家にい続けていた。
「・・・・・・つまんねぇ家だな。」
酒もなければ、エロ本のひとつも置いていない。
あるのは必要最低限のもの。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
プルルル・・・。
携帯が鳴った。
椎名が嫌そうな顔をしてソレに出る。
「はい。」
立ち上がってタバコを灰皿に置いた。
煙が真っ直ぐ上がる。
「いいえ。・・・・えぇ。」
窓の方へ寄った。
「今ですか。・・・・家ですよ。えぇちょっと留守番をね。」
しけた町が映る。
「・・・・・・・大蕗・・・マツリですか・・・・・?」
椎名が顔を上げた。
「いえ・・・。いえ・・・・知りません。」
眉間にしわがよっていく。
「えぇ。・・・・・彼女が何か・・・。」


しけた街。


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